星の距離─Ex,memorys─   作:歌うたい

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このページは単なる蛇足、手慰みにもならない余分なものです。


稚拙ながらも完結したアンケート小説に本来あってはならないIFです。

それでも宜しければ、お読み下さい。


アンケート小説 蛇足 『────』

無機質な檻みたく、人格の宿った歯車達のコンクリートの揺り籠が織り成す都会のビル群が見下ろす様に、神崎蘭子は何処か居心地の悪さを感じていた。

 

 

下り坂を迎えた夏が造り出すビル群から伸びた無数の影と、灰混じりのダウンフリルの付いたパゴダ傘は漆黒の色彩を貼り付けていながら、どちらかと言えば寒がりな蘭子には丁度良い気温を作ってはいた。

今にも雪が振り出しそうな曇天を飾るアッシュブロンドをカール状のツインテールに括り上げているから、時折通り抜ける夏風が彼女のさらけ出した白亜の首筋を添ってなぞるから、気温に反して特別暑いとは思わない。

 

 

横断歩道の向こう岸、点滅を始めた信号を眺めれば、やがてそのクリアガーネットの両眼の色彩と同列の、赤へと切り替わる。

伸ばしかけたブーツを戻したのは、決して走るのが優雅ではないと、気高さや気品を損なわない為の判断ではない。

単に、青信号が点滅したならば渡ってはいけない、という行儀の良い理由である事を、奇異の視線を彼女に向ける群衆が気付く事は無かった。

 

 

半分を終えたとはいえ、まだまだ太陽の運動が盛んな夏の昼下がりという環境下で、ゴスロリのブラックドレス、黒のニーハイソックス、パゴダ傘も含めて黒一色と分かり易く気合いの入っている格好をしていれば、嫌でも視線が集まってしまう。

ましてや、精巧なフランスドールに似た美しい造形の顔立ちとアッシュブロンドの髪、紅い瞳と目を惹く要素が余りにも随所にある為に、ジロジロと不躾に眺める視線が多いのも致し方ない。

 

そこに居心地の悪さを感じてしまうのは、内気がちな性格に加えて人見知りもする蘭子としては、未だに馴れる事のない現象である。

 

けれども、対角線の赤信号をどこか拗ねがちな子供染みた眼差しで見詰めるのは、それだけが要因、という訳ではない。

 

 

彼女は、焦っていた。

本来ならば彼女が勤める346プロダクションの本社に着いて居なくてはならないが、蘭子本人も参加し、成功に荷担したアイドルフェスの成果による影響で多忙が続いた所為か、いつの間にか狂っていたらしい腕時計とスマートフォンの指し示す時刻の違いに気付かなかった。

 

遅刻とは即ち、周りに迷惑をかけるという行為である。

即座にプロデューサーには連絡し、口頭ながらも少し遅れる程度なら大丈夫と伝えられたのには安堵したが、そこに胡座をかける程に蘭子は増幅出来はしない。

慌てて周囲にタクシーを探したが、平日ながらも交通量が非常に多い交差点ではなかなか掴まらず、已む無く徒歩で向かう事となった。

 

そんな状況下においてでも、律儀に信号の点滅を走り抜ける事もしない彼女は、良い子、という形容が相応しい。

けれども、逸る気持ちと遅刻に対する責任感に焦ってしまうのも、当然で。

 

 

だから、彼女は垂直対抗の信号が切り替わると同時に、周りも見ずにその脚を踏み出してしまって。

直ぐそば、彼女が渡ろうとする横断歩道へと忍び寄る『無機質の殺意』に気付いたのは、突発的に誰かが叫んだ、危ない、の四文字を耳にしてからで。

 

 

どこか暢気にも見える丸々としたガーネットアイが右を向いた時、彼女の身の丈を大きく越える鉄の塊が、最早間に合い様のないほど差し迫っていて。

 

 

「──え」

 

 

轢かれてしまう、とすら思えなかった。

衝突まで秒読みにも満たない空白の中で、目の前に飛び込んで来たトラックを前にして、何これ、としか思えなかった。

 

ならば、彼女の狂った腕時計が1つ秒針を進む、たったそれだけの間。

神崎蘭子が、自らの死が直ぐそこまで忍び寄っていたと気付けたのは、彼女の手に差す漆黒のパゴダ傘が宙を舞い上がってからだった。

 

 

 

 

───────

────

 

The fairytale is a superfluous.

 

────

───────

 

 

 

 

 

 

反射的に目を瞑る事すら出来なかったのは、神崎蘭子にとっては幸運だったのか、不運だったのか。

その瞬間の彼女に問い掛けてもきっと答えなんて望むべくもない。

 

けれど、全てが終わった後で、彼女に再び問えば、きっとある種の興奮と共に目を輝かせながら、答えだろう。

 

 

幸運だった、と。

何故ならきっと、その刹那は彼女にとっては永遠にも似た情景として瞳の中に焼き付いた程の、神秘的な一瞬。

余りに綺麗な其れを、『死にかけた』にも関わらず、呆然としながらも、手に取っていたのだから。

 

 

 

 

──太陽は昇っているはずなのに。

 

 

そこには流星が穂先を靡かせていた。

 

 

 

 

───────

 

 

 

 

「……危ねェな、おい」

 

 

右肩から伝わる骨張った掌の感触、背を預ける形となった細いながらも確かな肉付きとしなやかな筋質をどこかぼんやりと反芻していた折に、耳に落とされた冷たいテノールボイス。

抜き身の鉄閃みたく背筋をなぞる寒気と、支える様に添えられた腕から伝わる体温の暖かさはちぐはぐで、不思議な夢心地に誘うフワフワとした感覚に小首を傾げそうになる。

 

けれど、自分の背中を右腕で軽く支える男の端麗な横顔と、まるで真夏の雪と形容できる程に幻想的な白銀の髪は怖じ気を覚える程に美しくて、思わず息を呑み込んだが、それも一瞬。

 

黒いカッターシャツに包まれた肢体から伸びる左腕と、長い花片が五枚、伸ばされたような白い掌。

そこから産み出された無数の細やかな裂傷と、その掌の形だけ綺麗に窪んでみえる、トラックの顔。

 

 

──助け、てくれた?

 

 

「……チッ、面倒くせェな。さっさと帰るか」

 

 

一瞬の静寂を切り裂いて、蜂の巣をつついたみたく群衆が色めき立つ中で、白貌が呟いた言葉だけが独特の響きを以て鼓膜に溶ける。

茫然と、何故か至極面倒そうに歪むその横顔を見上げながら固まってしまったままの蘭子の耳に、雑踏のざわめきがすんなりと届いた。

 

 

『女の子が轢かれかけた』『男が片手一本でトラックを止めた』『あり得ない』『奇跡』『運転手』

 

 

疎らに散らばるワードを拾い集めていけば、分かる事。

直前までの光景、迫り来る無機質な殺気、吹き飛んだ愛用の傘、悲鳴、フラッシュバックするそれらの符号を1つ1つ、合わせていく度に心の奥底でクシャリと──何かが潰れていく音がした。

 

 

 

「……ぁっ、ぁぁ、いぁ、死に、私、あぁぁ……』

 

 

ガタガタと、腰の中枢を支える芯から弾き飛んで行ってしまったかと思うぐらいに、遅れながら飛来した恐怖に震える脚が、今にでも崩れ落ちてしまいそう。

余りにも短い瞬間で把握する事すら出来なかった死という輪郭が、悪魔染みた鋭角を象って無垢な心に突き刺されば、1人で立つ事なんて到底叶わない。

 

 

けれど、じゃあ、自分を支えるこの腕はなんだろう。

死の湖へと顔を突っ込んだ蘭子を引き戻し、痛いほどに泣き叫ぶ心臓がまだ動く事を許したのは、誰なのか。

 

 

 

「……死ンでねェ、生きてる。大丈夫だ、オマエは生きてる。声、聞こえてンだろ、返事しろ」

 

 

「ぁ、ぁっ、ぅ……っ」

 

 

両頬に添えられた白い指先と、潤み始めた視界に咲いた深紅の双子月は優しさからか、薄い唇から紡がれる言葉は、平静を保ってなどいられない彼女の心に刺さった茨の軛を1つ1つ抜き取っていく。

命の危機に直面して今にも泣き叫んでしまいそうな程に乱れた心が、目の前の男の掌から伝わる体温と、それとは他の『何か』としか形容出来ない不思議なモノに触れられて、赤子をあやす様に撫でられている、そんな錯覚に落ち着かされる。

 

 

暖かい。

包み込んで、真っ白なベールで彼女の心を恐怖から守ってくれる。

ずっと、こうしていたいと思えるような確かな安堵。

不明瞭な筈のそれに、いつの間にか救われている。

 

 

 

 

「……チッ、場所を変えるか。目を閉じろ」

 

 

「ふぇ」

 

 

だからだろう、短く告げられた彼からの要求に、意味が分からないながらも身体が応じていた。

形だけの躊躇いが口を付いただけで、彼の掌が視界を防ぐよりも早く、目を閉じて。

ほんの少しの浮遊間が過ぎ去れば、まるで眠りに堕ちてしまったのかと思う程の意識の淀みと、訪れた静寂。

 

瞼の裏の薄弱白色が蛍火みたいにブレた数秒の隙間を切り裂いたのは、やはり蘭子を救ってくれたらしい、あの男の声で。

 

 

 

「もォいいぞ」

 

 

「……え、な、此処は……」

 

 

 

再び目を開いた其処は、人通りの少ない346プロダクション本社近くの、少し寂れた庭園。

昼下がり、ポツポツとした人影しか存在しない空間は、さっきまでいた交差点からそう離れてはいないが、殆ど数秒の間に来られる筈もない。

 

まるで魔法にでも掛かったのかと蘭子が自分自身の視覚情報を疑ってしまうのは、無理もなかった。

けれど、そんな事は知った事ではないと言わんばかりに、真っ白なその男は踵を返そうとしていたから。

 

 

「ま、待って!……くだ、さぃ……」

 

 

半ば追い縋る形になってしまった。

その細くしなやかな腕に上半身丸々使って抱きついてしまった所為で、外見に反してそれなりに豊満に育った胸の双丘に彼の腕が挟まった感触に、強い意志と共に吐き出された台詞が急激にフェードを下げていく。

 

アイドルという稼業に携わっている癖に、まともに異性と関わった経験など、彼女のプロデューサーですらギリギリカウント出来る程度しかない彼女にとって、その羞恥心は相当なモノではあるが。

それよりも、いつの間にか救われてしまって、何か良く分からない内に去って行こうとする男を、そのまま見送る事は出来ない。

 

せめてお礼をと、そう紡ごうとする拍子に、ふと気付いてしまう。

蘭子自身、まるで気付く事すら出来ない間に、『吹き飛んだ筈の傘』が自分の右手に握ってあった。

 

 

 

「か、傘……いつの間に……」

 

 

「……最初からオマエが握ってた。それで良いだろ。いい加減離せ」

 

 

「だ、ダメ、駄目で……おれ、ぉ、お礼……」

 

 

最早、轢かれかけたという事実こそ信じ難くなって来る程の有り得ない事象ばかりに戸惑う蘭子の心情など慮るつもりはないのか、奥底まで見透しても不思議じゃない紅眼に見下ろされて、気弱な彼女の背筋がビクンと跳ねる。

けれど、不幸中の幸いか、彼に比べれば小柄な身体を竦ませた反動でがっちり回ったままの両腕のロックが強まって、冷淡な口振りの割には振り払うつもりはないらしい男を、逃がさなくて済んだ。

 

 

何とかお礼を、と思いながらも胸元の未知たる感触と見下ろされる両眼と未だに整理出来てはいない状況に目を回しながら上手く言葉を紡げない蘭子を見兼ねてか、どこかぐったりしたトーンでテノールが囀ずった。

 

 

「……分かったから、離せ。逃げねェから」

 

 

「ほ、本当に?」

 

 

「あァ、嘘じゃねェから。オラ、離れろ、いつまでもくっつかれンのも鬱陶しい」

 

 

「──っ、ううぅ……はい」

 

 

あからさまに男の性を全面に押し出された対応をされるよりはマシではあるが、仮にもうら若き乙女の胸を押し付けられてのこの冷たい反応に、悔しさを感じるよりも羞恥心による反省しか心にない辺りが、神崎蘭子という人格を物語っている。

 

どこか文面にすれば独特な綴りを持ってそうな響きの低音ボイスは多大な呆れと、何故かどこか諦めを含んでいるのに小首を傾げるのは内面の心内だけ。

取り敢えず、のそのそと仄かに羞恥と奇妙な興奮に熱を纏う身体を離せば、どうやら逃げ出すつもりは本当にないらしい。

プラプラと縋り付いてしまった左腕を振る男を見て──気付く。

 

 

この人は、トラックを左腕一本で止めていた様に、蘭子の目には見えた。

どれだけ鍛えていたとしても、その衝撃の全てを殺し切れるとは思えないくらいに細い腕。

サッと青くなる蘭子の表情に気付いた、よく見れば風貌や黒い服が自分に良く似ている男の瞳が、疑わし気にキリリとつり上がった。

 

 

「……携帯、鳴ってンぞ」

 

 

「へ? あっ……」

 

 

男の指摘に促される形でスマートフォンを取り出せば、プロデューサーの文字。

そういえば、自分は遅刻している身、今すぐにでも346本社に向かわなければいけない。

どういった手法を用いたのかも分からないが、先程の交差点よりは随分『近場』まで移動する事が出来たのは渡りに船ではある。

 

しかし、もしかしたら負傷、または骨に異常があってもおかしくないくらいの事をしてまで自分の身を救ってくれた目前の彼をこのまま帰せる訳もない。

 

 

「……オイ」

 

 

「ね、念の為……」

 

 

先程の勢いだけに委ねた追い縋りをもう一度敢行するだけの突発的な必死さはないけども、万が一彼がこの場を去らぬようにと、彼の右手首を片手でしっかりと、ほんのちょっと震えながらも握り締める。

手を繋ぐのは流石に初心な蘭子にはハードルが高かったらしく、手首だけでも充分なほど、顔が赤くなってしまうけども。

その脳裏に描くのは、この後のこと。

 

 

取り敢えず、プロデューサーに相談しよう。

その際、もし許されるならこの男の人を連れて病院に行こう。

その涼し気な表情は強がりなんかで誤魔化しているとは思えない程に静謐なモノだけども、骨折していないと断言が出来るくらいの医療知識など持っていない蘭子からしたら、彼の身が心配で仕方ない。

仮にも命を救って貰った相手だ、このままサヨナラなんて出来る筈もない。

 

だからこそ、この場に置いてプロデューサーは実に心強い大人の援軍だ。

先ずはプロデューサーに状況を説明し、対応と、場合によっては心苦しいが、今日の予定をキャンセルして貰う腹積もりで。

 

 

心は決まった。

既に平静は取り戻し、状況の全てを理解出来なくとも出来る事はある筈だと気弱な彼女にしては精一杯に奮起して、鳴り続けるコールへ応答をフリックして、口を開いた。

 

 

 

「我が友、緊急事態だ! 我が身に降り注ぐ筈だった永世よりの試練を肩代わりしてしまった白貌の君が負傷を圧しながらも我が元を去ろうとする!どうすれば良い!? 答えよ、盟友!」

 

 

「えっ」

 

 

「えっ?」

 

 

『──すみません、神崎さん。もう一度お願いします』

 

 

 

恐らく、この男に非常に御執心な、とある少女は一度も眼にした事がないであろう、キョトンと切れ長の紅い瞳を子供みたく丸々とおっ広げている姿はどこか滑稽で。

 

電話口の向こう、数奇な巡り合わせがこの先待っていようなど露とも知らない無骨な男は、『いつも通り』殆ど何言っているか分からない蘭子の言葉に、そっと溜め息を溢した。

 

 

 

 

 

 

 

 

─────────

 

 

 

たった3種類のコードでも、ストロークやコード進行順、リズムを気紛れに組み換えるだけで何通りもの旋律を造り出せるのだから、この手にあるモノの可能性と自分自身の未来を重ねる人が絶えないのも頷ける。

アルペジオとあざといフレットノイズを時折混ぜれば如何にもな情緒を添えれて、陶酔がちに目を細めれば、形ばかりが遠想の先にあるアイツの姿。

 

 

その背に求める感情一片、織り重ねて叙情詩として語るには、まだまだ技巧の拙さばかりが目に付いてしまう。

所詮、あの細長い指先を追うだけの慰めは、どうしたって片手間で、弦の弾き方を1つ取っても彼に比べれば子供の児戯に等しい。

そんなアイツの演奏でさえ、聴く人が違えばまだまだ遊戯の範疇から逸脱出来ないとなれば、なんて奥深く果てのない世界なんだろうか。

 

 

控えめな空調の稼働する休憩ブースにある自然は精々が観賞用の植木が1つ2つ程度、あの白いベンチのある川辺に比べれば人工の無臭ばかりに溢れているのに。

ストロークを掻き鳴らせば、野暮ったい草花の香りが鼻孔を擽ったのは、すっかりと私の中に住み着いてしまった追想に、酔っているからなんだろう。

 

一区切り、弦を撫でる様に滑らかに数度弾いて、旋律への終点を作れば、それは不恰好で鼻に付くのに。

薄肌の幕を開ければ、こんな拙い演奏にさえ朗らかな甘い笑みを見せてくれる卯月が、分かり易くうっとりと両手を合わせて口元を緩めてくれていた。

 

 

「んー、難しいなぁ……この下手っぴめ……」

 

 

「下手なんかじゃないですよ、凛ちゃん。素人耳でもグングン上達してるって思います」

 

 

「……や、まだコードチェンジもたつくし、弦の押さえも甘々。多分、アイツ聴かせた所で鼻で笑われるレベルだよ」

 

 

「凛ちゃんのお師匠さん、そんなに厳しい人なんですか……でもでも、私が聞くイメージだと、何だかんだで凛ちゃんの演奏、好きになってくれると思うんだけどなぁ」

 

 

「す、好きに……っ、うん、まぁね、そうなるに越した事ないけど、アイツ性格悪いからね、上げて落としたりとかしょっちゅうだから、期待はしないよ、うん」

 

 

「……凛ちゃん、最近ナチュラルに惚気る様になりましたよね。口ではそう言ってばかりだけど、顔、ニヤけてますよ?」

 

 

「……事あるごとに面白がってせっ突いて来るお節介さんが二人も居れば、私だって開き直るよ。この前だって未央のヤツ、雑誌の内容鵜呑みにして、私に彼是聞いて来るし」

 

 

一方通行への気持ちが明け透けだなんて今更だし、アイツに誉められるなんて状況に素直にニヤけるだけ、今の私には余裕があるんだと誰に聞かせる訳もない弁解は、勝手に鼓動を早める心臓の音に掻き消える。

アイツへの想いを燻らせて塞ぎ込まなくて済んだのは、ある意味、卯月と未央のお陰なんだろう。

 

ただ、励ましながらも好奇心剥き出しにして揶揄う辺りの底意地の悪さは、正直勘弁して欲しいのが本音だ。

何処からか持って来たティーン雑誌の恋人に言って欲しい台詞を、腹立たしいニヤけ面を隠そうともせず朗読し、あの人に一番言って欲しいのってどれだった、と尋ねて来るのは流石にデリカシーなさすぎ。

唇を尖らして分かり易く肩を怒らせた私の機嫌の降下線にやり過ぎだったと気付いたお調子者が、甘いお菓子やら美容グッズやらで私の機嫌取りに奔走する姿は、なかなかに面白いモノだったけれども。

 

 

と、不意にバタバタと慌ただしく廊下を駆け回る騒がしさに、花を摘みに席を外していた件のお調子者が漸く戻って来た事を悟るが、何やら様子が変だ。

確かに活発な性格ではあるけども、此処はあくまで346本社の休憩ブース、プライベートルームではない。

当然社員の人達も出入りする事も多く、そんな中でけたたましい足音を鳴らす程に、未央は子供じゃない。

 

現役中学生の莉嘉ならまだ分からなくもないけど、今はショッピングモールのイベント会場に居る筈。

となれば、今346本社に居るのはニュージェネの三人組と、新規企画が持ち上がった為に会議室でプロデューサーと相談中のラブライカの二人と、珍しく遅刻しているらしい蘭子ぐらい。

なら、必然的に残るのは未央なんだろうけど、一体何をそんなに焦っているのか。

ガタン、と休憩ブースの扉に手を掛ける音にすら余裕がなくて、扉が開かれた先、全身で息をしていると言っても過言ではない未央の額には水滴の汗すら滴っていた。

 

 

「し、しぶりん、しまむー! 緊急事態、緊急事態! さっきアーニャとみなみんが教えてくれたんだけど、らんらんが事故に遭いかけたって!」

 

 

「蘭子ちゃんが!? 嘘っ、そんな……」

 

 

「じょ、冗談でしょ!? それで、怪我は……」

 

 

「いや、それがギリギリで助けてくれた人がいたらしくて……」

 

 

「あぁ……良かった……良かったよ、蘭子ちゃん……」

 

 

「──も、もう……先、それ言ってよ……腰抜けそうになっちゃったじゃん」

 

 

荒い呼吸混じりに告げられた衝撃のないように、腰砕けになりそうだった卯月を慌てて支えながらも、私も安堵の息を落とす。

蘭子が事故に遭いかけた、というのなら確かに未央が慌てて私達に伝えて来るのも、余裕がないのも分かるけど。

無事だったのは何よりだが、唐突にそれを聞かされる私達の身にもなって欲しい。

正直、最悪のケースすら頭に過って、目の前が真っ暗になりかけたのだ。

 

安堵しながらも微かに肩を震わせている卯月をそっと立たせて上げて、取り敢えず一息。

幸い怪我はなさそうだけど、心配は心配だ。

取り敢えずプロデューサーに話を聞きに行こうと、手繰り寄せたアイツのギターをケースに仕舞おうとするが。

今度こそ、私の心臓は止まるんじゃないかと思えるくらい、大きく跳ね上がる事となる。

 

 

「や、緊急事態なんだって、しぶりん! その、らんらんを助けてくれた人が今、プロデューサー達と会議室に居るらしいんだよ!」

 

 

「そう……じゃあ、お礼言いに行かなきゃね。ちょっと待って、直ぐに片付けるから」

 

 

「いやいや、そんなの後で良いから、しぶりん急いで! 卯月も!」

 

 

「そ、そんな急かさなくても……どしたの、未央?なんか、変だよ?」

 

 

「未央ちゃん、落ち着いて?」

 

 

「落ち着いてなんか居られないって! さっき、アーニャとみなみんが見たらしいの! その助けてくれたっぽい人! 真っ白な髪で、真っ赤な目で、背も高い男の人だったって……」

 

 

「──え」

 

 

 

ドクン、と。

心臓が、大きく跳ねる。

 

滴る汗が這うぷっくらとした唇から紡がれた、蘭子を助けてくれたという人の特徴に符号する、誰かの面影。

 

真っ白な髪、真っ赤な目。

背の高い、男の人。

あぁ、そんな風貌をしている男は滅多に居ない。

 

 

カタリと、まるで私の辿り着いた答案に、正解を告げる教師みたく、アイツのギターのボディが音を立てて。

 

 

行かないと。

会議室に、早く。

形振りなんて構ってられない。

まだ、アイツの隣に並べる程の女になってない事なんて百も承知、それでも。

 

彼が、一方通行がそこに居るのなら。

 

 

「──っ!」

 

 

「うわっ、しぶり……しまむー! 私達も行こう!」

 

 

「う、うん!」

 

 

もしかしたら、人違い、なのかも知れない。

偶々アイツに良く似た風貌の男の人が助けてくれたのかも知れない。

どんどん勝手に膨れ上がって来る期待感に、せせこましく予防線を張るのは、それこそ身勝手な感情から生まれる幼さで。

けれど、もしアイツが居るのなら。

 

きっと、私に会わないように、直ぐにでも姿を消してしまう。

それだけは、嫌だったから。

 

 

 

 

階段を、駆け上がる。

其処はきなびなかに整えられた城なんかじゃないだろう。

けれど、未熟な女が追い求める意地の悪い男に再び会うには、豪奢なシャンデリアなんて必要ない。

 

あの腕の中が、今の私にとってのゴールなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────

 

 

 

 

 

 

 

 

「──離せ」

 

 

「だ、駄目。我が城の宰相の命ならば、この刹那ばかりは、我が身を黒鎖として汝を縛る事も厭わない。汝こそその紅蓮を閉じ、素直に我に陥落せよ」

 

 

「──はァ?」

 

 

「ひっ、ぅ、に、睨むでにゃい……わ、我は美姫たる偶像達の中に君臨せし……う、あぅ、おっ、おこ、おこおここ怒らないでくださいぃぃ」

 

 

「頑張れ蘭子ちゃん、根暗兎なんかに負けちゃ駄目よ。押して押して押しまくりなさい」

 

 

「……ざっけンなよクソ女狐。分かり易く時間稼ぎしやがって」

 

 

「ふーん、なら蘭子ちゃんを振りほどけば良いじゃないの。あ、もしかしてその娘のおっぱい堪能中だった? ありゃー私としたことがムッツリ男心に気付かないとは、これじゃ、おっぱいマイスター失格ね」

 

 

「振り払ったらうちのアイドル傷物にしたとか抜かすンだろォが、七面倒臭ェ手段使いやがって」

 

 

囚われの身というよりは寧ろ邪で如何わしい接待を受けている絵面と思えるのは、ほんのりと頬を染めたゴスロリ美少女を侍らせてソファにふんぞり返っている男という図式が成立してしまっているからなのか。

辛うじてそれを押し留めているのは、羞恥心を押さえながらも彼女の上司に命じられてやむを得ず、という建前を武器に隙を見ては逃走してしまいそうな命の恩人を拘束している蘭子を、至極迷惑そうに見下ろす青年の表情に依るものだろう。

 

ともすれば法に軽く抵触しそうな行為を強要している霧夜エリカ常務代理は、険しいながらも焦りと困惑を微かに仄めかす目下の一方通行に御満悦らしく、端美な頬をニヤニヤと吊り上げていて、横目でこっそりとその表情を伺うプロデューサーは気付かれぬ様に嘆息を落とした。

 

救いがあるとすれば、エリカが命ずる前から、正確には難解で要領を得ない蘭子の語る内容をなんとか噛み砕いて、蘭子と、彼女が命を救われたという『見覚えの有りすぎる青年を迎えに上がる時から、ずっとその状態が変わらないという点だろう。

どうやらプロデューサーが迎えに来るとの旨を伝えた途端に帰ると言い出したので、身体を張って彼の逃走を食い止めていたらしい。

 

 

取り敢えず、346プロダクションのアイドルの命を救って貰われたのであれば、礼を欠くなんて恥知らずな対応は出来ない。

依って然るべき人間から然るべき場所で謝罪と返礼の場を整えるのも、プロデューサーたる自分の仕事だと『独自に判断』した彼は、非常に罰の悪そうな顔で顔を逸らす一方通行を速やかに彼らの城へとお連れした。

 

 

無論、他意も思惑も、ついでにプロデューサーにとっても大事な『アイドル』の1人を泣かせてくれた事に対して、含む所があったのは一方通行には当然見透かされていたのだが。

逃げられては困りますと引かない男と、右腕に縋り付いては離れず、頑なに来城を拒み続けた所為で何故か半泣きになりながら自分を見上げる蘭子に、凡そ10分粘った挙げ句、ついに白旗を上げた。

 

 

そして、彼にとっての首輪、天敵、と云っても過言ではない霧夜常務代理は、一連の事態を全て把握するなり、でかした、という一言を蘭子に与えて下さった。

 

無論、一方通行が何故かプロデューサーや常務代理と顔見知りである事に、蘭子は終始、目を白黒とさせてはいたが。

 

 

「……何を企ンでる、オマエ」

 

 

「あら、人聞きが悪いわね。別に企んでる訳じゃないけど。ただ、ちょーっと、時計の針を動かしたいってだけ」

 

 

「……絶対『それだけ』じゃねェだろ。オイ、オッサン。オマエがさっきから集めてる書類、そりゃァなンだ。 機密書類じゃねェのか」

 

 

 

「いえ、ただ単に『関係者』以外には、早々お見せ出来ないというだけですが」

 

 

「──冗談じゃねェ。オイ、ゴスロリ女、いい加減離せ。ふざけンな、俺はまだ学生──」

 

 

ペラペラと、常務の指示通り集めた現在始動中のシンデレラプロジェクトによる資料一式と、プロジェクトチームに所属するアイドル達の細かいプロフィールなどを集めた資料は、やはり見逃せなかったらしい。

その情報、というよりはわざわざ一方通行という『部外者』の居る前で、これみよがしに用意しているエリカの真意の方が余程彼には問題なのだ。

 

その思惑から推論を導き出す事など、卓越した頭脳を持つ一方通行からしたら児戯にも等しいが、導き出せた所で彼からして見ればふざけた話。

最早この場に居残るだけで不利になっていくのは明白だ、抜き身の刃に等しい鋭い視線を向ければ、その底冷えしそうな美と凶悪の競演に身を震わせた蘭子の拘束が緩む。

やっと解放された右腕の痺れなどに意識を裂くまでもなく、さっさとこの場から撤退しようとソファから立ち上がるが──残念ながら、最後の役者は間に合った。

 

 

 

 

「一方通行!!」

 

 

 

荒々しく扉を開けて、全速力で階段を駆け上がった為に乱れた髪や服装を直そうともせず。

求めて止まない男の姿を見るなり、脇目も返らず、渋谷凛はその胸元に飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

─────

──

 

 

 

 

 

 

 

 

はしたないとか、不恰好とか、淑女らしさの欠片もないとか。

指摘されてしまいそうな事は幾つもあったけれど、そんな余裕と怠慢に満ちた慰みなんて、最初から求めていない。

静止させるべく私の名を呼ぶ誰かの声に構う余裕もなく、震えた手で握り締めたドアノブを捻って開いた先。

 

 

灰の世界を分け与えてばかりの私に、色をくれた人が、其処に居て。

言葉の瓦礫を綴る苦労すら乗り越えて、只、呼んで。

 

今度こそ、届いた。

春を繰り越して、夏雪に行き場を無くしかけた想いが、『未熟』を指し示す私の躊躇いなんて過ぎ去って、追い越す。

 

 

 

「一方通行!!」

 

 

 

季節外れの虹の匂い。

頬から伝わる何処か作り物めいた胸の奥にある、継ぎ接ぎの心臓の音。

視界の外縁に今にも溜め込んだプリズムを掻き分ければ。

それは多分、彼自身も把握し切れない身勝手に気付かないほど、些細な微笑。

 

マネキンの口の端っこに罅が生えただけの、取るに足らないと万人が捨てるくらいに、僅かなモノ。

戸惑いと諦観に裏付けた困惑顔の奥底、裏側から手繰り寄せた、私だけの『勝算』だった。

 

 

 

「……はァ。いっそ、仕組まれてた方がマシだったかもな。オマエ、仕事どォした」

 

 

「っ、ぇ……ぃ、休、み……」

 

 

「凛ちゃん、というかニュージェネレーションの三人は今日、珍しくイベントが入ってなかったのよ。だから、一方通行の言う通り、今回はマジで偶然なの。いやぁ、こーゆー予定外の番狂わせがあるから人生って面白いのよ。ね、プロデューサーくん」

 

 

「えぇ、ですが、この場合は……運命、という方がロマンチックではないですか?」

 

 

「おっ、何よ何よ、言う様になって来たじゃないの。まっ、プロデューサーくんにもこうやって見れば分かるでしょ。運命の女神は身勝手な色男よりも、うら若き乙女の味方をしてくれるもんなのよ、女同士だからねぇ。ふふ、でも、味方する乙女が1人とも限らないってのは新しい発見だわ」

 

 

「……あぁ、成る程。『これから』苦労しそうですね、彼。女神に好かれそうな乙女が、ウチには沢山居る。凛さん然り、神崎さん然り。しかし、この場合は、乙女にとっても不運になるのでは? 生憎、王子役は1人しか居ない」

 

 

「その程度の不運、勝手に乗り越えるから女神様は微笑んでくれるんじゃないの? まぁ、私はそういった経験はないから、そこら辺はフワッとさせる方が楽に射きれるわよ」

 

 

「勉強になります」

 

 

「良い歳こいた大人二人が顔合わせて何クソみてェなメルヘン語ってンだ。つゥかオッサン、オマエ今これからって──」

 

 

「しぶ、りん……足早っ……って、ぁ、やばっ」

 

 

「はぁっ、はぁ……どしたん、です……未央ちゃん……あっ、あ、お、お取り込み中でしたか……」

 

 

「あぁもう、だ、だめよ二人とも……折角良いところだったのに……」

 

 

「美波、美波。これがБорьба сцены……アー、修羅場というモノですね。私、初めて見まシた。ここから奪いアイですか、ジャパニーズ大奥ですか。キスシーンは? 蘭子の反撃はないのですか?」

 

 

「鬱陶しそォなのが増えやがった……」

 

 

そういえば、会議室の外でこっそり聞き耳を立てていたラブライカの二人がドアを開ける時に何やら言ってくれてたのに、私はそれすらまともに耳に入ってなかったんだとどこか他人事の様に思い出す。

全力疾走する私を追い掛けて来た所為で、激しく息を切らしている未央と卯月の気まずそうな、それでいて興味津々といった視線が一気に4つも集まって。

私にとっても一応、感動の再会になるんだけども、徐々に落ち着いていく思考が今更になって羞恥心のランプに火を灯した所為で、色んな意味で一方通行の胸から顔を上げる事が出来ない。

 

そんな嬉しいんだか恥ずかしいんだか水も油も絵具もアクリルもごちゃ混ぜになった精神状態、ハリケーンも真っ青な桜花乱舞が巻き起こる視界の隅で、彼のダラリと力の抜けた腕を引く、薄いカーシュピンクのマニキュアが塗られた可愛らしい掌。

そういえば、霧夜常務代理とプロデューサーが何やら聞き捨てならない事を言っていたような気がする。

 

 

身勝手色男がどうとか。

女神に好かれるとかどうとか。

私が不運になるとか、蘭子が王子役にどうとか。

 

 

「わ、我が同族よ。我が問いに答えよ」

 

 

「勝手に同族にすンなって言ってンだろ、ゴスロリ。なンだ」

 

 

「ぐぬ……え、ええと。凛ちゃん、じゃなくて……その、汝と我が友、凛とは如何なる関係だ。よもや衆愚の偶像たる彼女と、こ、ここ、恋人……だったり、する、の?」

 

 

「違ェよ、バカ」

 

 

恐らく、悲恋の内に已む無く別れた恋人同士という構図を描いたのだろうけれど、恋人なのかと尋ねると同時に肩を落とすのは、ちょっと待って欲しい。

まぁ、即否定してくださった難関攻略対象者様の言う通り、別に恋人同士という訳でも、恐らく皮肉な事に、この感情は一方通行が関の山という所。

 

ぶっちゃけコイツに他に恋人が出来たとしても、出来ていたとしても諦めるつもりは毛頭ない覚悟すら私は抱いているつもりだ。

ある意味ストーカー染みて質が悪いのは百も承知だけど、恋とはそういうモノだと開き直るだけの時間を作ったのは一方通行の所為、という事にしておいて。

 

 

だから、トラックに轢かれる所から助けてくれた命の恩人だし、年頃の乙女にはムカつくぐらいに効いてしまう歳上の美形だし、いいなって思ったり憧れたりするのは分かるけども。

 

 

「……振られた私にさ、こんなこと言う権利ないと思うんだけど……あんたって、女の敵?」

 

 

「……見る目が無ェバカが多いだけだろ」

 

 

「そうね、確かに多いわね。少なくとも私の見立てでは、重症患者だけで5人以上、軽症は一々数えてらんないわ。それにぃ、最近ちょろーっと聞いた話だけどぉ、保護者の飲み友達にも猫可愛がりされてるんだっけぇ?

この前、ウチのさるトップアイドルが嬉しそうに話してくれたのよね、『一方通行君のつくる御摘まみは最高』だって」

 

 

「ぐ、あンの駄洒落アマ……要らン事を要らン奴に話しやがってェ……」

 

 

「……な、汝……お、女たらし、なんですか……?」

 

 

「手を引くなら早い方が良いよ、蘭子。文字通り手遅れになったらとことんまで引き摺る羽目になるから」

 

 

「しょ!? そ、しょ、しょんなつもりじゃ……う、うぅ、うぅぅぅぅ………」

 

 

一方通行の口から聞いただけで直接会った事はないけれど、確かこの男には小島梅子さんという二十代後半の女教師という如何にもな保護者が居た筈だから、霧夜常務代理の言う保護者とはその人の事だろう。

 

梅子さんと意気投合しそうな飲み友達、つまり酒好き、駄洒落というワード、346のトップアイドル。

かなり符号してしまう心当たりが、1人いるのは気の所為じゃない。

まさか、あの高垣楓さんとも交流があるとは、今更ながらに一方通行の交友関係の広さに愕然とする。

まぁ、あの霧夜グループの娘である霧夜常務代理とも知り合いなのだから、例えば天下の九鬼グループにも交友があったと云われてももう驚けないだろう。

 

 

というか、確かに楓さんは一方通行の事を滅茶苦茶、とまでは行かないまでも、普通に可愛がりそうだ。

一方通行との雑談を聞く限り、家事は万能、彼が作る御摘まみとやらも恐らくかなりのモノ。

面倒見も何だかんだで良いから酔い潰れたりしても介抱するだろうし、楓さんのオヤジギャグもつまらなそうに、でも無視まではしないだろうから完全には聞き流さないだろう。

 

あぁ、拙い、そういえばこの前、雑誌の撮影で偶々一緒になった時に、そろそろ結婚も考えないと、とか言ってたのを思い出した。

予定はあるんですか、と聞けば、ちょっと含んだ感じで分からないと返されたあの時。

まさか、まさかそういう意味だったなら?

 

 

「……ちょっと、霧夜常務代理。プロデューサー。ちょっといいですか」

 

 

「おっ、しぶりんのターン!」

 

 

「結婚宣言ですか!?」

 

 

「卯月ちゃん、飛躍しすぎ」

 

 

「蘭子、ファイトです! ぶつかり合ってこそ女の花です! ドラマで見ました!」

 

 

「アーニャ、落ち着いて。皆、ちょっと黙ろう。部外者は静かに、余計な口出しは御法度よ」

 

 

「「「はーい(Да)」」」

 

 

素直に口惜しいと思いながらも、淡い香りの残る一方通行の胸から体を返して、チェシャ猫みたくニヤニヤと笑みを深める霧夜常務代理と首を擦るプロデューサーへと向き直る。

多分、何滴か溢れてしまった涙の所為で目元が赤くなってそうだけども、この際、仕方ない。

 

恋敵が多いのは何となく分かっていた事だけども想像以上に劣勢かも知れない事に気付いて、これ以上の停滞は怠慢に等しい。

それは宣誓を反故にする形になるし、とても格好の悪い事なんだろうけど、悠長に自分を高めるよりももっと足掻かないと、その隣に居座る事なんて出来ないと判断して。

 

応援というよりはこの場合は茶々入れと同義にキャッキャとはしゃぐ面々を纏めてくれる美波さんは本当に頼りになる。

絵に填まった艶っぽいウインクをくれた美波さんに軽く微笑みでもって答えて、姿勢を改める。

 

此処も、正念場の一つだから。

 

 

「……えっと、改めまして。御二人にお願いがあります」

 

 

「はぁい、何かしら」

 

 

「……どうぞ」

 

 

「以前、私が言った、アイドル活動に専念すると云う発言を、撤回させてください」

 

 

「……ふふ、そう」

 

 

「それは、アイドルを辞めるという意味ではないですよね、凛さん」

 

 

「はい」

 

 

恐らく、この二人……いや、こっそり不機嫌そうな気配を強めた直ぐ後ろの朴念人も含めて三人だけは、私の発言にある程度見切りを付けていたのかも知れない。

ともすれば、口頭の辞職願にも取れるようにも聞こえたのか、一瞬空気が凍り付いたけれど、プロデューサーの確認の様な問答に頷いた私を見て、すぐに霧散する。

 

 

「けど、私は多分、頻繁に一方通行に会いに行きます。勿論、アイドル業も真剣に取り組むつもりです。そんな私が一方通行と共に時間を過ごす事を望めば、色んな弊害だって出る」

 

 

「……」

 

 

「もしかしたら、プロジェクトの皆に迷惑をかけるかも知れない。会社にも、色んな人にも迷惑をかけるかも知れない。だから、そんなトラブルの種はご免だからって辞める事になっても────構い、ません」

 

 

「し、しぶりん」

 

 

「未央、最後まで黙って聞きなさい。皆も、いいわね」

 

 

あぁ、そうだ。

これはきっと裏切りにも等しい宣誓だ。

一方通行への恋心と、今まで積み上げたモノを危険に晒すリスクを天秤に掛けた事に、贖罪を求められれば黙って受け入れる。

 

例え、プロジェクトチームの皆や、未央……それに、卯月に責められたとしても、それは覚悟の上だと踏ん張る為に強く握った拳がキリリと鈍く響いた。

 

 

「だから、お願いします! 私が一方通行に『かまける』事を許して下さい!!」

 

 

「──」

 

 

緊張の所為で喉の奥がカラカラに渇いて、食道から伝うヒューッと滑稽に鳴る音が鼓膜へと、やけに近くで反響する。

身勝手な願いを押し通す為の、僅かにしか勝算のない賭けを成立させる為の、精一杯の懇願。

この時ばかりは地に這うほど下げた頭が異様に重くて、巨石を投じた反動で静まり返った空間に幽かになる電飾の奇妙な擬音が不気味に思えた。

 

1人の男の為に、代償を会社や周囲が負わなくてはならないリスクを無視すると言っているのだ、私は。

それがどれだけ無謀で無茶な身勝手かを、その口で淡々と説明された相手に、尚も押し通す。

それも、再会した際にほんの少し笑いかけて貰っただけという、実に幼稚な勝算を頼りに、全てを捨てる覚悟までして。

 

 

 

「……残念だけど、『その必要はないわ』」

 

 

「……え?」

 

 

「というより、今更抜けられても困るに決まってんじゃない。そりゃ、要らないリスクを背負い込まない為に頭を使うのが私の仕事よ。かと言って、貴女を切ればプロジェクト全体の士気は間違いなく下がる。有望株は消える。そっちの方が損失が多いわ」

 

 

「……で、でも、私……会社の恋愛禁止って方針に楯突いてるんですよ?」

 

 

「馬鹿ね、禁止って言われて禁止に出来たらこの世に警察組織なんて要らないでしょうが。バレなきゃ良いのよ、こんなの」

 

 

「あ、あの……思い切り、自分からバラしてるんですけど……」

 

 

「そんなの、私達が黙ってれば良いじゃないの。私個人の意見は、前に聞かせた通り。知られてはいけない所に知られない様にすれば良い。じゃあ、ここで凛ちゃんに聞いてみましょう……次に解決すべき問題の支店となるのは、一体誰かしらね」

 

 

「──チッ」

 

 

口をついて出たには、何故だか少し『わざとらしい』と感じたのは、私の願望が投影されただけの幻聴だったのだろうか。

まるで、答え自らが名乗り出る様な、どこか諦めを含んだ微かな舌打ち。

 

振り向けば、分かり易くそっぽを向いて、ガリガリと苛立ち混じりに頭を掻いている一方通行が映って。

 

 

 

 

「──アクセラ、レータ……ですか?」

 

 

「そう、正解よ。そこで拗ねてる白兎さえ『どうにか』してしまえば良い────さて、此処からはビジネスと行きましょうか、一方通行? こんな可愛い娘に無茶させて、自分だけ知らん顔なんて、出来ないんでしょ?」

 

 

まるで教鞭を取る教師みたく、同性ながら見惚れてしまいそうな柔らかな笑みと共に、レディスーツが翻る。

 

その足並みはチェシャ猫が打ちならす陽気なモノなんかじゃない。

霧夜という巨大な経済グループの一角を担う令嬢としての、存在感とカリスマをただ1人の『交渉相手』に向けていた。

 

そして、対峙する白猫は毛を逆立てる事もせず、首根っこを掴まれたかの様に諦観混じりの細い息を1つ零して、わざとらしく肩を竦めるのが、まるで陥落したと白旗を振っているみたいで。

 

 

「うるせェよ、クソッタレ……はン、これだから『テメェ』の相手だけはしたくねェンだ」

 

 

「転がり込んだ偶然をモノに出来なきゃ、マネーゲームは務まらないのよ、知ってんでしょ。ま、流石に学業を優先させないと梅子先生に折檻されちゃうから、土日で良いわ」

 

 

「当たり前だ……ったく、満足か? 『九鬼の鼻を明かしてやれて』」

 

 

「えぇ、大満足。九鬼が欲してやまない『知神』様の頭脳を、まさかアイドルプロデュースに使うなんてね。あの『脳筋女』が知ったら何て言うのかしら」

 

 

「……『我もプロデュースして貰おうか』とでも言うんじゃねェの? 紋のチビガキもセットで」

 

 

「……普通に介入して来そうね、腕が鳴るわ。さて、じゃあプロデューサーくん……あ、これじゃややこしくなるか──武内君、その資料渡してあげて」

 

 

「えぇ。此方が、我が社の大まかな取引相手の一覧、あと決議予算の割り当ても同封してあります。それで、此方が現在進行中のシンデレラプロジェクトのメンバーの簡単なプロフィールです……宜しければ、高垣さんのも用意しましょうか?」

 

 

「要らねェよ、こっちでもアレの面倒見ろとか冗談じゃねェ」

 

 

「……ちょ、ちょーっとすんません! えーっと、水差してめっちゃ申し訳ないんですけど、ど、どういう流れなんですこれ? なんか皆ポカーンとしてますけど!? 九鬼ってあの九鬼グループですか!?……ていうかそっちのイケメンさん、それで読めてんの!?」

 

 

陶芸品みたく暖かみの白色をした指先が、ペラペラとページを捲る合間は1秒もなく、読むというよりは寧ろ眺めていると云った表現が適切かも知れない。

分厚いグレーのファイル数冊に纏められた、明らかに社外秘な書類を渡された意図は何となく私には分かったのだけれど、目に飛び込んで来る視覚情報に確信を抱けなくて、どこか夢心地。

 

未央の言う通り、ビジネスというよりは『業務説明』みたいなやり取りと3人の気兼ね無さ、霧夜常務代理と一方通行との関係についてほんの少し知ってる程度の私も含めて、ほぼ全員が呆気に取られてしまうのも無理はない。

特にラブライカの二人と蘭子は話に全く付いていけないらしく、クエスチョンマークを頻りに浮かべながらひたすら小首を傾げている。

どういう事ですか、とアナスタシアに裾を引かれても、卯月にだって良く分かってないのに、多分に困惑しながらも苦笑を浮かべる余裕がある辺りは流石だ。

 

 

「……最近、貴女達の活躍は目覚ましいものがある。会社の想像以上の反響、どんどん埋まっていくスケジュール。そこに手応えを感じてはいないかしら?」

 

 

「は、はい、確かに。蘭子ちゃんが来るまで、私達も新企画の会議してしましたし……」

 

 

「そう、需要がかなり高まっているから、お得意様から色々と企画を提案される。でも、活動するアイドルの手は足りてなくても、そこを補助するマネージメント、つまりはプロデューサーを始めとした社員の手が足りなくなって来てる訳。嬉しい悲鳴といえばそうなんだけど、このままだと貴女達の補助役が倒れる可能性もあるかも知れない」

 

 

「事実、私や千川さん、部長などでは罷り切れない細かなミスも増えてきています。だからこそ、即戦力は喉から手が出る程に欲しい」

 

 

「さて、総括と行きましょう。人材の確保、且つ新進気鋭のアイドル渋谷凛をたぶらかしてくれた泥棒猫の対処、それを纏めて解決する方法といえば……もう分かったでしょ、凛ちゃん? 最後の口説きは、貴女に任せるわ」

 

 

「…………」

 

 

パタン、と閉じた数冊のファイル全てに目を通して、そのまま分厚い会議室のパイプウッドテーブルに置いた一方通行へと促すのは、勘違いの末に幼稚な嫉妬心を向けてしまった事もある、ブロンドの麗人。

殆どお膳立てみたいな事を済ませた癖に、若干揶揄かいを含めてクスッと笑う涼やかなソプラノに背中を押されて、どこか拗ねていながらも不思議と柔らかな印象を与える大人の表情をした、彼を見上げる。

 

 

 

「ねぇ、一方通行」

 

 

「……」

 

 

 

何度も夢に出てきたし、何度も焦がれている、こうやって直ぐ目の前に居る今でも、触れてしまえば泡沫に消えてしまうんじゃないかとも、思うけど。

 

でも、そんな不安を表に出すのなら、ただ彼に甘えたいだけだった春から何も成長出来ていない事になるから。

 

 

子供らしく生意気に、女らしく傲慢に、私らしく凛として。

 

 

 

 

 

「──あんたが、私のプロデューサー?」

 

 

 

 

 

声が震えているのは、ご愛嬌、という優しさで捉えてはくれないのが、この男の意地の悪い所で。

 

 

 

「──ハッ、自惚れンな。オマエだけ見る訳がねェだろ」

 

 

「……む、じゃあ、他の娘を見る余裕なんて無くなるくらい忙しくしてやるだけだよ」

 

 

「吠えるじゃねェか。肝心なとこで声震わせといて良く言う」

 

 

「バカ、意地悪。それくらい見逃してよ」

 

 

「クカカ、達者なのは口だけか。まだまだ背伸びするだけのガキから卒業出来てねェな」

 

 

「……お陰様で!」

 

 

「どォ致しまして」

 

 

そんな意地悪なとこが、私の心を離さない。

隣ではないけれど、近くには居てくれるのは確かで

目標地点は未だに遠いのに、心の奥底から極彩色の本流が身体中に巡り回る。

嬉しさの余りに、涙を流さなかったのは奇跡かも知れない。

 

 

「……っし、それじゃあ皆整列して。取り敢えず、先にこのメンバーだけでも恒例行事はやっておきましょう。はい、蘭子ちゃんもぼーっとしないの、並んで並んで。迅速行動は社会人の鉄則よ」

 

 

「ふぇ……っ、は、はいぃ!」

 

 

「オッサン、コイツらのスケジュール周りの資料忘れてンぞ」

 

 

「あ、それは私の手帳から確認……え、もう全部読んだのですか」

 

 

「情報だけなら頭に叩き込んでるから問題ねェよ。まァ、先にこのガキ共に説明すンのが先か」

 

 

「自己紹介の間違いでは?」

 

 

「紹介してやる事なンざ1つ2つで充分なンだよ」

 

 

ソファとテーブルを挟んで、ニュージェネレーションとラブライカの、プロジェクト始動機に設立されたメンバーと、恐らく色んな意味で私のライバルとなりそうな予感のする蘭子を加えて、一列に並ぶ。

 

かなり使い込んでいるのか、付箋が幾つも挿された黒革の手帳をプロデューサーから受け取りながら、ゆっくりと、真紅の瞳が一人一人の顔をスライドしていく。

多分、そう御目に掛かれない程の美形だからか、普段は大人びて落ち着いているアーニャと美波でさえ、真っ直ぐに目を合わせたからか、どこか鼻の抜けた吐息を零していた。

 

あぁ、そうか、さっき霧夜常務代理とプロデューサーが話していた、運命の女神様が微笑んだ乙女が、必ずしも幸福を掴めるとは限らない、とはこういう事なのかも知れない。

私の傍に居てくれる事には間違いないんだけども、それは必ずしも私だけの傍に居るとは限らないんだ。

これから先、アイドル業よりもある意味、激しい戦場を経験するやも知れない予感に、そっとお腹に力を込めた。

 

 

「──つゥ訳で、クソ常務代理サマの『お願い』で、オマエらのプロデューサーになった一方通行だ。まァ、アイドル稼業なンざ良く分かンねェから、勝手に宜しくやってくれ」

 

 

「こら、駄目でしょあーくん、女の子相手なんだからもっと爽やかに自己紹介してあげなさい」

 

 

「その名前で呼ぶな、ぶっ殺すぞ」

 

 

「えっと、霧夜常務代理……一方通行、さん? って呼べば良いんですか? その、大丈夫なんですか? 即戦力どころか、プロデューサーの経験ないみたいですけど。あ、いや、別に文句って訳じゃなくてですね」

 

 

「あー、まぁ確かに美波ちゃんの不安も分からなくは無いけど、心配しなくていいと思うわよ。口はアレだけど、困ったことに笑えるぐらい有能だから。じゃ、ちょっとだけデモンストレーションっぽい事やってみましょうか……はい、これ美波のページ、ちゃんと皆にも見えるように持って。あ、一方通行は回れ右」

 

 

「あ、はい……って、あ、これ……」

 

 

「……面倒クセェな」

 

 

私は一応、一方通行が色々とずば抜けてるという情報を僅かながらも持っているから、一方通行がプロデューサーになる事に不安はないけど、他の皆は違う。

 

数冊の段になった山から薄青配色のファイルを抜き出して特定のページ項まで捲った霧夜常務代理は、その開いた状態をそのまま美波さんにファイルを手渡して、上機嫌に目元を緩めた。

 

ポツポツと淡雲が浮かぶ青空が広がる窓際へと白銀の尻尾髪を翻す一方通行を尻目に、一列に並んでいた皆がひょこひょこと美波さんの手元へと玉になって集まる。

 

開かれていたページは、美波さんの名前から始まって、誕生日、年齢、出身地、果てはスリーサイズやプロデュースされた切っ掛けまで記されていた。

 

 

「じゃ、一方通行。私が今ファイルを渡した娘の細かなプロフィール言ってくれる? もちろん、スリーサイズも宜しく」

 

 

「ちょ、常務代理!?」

 

 

 

「──新田美波。歳はこの前の7月27日に成人した。身長165㎝、体重45kg、平均的な痩せ方だろォよ。血液型はO、出身は広島。趣味はラクロス、あと資格取得。家族構成は両親健在、弟1人。他の項目は省略すンぞ」

 

 

「す、凄い……全部合ってる。本当に、もう覚えちゃったの……」

 

 

「ま、マジか……あんなのほとんどパラパラ捲ってただけじゃん……え、この人、速読の日本代表か何か?」

 

 

 

スリーサイズを口にしなかったのは常務代理に対する異種返しか、単に慌てふためいた美波さんに対する温情か。

しかし、あの1秒にも満たない内にこのページ全ての、いや、恐らくファイル全ての情報を漏れすらなく頭にインプットしたなんて、流石に私だって信じられない。

あの川神学園の知神なんて仰々しい称号で呼ばれているから、物凄く頭が良いんだろうとは想像してたけど、これはちょっと桁違い過ぎて、文字通り神業だ。

 

未央なんて大口開けて固まりつつ、一方通行を速読競技の最優秀成績保持者か何かと勘違いしてしまっている。

そこで何か閃いたのか、ちょっとした好奇心を目に浮かべながら何やらボソボソと卯月がアーニャの耳元で囁くと、彼女は一度難しそうに首を傾げると、一方通行の白銀髪に似たシルバーブロンドをたなびかせて、背中を向けたままのあの人へと歩み寄った。

 

 

 

『あの、ロシア語は話せますか?』

 

 

『……そういうオマエは流暢とは言えねェが、日本語は話せるみてェだな。勉強したのか』

 

 

『!!!──はい、頑張りました! 時々、母国語が反射的に出るのですが、何とか皆と会話出来てます。あの、アクセラ、レータ? 貴方は、どちらの国からいらしたんですか?』

 

 

『……俺は日本人、この髪と眼は特殊体質みてェなモンだ』

 

 

『そ、そうなのですか、不躾な事を聞いてすいませんでした、アクセラレータ』

 

 

『気にすンな。つゥか、お喋りは其処までにしとけ』

 

 

 

「──卯月、卯月の……アー、見立て通りです! 私の母国語が通じます!」

 

 

「うん、良かったね、アーニャちゃん!」

 

 

「記憶の貯蔵のみならず、異国の言霊すら容易く扱うとは……な、何という才気の化身。我の同族とはいえ、ここまでとは……」

 

 

「ふふふ、まぁこれでも充分だけど、折角だから最後にもう一押しときましょうか」

 

 

どうやらロシア語が通じるか試してみよう、というのが卯月のちょっとした思い付きだったらしく、その目論見は見事に的中した。

多分、外見は明らかに日本人離れしている一方通行に対する好奇心からなんだろうけど、私個人としては少し拙いかもしれない。

 

異国出身だからこそロシアとのハーフであるアーニャが色々苦労しているのは知っているし、わざわざ口を付いて出たロシア語まで私達に分かるよう丁寧に日本語に言い直す際に、ほんの少し寂しさを滲ませる仕草を何とかしてあげたいとは皆が思っていた事だけども。

言葉が通じる、たったそれだけで普段はとてもクールで落ち着いたアーニャがあんなにも嬉しそうな笑顔を浮かべるのは、勿論、良いことだけども。

 

更に新たなライバル出現、って訳では、ない、はず、だから、うん。

 

 

そんな私の静かなる葛藤を余所に、デモンストレーションの最後の一押しだと、両手を軽く打ち鳴らす霧夜常務代理は至極楽しそうで。

 

正直、あの人のことを惚れ直したとも思ったけど、これ以上私がハラハラする展開は勘弁願いたい、という思いの方が強く沸き上がった。

 

けど、そんな私の焦燥感を目敏く見つけたブロンド美人の蒼い瞳がニヤリと細まって。

 

あぁ、一方通行がこの人を『女狐』と呼ぶのも良く分かる。

やっぱりこの人、味方だと凄く頼りなるけども。

それ以外だと、とても厄介だ。

 

 

「一方通行。実は『このメンバーの中』に、シンデレラプロジェクトのチームリーダーが居るんだけど……誰だと思う? 予想した娘の肩を叩いて頂戴」

 

 

「はァ? なンでわざわざそンな真似──」

 

 

「良いから良いから、上司命令。こっちの方がクイズ感覚で面白いじゃない」

 

 

「──チッ」

 

 

至極面倒そうに舌打ちを1つ鳴らして、ツカツカと迷いなく件の『リーダー』の元へと歩み寄る。

間近で見上げるのと遠目で眺めるのでは全然印象が違うのは、それはもう、私が良ぉく知っている事で。

 

少なくともプロフィールには載っていなかったから、他の資料にシンデレラプロジェクトのリーダーについての記述があったのかも知れないけど、そこはもうどうでもいい。

 

 

「……ぅ、わ」

 

 

あっという間に宝石みたいに煌めくガーネットの瞳に見下ろされている当の『リーダー』は、不機嫌そうな横顔すら絵になってしまうこんな美丈夫を間近にしたら。

さっきまでなるべく冷静に務めていた筈だった彼女の頬がサッと朱を射し込ませて、栗色の瞳がオロオロとさせながらも見惚れた様な細息を落としてしまうのは、私からすれば予想の範疇だ、悲しい程に。

 

 

「……普通に考えれば、オマエだろ」

 

 

「ひゃい!?」

 

 

ネイリストに見せれば感嘆の息が零れそうなシャープなシルエットの掌が、ポンと気軽に美波さんのなだらかな肩に置かれるが、触れられた当人は気軽になんて受け止められない。

聞いた事もないような上擦った声と大袈裟なくらいに身体が跳ね上がるのは、いっそ同情してしまう。

目にも耳にも、色々と毒なんだよね、この人は、ホントに。

 

それはある程度自覚してるんだろうから、置いた手は猫みたくシュッと機敏な動作で仕舞われてしまったけど、多分傷は浅くないんだろう。

 

 

「ふふ、どうして美波ちゃんだって思ったの?」

 

 

「……年齢ってのも大きいが、リーダーとしての自意識もちゃンとあるンだろ。他と違って状況に流されず、俺のマネージメント能力についていの一番に意見したのは、そォいう事だろ。凛だけじゃなく全体を重視してなきゃあの場で口を挟めねェ。違うか、オッサン」

 

 

「えぇ、その通り、流石です。しかし、それなら状況説明を求めた未央さんも候補に上がるのでは?」

 

 

「ソイツも責任感はあるみてェだが、空回りもその分多いンじゃねェの? ムードメーカーはユニットのリーダーとしてなら丁度良いが、全体を仕切るには荷が勝ち過ぎてンよ。素質は認めてやるがな」

 

 

「そ、そうっすかねー、いやぁしぶりん、このお兄さん見る目あるねぇ」

 

 

「──とまァ、こンなおべっかに調子付くアホは直ぐ足元を掬われちまうだろォから、俺がリーダーにすンなら新田が妥当じゃねェの。この場の面子のみで考えた場合は、だがなァ」

 

 

「ぅ、あ、ありがとう……ございます……」

 

 

まさかの、ベタ誉め。

いや、確かに納得出来る理由だし一方通行自身も多分冷静に分析した結果だけを淡々と述べているんだろうけど、これは駄目だって、狡いって。

 

私だって極たまに褒められたりはするけど、それはあくまで皮肉の裏側、分かり易く言えばツンデレっぽい感じなのだ、それはそれで良いモノだけど。

 

けど、美波さんみたいな大人っぽく裏でコツコツ頑張るタイプは、こうやって細かな所まで理解して認めてくれるみたいな賛辞が、とても刺さりやすいんだろう。

自分でも気付かなかったプロデューサーの信頼も手伝って、というのもあるけれど。

頬の赤みをより強くさせて嬉しさと恥ずかしさがミックスした感情に熱を浮かされたみたくプルプル震えながら、キュッと藍色のスカートを握りながら俯いてる。

 

ただその口元は、ニヤけてしまいそうなのを必死に我慢するのを堪えるようにモニョモニョと動いているのが、私の危機感を更に高めた。

 

 

 

 

「わ、我は!?」

 

 

「腕引っ張ンな。で、オマエはまともに喋れるよォになってから出直して来い」

 

 

「うぐっ、ひ、酷い……」

 

 

「あ、ちなみに私はどうですか?」

 

 

「あン? 悪くはねェが、新田のが歳上だろ。新設チームを纏めるには貫禄と安定感が足りねェ。まァ今後に期待か」

 

 

「はい! 頑張ります!」

 

 

「ではアクセラレータ、私は?」

 

 

「……あァもォ面倒クセェな、知りたきゃ後で個別に教えてやる。ンで裾引っ張ンな」

 

 

「……やはり、問題なさそうですね。頼りになる後輩が出来ましたので、これからは少し、楽が出来そうです」

 

 

「良かったわね、武内君。あ、でも一方通行は未成年だから、仕事帰りに飲みに誘うのはNGよ。ちひろちゃんによーく言い聞かせといてね」

 

 

「分かってますよ、霧夜常務代理」

 

 

「え!? 一方通行プロデューサー、私より歳下だったの!?」

 

 

「老けてて悪かったな。つか長ェから役職は無しで良い」

 

 

「いや、老けてるってか……だって色々凄過ぎるし。そりゃしぶりんが骨抜きにされる訳だ……」

 

 

一人、今更ながら惚れた男のスペックの高さに惚れ直したり焦ったりして、若干冷や汗すら流している私に向けられた台詞が、羞恥心だったり危機感だったりを更に煽ってくれる。

 

 

「確かに……未央ちゃんの言う通りですね。記憶力も凄いし」

 

 

「アー、ロシア語も、発音も喋りも完璧でした」

 

 

「……洞察力も……うぅ……」

 

 

「……我を救った時も…………ふにゃ……」

 

 

そしてその危機感はレッドアラートがけたたましく鳴り響くくらいにまで膨らんだのは、やたら愛らしいふやけた鳴き声をあげる蘭子の姿がトドメになったから。

 

多分、事故から救って貰った時のことを思い出しているのか、雪みたいに白い肌に紅を引いてぼやーっと惚けている姿は、まだ憧れか何かの筈なんだと言い聞かせるには説得力が欠けていた。

 

 

だから、今の私に出来る事は。

取り敢えず、先手必勝。

リードしているのは、あくまで私なんだと知らしめる為に。

 

 

 

「──アクセラレータ、そう言えばまだ感想、聞いてなかったんだけど」

 

 

「……なンのだ」

 

 

その掌を、ぎゅっと両手で握り締めて。

 

 

今はもう、直ぐそこにまで居てくれる貴方を、モノにする為に。

 

 

最大限の牽制を。

 

 

 

あぁ、『綺麗な月』に手が届きそう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────私とのキス、どうだった?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほんの一瞬の静けさは、訪れる嵐への予兆。

 

 

凄まじい荒れ模様に包まれる会議室。

 

 

 

これからもきっと、動乱は増えていくけど。

 

 

 

花の様に咲き誇る笑顔を身に付けて

 

 

鳥の様にこの宿り木を飛び立って

 

 

風の様に瑠璃色の宙を舞い上がり

 

 

 

この大きな白い月を、オトしてみせる────

 

 

 

 

 

 

__________





と、かなりご都合主義なパワー展開でもって、番外編を終了します。

最後に、アンケートに協力して下さった皆様、読んで下さった皆様、ありがとうございました!


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