緊張感の欠如した空気が流れる。
先程まであれほどに緊迫していたのに霧雨魔理沙という少女の独特な気質の所為か、薄れていく。お蔭様で僕は気分を持ち直せた。
博麗さんは逆に苛ついていたようで
「ふざけているなら交代よ、魔理沙」
と凄む。
どうも癇癪持ちではないにしろ、彼女には気が短い気質があった。
「私はいつだって真面目だぜ。まぁ待てよ。こっちは根拠もある。ひとつだけ確認を取れれば推理が見当違いでもない事が証明されるんだ」
「……それが間違いだったら交代だからね」
「それでいい。で、最後に訊きたいんだがその草案、今何処にある?」
何処にある?
僕は何も応えられなかった。
頭の中に浮かぶのは「そういえば何処だっけ」と他人事の様なことばかり。心当たりも全く浮かばなかった。普通なら少しでも取っ掛かりがでる筈なのに本当に何も思い浮かばない。
当たり前である。
あの日、僕は気が付けば自室に居て、その間の記憶がないのだから。
呆然とする僕の姿を見て霧雨さんは確信に到ったらしい。
「魔理沙、何か分かったんでしょうね」
「ああ、十分過ぎるほど理解したぜ。恐らく、恐らくだが霊夢。この異変は異変であって異変じゃない」
「如何いう事よ?」
霧雨さんは目深にとんがり帽子を被る。
「まずだが異変の概念は知ってるよな」
「ええ、幻想郷で力ある馬鹿者が普段の鬱憤を晴らす為に興味本位や気紛れで起こす迷惑ごとね」
「何も間違ってないが語弊があるぞ、それ。取り合えず異変とは強者のガス抜きが本質だ。それに対して弱者代表の人間が同じ土俵に立てるスペルカードルールで解決するのが流れ」
ちらりと此方を見る霧雨さん。
一応、僕にも分かりやすいように説明をしてくれているようだった。意外と律儀である。
「毎度起こることは多種多様だ。赤い霧が発生したり、春が来なかったり。でも今回は明らかに違う。噂話を流して里の不安を煽るのはあまりにも強者の遣り口じゃない」
「……人里の人間が関っているというの?」
「そうだ。根拠は別にもある。それは人里の事情を詳しく知る奴じゃないと出来ない所業だってことだ」
考えてみれば思い当たる節があった。
人里内に住む大人と子供境目を利用したこの噂話。古くから関りのある存在にしか知り得ない情報である。
「そしてこの根拠は妖怪達が犯人じゃないことも証明する鍵でもある。妖怪は人という種族に執着するが、個人や集団に対して興味が薄いからな。そもそもそんな情報を利用するなんて発想も起きないだろう」
「半分妖怪ならどうなのよ、まぁ寺子屋の慧音は違うだろうけど」
「可能性はあるが半妖はその生まれが影響して孤独を好むやつが多いからな。今回の噂話の出所は恐らく集団単位だ」
噂話の流布というのは行うのは大変である。
幻想郷の人里内という限定された環境でも全体に行き届けるのは非常に困難だ。人伝に広まっても限度があった。それも大人は馬鹿らしいと取り合わない。
その限度を取っ払う事には集団の力と信憑性が必要である。
集団で根気強く噂話を流し、本当にあった出来事も含めて信憑性を与えた。
つまり霧雨さんが伝えたいのはそういうことらしい。
「人里内に異変を起こそうとしている奴等がいる、という訳ね」
「残念ながらな。ただ、霊夢。そんなことは昔から知ってることだ。昔話は割愛するが大分前から不満はあった。大なり小なり現状を如何にかしようとしていた奴等は居たんだ。分かるよな?」
「ええ、そうね」
思い当たる節があったらしく深々と頷く博麗さん。
察するに僕の様な自己談判する人が度々来ていたのだろう。
「問題は何故に今なのか、だ」
「……もしかして僕の草案がそれですか」
最後にと訊いてきた質問の内容を省みればすぐに関わりがあると分かった。
顔の熱が一気に引いていくのが分かる。きっと鏡を見ればさぞ青褪めた表情をしているだろう。それほどに仕出かした失態は取り返しのつかないものだと悟っていた。
爆弾。
博麗さんは草案をそう呼んでいた。
何処の勢力が持っていても平穏を脅かす火種となるだろうと。
ここまでは霧雨さんの推測に過ぎない。
もしかしたら草案も帰り道で失くしただけで噂話が広まったのも単なる偶然なのかもしれない。可能性なんて幾つものあって、どれが真実かなんて分からないが、これだけは理解した。
「もし、もしだ。その草案が噂話を広めた連中に渡っていたとしたら……。霊夢、これは最悪だ。まだ始まって浅いが幻想郷史上最悪の異変となるのは間違いない」
「…………」
そう投げ掛けられた博麗さんは黙して語らず。
表情は変わらないが、どこか動揺しているように感じた。
「えっとノーレッジさん」
「違うぜ、私はアリス・マーガトロイドだ」
「それ偶に来る人形師さんの名前ですよね。というか先程から魔理沙と呼ばれてましたよね」
「おっと鋭いな。いかにも私が魔理沙さんだぜ」
名前なんて如何でもよかったが、いい加減違う名前を呼ばされ続けるのは嫌だったので言い返す。おちょくられるのは操さんで慣れているが初対面の人間にされてもいい訳ではない。
「少しばかり質問しても?」
「構わない。何が訊きたいんだ」
「最悪な異変になると言ってましたよね、それも幻想郷史上最もって」
「言ったな」
「何故ですか」
訊かずにはいられなかった。
違うかもしれないが、その気は無かったとはいえ加担してしまったかもしれない。常に期を窺っていたような奴等に機会を与えたと思うとぞっとする。
「簡単に説明するとだな、あんたの草案自体は切欠に過ぎないんだ。問題はスペルカードルールを改訂するという発想の方」
「そっちなんですか?」
「火種を欲していた奴等は探していたんだよ、現状を揺さぶれる有効な手をな。それが偶々草案だったって訳だ。あとな妖精に一方的な勝負を挑まれた子が亡くなっただろう。それも利用されてる」
沸々と怒りが湧きあがってくる。
操さんの死を利用し、尚且つその原因を埋めようとした僕の努力を嘲笑うその悪意に。それ以上に僕はどこまでも情けない自分に怒りを抱えていた。
「あまり気に病まない方がいいぜ。もし推測が当たっていても偶然と偶然が重なった結果だ。あんたは何にも悪くない」
霧雨さんが慰めの言葉を掛けてくれる。優しい子だ。
怒りの感情を面に出さないよう感情を押し殺していた僕は頷くのが精一杯だった。