人里から博麗神社に帰宅した後の話である。
気丈に振舞っていた嫁さんが応接間に入ると唐突に身体を震わせて泣き始めた。わんわんと泣いている。如何やら我慢の限界点を余裕で越えていたらしい。ここまで誰かに弱みを見せる彼女を直接的に見るのは二度目であった。
僕は無言で彼女の驚くほどに華奢で小さな背中を抱きしめる。
そうすると彼女の震えと鼓動が密着している部分を通して伝わってきた。応接間で二人身を寄せ合う時間がただただ過ぎていく。
次第に嫁さんが落ち着いてきて、泣き止む。
彼女から掛けられる言葉を僕は気長に待った。
「――ねぇ」
何時もの問い掛け。泣き声と鼻声が入り混じっていた。
「ん」
返事も何時もと変わらない。
淡々となるべく優しげに答えた。
嫁さんは完全に落ち着いたらしく、一度深呼吸をすると抱き締めている僕の腕に触れる。ひんやりとした女性特有の体温が感じられた。
そして静かに語り始める。
「人の噂は七十五日って言うじゃない?」
「言うね」
「だから一年も待ったんじゃない。里の連中がした目付き、見た? まるで私が、博麗の巫女が化け物みたいだった……」
「そうだね」
「もう私は空も飛べないのに」
その言葉が彼女の口から発せられた時、僕は固く目を瞑る。自然と眉間に皺が寄っていく。心底辛いという表情をした後に僕は彼女の言葉を肯定した。
「――そうだね」
博麗霊夢。彼女は自由に空を飛んで英雄さながらの活躍を魅せていた。
華々しい弾幕と呼ばれている光源の嵐。その密集地帯を美麗に避けてみせる少女達。彼女はその最たる人物であり、何時だって中心人物だった。
でもそれは以前の話である。
一年。三百六十五日。たった一年前の話の事である。
博麗霊夢は空を飛ぶ能力を失い、代わりに僕らは夫婦という形で結ばれた。
昔話をしよう。
名前も知らない君達に僕の昔話をしよう。
僕にとって今より一年と少し前の出来事だ。
僕達は夫婦でなくて、ただの見知らぬ他人でしかなかった頃の話である。
■
『幻想郷に異常事態は付き物である』
妖怪の賢者並びに各所の頑張りによってそう定着し始めていた時期だったと思う。
人に物を教える寺子屋の真似事を職業としていた僕は閑古鳥が鳴く和室の教室で寝転がってた。両親が早くに他界した僕には継ぐ職業など有る筈もない。
だから成人するまでに本の虫となっていた経験を生かそうとしていた。
それが失敗だと気付いたのはそれから間もない。
近場に同業を経営している方がいらっしゃったのである。それも僕の商売とは訳の違う慈善事業のような形で存在していた。
態々、金子を払わずに済むのならばそっちを選択するのは当然の心理だと思う。
それゆえに経営以来、僕は此方を選択してくれた生徒が来てくれるのを待ちながら寝転がって呆けているばかりだ。
窓から覗く平地の先に蜃気楼が見え始めた。壁に張り付いた油蝉の鳴き声が響き渡り、屋根から吊り下げられている風鈴が涼しげに鳴り響く。
夏はやはり賑々しい季節だな、と教室でひとりごちる。
座布団を二つ折りにして枕代わりに寝転がっていると襖が開く音がした。
「
むくりと起き上がり、声の主を確かめる。
見慣れた顔が其処に正座していた。
「授業を受けに来てくれたのかい、操さん」
操さんはにこりと微笑んで答える。
「違いますよ。
「……そうかい。じゃあ何の用だろう」
「用が無ければ来てはいけませんか……」
哀しげに表情を変える彼女。
着物の袖を口許に宛がっているのがわざとらしい。いや、あざといとでもいうのか。
「此処は曲がりなりにも学び舎だよ。出来れば勉学に励みたいと思う人が来るべき場所だ。それに失礼じゃないか、来てくれている生徒達に」
「大丈夫ですよ、生徒なんて私と本居の小鈴ちゃんと含めれば二人位しか居ないんだから。なら尚更私達二人を大事にしなきゃ、ね」
「くっ」
何故に僕の寺子屋は繁盛しないのだろう。
誰も来てくれない癖に皮肉なのか、先生っぽい雰囲気がするからと僕の事を
負の感情に囚われていると頬に冷たい感触を受けた。
「それに、ね。
何時の間にかに擦り寄って来ていたらしい操さんが僕の頬に手を当てていた。生徒とはいえ、異性である彼女の突然の行動に僕は鼓動が高鳴る。
「婚約者の前で違う女の話はしない方がいいですよ?」
背筋が凍るような寒気を受けて、僕は思わず身震いした。
「い、以後気を付けます」
「うん。ならよろしい」
そう告げると先程までの微笑を取り戻す。なんだか女性とは怖い生き物だと思わされた瞬間である。
話は変わるが彼女の名前は遠野操という。
本来ならば僕と夫婦になっていたであろう人物である。
お久し振りとなってしまった毎日三拝です。
日報でした軽いアンケートにお応えして頂いたので執筆させて頂きました。
次回は何時かは分かりませんが早目に執筆したいと思います。