僕にとって、運命とは、ありふれた日常を飾り立てる陳腐なエッセンスに過ぎなかった。世界の中心にいる人達に寄り添う、一種の才能のようなもの。英雄の背中を押して、凡人の心を惑わす。藤丸立香という、極東の島国で暮らすありふれた一人の人間にとっては、生きている間、きっと関わりのないものだと思っていた。
けれど、雪山に佇む天文台で。雪のように白く、清らかで、碧空のように透通った眼差しの彼女と出逢って、僕は運命が確かに存在すると気付いた。一目惚れ……だったのかもしれない。言葉の綾かもしれないが、それから起こっていく沢山の出来事や、心を折るような悲惨な光景を目の当たりにしても、胸の中で彼女を想えば、不思議と力が湧いてきた。それは、傍にいる偉大な仲間達とは比べるのもおこがましいくらい小さなものだ。けれど、僕にとっては何よりも大切な
多くの場所を巡ってきた。
魔術士達が作り出した焔の廃墟。復讐の竜の聖女によって乱された国土。二つに別れた古代の帝国の争い。四方を閉じられた海をさすらう海賊たち。死の霧に満ちた都の探索。神話が矛を携え、近代が銃を構える戦場。人の善性に狂奔した騎士達の聖都。原初の厄災に抗い続ける人間たちの最後の砦。
幾つもの出会いと、別れ。輝かんばかりに生きる命と、無慈悲にそれを奪い取る死の腕。七つ目の死地では、水のように澄んだ悪意に何度も心を折られて、その冷たい抱擁に身を預けようとしてしまった。けど、隣には彼女がいた。涙を流しながら、決して退転しない雪花の盾が。僕が最後まで戦い抜けられたのは、きっと彼女がいたからに違いない。
だから。そうであるからこそ。
その情動が、紛れもなく、僕の心に生まれたのは当然の事だったんだ。その変化が、僕のこれまでの旅路に寄り添ってきたひとひらの勇気に、昏い影を差すものとは知らず……。
人理焼却の熱線によって、
僕は、生まれて初めて、心からの殺意を抱いた。
あらゆる手を尽して、僕と、僕の仲間達は
戸惑いを隠せない英霊達を罵詈して、その身を犠牲に戦えと命令した。
死なねば分からぬとほざく口を閉ざすべく、奴の存在に、根源に至る呪いを重ね掛けした。力を封じられて激発するのを、人が変わったようにケラケラと嘲った。
形を崩されながら最期まで足掻かんとする人の王に対し、天文台からの必死の呼びかけに応じず、徹底的な暴力を振るった。奴の躰を打ちのめすたび、愉悦が生まれ、頭の中でなにかが喪われていくような錯覚を感じた。人として喪ってはならないもの。
きっと、それを失くしてしまったから、僕は―――。
『―――早く! 走れ走れ、走るんだ! 立香くん!!』
世界から命の気配が薄れゆく。宮殿は形を喪い、光は闇に呑まれ、英霊は姿を消した。残っているのは、崩落する足場と、返還された十の指輪。そして僕だけである。
秀麗な姿勢を崩して、人類最高の天才が叫ぶ。僕の帰還を待ってくれる
けれど、本当にいいのだろうか?
「――――――ぁ―――」
使命を果たしながら、最後は我を忘れ、仲間達との絆を塵芥のように扱った裏切り者。善性の後押しを受けながら、底無しの悪意を抱いた半端者。彼女を守り切れなかった脆弱な人間。
僕は、変わってしまった。あそこから此処に来た時の僕と、今まさに此処にいる僕とでは、決定的に何かが違う。心の持ち方が違う。人に対する接し方が違っている。人の持つ善と悪への考え方が違っている。彼女が知っている僕ではなくなっている。
天文台は、僕を受けいれてくれるのだろうか?
僕は……本当に、帰っていいのか?
「―――ぁぁ―――」
知らぬついに頬を流れる涙が、結末を物語っていた。
足場が崩れる。躰が闇に呑まれ、どこまでも落ちてゆく。
あと、一歩。必死に駆ければ間に合ったかもしれない距離。向こうから誰かの手が伸びれば、きっと掴めていたであろう距離。
けれど、届かなかった。
僕の躰はあの場所へ及ばず。かの場所から僕へ伸びる手はどこにもなく。
幾つもの絶望と哀惜の悲鳴を聞きながら、僕は堕ちていった。
どこまでも、どこまでも。人王の生きた証と共に。
そして、僕の意識と、命もまた―――。
◇―――◇―――◇
彼は、一人の少年だった。
凡庸であり、取るに足らず、抜きんでた力や磨かれた叡智を持っている訳でもない。
幾万もの月日を重ねてきた人類史において、彼のような人間はいつの時代にも存在していた。傍観者。厄災に苦しむ者。或は、
歴史という壮大な叙事詩を吹きぬける嵐は、彼らを千々に切り裂く。大いなる災難によって消えゆく、叙事詩の観測者に一縷の憐れみを感じさせる一種の舞台装置。彼もまた、物語の脇役に過ぎない筈だった。
けれど、そうじゃなかったんだ。邂逅を果たした時。僕は、それを感じた。眩く、薄らとしていたが、決して消えないであろう確信を。
彼ならきっと。きっと違う。
彼は物語の主役になるだろう。多くの英霊を率いて戦い抜ける、人類の守護者になるだろう。
私は、彼の中に、たった一つの確かなものを見出したのだ。英雄にも。あるいは凡人にも備わっている、ありふれていて、とても大切なもの。
不屈の心。雪花の盾のごとく、煌めく星々のごとく。希望を信じぬける純真な人間性を。それがあるから、皆が君を慕い、君の隣で戦ってきたのだろう。
だというのに。
君は、報われなかった。たった一つ、
だからこうして君は一人、闇に堕ち、寄る辺を喪い、虚無の世界を流離っている。
憐れ―――だとはいわないさ。
悲しい―――とも、思っていない。
ただ、残念だった。私が望み、美しく、喜ばしく感じていた人間性に、一縷の闇が備わってしまったのだから。
君は、あそこへ帰るべき筈だったんだ。恨みも、怒りも捨てて。後悔と自責の念なんて持っている筈ではなかった。そうなること自体が有りえない事象だったんだ。
これが本当の結末だったのだろうか。いいや、そうじゃない。これが世界の意思だとは思えない。彼女が望んだ世界の在り方だとは思えない。
どうして、こうなってしまったんだろう。そうは思わないか、
「――――――」
もう、言葉も忘れてしまったんだね。それも当然だろう。君が思う以上に、
それでも、私は問いかけよう。君にとってどれだけ残酷でいようと。君が望もうが、望むまいが。それでも問おう。
この問いを投げるためだけに、私はこの虚無の世界を旅してきた。私という存在を賭けて。彼女の魂に敬意を表して、
もしも、君がまだ生きていて、まだその魂が残っていて、彼女のいない世界を大切に想う心があるのなら。どうか答えてくれ。
あそこへ、帰りたくないかい?
君のいた世界へ、戻る気はあるかい?
「――――――」
…………ありがとう。それが聞けただけで、私は報われた。やはり私の感じた想いは正しかったのだ。
あの憎らしい頭お花野郎と同じ真似をするのは気に入らないけど。他でもない君のためだ。瑣末な恨みは封じよう。
これから、君をある場所へ送り出す。この虚無の世界に
そこを潜れば、君は懐かしい戦場へ戻るだろう。長い昔に忘れてしまったものを取り戻せるかもしれない。
けど、君が報われる事はない。それだけは有り得ないだろう。なぜなら君が向かう場所は、
人理焼却という人類史の大災害が生じた事で、世界は危機を抱き、特殊な事態としてあらゆる事象からの介入を赦した。異なった世界線からの介入も容認したんだ。
私がやろうとしている事は、死者の復活。
向こうの世界の
けれど、すべての危機が焼却され、再び平和が訪れたとき。世界はあるべき形へ姿を戻す。つまり、君はその世界から追放され、またこの世界に戻ってくるという事さ。―――ああ、心配しなくていい。この虚無空間に戻ることはないよ。私の命を費やして、一本の
唯一。君にとっての不幸がある。君が向こうから何かを持ち帰る事は許されない。形あるものは、すべて向こうに残すんだ。人も、物も。ただ形のもたない、誰もが持ちうる人としての
さぁ、時間が迫ってきた。
私たちの別れの時だ。
最期に、君と出逢えて良かったよ、藤丸立香。そうだ。私は本当に、美しいものを見た。
刃を交えずとも倒せる悪はあり、血を流さなかったからこそ、辿り着ける答えがあった。
おめでとう、カルデアの善き人々。第四の獣は、君たちによって倒された。
「――――――ュ―――」
「――――――マシュ―――」
◇―――◇―――◇
毎日を生きよ。
あなたの人生が始まった時のように。
ゲーテ - ドイツの詩人、小説家、劇作家 / 1749~1832
初めまして、ヨグひでと申します。
あとがきではありますが、以下に、当作品の説明を申し上げます。
当作品は、二次創作です。
デイライトワークスより配信中のアプリゲーム、「Fate/Grande Order」の設定・ストーリー・登場人物を主軸として、私の経済的・社会的に何ら生産性のない妄想で改変した、いわゆる主人公転生の作品となります。
長編を予定していますので、リアルでの事情が大きく変われば、失踪の可能性も無きにしも非ず。
それまでは、或は作品が完結するまでは、気儘に執筆させていただく次第。
気楽な気持ちで読んで頂ければ尚有難し。
宜しければ、どうぞご読了のほど。
宜しくお願い申し上げます。