幼馴染の夢と想い   作:伊東椋

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理性の侵食に抗う

 尾上がクレープを食べ終えるのを見計らってベンチから立つ頃には、空は既に日が落ちて暗くなっていた。

 というか、暗いというか空が澱んでいるような……。

 「あれ……?」

 立ち止まった尾上が空を見上げた時、釣られて見上げた僕の額や頬にポツリと何かが当たった。それが雨粒だと気付く頃には、たちまち夕立になった。

 僕と尾上は慌てて雨宿りできる場所を求めて走り出した。傘も持っていなかったので、僕と尾上はたちまちずぶ濡れになってしまった。

 「尾上、とりあえずあそこで雨宿りだ!」

 「うん!」

 僕達が飛び込んだ軒下の主は、見た事があるようなないような建物だった。何故か尾上と二人で入った記憶があるようなないような所だが、なんの建物なのかはわかる。

 ラブホテルだ。

 二人で夕立から逃げるように走っている間に、いつの間にかラブホテル街に彷徨っていたらしい。

 「(し、しまった……)」

 不覚だ。場違いにも程があるので長居はしたくなかったが、周囲に見える建物はどれも似たようなラブホテルだった。

 「うー、雨強くなってきたねぇ……」

 尾上の言う通り、雨足はますます強くなっていた。バタバタとコンクリートを雨粒が叩く音が響き渡る中、この中を駅前まで走るのは勘弁願いたい。

 「ひとまず、雨が収まるまでここに居るしかないな」

 「うん、そうだね……」

 同意した尾上を連れて、エントランスの奥へと進んだ。無人なので、高校生の僕らがここにいても、文句を言う人はいなさそうだ。

 「それにしても、災難だねぇタク」

 「ああ。こんな雨が降るなんて、聞いていないぞ……」

 朝確認した天気予報では、降水確率0%だったのに。くそ、やっぱり当てにならないもんだな……。

 「――くしゅっ」

 可愛らしいくしゃみの音を奏でた尾上に、僕は確認するように訊ねる。

 「寒いか、尾上?」

 「ううん、平気……。これくらい大丈夫だよ」

 首を振る尾上だったが、その身体がぶるりと震え上がったのを僕は見逃さなかった。直後、尾上は自分を抱き締めるように身体をさすり始める。

 シャツはべったりと肌に貼り付き、ネクタイの端まで胸の中央にへばりついている。そして、その胸元にはうっすらと赤がかった何かが透けて見えた。

 「――ッ!」

 僕はそれから目を逸らすようにエントランスを振り返り、それから豪雨になりつつある外を眺めた。その間にも、尾上がくしゃみを連発していた。

 「………………」

 僕は財布の中身を覗き見ると、心に決意の灯火を灯すと、震え上がる尾上の方に振り返った。

 「尾上、中に入るぞ。このままだと、風邪をひく」

 「タ、タク……?」

 ぽかんとする尾上に、僕は続ける。

 「シャワーを浴びて、服をできるだけ乾かそう。尾上に風邪をひかせたら、乃々に怒られるしな」

 「………………」

 尾上は瞳を丸くして、ジッと僕の顔を見詰めていたが。

 すぐに微笑んで、頷いた。

 「うん。わかったよ、タク」

 「よし」

 この状況でもし尾上以外の女子だったら、僕は何倍も苦労しただろう。

 だが、相手が尾上だったから、こういう建物に入るにも何の誤解を解く努力もしなくて済む。

 そう、尾上だから。

 少しだけ複雑な気分にはなったが、僕と尾上はラブホテルの中へと躊躇なく入る事ができた。

 

 

 

 エントランスの壁に並んでいる部屋一覧のパネルから、一番安い部屋を選んで押す。すると、チケットが落ちてきた。

 そのチケットにお金を添えて小さな窓口に置くと、向こうからにゅっと手が伸びてそれを受け取り、代わりに部屋の鍵が差し出される。

 緊張しながらそれを受け取り、ピンク色に光る『妖精のダンス』の文字を横目に、僕と尾上はエレベーターへと向かった。

 「………………」

 「………………」

 エレベーターが動き出し、この間、僕と尾上の間には沈黙が流れていた。

 もしかしたら尾上も思っている事かもしれないが、僕自身さえ思っている事がある。

 エレベーターから出て、二人で廊下を歩いた時、その思いは更に膨れ上がった。

 まるでここには初めて訪れた気がしなかった。尾上が寒さの余りなのか、僕の腕にしがみ付いてきたが、その状況が正に無いはずの記憶に重なりそうになる。

 こういうのを、デシャヴというのだろうか。

 しかしそれはあり得ない。クール・キャット・プレスで確かに「初めてのラブホマナー」を熟読したが、ラブホに入るのは本当に初めてだ。しかも相手が尾上だなんて、ますますあり得ない。

 そうこう考えているうちに、部屋に辿り着いた。部屋には丸い回転ベッドがあって、何故かそれを見るとぞわぞわとした気分になるのだけど、それは気にせずにまずは浴室を探した。そして湯船にお湯を溜めた。

 「尾上、先に風呂入れよ」

 「お湯が溜まってからで良いよー。それよりタク、はい、バスタオル。まずは身体を拭こうよ」

 「ああ、サンキュ」

 お湯が溜まる間、僕と尾上は脱げる物は脱いで、バスタオルで濡れた身体を拭いた。

 そしてお湯が溜まるまでの微妙に長い時間の間、僕たちはベッドに腰掛けた。

 幼馴染と、ラブホテルの一室で二人きり。

 その状況がどうにも恥ずかしくて、僕は尾上に背を向けていた。

 しかし沈黙は長くは続かなかった。尾上が何の躊躇もなく、いつもの調子で話しかけてきた。

 「タクは、優しいねぇ」

 「……い、いきなりなんだよ?」

 「だって、最初はタクも反対してたのに、ここまで頑張ってくれてるもん」

 「……別に、これも新聞部の活動のためだ。それに尾上とはいつも二人で出掛けてるから……」

 「でも、タク。私とデートして、楽しかった……?」

 僕は、つい恥ずかしくなって。

 「い、言わせるなよ。言わなくても、お前ならわかるだろ」

 「……うん、わかるよ。タクの気持ち」

 「……だろ? だったら……」

 「私も、もう何度も言ったけど、今日はタクとデートできてすごく楽しかった」

 シーツが擦れる音が聞こえる。尾上の視線を、首筋に感じた。

 「タクはやっぱり、優しいよ」

 尾上は繰り返す。

 「この状況でも、私を襲ってこないしねぇ」

 「お、襲うか!」

 「だってタク。タクがいつもゲンさんから買ってる雑誌に、こういうシチュエーションで男が女を落とす方法って書いてあったよ?」

 「尾上、おま――って、だから違うって! それに、僕は優しいんじゃなくて、ただそういう事を幼馴染にする度胸がないってだけだよ……」

 本当に優しかったら、家族を困らせたりもしないはずだ。青葉寮から抜け出して、トレーラーハウスで寝泊まりしている僕を、乃々や義父さんたちが心配してくれているのはわかっている。だが、それでも僕はあそこへあまり帰ろうとしない。新聞部でだって、僕の我儘で部員たちの書きたい記事を拒んでいる事もしょっちゅうだ。

 それらの思いが、尾上に流れ込んでいる事だろう。だが、尾上はそれでも――

 「ううん。それでも、タクはやっぱり優しいよ」

 尾上の優しげな声が、僕の鼓膜に届く。

 「本当はタクも家族が心配でしょうがないと思ってる。それに、タクは……」

 僕の手に、ひやりと冷たいものが触れた。

 視線を向けて、それが尾上の手である事を知る。

 「私なんかと、ずっと一緒にいてくれた」

 「尾上……」

 「今日も私にずっと付き合ってくれたもん。タクは、私の傍にいつも一緒にいてくれた。だから、私もずっとタクの傍にいる……」

 僕の手に重なった尾上の手は、雨に濡れて冷え切っていた。だが、その手の感触が僕の心に温もりを感じさせた。

 ニッコリと笑って、僕の瞳をジッと見詰めてくれるその瞳。濡れた髪の毛が頬などにも貼り付いて、照りついた唇がうっすらと赤みを取り戻していて――

 「タク……」

 僕の身体がまるで磁石に引っ張られているかのように、尾上の方に吸い寄せられていくその瞬間――

 

 ピンポンパンポーン♪

 

 どこからか、軽快な音が鳴り響いた。

 「な、なんだ!?」

 突然室内に鳴り響いた音に、僕の身体がビクッと震える。

 「あっ。お湯が溜まったみたいだね」

 「そ、そうか! まったく、驚かせるなよな……」

 僕は平静を装いながら、尾上に言った。

 「さぁ、入ってこい」

 「ううん、タク先に入ってきて良いよ。タクだって濡れちゃってるでしょ?」

 「馬鹿言うな、尾上の方が冷えているだろ。僕は後で良いから」

 「……おっけい。タクがそこまで言うなら」

 ようやく納得したのか、尾上はすっくとベッドから立ち上がった。

 「ゆっくりで良いからな」

 「そういうわけにはいかないよ。なるべく早く出るからね、タク」

 「その代わり、ちゃんと温まるんだぞ」

 「うん。タクはやっぱり優しいなー」

 「は、早く入ってこいっ!」

 「はーい」

 尾上はトテトテと、浴室の方へと消えていった。

 そして聞こえてきたシャワーの音に、僕はしまったと耳を塞いだ。

 「……これは、やばい」

 シャワーの音を聞いていると、昼間見た尾上の水着姿が思いっきり脳裏によみがえってきて、僕は思わずベッドにあった枕を抱きかかえた。そして同時に手元に生じたあの時の柔らかさを思い出し、僕はますます昂る感情を抑えるために顔と耳を枕に沈めた。

 「フーッ! ブフーッ!」

 落ち着け。思い出すな。相手は尾上だぞ。

 さっきはあんな事を言っておいて、シャワーを浴びている幼馴染に欲情するなんてどうかしてる。

 どうにかなってしまいそうだ。

 いや、だから落ち着け。

 あの時はひたすら驚いて、尾上はあんな事を言っていたが僕も悪いと思っている。だが、いま思うと水着姿は可愛くて本当に似合っていたし、あの手に感じた温もり、そしてすっごく柔らか――って、だから何を考えているんだ僕は!?

 落ち着けぇー。こういう時こそ、心を無にするんだ宮代拓留。

 いいか、こういう時は素数を数えるんだ。

 2 3 5 7 11 13 17 19 23……

 「タク? タクー?」

 29 31 37 41 43 47 53 59 61……

 「おーい、タクったらー」

 ええい、誰だ。いま僕は落ち着こうとしているんだ。冷静になろうと素数を数える僕の邪魔をするのは一体誰――

 「もー。タクー? 早くお風呂に入らないと、風邪ひいちゃうよ!」

 「おわっ!?」

 その時、僕の腕にぷにゅっとなにか柔らかいものが当たった。

 浴室から戻ってきた尾上が、僕の腕を自分の胸元に引っ張っている姿が目に入った。

 「お、おの、尾上ぇぇ……っ!? お前、何して――」

 「だって何度も声かけても、タクが反応してくれないんだもんっ」

 「だからって……って、お前、なんて恰好してるんだぁぁぁっっ!!」

 頬を膨らませる尾上の姿に、僕は驚愕する。尾上の身体には、真っ白なバスタオルが巻かれていた。

 バスタオル一枚を身体に巻いただけの尾上の恰好に、僕は思わず声を上げる。

 「なんで、そんな恰好……!」

 「う? だって、お風呂上りだから……」

 「せめて、バスローブを着ろよ! 部屋にあっただろっ!」

 「あ、ホントだー」

 ベッドの隅に置かれていた畳まれたバスローブを見つけ、尾上は何事もなかったかのようにそれを手に取る。

 僕は尾上が着替える前に、ベッドから浴室へと向かった。

 「それじゃあ、僕も入ってくるから……!」

 「うん、ごゆっくり~」

 本当に何を考えているのかわからない尾上の行動に困惑を引きずりながらも、僕は浴室に溜まったお湯に冷えた身体を沈ませた。

 

 

 

 「ふ~。いい湯だった……」

 雨で冷えた身体が芯まで温まるようだった。僕がバスタオルで顔を拭きながら部屋に戻ると、窓際に寄りかかって外を眺めていた尾上の姿があった。

 「……身体は温まったか? 宮代」

 「ああ、おかげさまで……」

 ――と、僕は気付く。

 「『黒』か……」

 「ああ。お前も『白』も、災難だったな」

 僕は昼のランチの時を思い出す。

 「お前、あの時は自分だけ逃げだして……」

 「宮代拓留」

 有無を言わせない『黒』尾上の低音ボイスに、僕の口が止まる。外はすっかり夜になっているのだろう、窓から入り込む外の光が、バスローブ姿の尾上の身体をゆったりと包んでいる。その姿がどこか艶かしく、妖艶な雰囲気を纏っているように見えた。

 「お前は気付いたか?」

 「……なんの話だ?」

 「尾上世莉架の気持ちだよ……。この尾上世莉架という存在は、今日一日お前と過ごしてみて、その内に秘めた想いを次の段階へと昇華させたいという欲望に駆られている。何度もお前にアピールをしていたはずだが、お前はその意図に気付いたかと聞いているんだ」

 「尾上の気持ち……。意図、だって……?」

 「まさか気付いていないとは言うまい」

 尾上はジッと、僕の目を見詰めた。

 今日は一日、新聞部が次の記事に書く高校生の初デートに最適なデートスポットの取材のため、尾上と渋谷中をデートして遊んだ。尾上は何度も僕にそのデートを楽しかったと言ってくれたし、僕も同じように楽しかったと言える。

 「尾上世莉架は、お前に対するある想いに気付いてしまった。その想いの正体、そして膨張する様に恐怖し、周りに相談し続けた。そして……今日の計画に至った。宮代拓留とのデートプランを」

 「ちょっと待て。計画って……どういう事だ?」

 『黒』の尾上は淡々と語り始めた。『白』の方の尾上が、僕の事で新聞部のみんなに相談していた事。そして、この日のデートが最初から僕以外の新聞部部員たちによって仕組まれていたという事を。

 来栖たちは僕と尾上をデートさせるために、あんな事を……?

 だけど、どうして?

 その答えに、僕はもう気付いていたのかもしれない。

 ただ、認めたくなかっただけだ。

 僕にとって、尾上世莉架とは他の誰よりも長い付き合いのある、信頼のできる幼馴染だ。

 

 僕にとっての大切な人。

 

 そして……

 

 僕の好きな人。

 

 僕にとって、尾上世莉架とはそういう存在だった。

 だが、僕はどうしてか尾上の事をそういう目で見てはいけないというか、そういう関係になってしまうのが憚れた。心はとっくの昔から尾上に向いているのに、脳がまるでそれを拒絶しているかのような。もしくは、逆。

 尾上が大切で、好きな人だからこそ、僕と尾上の関係は結ばれてはいけない。

 何故かそんな考えが、浮かび上がってくるのだ。

 とても深い闇底から、それが這い出てきて、僕の内に秘める別の理性が働く。

 尾上と結ばれてはいけない。

 何故そんな事を言うのかわからないまま。

 僕は尾上と過ごし、そして尾上の気持ちを、受け取れないままでいた。

 「尾上世莉架も、そしてお前も、もう十分に苦しんだ。これからは幸せになる道を選んでなにが悪い?」

 「僕は……」

 「ここにいる宮代拓留は、尾上世莉架と結ばれる権利がある。尾上世莉架もそれを望んでいる」

 僕はその時、尾上の目がこれまでに見た事がない、初めての感情を露に揺れているのを見た。

 彼女がまるで歳相応の少女のように縋るような瞳を、僕に向けている。

 「なぁ、宮代。とっくに気付いているのだろう? 尾上世莉架は……お前の事が……タクが、好きなんだよ……」

 ハッと、視線を向ける。

 そこにいたのは、学校でもよく見る尾上の顔だった。

 「タク、私……。私、タクの事が好き……です」

 今にも泣きそうな表情で、尾上は呟いた。僕の脳には確かに彼女の声がはっきりと認識されていた。

 そこにいるのは僕の幼馴染であり、好きな相手に告白をする純真な少女であり、そしてなにより僕の好きな人――尾上世莉架だった。

 勇気を振り絞って言葉を紡いだのだろう、見るだけでもわかるぐらい、尾上の両拳は胸の前で祈るように強く握り締められていた。

 そんな彼女の勇気に、決意に、覚悟に、そして――想いに、応えない人間は人間じゃない。

 僕は――

 「尾上……!」

 彼女を、尾上を、抱き締めていた。

 夜の空へと消えてしまいそうな窓際にあったその身体を、こちらへと引き寄せるように。

 尾上は、僕の傍にいた。

 「尾上、僕も尾上が好きだ。今までずっと一緒に生きてきた尾上が、僕にとって一番大切な人だ……」

 「タクぅ……!」

 「尾上、これからも……ずっと一緒にいような」

 「うん。タク……、タクぅ……」

 僕の胸元で、尾上は泣き続けた。

 そして僕もまた尾上を抱き寄せた。もう二度と、僕の傍から離さないように……。

 

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