今宵は一段と冷えるなと思い、温い布団から抜け出して隣の布団で眠る嫁さんが起きないよう注意し居間へと移動して障子窓を一寸ばかり開ける。十分に夜目へ慣らせてから外の景色を覗くと其処には滾々と降り積もる雪の姿があった。
幼少の頃は思わず心躍る光景に違いなかったが大人になってしまった現在の心境で語ると大変不思議なもので真逆の感想に至る。人間にとって雪とは子供に遊び場を提供し、大多数の大人が行う仕事を妨害する災害なのだ。
僕は顔を顰めると障子窓を確りと閉め、僕は布団へと帰還を果たすべく寝所に繋がる襖を静かに開く。
「如何したの?」
妙に勘の鋭い嫁さんである。
最大限に安眠を妨げぬよう気を付けていたのだけれど無駄に終わってしまったようであった。
「雪、がね」
「そう。積もりそう?」
「多分」
「じゃ、明日は早朝から二人で雪掻きね。あんたも早く寝なさい」
そう言い残すと彼女は直ぐに瞼を閉じて眠りに入ってしまった。
随分と冷たい言葉だが、彼女の事だからきっと夜更かしせずに睡眠をきちんと取らないと辛くなるから、と言う意味も含まれているのだろう。
僕は自己解釈した言葉に従い、早々に床に入ると布団を被り、嫁さんの方へと顔を向ける。
「御休みなさい」
一方的に就寝の挨拶を告げると顔の向きを天井へと戻す。
瞳を瞑り、意識を眠ろうとする方へと切り替える瞬間に彼女の声が聞えた。
「御休み」
僕は頬を軽く緩ませ、意識を暗転とさせた。
■ □
銀世界とは上手い表現である。
雪掻きをする準備を確りと終えてから玄関口を潜ると辺り一面は昨日の深夜に降っていた雪で覆われてしまっていた。この光景は正しく銀色に支配された世界に違いない。昔の文豪は比喩表現が巧みだな、などと僕は現実逃避気味の思考に逃げていた。
隣に顔を向けると何故か何時にも増してやる気十分そうな嫁さん。上機嫌なのか鼻歌まで披露している。僕は久方振りにこんな彼女を見た気がするくらいだ。
如何やら僕の嫁さんは大人ではなく、まだ子供、いや少女だったらしい。まぁ、僕の方が幾つか年上であるし、実際に少女と呼ばれて差支えのない年頃なのだから仕方ないのかもしれないな。
嫁さんは一頻り子供のようにはしゃぎ回ると納屋から取り出して用意した道具を手渡された。
「手早く済ませましょ。神社を機能させなきゃいけないんだから」
その言葉に頷き、肯定する。
僕は何気なく神社の境内を見回す。
変わらずの銀世界。玄関先から足を一歩踏み出して降り積もった高さを測ると足首が埋まる位だと分った。この量だと目測して二人合わせてあれば然程時間は掛からないだろう。
しかしだ。あまりの作業量に気が乗らない。嫁さんは早速せっせと働き始めたというのに情けない限りだ。そうと分っていても身体が反発して腑抜けている。
そんな僕の醜態に嫁さんはすぐさま気が付いて近寄り、僕の背を強めに叩いた。
「ほら、頑張って!」
「ん!」
彼女からの激励する言葉に僕は嬉しくなり、肌寒いのに腕捲りをして奮起した。
悲しい事実であるが男とは何所までも現金で乗せられ易い生き物である。好きで愛しているからこそ添い遂げた相手から応援も貰ったのならば動かずにはいられない。
僕は早速沸かした湯を雪に掛けてから掬って石畳の端へと除け始める。
しかし、肌寒いのでそれから間もなく捲くった袖は元に戻した。
■ □
「終わったー! 取り合えず参拝客への配慮は済んだわ。これで賽銭箱の中身は御利益を求めて来た参拝客の賽銭で埋め尽くされるに違いないわね」
嫁さんは雪掻きした道具を雪を乗せて運んでいた台車へ放り投げ労働の喜びを表す。僕も達成感に包まれ、誇らしげな気分である。
「ね?」
そこで同意も求められても困る。
勤労意識に染まるのは悪い事ではないけれど彼女の期待は十中八九外れるだろう。考えてみてくれ。普段から参拝客なんて滅多に訪れてこないのに態々雪が降り積もった日を好んでくるだろうか。
現実は非情である。答えは否だ。
僕は目頭に熱くなるものを感じながらも嫁さんの左肩を優しく叩き
「……そうだね。来るといいね」
決して肯定はせず希望的観測を口にした。
それに博麗神社の巫女は別に神様の為に信仰を信者から集めなくともいいのである。嫁さんはこの幻想郷を覆う結界を管理する役割を務めていたり、この地に住まうあらゆる種族が平和に暮らせるように異変と呼ばれている出来事を解決する仕事があるのだから。
時々良かれとやる事すらも空回る駄目な巫女であるが、彼女は幻想郷の巫女として役割を十分に果たしている。そう、見事なまでに。
だから僕は一人の少女にそこまで背負わせるこの理想郷が嫌いだ。
僕は頭を左右に振り、先程までの暗い思考を振り払うと嫁さんを連れて家の中へと戻った。