踏み締める度に地面に転がる砂利が音を立てる。
先導する彼女の足拍子は聞えてこない。その所為で孤独に感じる。
一歩。たった一歩だけ距離を詰めれば隣り合える短い距離なのに遠い。
確実に心情が影響している。神社から出立してから大分経つのに未だ引き摺っていた。
嫌な気分だ。本当に嫌な気分である。
僕がそうならば彼女はもっと嫌な気分のままなのだろうな。
彼女の夫として僕が何とかしなければならない。
しかし、駄目人間である僕には現状を打破する知性も甲斐性も持ち合わせていない。
ああどうしよう、と悶々とする嫌な雰囲気が続いていく。
「もうすぐ人里よ」
軽やかな声を耳にする。
何時も聴いている気楽さを含んだ声。
僕は咄嗟に本来の僕を繕う様に調子を合わせる。
「ん」
短い返事の言葉。
二人が通じ合える魔法の言葉。
それに対して続く言葉は無かった。
ならば今度歩み寄るのは僕からだろう。
僕は嫁さんに救われて勇気を出し、足を一歩前へ進めた。
追い付き彼女に歩き並ぶ。横目で彼女の様子を確認するとその表情には笑みが張り付いていた。
「さっきの返事だけど」
唐突に彼女が口を開いた。
僕は嫁さんに先程と同じ言葉を返す。
すると彼女は此方に顔を向けて微笑む。
「私も好きよ」
彼女は照れた表情を隠したかったらしく僕の位置と反対側に顔を背けた。
少し見える赤く染まった頬が隠し切れていない。照れ隠しが失敗している。
その可愛らしい様子に僕は先程まで悩んでいた事が一気に馬鹿らしく感じられた。
だってそうだろう。何がともあれ僕が彼女を愛している事に変わりはないのだから。むしろ今更過去をあれこれと考える方が失礼に値する。
彼女が僕の嫁さんなのに違いはない。
つまりはそれでいいのだ。
「くくっ」
思わず口から笑みが零れた。
今更気付かされる。現実は僕が思うよりも単純に構成されている。
ならば今取るべき行動は一つだろう。
「ねえ?」
「ん?」
「手を繋ごうか」
その言葉の意味に彼女は更に頬を朱に染めあげる。
少し時間を置いて彼女の返事を待つと左手が差し出されていた。
「ん!」
恥ずかしい思いをしながら手を絡める僕達。
気が付くと獣道を抜けて人里近くまで来ていた。
夫婦の情愛を他人に見せ付けるのに二人とも慣れていないので人里に着いたら手を離すとするとこの手の温かさを感じられるのは後少しばかり。
僕はそれを満喫する為に結んだ右手を少し強く握り返した。
「二人ともお熱いですね!」
陽気な声が背後から聞えた。
僕達二人は驚き、結んでいた手を解いて寄り添っていた距離を空ける。反射的な行動だ。
同時に振り返って声の主を確認すると和洋折衷の着物を纏った少女が此方の様子を眺めて微笑んでいた。
「こ、小鈴ちゃん!」
嫁さんが彼女の名前を口にした。
僕も同時に彼女が何処の誰かか想いつく。
本居小鈴。
人里に貸し本屋を構える一家の息女。砕けた説明をするならば貸本屋"鈴奈庵"の看板娘である。
「二人ともお久し振りです。特に霊夢さんは大分振りね」
「そ、そうね。久し振りよね」
嫁さんは落ち着きを取り戻そうとしているが少し焦っている。あんな彼女を初めて見た。
僕も涼しい顔をして誤魔化しているけれど内心で平静さを失っているので人事ではない。他人に夫婦の情愛を見られた気恥ずかしさで今にも地面に身体を転がせたい。
「先生は少し前に家へ来ましたよね、本を読みに」
「……ああ、そうだったね」
急に言葉を振られて適当に返事する。
ちなみに先生とは僕の渾名だ。本来は先生と書いて"さきお"と読むのだけど周囲の人達は決まって僕を"せんせい"と呼ぶ。
以前に何故そう呼ぶのか訊いてみたら
『雰囲気が先生らしいから』
だそうだ。
何の捻りもない返答だった。
「それで今日御二方は如何したんですか?」
「人里には二人で御供え物を取りに来たのだよ」
「そうなんですか。でも珍しいですよね。霊夢さんまで一緒なのは」
「私が健在だってそろそろ宣伝しないと不安に思うやつが居ると思ってね」
その嫁さんの言葉に彼女は一瞬であるが気まずい表情を見せた。
でも、すぐさま何時もの人懐っこい笑顔に戻る。
「――じゃあ、私もそろそろ家に帰るので途中まで一緒に行きませんか?」
「折角だからそうしましょうか」
嫁さんの言葉に同意して頷く。
人里でも人気のある彼女が傍に居れば話も進むだろう。
「あ、でも少し待って下さい。今日の夕飯になる山菜を採りに来ていた最中なので、荷物を離れた場所に置き去りにしていたから取りに行って来ますね」
本居さんはそう言い残すと小走りで藪の中に別け這入って行く。
その場に残された僕達は同時に胸を撫で下ろした。