霊夢と結婚した   作:毎日三拝

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結婚生活二十一日目「小母さん」

 暗き淵に立つ時、絶望的な状況に追い込まれた人とは通常よりも凄まじい力を発揮する。世間一般でいう火事場のくそ力というやつがそうだ。

 生存本能が危機的状況に反応して思い掛けない行動を誘発してしまう。

 そんな時、人は奇跡的な偉業を為してしまうのだ。

 でもそれは英雄譚の一端であって必ずしも善き行いに繋がるかといえば話は別である。

 この過去話に関しては英雄譚などという華美な物語ではなく、飽くまでも英雄が地の底へと落ちる物語だ。偉業とは真逆の最悪な所業となったのは間違いない。

 そう、僕が何を伝えたいかといえば、人は時に通常なら実現不可能を可能とする事が出来る。それを僕は大いに学んだという事だ。

 遠野夫妻の心が。

 小母さんの実娘に対する愛情が。

 母親が子を想う力が人間の力を遙かに超越した悪逆非道な行いをするに到る。

 そもそもこの時は僕達は思い違えをしていたのだ。現状に不満を抱えていたのはなにも人里の人間達だけではないという事を。

 更に言えば行動を起こすのはいつもどこかの誰かが持ったほんの少しの好奇心から想像もしない事件へと繋がっていく。

 真の黒幕とは想像も及ばない場所にひっそりと待ち構えている。

 気付いた時には全てが台無しになるのだ。そして好奇心を満たしたものは最後に嗤う。ふふっと。

 

 

  ■

 

 

 汚らしい水滴の音で目覚めた。

 ぴちゃぴちゃと耳元で鳴り響く不快さは強烈である。暗転としていた意識はすぐに覚醒した。

 そして目が覚めると同時に頭痛が発生して呻く。痛みの原因は分からない。芯の奥深くに響いてくる謎の痛みに耐えながら瞼を開いた。

 まず視界に入ったのは天井。如何やら仰向けの体勢になっているようだ。起き上がり周囲を見回すと薄暗いが見覚えのある場所である事が分かった。

 赤い小物が所々に配置され、障子や家具も赤を基調としている。何度か乞われてお邪魔した時をよく覚えている。敷居を跨ぐ度に鮮烈な内装だなと思ったものだ。

 此処は遠野家の屋敷、その一室。亡くなった操さんの部屋である。

 しんみりと懐かしい気持ちに浸った後に僕は先程からの耐え難い頭痛で何故此処に寝かされていたのか、という事実に気付く。

 記憶を落ち着いて整理すれば遠野夫妻が家に訪ねてきたまでは覚えている。そう、あまり健康そうではなく窶れていたが笑顔ではあったので元気そうだった。

 それから――

 

「いっ!」

 

 強烈な痛みが迸る。あまりの強烈さに脂汗が流れた。

 息を荒げて、頭を抱えるのが精一杯の状況である。まるで何かに邪魔されているかの様に思考が巡らない。

 そんな状態が続いて段々と痛みが落ち着き、慣れ始めてきた頃。

 

「……今、大丈夫かしら?」

 

 息を整えつつ、呆然としていると襖の外から声が聞こえた。

 あの声は小母さんか。操さんに部屋に僕が居るのだからそれもそうかと納得した。他人の声で気が紛れたお陰か頭痛の度合いが少し治まったので肯定の言葉を伝える。

 小母さんは襖を開いてするりと部屋に入ると布団の近くに正座した。その所作はとても洗練されていて美しく感じる。数十年大きな店を小父さんと商ってきたのは伊達ではないということだろう。

 

「お加減は如何かしら?」

「あー、正直に申しますと頭痛が少しばかり。それですいませんが僕は何故此方で寝かされているのでしょうか。小母さん達が尋ねて来られた所までは覚えているのですけれど記憶がどうも曖昧で」

「無理もないわ。その後すぐに貴方倒れたのよ」

「えっ?」

 

 小母さんの話によると僕は夫妻を部屋に招き、お茶菓子の用意をしに厨房へと向かったらしい。そのすぐ後に大きな音が響いて覗きに行ったら大の字に倒れていたのだという。

 彼等は大慌てで医者を呼び、診断の結果貧血。恐らく心労が重なって体調を著しく害っていたのが原因だそうだ。直すには少なくとも数日の安静が必要らしい。

 それで人の良い夫妻は看病を申し出たという訳だった。ちなみに小父さんがこっちまで抱えて運んでくださったとのこと。小父さんも顔色が悪かったのだが伊達に商家を営んでいないのだろう。

 

「――という訳よ」

「それはそれは有り難う御座います」

 

 僕は深く頭を下げる。というよりも頭を下げる事しか出来ない。

 

「別にいいのよ、頭を上げなさい。今更畏まる仲でもないでしょうに」

「親しき仲にも礼儀あり、といいますし……」

「知らないわ。そんな格言」

 

 あっけらかんと小母さんはいう。本当にこの人はなんというか、あっけらかんとしているというか。昔から何事も気にしない些事に拘らない人だった。

 それにしても――

 

「懐かしいわね」

「ええ、そうですね。なんだかとても」

 

 懐古する様な年齢ではないけれど遠い昔に失ったものを取り戻した気持ちだった。

 僕が本当の家族となって欲しかった理由がそれである。少しの会話だけで十分に感じるこの誰かと気持ちが繋がっている証が懐かしい。

 昔は確かに手にしていた。

 小父さんが居て、小母さんが居て、そして操さんが居る生活の中にあったもの。

 ふと気になって部屋を見回すと不思議と先程まで感じていた薄暗さを感じなくなっていた。心の中で感じている温かみをそのままにした様なものが此処にはある。

 段々と頭の痛みも消えていく。なんだか心地良い気持ちだ。でも何かおかしいという違和感を感じていた。あまりにも物事が都合の良いままに行き過ぎている、という違和感だ。

 

「……どうしたの?」

「いえ、なんだかちょっと何かが」

 

 気付いてしまえば違和感は強烈なものとして襲ってきた。

 引いていた頭痛が比例する様に激しくなっていく。またも思考が巡らなくなって僕は布団に伏せた。

 

「ちょっと大丈夫なの?」

「え、え、いえいえ……ちょっとっ!」

 

 心配する声が妙に綺麗なほど伝わってくる。これほど痛みを抱える中で頭の中に残る声。おかしい。疑えば疑うほどに頭痛は激しさを増し僕を蝕む。

 心配した小母さんが背中を摩ってくれた。温かな手を感じる。

 本当に温かで。人の温もりを感じたのは久し振りだ。

 ああ、なんだか何もかもがどうでもいい気がしてきた。抱えていたものを全て投げ出して捨ててしまいたい。意識が段々と薄くなってくる。

 

『……おさん』

 

 遠くで何かが聞こえた気がする。

 頭痛の影響かもしれない。幻聴だと思う。でも根拠は無いけれど確かにそれは聞えた。

 気付けば頭痛は消えずとも薄くなっていた意識がはっきりしている。

 

「……ちっ」

 

 なにがなんだか分からない状態に呆然としていると傍から舌打ちが聞えた。

 

「失敗した、わね。これは折角優しくしてやったのに。またやり直さないと」

「え、小母さん、は?」

「けひ、惚けたって無駄よ。それとも本当に分からないのかしら」 

 

 瞬間、記憶が走馬灯の如く駆け巡る。まるで今まで何かが塞き止めていたかの様に溢れ出す。

 壊れた人形の様な小父さん、人外の嗤い声、そして小母さんの形をしたなにか。

 先程まで狂うほど感じていた痛みを跳ね除けて記憶を取り戻した僕はそこで恐る恐る確認する様に見てしまった。

 

――けひ。

 

 人外の嗤う声をはっきりと口にした小母さんの顔を。

 悲鳴が口から零れる。形振り構わず手を跳ね除けて掛け布団を小母さんに投げ付けた。そのまま布団から後ずさって這い出る。

 やがて壁際に背中が付いて逃げ場が此処には無い事を悟ると僕は出口を探す。何度も来た部屋だ。出口は把握している。あれが入ってきた所以外にも出入り出来る場所はあった筈と必死だった。

 

「逃げ場なんて無いわよ」

 

 覆い被さった掛け布団を緩やかに退かしながら顔を出す。その顔を見てまたも僕は悲鳴を上げた。なぜなら小母さんには通常の人では有り得ない物が額から生えていたからだ。

 

「これいいでしょう? 最近漸く生えてきたのよ」

 

 角。

 正しくそれは角だった。




長いので分割。次回はもう少し早く投稿します。
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