誰かが何かをするだけの話   作:なぁのいも

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マックスが提督にキスしようとするだけの話

 昼の休憩を告げる予鈴が執務室に鳴り響いた直後、執務室のドアを叩き、入室する艦娘が一人。

 

「失礼するわ。提督、午後のお仕事の時間です。業務を再開しましょう?」

 

 感情の起伏を感じさせないような、何処か当たりの強い口調でそう告げたのは、艦娘Z3。通称、マックス・シュルツであった。

 

「フー……クー……」

 

 引き締まった表情で入室したマックスとは対照的に、彼女の上司であり――大切なパートナーの提督は、予鈴など聞こえなかったと言わんばかりに、ソファに窮屈そうに身体を預けて呑気に寝息を掻いている。

 

(寝てる……。エアコンの効きがいいからさぞ寝心地が良いのでしょうね)

 

 執務室は確かにエアコンの効きが良い。この鎮守府の主が大半の時間を過ごす部屋だけあって、快適に過ごせる温度を保ち続けている。

 

 だから、昼食でお腹を満たした幸福感を保ちながら、夢の世界に旅立つにはもってこいの部屋だ。

 

「お昼休みは終わったわよ」

 

 が、夢を見るのはこれで終わり。昼の予鈴はほんの数分前に鎮守府中に渡り、皆に平等に仕事の時間を告げたのだから。

 

 マックスは提督の腕を掴んでゆさゆさと揺らし、提督の目覚めを促す。

 

「スー……スー……」

 

 しかし、提督はマックスが起こした揺れなど感じて無いのか、相変わらず心地よさそうに寝息をかいている。

 

「全く……」

 

 全く起きる気配の無い提督に、マックスは呆れたようにため息をつく。

 

 このまま揺らしていても、提督は目を覚ますことは無いだろう。別の策を講じる必要が出てきた。

 

 その新たな策を考える前に、マックスはある事に気が付いた。それは、提督を起こそうとした関係で、彼との顔の距離が十センチにも満たない距離まで近づいていた事を。 

 

(この人の顔、こんなに近くでじっくり見たの初めてかも……)

 

 口付けは提督とマックスの親密な関係上、両手では数えきれない位にされた事があるのだが、マックスはいざと言う時は緊張が高まりすぎて瞼を貝のように固く閉ざしてしまうから、彼の顔を至近距離で見たことが無かったのだ。

 

 じっくりと好きな人の顔を眺めたいと言う願望。それは提督を起こすと言う部下としての使命よりも、マックスの中での比重が重かった。

 

 マックスは覚悟を決める様に息を呑むと、揉み上げが提督に罹らないように抑えながら更に接近しこげ茶の瞳一杯に彼の顔を映しこむ。

 

(まつ毛、長いけど逆方向に巻かれてる……)

 

 提督が唐突に目を抑えて痛がっている事が何度かあった。もしかしたら、この逆巻きの睫毛が瞬きをしたときに目に刺さるのかも知れない。後で、対策を調べてあげようと、マックスは頭の中に情報をしまう。

 

(髭、生えてきてるわね。ちゃんと剃ってって言ったのに)

 

 提督は自分の格好にずぼらな所がある。暫くは、鎮守府外に出る用事は無いとは言え、鎮守府の責任者にとして、格好を気にして欲しいと口を酸っぱくしてして言ってるのだがご覧の有様だ。

 

(おでこ、ちょっと汗を掻いてる……。寝方が悪いのかしら)

 

 彼の額には薄らと汗が浮かんでいる。室温は快適そのものであるとは言えるのだが、寝相が悪くて熱が籠っているのかもしれない。いや、もしかしたら、体調を崩してこうやって寝込んでいるのかもしれない。

 

 それを確かめるべく、マックスが次に見たのは、

 

(唇……。窓際に飾ってあるようなゼラニウムみたいに綺麗な深紅)

 

 ゼラニウムとはマックスが執務室の窓際に置いている花だ。ゼラニウムの葉は虫の嫌いな臭いを発しており、ヨーロッパでは虫よけ、或いは魔除けとして、窓際に置かれる事が多いのだ。見栄えもよくインテリアとしても馴染まれている。

 

 執務室に置いてあるのは赤のゼラニウム。この花は色によって花言葉も変わるのだが、それは今は置いておこう。

 

 提督の唇は深紅のゼラニウムの様に血色がよく、頬もほんのりと朱が指している。病気になったのかと言う懸念はこれで晴れた。呼吸のリズムも乱れが無いので、今の提督は昼寝しているだけだろう。

 

 マックスは安堵から胸を撫でおろすと、改めて提督の唇に注目する。

 

(今なら、私からキスをしてみてもバレない……?)

 

 先程も言ったようにマックスは緊張が高まりすぎると、瞼を重く閉ざしてしまう。だから、彼女は今まで自分から提督に口づけをした事が無いのだ。

 

「フー……スー……ヤー……」

 

 マックスのお相手である提督は、このように安らかに寝息を立て無防備そのものだ。

 

 だから、

 

(私からするなんて、いつもなら恥ずかしくて普段なら出来ないけど、今なら……!)

 

 今なら、自分の好きなタイミングで提督に口づけをすることが出来る。

 

 小さく息を吸ったり吐いたりして、自分の気持ちをコントロールし覚悟を決めた。

 

 マックスは提督の上にかぶさるようにし、提督の顔の傍らに手をついて、少しずつ提督の唇に接近する。

 

 いつもなら硬く閉ざしたままにする瞼を薄らと開いて維持し、高鳴りすぎて破裂しそうな心臓を心で抑え込みながら。

 

「んっ……んん……」

 

 残り7センチ、6センチ、5センチと少しずつ、しかし確かに距離を縮めていくマックスであったが、

 

(あっ、顔、凄く近っ)

 

 残り3センチとなった所で、抑えつけていた羞恥心が、理性の箱から飛び出してしまい

 

「やっ、やっぱりできなーー 」

 

 あふれ出した恥ずかしさから、提督から飛びのこうとしたその瞬間、

 

「そこは勇気を出してやってみようぜ」

 

 眠っていた筈の提督に後頭部を抑えつけられ、離れていく筈の距離を一息に詰められ。

 

「えっーー」

 

 カツンと、二人の歯が唇越しに当たる様な乱暴な口付けを交わしたのであった。

 

 数秒は何をされたのかわからないと、目を大きく見開いて驚いていたマックスであったが、段々と頬の色を熟れた腿の様に染め上げると、提督から一気に距離を離した。

 

「あああああなたおおおおお起きてたの!?」

 

「まぁ、マックスが部屋に来たときから」

 

 余りの急展開に動揺し震えすぎて言葉が言語となって無いマックスに対して、提督は小さく欠伸をしながらさも当然だと言わんばかりにあっけらかんと言って見せる。

 

「じ、じゃあ、寝た振りなんかしてなくてもよかったじゃない!」

 

「いやぁ、いつもクールなビューティーなマックスが、寝てる俺を見たらどんなことしてくるかな~って様子を伺ってみたくてなー」 

 

「うぅ……」

 

 普段は見せないようなニヤニヤとした意地悪な笑み。そんな底意地の悪い顔を浮かべる彼に対して、マックスは完熟した果物の様に赤い顔で小さく唸りながら睨みつけるしか出来ない。

 

 だが、それは提督に対しては逆効果だ。普段は凛としたパートナーが慌てふためいている姿、それは今の提督にとって小動物の様にしか見えなかったからだ。

 

「そんなに俺とキスしたかったのか?もしかして、欲求不満?」

 

「そんなんじゃないわよ!ただ、私からその……キス……してみたいなって……思った……だけ……」

 

 相も変わらず提督はニヤニヤとねちっこい笑みを浮かべながらからかってくる。

 

 その挑発に乗せられるかのように、マックスは胸に秘めようとしていた小さな願望を提督に吐き出す。今にも爆発してしまいそうな胸元を両手で抑えながら。

 

「ほーう……。じゃあ、してみてくれよ」

 

「えっ?」

 

 提督は半身を起き上がらせて、マックスと向き合う形になる。

 

 その返しが意外だったのか、マックスは両手で胸元を握りしめたまあま固まる。

 

「今度は勇気をもって……ほら……」

 

 優しく諭すような、だけど、マックスからして欲しいという願望を込めた彼の声。

 

「うぅ……、目、閉じて……」

 

 マックスはそっぽを向きながら彼に目を閉じる様に要求する。

 

「はいはい」

 

 提督は軽快な返事を返すと、マックスの要望通りに瞳を閉じ、彼女を待つ。

 

 彼が瞳を閉じて待っている内に、何度か深呼吸をして精神を落ち着かせると、彼の頬に陶磁器の様に真っ白な手を添えて、

 

「っう」

 

 先ほどの様な乱暴な口付けでなく、そっと、羽根が触れ合うような口づけを交わした。

 

 そのまま時間が止まったかのように固まっていた二人であったが、先に離れていったのはマックスであった。

 

「自分からしてみた感想は?」

 

「あ、あなたよくこんな恥ずかしいことを積極的に出来るわね」

 

 からかうような、だけど、マックスの要望を叶えれた喜びを孕んだ声でマックスに伺う。

 

 マックスの顔は真夏の夕日の様に真っ赤っかになっており、緊張で本当に張り裂けたのではな無いかと思う位に激しく心臓が高鳴っている。

 

 でも、この胸の痛みは恥ずかしさから来るものだけじゃない。自分から口付け出来た喜びと、起きてる彼に行動で好意を示すことが出来た幸福感から来ているもの。

 

 だが、今のマックスでは練度が足りないので、もう一度自分からする事になったら、今度こそ心臓が張り裂けてしまうだろう。

 

 だから、マックスはごまかす様に恥ずかしい事と言ったのだ。

 

「そりゃ、俺はいつでもマックスの事を求めてるからな」

 

「バカ……」

 

 さも自信ありげに胸を叩く提督。マックスは自分の中で零れ落ちてく感情が処理しきれなくて、彼にもその責任をとって貰うべく、提督の胸に飛び込んだ。

 

「ははっ、なんだよ」

 

「ばーかっ!」

 

 突然胸に飛び込んできた事に驚く提督。そんな彼を罵倒しながらも、いつでも求めてる、という彼からの確かな愛の言葉を受け取ったマックスは、彼にばれない様に静かに口許を緩めた。


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