Overlord of Overdose ~黒の聖者・白の奴隷~   作:Me No

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眠るときは誰かの傍で

 

 農村は眠る時間が早いらしい。

 この村に電灯など当然存在せず、灯りは松明や蝋燭、油などによるものしかないようだ。

 ただ、みかかが居た世界とは比べ物にならないほど大気汚染は少ない為、月明かりだけでもそれなりに明るい。

 

(浮かんでいるあの月のような星には生物は存在してるのかしら?)

 

 こちらの世界の文明では到底、その真相に辿り着くことは出来ないのだろうけど。

 そんな事を思いながら、エモット家の元へと向かう。

 

 先程までガゼフとその部下及びみかかの活躍を祝う宴が行われていた。

 勿論、村を救ってくれたことへの感謝の気持ちもあるが、殺された村人達の家にあった保存の利かない食料を無駄にしたくない狙いもあった。

 祝いの席でガゼフやその部下からは王国と周辺国家、村人達にはトブの大森林と呼ばれる森林地帯の情報を聞き、それなりに有効な時間を過ごすことが出来た。

 

 現在、みかかはエモット家の居間にいる。

 蝋燭の明かりがほのかに部屋を照らす中、エンリがシーツを持ってくる。

 

「サエグサ様。本当にシーツだけで宜しいんですか?」

 エモット家には客用の部屋など存在しない。

 寝るのであれば父か母のベッドしか空いてないが、この少女は居間の床でかまわないと言ってきた。

 村の救世主に無礼を働いてそれが知れたりすれば、エモット家は村で生きていけない。

 そんなエンリの不安を他所に少女は何処からともなく地図を取り出して気のない返事が返ってきた。

「ええ。後、ミカでいいわ――私も貴方をエンリと呼ぶから」

 真剣な顔で地図を眺めている。

「私は?」

 眠そうな顔でエンリのスカートの裾を掴んでいるネムの言葉に顔を上げた。

「ネムもミカでいいわよ。二人とも早く寝なさい」

「……うん。おやすみなさい」

「おやすみなさいませ、ミカ様」

「おやすみ」

 眠そうなネムと頭を下げるエンリを見送ると、みかかは再び地図に意識を集中させる。

 

「……灯りは大切にした方がいいんでしょうね」

 用意してくれた蝋燭の灯を吹き消しておく。

 鎧戸が閉められた家の中は真っ暗闇と言っていい。

 だが、吸血鬼の種族的特性でみかかは暗視能力がある。

 今の状態でもまったく視界に問題がない。

 そういうわけで抜き取った地図を広げて、宴の際にガゼフと部下から聞いた各国の情報を思い返す。

 

 まずはリ・エスティーゼ王国。

 王が全領土の三割を、大貴族が三割をそして様々な貴族が四割を握る封建国家。

 王族派と貴族派に別れて権力抗争に明け暮れる国。

 最近では麻薬を生成して隣国であるバハルス帝国にばらまいている。

 それが今回の事件の原因なのではないかとガゼフは言っていた。

 

 政治的に残念な国とみかかは判断しているがガゼフ曰く『黄金』と呼ばれるこの国の姫は素晴らしい存在であると言っていた。

 後、この国には二組の有能な冒険者チームがいるそうだ。

 特に冒険者チームの一人に、この世界では稀有な能力である蘇生魔法を扱える者がいるらしい。

 その事に村長は驚き、みかかに謝罪する場面もあった。

 

 次にバハルス帝国。

 鮮血帝と呼ばれ、歴代最高と称されるほどの政治力を持つ皇帝を長におく国である。

 なんと戦争の真っ只中、護衛を連れてガゼフをスカウトに来るという度胸のある一面持っている。

 そしてこの国は第六位階魔法まで扱える魔法詠唱者がいるとのこと。

 魔法詠唱者の腕としてはナザリックでは大して役に立たないレベルだろうが、特筆すべきは長い時を生きていると事だろう。

 知識とはそれ自体が強力な武器である。

 特にこのような未知の世界なら尚更だ。

 有能な皇帝なら手放したりしないだろうが、どこかで接触を試みるのもアリかもしれない。

 後は『武王』と呼ばれる亜人が闘技場にいるそうだ。

 

(帝国は王国より警戒すべきね)

 

 そして今回の事件の加害者であるスレイン法国。

 この国が最も警戒すべき国だろう。

 亜人・異形種の根絶を掲げる宗教国家――ナザリック地下大墳墓の天敵とも言えるような国だ。

 何より痛いのがこの国にはプレイヤーの陰がある。

 それが現在も存在するのか、過去に存在したのかは不確定だが。

 ガゼフ達から聞いた話で情報量が多かったのはこの三国だ。

 

 他には竜王国、聖王国、評議国に人が住んでおり、後は亜人達の領域である。

 亜人達の領域にも人は住んでいるが、それは食料や奴隷としてであり厳密には住んでいるとは言いづらい状態だそうだ。

 聖王国と法国との境に広がる荒野であるアベリオン丘陵には多数の亜人達が、無数の部族を作り日々紛争を繰り返しているとの事。

 

 亜人達の大国もあるようだし、そこに強大な力を持った魔王のような存在がいる可能性だってある。

 

「……世界は広大で、やることは山積みだわ」

 

 夜の沈黙が支配する中、みかかはこれからも続くだろう多忙な日々を想ってため息を吐くのだった。

 

 

(……睡眠無効って、何か妙な感じで慣れないな)

 

 ここに来て四日目になるが、みかかは一睡もしていない。

 みかかはアンデッドである為、飲食不要や毒、睡眠、麻痺、即死無効など様々な種族的特徴がある。

 飲食不要なら食べなくてもいいだけで食べれるが、睡眠無効はそもそも眠れない。

 現時点では肉体的にも精神的にも何か問題があるわけではないのだが……眠れないのはなんだか落ち着かなかった。

 

 暇つぶしに本などはないだろうかと辺りを見回してみたが、居間と思われるこの部屋には一冊も置いていない。

 実は近くにあるトブの大森林を見に行きたいと思ってるのだが、さすがにそれは単独行動が過ぎる。

 暇だからという理由で心配してるであろう友人を怒らせるような真似をするほど子供ではない。

 

(でも、暇だわ。一旦、帰ろうかしら)

 

 と、半ば本気で考えてしまう。

 今後の方針を考えるのに飽きて、所持品のチェックも終え……ゴロゴロと寝転がりながら時間を潰している状態だ。

 

「………………ん?」

 

 みかかの聴覚が人の声を捕らえた。

 ムクリと起き上がり、音のした方向に意識を集中させる。

 エモット姉妹の部屋がある方向からくぐもった泣き声がする。

 どうやら泣いているのはネムのようで、エンリが「大丈夫、怖くない」と宥める声も聞こえてきた。

 見た目は十歳くらいの少女だが、悪夢を見て泣くとは随分幼いなと思い、すぐに考えを改める。

 

(……ストレスから悪夢でも見たのかしらね)

 

 PTSDとか言ったか。

 死を意識するような体験をしてしまったことからくる心理的外傷だったような気がする。

 再び寝転がったみかかの耳に二人の足音が近づいてきた。

 

「ほら、ネム。うちにはサエグサ様がいらっしゃるわ。だから、大丈夫よ」

「………………うん」

 

(……いい暇つぶしになるかな)

 

「ミカでいいと言ったわよ?」

 ゆっくりと起き上がったみかかに二人は僅かに驚いた。

「もしかして、起こしてしまいましたか?」

「いいえ、起きてたの。どうにも寝付けなくてね」

 みかかはアイテムボックスからランタンを取り出して、明かりを灯す。

 途端に居間が昼のように明るい光に照らされた。

 二人はしばらく眩しそうにしていたが、慣れてきたのか精巧な細工が施されたランタンを珍しそうに見つめている。

 

「何これ凄い!」

「《ランタン・オブ・フォーシーズン/四季の角灯》。携帯用の明かりよ」

 四季というだけに四色の明かりを灯せるのだが、それぞれの色により四つの効果がある。

 春は青、夏は赤、秋は白、冬は黒――これは五行説に対応している。

 現在は青色、春の色だ。

 この光には一定範囲にいる者の精神系バッドステータスの沈静化を行う効果がある。

 

「ネム――こっちにいらっしゃい」

「うん!」

 瞳を輝かせてランタンを見るネムに向かって手招きする。

 ネムは嬉しそうに小走りで近寄って、みかかの右隣に座った。

「これ、触っていい?」

 ネムがキラキラした笑顔でランタンを指差す。

「眺めるだけにしておきなさい。一応明かりだから触ると火傷するかもしれないわ」

「はーい」

 ランタンを飽きもせずじっと見つめるネムの頭を撫でて手櫛で髪を梳いてやる。

 それが心地いいのかネムはぴったりとみかかに寄り添ってきた。

 

(……軽度の恐怖状態か)

 

 触れた相手のバッドステータスを診断する特殊技術を用いて、ネムの状態を把握する。

 このランタンはそれほど大したアイテムではなく精神系バッドステータスの沈静――つまり、効果を抑えるだけで治療は出来ない。

 単純な恐怖状態なのであれば、治療することは難しいものではない。

 

「……まずは、これ」

 

 そこでみかかは空間に手を突っ込み、目的のアイテムを引っ張り出してくる。

 それはみかかの故郷ではカラカラと呼ばれる陶製酒器。

 形は吸飲み――病人が寝たままでも水を飲めるようにした容器に酷似している。

 吸飲みで分からない場合は、単純に小さめの急須を想像すればいい。

 

「後、これ」

 次に出すのはお猪口である。

 

「すっごーい!」

 虚空に手を突っ込んで中からアイテムを取り出すと言う行為にネムは目を見開いた。

 興奮して声をあげるネムと驚きながら無言で見守るエンリを他所に酒器の中身をお猪口に注ぐ。

 医療と毒物生成の特殊技術を複合させて、恐怖状態の治療及び眠りの効果をもたらす薬物を精製したのだ。

 みかかはお猪口を手に取って、中身を一息で飲んだ。

 みかかは薬と毒に属するものであれば口に含むことでその効果を判別出来る。

 今回、口に含んだのは子供用に効き目をひじょうに弱く設定させたが実用に足るかどうかの判別のためだ。

 

「………………甘っ」

 

 効果に関しては問題はない。

 だが、子供用風邪薬のシロップを思い出す味だった。

 元々、こういう味なのか、子供が飲めるようにと気を使いながら精製したかは謎だ。

 

「ネム……これを飲みなさい」

「いいの?!」

 ネムは顔をキラキラさせている。

「………………」

 隣にいるエンリも羨ましそうにしてることから甘い物に飢えているのかもしれない。

「ええ。こぼさないようにね」

「はーい」

 ネムはお猪口を受け取ると、みかかのように一息で口に含んで満面の笑顔を浮かべた。

「あまーい! すっごく美味しい!」

「そう。良かったわね」

 みかかは微笑んで、ネムの手からお猪口を受け取って酒器と共にしまう。

「あっ……」

 それを見てエンリが残念そうな顔を浮かべる中、もう一度髪を撫でてネムの状態を確認した。

 

(恐怖状態は解消。薬によるアレルギー反応なし。特殊技術に問題なし)

 

 結果に満足しつつ、みかかは未だ突っ立っているエンリに顔を向ける。

「エンリも、こちらに座れば?」

 開いている左隣をぽんぽんと叩きながら言う。

「は、はい! 失礼します」

「ここはあなたの家よ? 失礼も何もないわ」

「………………はい」

「………………」

 エンリの顔に浮かんだ表情を見て、みかかは己の発言を悔やむ。

 

 二人の両親は助けることが出来なかった。

 まだ若いエンリが、この家の主となったのだ。

 あなたの家、という発言でそれを意識してしまったのだろう。

 

「………………」

「………………」

 気まずい沈黙が居間を支配する中、寝息が聞こえてくる。

 二人は音の発生源に視線を向けた。

 眠りの効果が発揮されたのか、ネムがみかかの膝を枕にして眠ってしまったようだ。

 

「……眠ったようね。エンリ、そのランタンを持って、この子のベットまで案内してくれる?」

 みかかがネムの身体を優しく抱き上げてお姫様抱っこの体勢を取って立ち上がった。

「は、はい」

 エンリはランタンを手に持ち、部屋へと案内する。

 小さな家なのですぐに目的地に辿り着く。

 寝室は二人部屋で簡易なベッドがあった。

 

「……ん?」

 シーツに乱れがあるのは片方だけで、もう片方はまるで利用されてないように見える。

 みかかの視線に気付いたエンリが説明する。

「ネムが今日は一緒に寝て欲しいと言ったので……」

「……そう」

 心理的外傷の根は少し深そうだ。

「そのままの状態でランタンを置いておきなさい。これで悪夢を見ることはないと思うし、この子は朝まで寝てると思う」

「宜しいのですか?」

「ええ。それじゃ……」

 ネムにシーツを被せて踵を返そうとしたが……エンリの何か言いたげな視線を見て止まる。

「……どうかしたの?」

「私も眠れないので、ご一緒させて頂いてもかまいませんか?」

「かまわないわよ」

 こちらとしても眠れない夜を一人で過ごすより、話し相手がいるのは大助かりだ。

 それに彼女には色々と話したいこともある。

 みかかは真っ暗闇の中、居間へと戻っていく。

 エンリも自分の家なのである程度の間取りは感覚で覚えているが、それでも彼女ほど足早に戻ることは出来ず、ひそかに救世主の少女に感心するのだった。

 

 エンリが居間に戻ると蝋燭のか細い光源が部屋に満ちていた。

「で、眠れないの?」

「……はい」

「ちょっと手を貸してくれる?」

 差し出された手をみかかが握るとビクリとエンリは震えた。

「どうかした?」

「いえ。その……あの時も思ったんですけど、凄く冷たい手だなって」

「……あの時?」

 ああ、手を治した時か。

 自分の手が冷たいのはすでに死んでいるからなのだろう。

「血の巡りが悪いみたいでね。冷たくなっているのよ」

「そうなんですね。でも、肌がとても白くて素敵だと思います」

「ありがとう」

 容姿に関する褒め言葉は小さな時から聞き飽きているので何とも思わないが、礼を言っておく。

 

「……ふむ」

 再び特殊技術を用いたみかかはその結果に驚いた。

 ユグドラシルの時とは違い――対象に触れることで得られる情報が飛躍的に増している。

 ユグドラシルの時はHP・MP及びバフ・デバフ、バッドステータスの有無が判別されるものだった。

 この中のバッドステータスの有無判定が非常に複雑かつ詳細に分かるようになっている。

 ユグドラシルはあくまでゲームであった為、再現出来なかったのだろうが一口に医療と言っても多岐にわたる。

 内科、外科、整形外科、形成外科、脳神経外科、皮膚科、眼科、耳鼻咽喉科、精神科等々。

 本来、医療従事者であればこの中から専門を選んで医者となるはずだが、ユグドラシルで医療の技術職を手に入れた者は、この全てをこなせるようだ。

 

(また一つ謎は解けて、解けたことにより謎が増えていくな)

 

 ユグドラシルでは微妙系だった医療技術がここでは有効な技術になっている。

 技術的に再現が難しかった職業は再度確認した方がいいかもしれない。

 有効な物に成り代わっている可能性がある。

 

「どうかしましたか?」

 手を握られたままの状態だったエンリが不思議そうに問いかけてくる。

「ああ、ごめんなさい。眠れないなら魔法で治せたらと思ったのだけど、あなたのは治すのが難しいみたい」

「……そ、そうなんですか?」

 握っていたエンリの手を離しながら、みかかは悩む。

 

 エンリの状態はネムとは異なる。

 これは極度のストレスからくる不眠状態だ。

 

(どうしたらいいのかしら?)

 

 恐怖状態であればその都度、魔法で治せばいずれは時間が解決してくれるだろう。

 だが、エンリの不眠の原因であるストレスは、おそらくこれからの生活に対する不安や両親を亡くしたことによる物だ。

 単純に不眠症を解消すれば解決する類の問題ではない。

 

「でも、大丈夫です。全然眠くないですし、疲れてるわけでもないみたいで」

「………………」

 完全にナチュラルハイになってる。

「そうだ。今のうちに斬られた服を繕ってもいいですか?」

「……エンリ」

 蝋燭のか細い光源で縫い物など怪我をする可能性がある。

「他にも色々としておかないといけないことがあるから、今のうちに……」

「エンリ・エモット!」

「………………」

 みかかの冷たい声にエンリは黙り込む。

 

「……まったく、もう」

 みかかはため息を一つ。

「エンリ・エモット。ちょっとそこに座りなさいな」

「……ミカ様?」

 床に座ったエンリの真正面に立って、みかかはエンリの頭を撫でた。

「……辛かったわね」

 そしてエンリを抱きしめる。

「………………えっ?」

 その言葉を聞いた瞬間、エンリの瞳から涙が落ちた。

「貴方は十分に頑張ったわ。だから今は頑張らなくていいのよ」

「………………」

 今まで張り詰めていたものが堰を切ったかのようにあふれ出して止まらない。

「姉にだって――泣きたい時くらいあるわ」

 ああ、そうだ。

 自分は妹の前だから頑張らないと、と無理をしていた。

 もう自分が頑張るしかないと、頑張らないと終わりだと自分で自分を追い詰めていた。

 

 エンリは大いに泣いた。

 子供のように――恥も外聞もなくわんわんと。

 ただ自分の行き場のない感情を爆発させた。

 

 みかかはただ泣きじゃくるエンリを抱きしめ、ずっと頭を撫でてくれていた。

 

 ………………。

 …………。

 ……。

 

 一体どれほど泣いただろうか?

 枯れることなどないと思っていた涙もとうとう枯れてしまった。

 

「ミカ様――も、申し訳ありませんでした」

 一生分の恥を人前で見せた気がする。

 泣いて、叫んで、愚痴って、甘えた。

 臆面もなく、心から。

 だからかエンリの心は少し晴れた。

「別に構わないわ。私がそうさせたのだし」

 恥ずかしがるエンリの頭を撫でながら、みかかは天使の微笑を見せる。

 だが、その微笑みはすぐに曇った。

 

「エンリ。貴方が感じている不安は正しい。この村の行く末は暗いわね」

「……はい」

 みかかの胸に抱かれたまま、エンリは頷いた。

 本来なら皆が助け合わないといけないのだが、今日の惨劇のせいで皆が自分のことで手一杯になるはずだ。

 このまま冬に突入すれば、村では餓死者が出ることも予想される。

 家族の中心であった父、それを支えた母を亡くしたエモット家の未来は特に暗い。

 

「だけど心配は不要よ。私は明日にはここを去るけれど、貴方達の面倒は見てあげるから」

「えっ?」

 エンリはみかかの服装を見て思い出した。

 そうか……彼女は修道女だ。

 身寄りを亡くし、他に誰も世話をすることが出来ない場合に神殿を頼ることは非常に多い。

「それは、私達もミカ様と同じ場所に連れていってくれるということでしょうか?」

「残念だけど、それは出来ない。うちに入るには二つほど条件があってね、貴方達ではそれをクリア出来ない」

 本当に、残念だ。

 彼女のいる場所なら安心出来ると思ったのに。

 

「だったら……」

「定期的に貴方達の様子を見に来てあげる。生きていくのに必要なものがあれば用立ててあげるから遠慮なく言いなさい」

「ど、どうしてそこまでしてくれるんですか?」

 当然とも言えるエンリの疑問にみかかは顔を逸らした。

「ん~~」

 そして困った顔を浮かべてヴェール越しに頭を掻いている。

「……そうね。貴方にだけ恥をかかせるのは公平じゃないわね」

 みかかは観念したようにため息をついた。

「私はさっき貴方が泣いたことを誰にも言うつもりはないわ。だから、貴方も今から話すことを誰にも言わないこと」

「はい。分かりました」

 こんな凄い人がただの村娘である自分に秘密を打ち明けてくれる。

 その事がわずかに誇らしい。

 

「私には貴方を助ける理由がある。私にも、妹がいたのよ」

「………………」

 いた、ということはつまり……。

「五年程前の話よ。私と妹にちょっとした事件があってね……面白い話しではないから詳細は省くけど、その時私は妹を庇ったの」

「えっ?」

「貴方と同じよ。たとえ私が命を失うことになっても妹に生きていて欲しい――だから私は犠牲になった」

 その件で自分は意識不明の植物状態になり、そして――。

「それから丸々五年間、目が覚めることなく眠っていた。それがどういう訳か、最近になって目を覚ましたのよ」

「そ、そんな事が……」

 まるで御伽噺だ。

「家の者が意識を取り戻した私に面会しに来た時、まず最初に聞いたのは妹がどうなったのかの確認よ。私がその身を犠牲にしたことで妹は助かったわ」

「………………」

「貴方ならその時の私の気持ちは想像出来るでしょう? それを聞いたとき、飛び上がって喜んだわよ。五年間眠ってしまったけれど、そんな物、大したことじゃない。五年の時間は決して安くないわ。だけど、妹の命と引き換えだと言うなら、どちらが大事かなんて、そんな物は姉なら当然、分かる筈よ」

 自分と同じ立場だった人物が歓喜する中、エンリは不安に胸を締め付けられる思いだった。

 

 だって、この話の結末は――すでに約束されている。

 

 今、彼女が話していることは、神様にすら変えられない過去の出来事だ。

 

「次に私が聞いたのは、妹はいつ来るのかよ。楽しみだったわ。五年間でどれだけ成長したのかしら? 家に篭って遊ぶことの多い子だったけど変わったのかしら、それとも変わってないのかしら? なんて勝手に妄想を膨らませたりしてね。私は楽しみで仕方なかった」

「………………」

 エンリは真っ直ぐに彼女の顔を見た。

 見ていることしか出来なかった。

 

「楽しみで……仕方なかったのにね」

 泣き崩れるでもなく、ただ静かに一筋の涙が伝わせる救世主の少女の顔を。

 

「どうやら事件の影響で妹は少しずつおかしくなったみたい。生来、内向的な性格で私以外とはロクに話しも出来ない子だったから、私がいなくなって歯止めが利かなくなってしまったのね。部屋に閉じこもり、外に出ることはなくなったそうよ。そして――私のした事は無駄になった」

 フッと自嘲気味な笑みを浮かべて、淡々と事実を述べていく。

 そこには強者の姿などなく、まるで今にも消えてしまいそうな弱々しい少女がいた。

 

「ミカ様。その――」

「――エンリ。貴方、何か勘違いしてるでしょ?」

 エンリが慰めようとしたのを察したのか、それを遮るようにして冷笑を浮かべる。

 そこにいるのはエンリを助け、王国戦士長が頼りにするような力を持つ少女だ。

 ただの村娘に心配されるような少女の姿は何処にもない。

 

 本当の彼女が遠くなった気がする。

 

 それはまるでそういう笑顔の仮面を装備しているようだ。

 妹を慕う優しい姉の姿はそこから窺い知ることは出来ない。

 

「ここで終わったなら、私も悲劇のヒロインを気取れたのかもしれない。だけど、このお話はもうちょっと続くの」

 幽鬼のようなおどろおどろしい声で、話しの続きを再開する。

「その話を聞いたときに、私は思ってしまったのよ。『ああ、そんな事になるのなら助けるんじゃなかった。私はなんて無駄なことをしてしまったんだろう』ってね」

「………………」

 その気持ちはエンリにも分かる。

 分かってしまった。

 エンリも騎士に追われた時、ネムを見捨てようかと考えた。

 

 目の前にいる救世主は……そんな見捨てようとする自らの心の声を肯定してしまった。

 その声は正しく、自らが間違っていたと認めてしまったんだと。

 

「ざまあないわ。私は絶望する余りに、自らの尊い行いにすら唾を吐き、積み上げてきた姉妹の絆を冒涜した」

 

 それは長年をかけて描き続けた絵の最後の一筆を失敗したが故に、自棄になって黒く塗りつぶしたようなもの。

 最後がどれほど受け入れられない色で塗られた絵だとしても、その他の部分には綺麗な物も尊い物も残っていただろうに。

 その結末が悪いものであったから、その過程すら悪いものだと絶望で全てを塗りつぶしてしまった。

 

「理解した? これが貴方を助ける理由よ。貴方の為じゃなく、私の為に――どうか、幸せになって頂戴」

 己が犯した過ちを、せめて繰り替えさせないように。

 命をかけてもいいと思うほど大切だった物を、自らの手で無意味な物だったと踏みにじってしまわないように。

 そんな悲しい願いだった。

 

「……はい。はい!」

 エンリは大きく三つ編みを揺らして頷いた。

 溢れてくる涙が止まらず、顔はグシャグシャになっている。

 

(……この人はもう一人の私だ)

 

 もしかしたらエンリにも訪れていたかもしれない暗い未来に住む人だ。

 ただの村娘である自分より弱く、哀れで――優しい人だった。

 彼女だって分かっているだろうに、目を瞑り、耳を塞いでしまっている。

 

 妹は姉を心底、愛していたのだろう。

 身代わりとなった姉を思い、心を病んでしまうほどに。

 姉を身代わりに助かったことは、妹にとって色々と思う所はあったのだろうと思う。

 

 だが、それでも。

 どれだけ生きることが辛かったとしても、それが望まぬ救いだったとしても、本気で自分を案じてくれた人の願いを無視し、救われた命を散らすような選択をエンリは許容出来なかった。

 

「また泣かせてしまったわね。ごめんなさい」

 みかかが尼僧服のポケットからハンカチを取り出してエンリの涙を拭う。

 そんなみかかの手を取って、エンリは問いかける。

「どうしてですか?」

「……何が?」

「ミカ様は間違ってないじゃないですか――悪いのは妹さん、だと思います」

 エンリは恩人が不快に思うことを覚悟の上で聞いた。

 だが、それでもかまわなかった。

 このままでは目の前にいる人があまりにも報われない。

 

「……それは違うわ」

「違いません」

 みかかがぼそりと呟き、エンリは大きく首を横に振る。

「エンリ。こういう問答はね、どちらが正しいとか、間違ってるとかそういう物ではないの」

「……えっ?」

 ぽかんとしたエンリの隙をついて、みかかはハンカチで彼女の顔を拭いてやる。

「ま、待って下さい!」

 彼女は無理矢理に話を終わらせようとしている。

 それは駄目だ。

 彼女が自分を責めるのは間違ってる。

 

「そんな事はありません! だって……」

「エンリ。救われた命をどう扱うのかを決めるのは当人の問題でしょう?」

「だとしても、こんな――それじゃ、ミカ様は報われないじゃないですか!?」

「そうよ」

 みかかは頷き、続けた。

 

「そう思ったから、そう思ってしまったから、私は無駄なことをしてしまったなんて、愚かな後悔をしたの」

 

「………………」

 

「今なら分かる。私はね。見返りが欲しくてあの子を助けたんじゃない。あの子はあそこで死なず、その後、確かに生きていた――それだけで、今の私には十分」

 

 世界は残酷だ。

 この世は決して等価交換で成り立っているわけではない。

 何かを失えば、それに見合う対価を得られるとは限らない。

 何もかも失っても、何一つ得られないこともある。 

 

「どちらも正しいし、どちらも間違ってる。そんな事が世の中には沢山あるの。自分の意見こそ正しいと通したがるようじゃ、まだまだ子供よ?」

「………………」

 そう言った彼女はまるで自分の母親のように大らかな声をしていた。

「でも、ありがとう。貴方は私の為に怒ってくれたのね」

 そして小さな娘の世話をするように涙を流すエンリの顔をハンカチで優しく拭いてくれる。

「私には、ミカ様の言われていることが分かりません」

「そうやって拗ねるところが特に子供ね。まぁ……私の胸も随分とお気に入りだったようだし、仕方ないかしら?」

「っ?!」

 ハンカチ越しのエンリの顔が一瞬で真っ赤に茹で上がった。

「あんなに泣きながらもグリグリと私の胸に顔を押し付けくるから困ってしまったわ」

「あ、あれ、あれは?!」

 頬に感じた柔らかい感触に甘えて、エンリは求めるように顔を押し付けた自分を思い出した。

「は、話を無理矢理に逸らさないで下さい!?」

「それはお互い様だと思うのだけど……了承するわ」

 エンリの顔を拭き終えて、ハンカチをポケットに直しながら頷く。

 

「勘違いしないで欲しいのだけど、私が悔いてるのは感情に損得を持ち出したことについてよ? あの子には何の恨みもないわ」

「………………」

 それが納得いかない。

 しかし、ここで反論するとさっきの話しを蒸し返されそうなので、エンリは決して納得なんてしてないというムスッとした顔を浮かべておく。

 命の恩人に対して申し訳ないが、正直その妹さんは全然好きになれない。

 妹だからって少し甘やかしすぎじゃないかと、どうしても腹が立ってしまう。

 

「ミカ様の仰りたいことは良くわかりました」

「全然理解してないって顔をしてるのだけど?」

 小さな子の我侭にほとほと困っている母親のような顔だ。

 エンリとて、こんな人物を困らせるのは本意じゃないが、これは理屈ではなく感情だ。

 自分ではどうすることも出来ない。

「申し出はありがたくお受けします。私と妹は弱く、貧しい村娘です。ですから、支えて下さいますか?」

 だが、彼女の願いは聞き届けよう。

「……ええ。約束するわ」

「ありがとうございます」

 

 エンリは思う。

 今は、この人に頼るばかりだけど――いつか、きっと彼女を助けることが出来るようになろう。

 そして、生きているからこそ掴める何かを手にして、絶対に幸せになってみせる。

 それはエンリがどうしても認めることの出来ない誰かには出来ない行為だ。

 

「……少し、眠くなってきました」

 安心したせいか、それとも泣き疲れた反動か、エンリの意識に靄がかかりはじめる。

「そう? なら、部屋に戻るといいわ」

「………………」

 エンリはわずかに顔が紅潮していくのを意識しながら、みかかに問いかけた。

「ここで眠っても、かまいませんか?」

 どうにも、この人に対する甘え癖がついてしまったようだ。

「……好きになさい」

「はい!」

 エンリはそのまま眠気に誘われるまま横になる。

 そして、いつの間にかエンリは眠りに落ちていた。

 

 




ニグレド「……という事になってたわよ? 私の可愛いほうの妹」
アルベド「か、か、かとう、かとうせいぶつがぁあ!」
 ――という場面が本編の裏であったとか、なかったとか。

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