星の距離─Ex,memorys─   作:歌うたい

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副題『フラスコの中の花爪草』


Produce,Act3 神崎蘭子

 

 

「……ぁ」

 

 

「……おいィ」

 

 

「……ぁ、ぁあ、ぁぁあ────ひにゃぁあぁあぁ!!!??」

 

辞世の句にするには誠に遺憾であり、且つ乙女として幾ら何でも勘弁願いたい色気のない悲鳴だが、本当にショック死するかと思う程に仰天したのだと語るのは、これより2日後の休憩ブース。

顔を熟した林檎みたく真っ赤に火照らせながらも、モジモジとたどたどしく小さな桜唇が紡ぐ蘭子の様相から、恐らく何らかの桃色エピソードに発展したのだと推測した面々によって半ば尋問みたく一方通行が問い詰められるのも、2日後の休憩ブース。

 

黒い蝶模様の扇情的なネグリジェが肩紐が左側だけ外れて、はだけた隙間からやけにデザインに拘った黒の下着と白い肌のコントラストが年齢以上の凄まじい色気を醸し出す。

閉ざされた玄関の扉の前でグジュグジュと半泣きになりながらそんな格好の儘に座り込んでいれば、下衆な妄想が幾らでも展開出来そうな蘭子の表情とは対照的に。

型の良い扉に背中を預けて、少し冷えがちな高い秋空を鬱陶しそうに睨む呆れ顔の一方通行の顔は、2日後の休憩ブースで展開される尋問で終始貼り付けたモノと全く一緒だったのは悲しい偶然ではあった。

 

 

 

────

 

 

「……ンで、熱は」

 

「うぅ……うぅぅぅうぅぅ……」

 

「……熱は」

 

「っえぅ、ひっく、うぅ……ぐしゅ」

 

「……オラ、ティッシュ。鼻かめ、汚ェな」

 

「!?……ぃ、ぁあ、うぅぅ、ひ、ひにたぃです……」

 

「……この前も雑誌撮影で水着とか撮ったろォが。一々泣くンじゃねェよアホ」

 

「ぇぅ、だって、これ、水着じゃなぃです……下着ですぅ……」

 

「……ンな変わンねェよ。つゥか、ンな恥ずかしいンなら最初から何かしら羽織ってりゃ良いだろ。此処来る10分前には連絡入れた筈だが」

 

「……ぁ、たま、ぼーっとしてて、同族さん、って、気付いてなくてぇ……」

 

「……はァ」

 

風邪が移るには流石に早過ぎるが、入室早々に難題ばかりが転がって、頭が痛くて仕方ない。

こんもりと盛り上がった毛布に(くる)まってグズグズと惨憺たる甘飴を苦い想いで転がしながら咽び泣くこのしょっぱい堕天使様をどうしたものか。

 

思春期真っ只中の乙女が、プロデューサーとはいえ異性に扇情的な姿を晒してしまったのだから、泣きたくなる気持ちも分からないでもない。

それに、よりにも依って明らかに興味や憧れ以上の対象である自分に見られたのだから、そのダメージの深刻ぶりも一潮であるのも、理解は出来る。

しかし、正直、これに関しては一方通行側としたら、責められる謂れはないだろう。

 

事前に電話も掛けて、インターホンもちゃんと鳴らしたのだ、こうなる恐れのないように。

かつて面白いぐらいにそういう状況に陥るウニ頭の男が身近に居たのだ、反面教師として学んでしっかりと警戒も予防線も引いている。

けれど、流石に向こうから無警戒にノコノコとやって来られれば、もうどうしようもない。

 

不幸だ、とか、泣きたいのはこっちの方だ、とは流石に口にはしなかったが。

灰の状態から掻き集めて辛うじて心拍数が微かに鳴るセーフラインを越えた程度ではあるが、デリカシーは持ち合わせていた。

この期に及んでも同族呼ばわりな辺り、案外余裕はあるのではと勘繰る気持ちも、一先ず置いて。

 

 

「……顔、出せ。熱測るから」

 

「ぐしゅ……へ? ぃ、いやです、泣き顔を……」

 

「いつまでも凹ンでンじゃねェ」

 

「で、でも……」

 

「……これ以上口答えすンなら、首根っこふン捕まえて引き摺り出してやっても良いんだがなァ?」

 

「──!? ぁ、だ、出します、出しますからぁ……」

 

銀の髪はほつれて乱れ、汗と涙で色々と目が当てられない顔をひょっこりと亀みたく覗かせる。

毛布ので鼻頭から下まで隠しているのは、恐らく蘭子がギリギリ許容出来るラインと言う意思表示か。

素振りは可憐だが、そんなことで一々ときめいてくれる筈もない不躾な白い掌が、しっとりと額に貼り付けた前髪を払うと、ペタリと添えられて。

降らない雨で出来た小さな小さな水溜まりが、視界の端で滲んで、プリズムを透かした先に白銀が固い顔。

 

 

「ひゃ、ぁ、あの、汗、汗ついちゃ……」

 

「……37.9、ってとこか。薬飲ンだか」

 

「ま、まだです……」

 

「……取り敢えず、粥作るか。まだ食ってねェンだろ」

 

「……はい」

 

ゴツゴツと骨っぽい掌は、薄い氷硝子で出来ているみたいにヒヤリとしている。

柔らかい羞恥がメトロノームの些細な狂いから正常なモノへと変わっていくように、薄まる感覚。

顔はまだ熱いのに、恥ずかしくて死にそうだと喚く心の固い結び目があっさりと解かれていく。

 

「……オラ」

 

「ど、どうも……」

 

ひょいと放り投げられた薄い灰色のタオルケットが、これで額の汗を拭けという紅の眼差しに促されて、蘭子の掌の中で柔らかく歪む。

オドオドとぼんやり熱が浮く思考回路は溶け出した飴細工みたいで、定まらない。

汗を留めて少し水気を吸ったタオルから洗剤の芳香が届いて、陶酔がちに目を閉じて、唇が淡く嘶く。

 

「……」

 

傾けた先、狭い視界で白い鍵尻尾が揺れている。

カチャカチャと、陶器だったりを取り出している生活音は、この部屋の主である蘭子にとって異物感がある筈なのに、あっさりと微睡みに墜ちてしまいそう。

飽和するふわふわの世界は桜の森みたく色彩過多に溢れていって、不思議な幸福感が鐘の音となって鳴り響いていて。

腫れぼったい瞼の裏側が、背を向けている筈の青年の顔ばかりをスケッチする。

 

つい先程までみっともなく泣いていた癖に、傍らにある奇妙な満足感を噛み締めている自分がとても現金な人間に思えるのに、どうにも目が逸らせない。

柔らかい筆先で暈したような思考の流れが瞼を重くするから、吐息と共に押さえたタオルに彼の輪郭が重なる。

 

 

「……ふぁ」

 

 

ぬっぺりとした白さの中に、花と日溜まりの芳香が混ざって、そこに自分が溶けていく。

それを恥ずかしいと思うのに、抵抗感もある筈なのに、嬉しくて仕方ない。

浮かれているからか、隙を付かれたような眠気に、次第に光が閉じていく。

肩越しに蘭子を一瞥する紅い瞳が、微かに笑った気がした。

 

 

 

────

 

 

 

「……」

 

「……あのよォ、何してンだオマエ」

 

「……頼りない我が衣、所詮人の作りし玩具よ。手を離せば容易く崩れる。堕天使の羽衣として選ばれし光栄すら分からぬ至らなさ。私が万全ならば黒き業火にて灰にしてくれようぞ」

 

「……」

 

「……だ、だって、この毛布の下、ほとんど下着で……恥ず、かしいですし……」

 

「……」

 

「れ、蓮華持とうとすると……剥がれ、ちゃう、し……」

 

「……」

 

「……うぅ」

 

「……後ろ向いてンじゃねェか」

 

「そ、そういう問題じゃないんですよぉ……」

 

「えェ……」

 

乙女心というものは複雑である。

膝の上にプレートごと置かれた玉子で綴じたお粥が可愛くて食べられないとか、そんなナマを言っている訳ではない。

背中を向けられていたとしても、キャミソールと下着という格好を、例え上半身だけとはいえ晒す事は厳しい、というのが蘭子の言い分である。

彼からしたら一回正面から見てるし今更だとは思うのだが、まだ中学生であり人一倍恥ずかしがり屋である蘭子には、譲れない一線なのだ。

 

「……」

 

「……っ、ぁ……」

 

「……はァ」

 

何とか毛布を剥がれないまま蓮華を掴もうとするが、直ぐにでも落っこちそうになる毛布を慌てて掴んで、溜め息ついて、もう一回挑戦しての繰り返し。

難儀そうに口を尖らす辺りは年相応だが、頭の中身はそれ以下だなとかなり失礼な事を考えながら、一方通行は嘆息を零した。

なら、どうすれば解決するか。

その答えは非常に簡単だが、余り取りたくはない手段。

特に異性として見られている実感があるからこそ、一層の抵抗を囁く優秀な頭脳に、この時ばかりはどこかの誰かの様に鈍感で居たかったと嘯いて。

 

 

「……貸せ」

 

「……え?」

 

「……オマエ、猫舌か?」

 

「な、何を言うか同族。私は漆黒の炎を僕とする高位なる存在よ。地獄の業火とて、我が舌を焼くには足りぬ程よ」

 

「……」

 

「……へ、平気、です……多分」

 

「……なら冷ます必要ねェな。オラ、口開けろ」

 

「ふぇ?────!? ぁ、ぃゃ、そ、恥ず、それはその……」

 

「うるせェ、チンタラすンなゴスロリ。さっさとしろ」

 

「……うぅぅぅぅ……」

 

有無を言わさない言動の割に、ひょいと膝脚立ちになりながらも湯気立つお粥を蓮華によそって差し伸ばす一方通行の紅い瞳が、気拙そうに横へと逸れる。

それは紛れもなく、彼もまた気恥ずかしさを感じている証明で。

それが恥ずかしくて堪らない心境を、嬉しさで塗り潰していくから困る。

甘い唸り声すら挙げているが、むず痒さと満たされ過ぎて窒息しそうな感情の波が、留まる事を知らない。

 

ここまでさせて、恥ずかしいから嫌だと言うのは憚れるし、役得なのは間違いないから。

小さな唇が、ゆるゆると開かれた。

 

「……ン」

 

「ん、ふ……んく、ぁふぃ……」

 

「平気じゃねェのかよ」

 

「……ん、おいし……」

 

「ちゃンと噛め」

 

「ふぁい」

 

「……」

 

「……」

 

「……ン、次」

 

「あぃ」

 

美味しい、よりも、暖かいと思う。

喉元を伝う出汁の味に溶けた玉子のフワフワの食感。

細やかな青ネギの歯応え、柔らかな米の粒から滲む甘味が心地良い。

 

でも、それよりも強く。

暖かい、とても。

心を、慮って見詰めるような。

静かに頭を撫でられている、そんな優しさ。

 

また、恥ずかしいという感情が千切れていく。

それ以上の何かで、上乗りされてしまう。

口付けをせがむ乙女みたいに。

もっと欲しいと、幼稚に収まる。

それが少しだけ、悲しい。

 

 

 

────

 

 

 

タイピングの音がいつもより静かなのに気付けたのは、彼が食器を片付けて、持参したパソコンを起動させてから案外直ぐだった。

ディスプレイに広がる電子が波打って、碧が白い前髪にホログラムみたいに点滅するのを見るのが、何だか面白い。

 

「……」

 

彼の、時折考え込むように身体を斜にして、目を閉じる仕草が、蘭子は好きだった。

自分の為に、頭を使って、支えてくれる実感を感じる一瞬。

それは同時に、この男が難儀している証明にもなるから、申し訳ないとも思うけれど。

背徳的というほどでもない、ささやかなもの。

手に落ちた虹を眺めるような、幸福感。

 

 

「────」

 

 

好きです。

そう言いたくなる一瞬が遠くて、尊い。

人の形をした幸せが、其処にあるみたい。

 

けれど、浮かぶのは、蘭子の他にも彼を想っている筈の、蒼い少女の笑顔。

惹かれていくと共に、目を逸らせない痛み。

どうなるんだろう、これから。

虹の足を見つけに行くのが、怖かった。

 

その固い背中へと、腕を回して。

その細い首筋へと、顔を埋めて。

その変わらない頬へと、キスをして。

囁けるだけの、言葉はいつも泡に消える。

 

 

「──」

 

 

慰め代わりに手繰り寄せたタオルケット。

口元へと近付けて。

甘く、微かに。

唇を、落とした。

 

 

 

___







花言葉『臆病なココロ』

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