大規模な作戦がつい先日に一旦落ち着き、消費した資材も少しずつ取り戻してきたある日の事。
秘書艦である海風が報告を忘れた涼風の元に赴き、直接報告を受け執務室に戻ろうとした所である。
「失礼します提督。涼風から遠征の報告を受けてきました。あの子ったら、すぐに報告しに来てと言ってるのに――」
ここに居ない涼風を咎めるように、だけど、嫌味と言うよりは心配し提督に涼風の事を許してあげて欲しいと言う口調で入室した時の事だった。
いつもなら苦笑を浮かべるなどの何かしらのリアクションをとってくれる提督が何も反応が無い。まさか、入れ違いになったのかと思ったが机の方をみると、反応が無いのも納得した。
「あっ…提督…」
提督は自分の腕を枕の代わりにして寝ていた。
提督の事を起こさないように恐る恐る近づいてみると、口許と目元を腕で覆っているが手にはペンが握られている状態だ。提督の姿勢から察するに、海風が居ない間に書類をこなしている内に自然と眠ってしまったのだろう。腕枕をしているのは寝ていても書類守る為の姿勢を体が自然ととったおかげだと思われる。
昔、提督は秘書艦が居ない間に寝てしまい秘書艦が戻った頃には書類が涎だらけで大変な事になったと海風は聞いた事がある。それ以来、提督は寝ている時に自然と腕で顔を覆って寝るように訓練したと、苦笑交じりに話してくれた事を覚えている。
その時の提督の表情は一度やってしまった事を反省する子供みたいな表情で少し可愛らしく思えた。その時の事を思い出して、海風はくすりと緩やかな笑みを浮かべる。何だか目の前にいる提督が授業中に寝ている子供の様で何だか庇護欲の様な物が湧いてきてしまいその欲に従うように提督の頭に手を置く。
「お疲れ様です、提督」
優しく、自分にしか聞こえないような声量で提督を労いながら彼の硬い質感の髪を撫で上げる。
自分達の妹のを撫でるのとは違う要領で提督の頭を撫でている事に海風は気づいていない。妹達にも優しく撫でてはいるが、提督を撫でる仕種は何処か愛おしさを感じさせる。
暫くは提督の頭を撫でていたのだが、提督の指がペンを落としてしまい、彼の耳元で音が鳴ってしまった。
ペンの落ちる音に反応し、提督は腕の中でゆっくりと瞼を持ち上げ、折り曲がったからだを真っ直ぐに伸ばしていく。
「あっ…」
先ほどまで提督の頭を撫でていた手が自然と離れてしまい、海風は名残惜しそうな声を思わず上げる。
対する提督は海風が先ほどまで頭を撫でていたことなどつゆ知らず、大きく欠伸をしながら目を擦る。目を擦りながら海風の事を認識し、自分が何をしてしまったのか理解した。
「悪い…、寝てたのか俺」
「あ、いえ。大丈夫です。今来たところですから」
海風は笑みを浮かべて何とか取り繕う。何時までも彼の頭の名残惜しさを感じていては駄目だ。ここは提督に心配をかけさせないようにしなくては。
「あぁ、ホント悪いすぐに仕事を終わらせる。報告は書類に纏めてくれれば後で目を通しておくよ。ちょっと今の俺じゃ口頭だけだとキツイ」
提督は苦笑いを浮かべながら、仕事を再開しようとペンを握ろうとするが、すぐに手から零れ落ちてしまう。
「あれ?ははっ、悪い。すぐにやるから」
目のくま、弱々しい手、少しばかりすぐれない顔色。彼の様相から海風は理解した。
「提督…」
彼の体調が限界に近いのだという事を。
つい先日まで大規模な作戦があり、提督は昼も夜も無く作戦を立て、艦隊からの報告を受けての軌道修正をし続けていた。作戦の中も書類の量は減らない。寧ろ増える。その間も提督は書類の処理を休める事は無い。
艦娘達ですらある程度の休憩を取る事が出来たのに、彼だけはずっと休む事無く働き続けていた。秘書艦である海風が戦闘での疲れが残る体で仕事をしようとすると提督は休憩をするように何度も促し、結局言葉に甘えてしまった。
海風は深く、深く反省する。これでは秘書艦失格であると。部下の体調を管理するのも上司の仕事だと言うが、上司が仕事をしやすい環境を整えるのは部下の秘書艦の仕事だったのに。これでは、この人にずっと仕事を押し付けているだけである。
作戦時の秘書艦だからと甘え続けた事の責任がやって来たのだ。その反省の想いを込めて、海風は机に手をついて提督を見つめる。
「提督」
「んっ、何だ?」
ペンと格闘していた提督が顔をあげると海風と目が合う。『俺の事は心配すんな』と咄嗟に言おうとしたが、海風の悲しげに潤んだ空色の瞳が自分だけを捉えている事に気づきその言葉を飲み込む。
「作戦の大目標は達成しました。だから、お願いします。お願いですから…今は…ご自愛ください…」
海風はペンに向かって伸ばそうとする提督の手の上に自分の手を重ねる。海風の丁寧な、だけど、それ以上に弱々しく寂しい声に提督は息を呑む。
『このままの状態だと仕事が進まないし、ミスだって出るかも知れない』『休んだだけ、後で頑張ればいい』
いつか海風を休ませる為に言った口実が、今は自分に適用される番なのだろう。その時の記憶を鮮明に思い出し、提督は穏やかな表情を浮かべる。
「このままじゃ仕事が進まない。休んだだけ、後で頑張ればいい。と言った事かな」
「提督は頑張りすぎたほど今は頑張ってくれました。だから、今度は提督が沢山休んでください」
このまま海風の言葉に甘えたい気持ちではあるのだが、上司としての責任感からか踏ん切りがつかない。だから、自分で妥協点を探し、海風に提示する。
「それは、部下としてのお願いか?」
「はい…。提督の秘書艦として、あなたの秘書艦としてのお願いです。どうか休んでください…」
あなたと言う時は海風の素が出ている時だ。彼女の言葉と視線をそらさない事から海風が本気で自分の事を想ってくれてると思うと心の中が満たされる。その想いだけでまた仕事が出来ると言ったら、今度は本気で泣いてしまうだろう。それだけは嫌だ。
だから、妥協するのではなく、彼女の願いを聞き届ける形で自分を納得させた。
「わかった…。今は休ませて貰うよ…」
彼が休むと聞き届けた海風はさっきまでの悲しい表情を安堵の表情に変化させた。
「はい、よかったです」
彼女の顔が安堵に変わった事に提督も内心安堵した。
「あの…海風の膝枕はどう、ですか?」
突然何が起こるかわからないと言う事で執務室から離れなかった提督はソファで仮眠を取ろうとしたのだが、海風に膝枕を提案されたのだ。何でもこの前に提督が膝枕をやったお返しにという事らしい。最初は遠慮しようとしたのだが、江風達が太鼓判を押すんですよと、無邪気に言われてしまえば抗える筈も無く、条件反射的に是非ともお願いしますと返答した。
その結果が海風の膝枕である。後頭部に当たるのは、ソックスに包まれてもわかる柔らかく包み込むような弾力のある海風の腿と炬燵のように頭をぽかぽかとさせる体温。洗剤に使われてる匂いかそれとも彼女の匂いなのか、甘い匂いが鼻腔を擽る。彼女の顔の間に立派に育ちつつある山が邪魔をして顔がすこしばかり見えないのが残念だがそれもある種の趣と言えるだろう。
「あぁ……最高だな。柔らかくて…温かい…。こんな最高の枕で寝た事一度も無い」
「はい!ありがとうございます!!」
提督からの最高峰の褒め言葉に海風はとびきりの笑顔を浮かべて彼の頭を撫でる。海風の頭を撫でる手はとても優しく、提督の髪を梳くように撫でる。その優しさに海風の膝枕と言う心の中の興奮で冷めかけてた眠気が再び強く襲ってきた。
「提督の髪はちょっと硬いですね」
「余り長くないし、シャンプーとかも安物で気にしてないしな」
自分の知る髪では味わえない感触なのか、海風は優しさの中に興味を交えて撫ぜ上げる。
余り見る事が出来ない、海風の子供らしい仕種に提督は彼女に愛おしさを覚える。
「海風…」
提督は腕を伸ばして彼女の頬に手を添える。彼女の頬は提督が触った事のある物の中で上位に入りこむ位に柔らかく、そして安心できる温かさ。
「な、何ですか?」
突然、頬に手を添えられたことに一瞬で体温が上昇したのが提督の手に伝わる。その事実が恥ずかしくて彼女の体温はますます上昇する。
「心配してくれてありがとう」
「当たり前です。海風の提督はあなただけなんですから」
頬に当てられた手に自分の手を重ねると、海風は笑顔で返答する。
彼女の『あなただけ』と言うのは特別な言葉じゃない。そう言って、誤魔化すのは今は止めよう。あの時はまだ上司と部下としての建前だったからああ言い聞かせてたのだ。
でも、今は彼女の『お願い』によってこの状況になっている。だから、自分としてこの言葉を彼女に捧げよう。すぐそこまで来ている眠気の世界からの闇に闇に飲まれないように意識を保ち彼女へその言葉を捧げる。
「海風――」
――俺は海風の事が大好きだから
それだけ言うと頬に添えてた手をおろし、胸の前で腕を組んで眠りの世界へと提督は飲まれてしまった。
彼の表情はとても穏やかですっきりとしたもので先ほどまで体調が限界を迎えかけてたとは思えないほど綺麗な顔色になっていた。
「あっ…てい…とく…」
海風は穏やかな顔で眠る提督を見つめると、また優しく彼女の頭を撫でる事を再開した。
――海風もあなたの事をお慕いしていますから
穏やかで慈愛に溢れた笑みで眠りの世界へと旅立つ提督の頭を撫で続けた。
余談だが、眠りゆく提督の告白を受けたとき、今にも飛び上がりそうになり頭の中では
(あ、えっ!?ててててててて、提督が海風の事が大好きだって?!う、海風の事を慕ってるって!!???膝枕をしてくれたときに言ってくれたのは聞き間違いじゃ無かったのかな?!え、ええええぇぇぇ!!!!!かかかか、江風!ややややや、山風!!お姉さんどうしよう!!!!!えええええぇぇぇぇぇ!!!)
と、本当は狂乱状態だったのだが、何とか落ち着けたのは提督の穏やかな寝顔のおかげだと言う。