角。額の両端から突き出して歪さを形成していた。
左右対称かつ真っ直ぐに生え揃えているのではなく、上向きに捩れており左側が極端に短い。その歪さが色にも顕れ、黒々として禍々しい雰囲気を醸し出している。
「あら、そんなに気になるかしら。こんなに愛らしいのに」
右の角を軽く撫でながら小母さんは自分の角を誇らしげに語った。
明らかに尋常ではない言動。怪物寄りの価値観である。今思えばあれだ。その悪趣味な趣味趣向はもうこの時には手の施しようの無い程に手遅れだった証拠であった。
「くひっ」
彼女は拳を畳みに打ち付けて此方を眺めて嗤う。
追い詰められた草食動物を見る目で怯えた獲物を見下している。
状況は僕の方が不利で、化物の体を成した小母さんは見た目以上の力を有していた。その証拠に先程苛立ち紛れに打った拳が畳みにめり込んだ跡が出来ていた。
「どうせ記憶など残らないのだから土産話でもしてあげようかしら。あなたも知りたいでしょう? どうしてこんな状況になっているのか」
突然彼女は語り出した。
心に余裕を持つと人は必ず合理的でない行動をする。それは自身が相手よりも優位であればあるほどに侮り、迂闊な。
故に小母さんが口にしなくてもいい事を語ったのは気紛れか、必然だったのだろうか。
「あの娘が、操が死んでから私達夫婦は失意の底に居たわ。毎日、毎日隣にはもう居ないあの娘を思い、さめざめと泣くしかない日々だった」
ずる、ずる、ずるっと畳が擦れる音も聞える。
ちろちろと先の割れた舌を露出しながら少しずつ這って近寄ってきていた。
僕は恐怖と混乱で満たされて満足に動けない状態ながらも手だけは必死に背後にあるだろう入り口を探る。殺されようが生かされようがこのままでは必ず良からぬ事が起きてしまう予感だけがあった。
そんな無様さを具に観察しながら小母さんは薄気味悪い微笑を浮かべながら続ける。
「悲しみの果てに復讐を誓えど、あの憎き妖精を殺そうにもそうさせるだけの力は私達夫婦には無く、殺しても自然の現象たる妖精はすぐに復活する。それでもいいと思えど他力本願しか手段は持ちえず、力有る存在は誰もが沈黙を保ち、あの忌まわしい理がどこまでも邪魔をする……」
語れば自然と言葉に怨念が宿り、その矛先がこちらに向けられた。
妖怪と堕ちかけている本能の所為か、怯える僕を眺めて喜悦の表情を浮かべるが、言葉を重ねる度に人間としての本能が蘇るのか憎悪に塗れた表情に変わる。
その相反した面相が益々恐怖を煽っていく。
あまりの事態に精神は限界を迎えても仕方ない状況であったが、気絶する事を許されず聞かざるを得ない状況が整えられていた。
勝手に耳に入り、色濃くトラウマとして現在も記憶に残っている。
「あぁ、憎らしや。只管何かが憎らしい。溢れ出すこの憎悪が心を支配し、悲しみが涙を枯らす。この憎しみだけであの妖精を殺せればと幾度も思ったことか! 幾度も、幾度もさぁ!!」
己の言葉で遂に激昂して、手当たり次第周りの物を手で払い、壊す。意味不明な言葉も吐きだしながら操さんの、実の娘の思い出や遺品が残されているこの部屋を破壊していく。
まず着物の内掛けが粉砕され、次に赤い化粧台が折れ曲がり、鏡が割れた。人ならざる人外の膂力を思うがままに振るった結果である。
もしこのまま暴力の矛先が自分に向けば確実に死は免れないだろう。死とは理不尽の塊だ。操さんの死もまた理不尽だった。この嵐の様な力もまた同じ理不尽に違いなく、正しくその時の小母さんの姿は死の権化だった。
僕の口からは声無き悲鳴が溢れた。
体も完全に金縛りにあって動かなくなっている。
いよいよ恐怖によって臨界点を迎え気をやる寸前に彼女の暴力はぴたりと止み、動きが止まった。縦横無尽に振るっていた拳を開き、顔を覆って項垂れていく。
室内は嵐が過ぎ去ったかのように沈黙する。小母さんの荒げた呼吸音だけが聞えてくる。
物理的な恐怖は無くなったが、今度は得体が知れず何をされるのか分からない恐怖に包まれていく。やがて息も整うと完全に室内は静寂に包まれる。この沈黙は人を殺せる沈黙であった。
このままでは気が狂ってしまう、そう実感しかけた頃、小母さんが口を開く。
「……いっそ狂ってしまった方が楽だった地獄の様な日々を過して、結局泣き寝入りすることしか選択肢がなかった私はあの娘がいない人生に意味はないと悟った。でもね、私にまだあの人が、夫が残されていたの。同じ辛さを味わったあの人を残していくのはどうしてもできなかった。一人で抱え込んだから駄目だったのよと支え合えば乗り越えられると信じようとしたわ――」
一瞬、確かに小母さんの瞳に正気の色が戻った。
夫を純粋に案じる良妻のそれ。希望を感じて明日を生きようとする化け物には似合わない人間らしい感情だった。
だが、それは本当に一瞬だった。
言葉の続きに嫌な予感がする。まるで台風の前にある静けさを感じた。そしてその予感は残念であるが間違っていなかった。
「――翌日、あの人が天井から首だけでぶら下がっているのを見る前までは」
嘘だ、と否定する言葉が脳内に駆け巡る。
小母さんの話が真実ならば既に相当前に小父さんは死んでいるという事だ。
実際に少し前まで会って話をしていた相手である。表情が落ち込んでいて暗かったし、思い出した記憶の中の小父さんは様子が変だった。
でも、それでも既に事切れている死人には到底思えなかった。
もし本当ならばそれは死者を冒涜する行為を小母さんが、いや、この目の前の怪物が実行した事に他ならない。
「これは明確な裏切りだった。夫婦の絆を信じて踏み止った私に対しての裏切り。所詮は夫婦だの愛だのいうのはまやかし。確かに辛かったし、耐え難かった。でもねやっぱりどうでも良かったのよ、残されていく者のことなんてのは」
一瞬見せたあの瞳は怒りに塗り潰されて、悪感情だけが支配していた。間違っても納得して結婚した相手に向ける感情ではない。
僕はその時点で漸くと確信した。
先程の話は真実であり、小母さんは操さんの死によって、変わってしまったのだと。歪な角を持つ怪物に堕ちてしまったのだと。
短文ですが投稿。なんとか時間を取れるようになったのでゆるりとですが投稿していきます。いきたいです。
そして過去編かつ長ったらしくなっていますが重要な部分なのでまだ続きます。次話で黒幕の存在と小母さんの話が終わって、漸くと霊夢の話になりますのでお待ち下さい。