「人里に春告精がまだ現れない?」
居間に設置してある炬燵を片付けようとした僕に嫁さんが唐突にそう言った。
春告精とはその名前の通り春の訪れを告げる春限定で出現する精霊の名称だ。別名をリリーホワイトと呼ばれている。彼女は幻想郷中を飛び回り、季節を移り変わらせる切欠を与える役目を担っているらしい。
つまり春告精が訪れなければその場所は冬のまま季節が移り変わらない曖昧な状態になる、という事だ。暦上では春なのに未だ肌寒い気温が続いているのもその所為であると思われる。早く来て欲しい。
理屈では納得したが僕は溜息を吐いて彼女を咎める言葉を口にする。
「それで炬燵をまだ仕舞うな、と?」
炬燵の中に引き篭もった嫁さんが顔だけを出して頷く。
気持ちは理解出来るけれど神様の代理として慎ましく生活を送らねばならない巫女がその生活態度で如何するのか。結婚する前は規則正しく一人暮らしをしていたのに何故にだらしなくなったのだろう。炬燵の魔力が原因なのかもしれない。
僕は後頭部を掻き、溜息を吐くと彼女とお互い見詰め合い微笑むと炬燵を持ち上げて彼女から引き剥がした。
「残念、無念、没収」
「あぁ!?」
嫁さんは希望でも失くしたかのような絶望の表情を浮かべて追い縋ってきた。
可哀想な気もしないでもないが炬燵など季節を過ぎたのなら早々に仕舞ってしまうに限る。基本的に彼女に甘い僕でも炬燵の魔力を身を持って知っているので全力で片付けていく。
途中で彼女からの妨害が有るかと思ったけれど本人も実は理解しているらしく、大人しい態度のまま押入れに消えていく炬燵を見送っていた。内心で手伝って欲しいとも思ったが。
「さようなら。……また来年に逢いましょう」
まったくもって大袈裟だ。
感動的な場面になっているが彼女の性格を省みて明日には炬燵の存在を忘れているだろう。僕が呆れていると嫁さんは片膝を叩いて立ち上がる。
「さて、それじゃあ酒盛りでもしましょうか」
「はっ?」
突然過ぎて意味が分らない。
夫婦連れ添ってそれほど時間は経たないが彼女の性格を理解していると自負しているのだけれど、欠片も理解出来なかった。
単純に理由無く、彼女が酒を呑みたいだけかもしれない。
「宴会をする予定でも有ったの?」
そう素直に訊くと彼女は呆れたかのような表情を僕に向ける。
何故に僕がさも駄目なような風に思われなければならないのだ。理不尽過ぎて泣ける。
「じゃあ、たった今別れを惜しんだ炬燵を労う為か?」
「……真面目なあんたも皮肉を言うのね。知らなかったわ」
「そういう反応が一番傷付くんだけど。僕だって偶には皮肉の一つでも言いたくなるよ。気分が悪い」
肩を竦めて拗ねてみせると嫁さんは嬉しそうに笑った。
「そう? 私は悪くない気分だわ。おかげであんたのことを少し知れたから」
不意打ちの言葉に僕は赤面した。
嬉しくもあり恥ずかしくもある感情が僕の頭の中を駆け巡っていく。出来るだけ表情を抑えているが悶えている。
忘れていた。
博麗霊夢という少女は天然無自覚の人誑女である。
結婚する前であるが彼女と顔を合わせる度にこうした感情を味わっていた。
僕は耐え切れなくなり、彼女に背を向ける。
「と、兎に角。宴会する理由は知らないけど準備すればいいんだろう?」
「うん、宜しく!」
何故か適当に誤魔化された気もしないでもないが、悪くない気分なので宴会をする準備を始めた。
■ □
神社で酒造している物を嫁さんが特別に取り出して来て、僕はその御神酒に見合う摘まみを用意した。料理の腕は壊滅的で絶望的な僕だが簡単なやつなら調理可能だ。
宴会は境内で行う事になり、酒の席は石畳に敷いた筵の上となった。
神社自慢の桜も咲いておらず殺風景で風情がなく、僕には如何して嫁さんが宴会をしようと提案したのか考えてみたが分らない。
僕は嫁さんの対面に座って御神酒の栓を抜き、湯飲み茶碗と同様に夫婦揃いの白い酒器に注ぐ。並々注いだ後に彼女と向き合って答えを訊くべく口を開いた。
「それで突然に宴会をやる理由は何かな?」
彼女は人差し指を上空に向ける。
「あれが理由よ」
その時である。
上空を高速で飛行する何かが神社の真上を通り過ぎ、暖かい風が吹き抜けていく。
すると顔に薄桃色の花弁が落ちてきたので、何処から来たのか不思議に思って咄嗟に境内を見回すと石畳の端にある桜の木が満開に咲き誇っていた。
突然の事態を飲み込めず呆ける僕に彼女は酒器を手渡すと悪戯を成功させた子供のように表情を綻ばせて微笑む。
「春の訪れに乾杯っ!」
「……かんぱい」
取り合えずまずは一献。
酒器に口を付け博麗神社特製の御神酒を味わう。ほんのりとした甘さで大変口当たりが好い。喉を過ぎた頃には自然に「美味い」と口に出していた。
「うん。去年に酒造したやつだけど美味しい。これはお酒の神様に感謝しなきゃね」
「神様に感謝するのは分ったけれど、あれは春告精だったのか。僕は目が追いつかなくて正体を確かめられなかった。というか、僕にはいまいち宴会の理由が掴めないんだが……」
嫁さんは片目を瞑り、酒器を口許へ傾ける。
「相変わらず察しが悪いわね。理由は簡単。私達が春一番に神社で花見をしながら宴会をしたいから。こういう行事は誰が初めにやるのかが重要なのよ」
何とも自分勝手な理由だろうか。それを察しろというのは酷である。
呆れた態度を見せていると嫁さんは盛大に溜息を吐き、意を決した表情を固めた。
「ああ、もう! 私はあんたと一緒にお花見がしたかったの! それくらい夫なら察してよね!!」
彼女は言い切ると酒を飲み干して赤面しながらそっぽを向く。
それは確かに僕の方が悪かったようだ。僕は罪滅ぼしに微笑みながら手に酒瓶を持って嫁さんに向ける。
「一献どうぞ」
可愛らしく鼻を鳴らすと彼女はそっぽを向いたまま静々と酒器を差し出す。
酒器に酒を注ぎ足すと嫁さんは若干であるが機嫌を直して口を開いた。
「あんたの作った摘まみ、不味そう」
「見た目も味も悪いのでぜひ御賞味あれ」
彼女は持参してきた箸で出し巻き卵を一切れ口に運ぶ。
それを無表情で粗食して彼女は片眉を吊り上げる。
「……嫌いじゃないわ。好きでもないけど」
ぶっきらぼうにそう言う。
僕は一言「そっか」と返して彼女と二人仲良く宴会を続けた。