Overlord of Overdose ~黒の聖者・白の奴隷~   作:Me No

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甘く蕩ける優しさを

「ごりごりごりごりごーーりごーーり」

 カルネ村にあるエモット家邸宅の陰でネムは薬草を摺っていた。

 薬草はその種類によって乾かしたり、潰したり、そのままにしたりと保存する方法が異なる。

 まだ十歳と幼く労働力としては期待出来ないネムは薬草をペーストして壷に入れる作業を任されていた。

 丁寧さと素早さを両立させながら、一生懸命作業に没頭する。

 いつになるかは分からないが、近く集めた薬草を売りに行くことになっているからだ。

 少しでも姉の力になりたい、褒められたいという思いのせいか、詰まらない単純作業でも妥協を許さない。

 石臼を回すネムの瞳は真剣そのものだ。

 

「ネム? こんな所で何をしてるの?」

「!?」

 石臼を回していた手がピタリと止まり、弾かれたように顔を上げる。

「ミカ様だ!」

 ネムは立ち上がって、タッタッタと走り寄る。

「ん? あっ、こら」

 ネムの手についている薬草の汁に気付いたのか、いつぞやの時のように抱きつこうとしたネムの首根っこを掴んで持ち上げる。

 捕まった猫のような状態でネムは嬉しさを滲ませてはにかんだ。

「いらっしゃい、ミカ様。今日は可愛い格好だね」

 ネムが以前に見たときは尼僧服だったが、今の格好は異なる。

 竜王鱗で出来た蒼の胴鎧に短めのマント――そして、漆黒の短いスカートから真っ白い太股が僅かに覗いている。

 僅かと言うのは黒のストッキングで足の大部分が隠されているためだ。

 

 ナザリックに所属する者であれば、誰でも気付くだろう。

 

 みかかが着ている衣装はマーレの衣装の色違い――格闘ゲームで言う2Pカラーと呼ばれるものだ。

 みかかはナザリックに所属する人型の女性NPCが着ている服の色違いの物を所有していた。

 

「いらっしゃったわ、ネム。抱きつきたいなら、手を洗ってからにしてくれる?」

「分かった! じゃあ、降ろして」

「はい」

 ネムの足が大地に着き、首根っこを掴んでいた冷たい手も離れた。

 ネムは自分を救ってくれた人の顔を見上げた。

「……どうかしたの?」

 自分の視線に気付いたのだろう――真っ直ぐに見つめ返し、しばらくすると優しい笑顔を浮かべてくれる。

「ううん。なんでもない」

 

 この瞬間がネムは好きだった。

 まるで射抜くような吊り上った鋭い視線が徐々に緩んで、優しいものに変わっていく。

 ただ微笑んだだけなのに、格好いい人から可愛い人に変貌する。

 おうこくせんしちょーという何だか怖い人に睨まれても物怖じしない強い人と、まるで姉のように、或いは母のように優しく自分を見守ってくれる素敵な人。

 相反する二つを併せ持ったこの人はネムが将来こうなりたいと思う理想の人でもあった。

 

「ネム。これは何?」

 ネムから視線を外すときゅっと視線が鋭くなる。

 その視線の先にはペーストした薬草を詰めた壷があった。

「薬草だよ?」

「……ふうん」

 そのまま壷の前にかがんで壷の中に手を入れて指でペースト状になった薬草を少し掬い上げる。

「あっ?!」

 そして、ネムが止める間もなく救った薬草を口に入れた。

 

「………………まずいわね」

 

「ミカ様。それ、食べ物じゃないよ!?」

「それに苦いし、口の中がピリピリする。これはHPを回復するものみたいね」

 みかかは薬や毒に関するものであれば口に含むことでその効果を判別出来る。

 別に口に含まなくても鑑定は可能だが、それをするには一度ナザリックの自室にある機材を使う必要があった。

 

「こっちは何かしら?」

 天日に干していた薬草を一枚手に取る。

 次に何をし出すか予想出来たネムはおおいに慌てた。

「ミカ様! 駄目ーー」

 ネムはみかかの手から薬草を取ろうとするが、まるで水に浮かぶ葉を掴もうとするようにスルリと逃げられる。

「それも食べられないから!!」

 ネムの言葉を無視して、パサパサになった葉を口にいれる。

「……辛い。ちょっとペパーミントっぽいかも。でも、食感がイマイチね。どれどれ、こっちは……」

「もーー! 食べ物じゃないって言ってるでしょ!!」

 ネムは捕まえようとするが、サッと避けられる。

「なんで捕まんないの?!」

 みかかは自分を見ていない――まるで後ろに目があるように、背中を向けたままでネムの突進を避けてくる。

 

「言ったじゃない? 抱きつきたいなら、手を洗ってからにしてくれる?」

「言ったでしょ!? それは食べ物じゃないの! お腹を壊しちゃうよ!」

 乾燥した葉を一枚手に持ち、マタドールのように華麗にネムの突進を避け続ける。

 

「……大丈夫よ。そういう成分は含まれてないもの」

 そういって手に持った葉を一齧りする。

「あっーー!?」

「甘っ!? まるで、砂糖だわ。これは裂傷用のものみたいね。傷口に砂糖を塗っていいのかしら?」

「………………」

 ネムはみかかの手にある齧られた葉を見つめる。

「ね、ねえ。ミカ様」

「何?」

「その葉っぱ、甘いの!?」

 ネムは瞳を輝かせて葉っぱを指差した。

 

「これ?」

 みかかは手に持った葉っぱを右へ左へ振りながら聞く。

「それ!」

 ネムは右へ左へ視線を泳がせながら頷いた。

 

「………………苦いわよ?」

 フッと冷笑を浮かべて、ネムの希望を粉砕した。

 

「……甘い葉っぱなんてあるわけがないじゃない。ネムったら、お子ちゃまね?」

「………………」

 クスクスと笑うみかかにワナワナとネムは震える。

「いい、ネム? 知らないなら教えてあげるわ。これは薬草と言って食べ物ではないのよ?」

「もーー怒った!!」

 したり顔で語るみかかを見て、ネムは声を張り上げた。

「嘘をついたりしちゃいけないんだから! ミカ様なんて、お尻ペンペンの刑だよ!!」

「嫌よ、そんなの。したければ捕まえてみることね?」

 そして二人は追いかけっこを始めた。

 

 

「………………」

 そんな二人の様子を場違いな場面に遭遇したかのように呆然と見つめている者がいた。

 黄金の輝きを放つ長い髪、その先端は丁寧に縦ロールされている。

 体型を隠す尼僧服の上からでも豊満な胸を持つのが見て取れた。

 戦闘メイド『プレアデス』の一人、ソリュシャン・イプシロンだ。

 彼らの造物主にして神の如き存在であるみかかが、その身を危険に晒してまで救ったカルネ村。

 彼女は、そんなカルネ村の監視及び警護という大役を授かった身だ。

 

(流石はみかか様。取るに足らない人間風情を相手にまるで姉妹のような反応を示す。完璧な擬態です)

 

 自らが仕える主人に改めて深い敬意を抱くと共に、自らも見習わねばと強く思う。

 

 みかか・りにとか・はらすもちか。

 ソリュシャンでは遠く及ばないほどの高みに立つ暗殺技能者であり、それ故に深く尊敬すべき人物である。

 今回の任務に当たり、ソリュシャンはみかかの装備を借り受けている。

 主人と自分の能力には似通った所が多いからだ。

 造物主であり神に等しい御方の衣装を着て、装備を借り受けることを許された幸運。

 常に冷静沈着なソリュシャンも、これには思わず腰が引けてしまうほどの緊張感を感じていた。

 任務の重大さと、それを任されたことによる幸福感は、少しでも気を抜くと己の顔に笑みを浮かばせてしまう。

 

 一度、深呼吸。

 覚悟を決めるとソリュシャンは二人に近づく。

 まずは警護対象との心の距離を詰めることが重要だ。

 

「ズ、ズルイ……つ、捕まんない」

 肩で息をしながら、ネムは地面にへたれ込んだ。

 みかかとネムでは身体能力と保有する技能に差がありすぎる。

 どれだけ油断しようが、ネムでは一生かけてもみかかを捕らえることは出来ないだろう。

「ちなみに私の国では捕まらなければ謝らなくてもいいのよ?」

「そんなの、絶対、おかしいよ」

 息も絶え絶えに、ネムは反論した。

 

「いけませんよ、ミカ様」

 驚かせないように足音を立てて近づき、自然な感じで二人の会話に滑り込む。

「そういう子供の教育に悪い発言はお控え下さい」

 ソリュシャンは彼女には珍しい柔和な笑顔を浮かべて、みかかを嗜めた。

「お姉ちゃん。だ、誰?」

 急に現れた女性を前にして、ネムはみかかの腰にしがみついて後ろに隠れる。

「大丈夫よ、ネム。この人は私の知り合いだから」

「初めまして、ネム様。私はソリュシャと言います」

 この村の人間には友好的な態度で接すること。

 そして、その中でもエモット姉妹についてはみかかのお客様として対応することを命じられている。

 その為、ソリュシャンの声は自分の姉妹達に対応するときのように優しさに満ちていた。

「……こ、こんにちは」

 だが、人見知りする性格なのか、先程までのネムとは打って変わって消え入りそうな声だ。

 最大限の演技で優しい声を出してみたが効果は薄い。

 事前に言われていた通り、この村の住人の人間不信の芽は根深いようだ。

 

 しかし――ソリュシャンには目の前の人物から授けられたとっておきの秘策があった。

 

「私、実はネム様にお願いがあるんです」

「……お願い?」

「はい。ロックス、こっちに来なさい」

 ソリュシャンは頷くと、家の陰に隠れていた者を呼びつける。

「お呼びでございますかにゃ?」

「うわっ! 大きな猫さんだ!!」

 現れた妖精種、ケット・シーのロックスを見た瞬間、ネムの他所他所しい態度は消え去った。

「私のペットでロックスと申します。実はこの子には友達がいないんです。ロックスのお友達になってくれませんか?」

「なるなる!」

 ネムは走り寄って同じくらいの身長のロックスに抱きついた。

「すごーい! 猫さん。ふわふわだぁ」

「ふわふわですにゃ」

 ネムは好奇心の赴くままに頭や耳、背中に尻尾と触れていく。

「ネム、抱き心地がいいでしょ? これからはロックスと一緒に眠るといいわ」

「うん!」

 みかかの申し出をネムは喜んで受け入れる。

 

(よしよし。アニマルセラピーは有効なようね)

 

 これで少しはネムの心の傷も癒え、安眠に繋がることだろう。

 みかかとしても手に入れた課金ガチャのレアモンスターであるロックスを無駄にしなくて済むし、一石二鳥だ。

 

「それとネム様にお菓子も持って来たんですよ?」

「えっ?!」

 ソリュシャンは手に持った紙箱を掲げてみせた。

「うちの使用人が作った物ですの。今はネム様のお姉様と一緒に村長さんの家におりますわ」

 ソリュシャンの言う使用人とはフラジールのことで、彼は今、村長の家で挨拶と今後のカルネ村について相談している。

「エンリが戻ってくるまでネムの家でお菓子でも食べましょうか?」

「うん!」

 喜色満面のネムと安心した表情を浮かべたソリュシャンを見て、みかかも満足げに頷くのだった。

 

 

「ああっ!! ミカ様、またネムを甘やかして……」

「あら? 見つかってしまったわ」

 エモット家に戻ったエンリはみかかに詰め寄った。

「ネムもミカ様に食べさせてもらわないでも一人で食べれるでしょ?」

「だ、だってミカ様が自分で食べちゃ駄目、食べさせてあげるって……」

「……ミカ様?」

 エンリは顔を逸らしたみかかの正面に立つように回り込んで名前を呼ぶ。

 

「分かったわ」

 しばらくの沈黙の後、みかかは観念したように口を開く。

「分かって頂けたならいいんですけど……」

「エンリもあーんしなさい。食べさせてあげるから」

「そんな恥ずかしいことはしません! 私は子供じゃないですから!!」

 エンリの発言にみかかは分かってないとばかりに首を横に振った。

 

「意外に大人になっても恥ずかしげも無くやる人はいるものよ?」

「私は恥ずかしいから結構です」

「あらそう? じゃあ、エンリにはこのとろけるほど甘くて、ほっぺが落ちるほど美味しいお菓子はあげない」

「えっ?」

 みかかは笑う。

「このお菓子は私が用意した物よ? 欲しいと言うなら食べさせてあげるわ、私がね?」

 みかかの白魚のように細く長い指がクッキーを摘む。

 

「エンリは食べたい? 欲しいなら口を開けなさいな。私が食べさせてあげるわ」

「………………」

 エンリには意地悪く笑うみかかがまるで契約を強いる悪魔に見えた。

「……うっ」

 ここで食べるわけにはいかない。

 大事な妹の将来の為、これはエモット家の教育方針なのだ。

 

「いらないなら別にいいのよ? でも、こんなに甘くて美味しいお菓子は今度いつ食べられるか分からないわね」

「…………ううっ」

 それに姉の威厳がかかっているのだ。

「お姉ちゃん。このお菓子、すっごく甘くて美味しいんだよ?」

「………………うううっ」

 そんなに美味しいのだろうか?

 

「……い、頂きます」

 

 エンリはがっくりと肩を落とす。

 甘味の誘惑には勝てなかった。

 

「はい。どうぞ」

 

 エンリの口元にクッキーが運ばれ、紅潮する頬を意識しながらクッキーが口内に入った。

 柔らかいクッキーは噛み砕くまでもなくサラサラと口の中で溶けて、強烈な甘味が広がった。

 

「お、美味しい!!」

 

 思わず頬が緩んでしまうほどに甘くて美味しい。

 先程まで張っていた意地が地平線の彼方まで吹っ飛んでしまう程、どうでもいい物のように思えてしまう。

 

「じゃあ、この件は問題なかったということで。後は皆で仲良く分けるといいわ」

 澄ました顔で勝利宣言を述べるみかかを恨みがましげに見つめる。

「あら? 随分と納得のいかない表情ね?」

「私は、甘えるのは良くないと思ってますから」

「そう? 誰かに甘えられる、甘やかしてもらえるのは凄く素敵なことだと私は思うけど?」

 みかかはエンリとは正反対の意見を述べる。

 

「エンリは甘やかされるより厳しく接して欲しいの? それがお望みというならそうしてあげるわ。事細かに、それこそ重箱の隅をつつくように礼儀作法というものを徹底的に叩き込んであげるわよ?」

「………………うっ」

 優しい笑顔はそこにはない。

 そこにあるのは冷気すら感じさせるほどの鋭利で冷たい微笑みだ。

 エンリはその迫力に思わず気圧されてしまう。

 

「油断も出来ないような生き方をお望みなら叶えてあげるわ。さぁ、貴方の選択はどっちなのかしら?」

 優雅に微笑んで、人差し指と中指で摘んだクッキーをエンリに向けてくる。

「……う、ううっ」

 エンリは観念して再び口を開けた。

 白旗を揚げたエンリの反応に満足げに頷いてクッキーを口に運んでくれる。

「そうそう。素直なエンリはいいエンリよ。とっても可愛いわ」

 冷たい手がエンリの頭を愛でるように優しく撫でる。

 先程までの息を呑むような冷たさは何処にもなかった。

 

「………………」

 

 ズルイ。

 この人は……もう、何か色々とズルイ。

 クッキーの味を堪能しながら、エンリは思う。

 

「ソリュシャさんも何とか言って下さい」

「申し訳ありません、エンリ様」

 罰の悪そうな顔を浮かべてソリュシャンは頭を下げる。

「えっ?」

「残念ながら、この子も籠絡済みよ?」

 みかかは少しばかり妖しい笑みを浮かべてソリュシャンの口にビスケットを運ぶ。

「もうっ、ミカ様のやりたい放題じゃないですかぁ」

「ハッハッハ。お困りのようですな」

 カツカツと笑う老齢の声にエンリは振り返った。

「いやぁ、うら若き乙女達の花園は老齢にはちと応えますなぁ。なんせ居場所がない!」

「そう思うなら隅っこで大人しくしてなさいな」

 みかかはフラジールに向かって呟いた。

「エンリ様。こんな事もあろうかと昔の人は良いことを言っておられますぞ?」

「はい?」

「人が深遠を見る時、深遠もまた人を見ているのだ、とね」

 フラジールの猛禽類のように鋭い視線に光が灯った。

「……? …………?? ………………ああっ!?」

 エンリは合点がいったと頷いた。

「……ミカ様?」

 この恨み晴らさずにおくべきかと黒い情熱を燃やして、エンリはニッコリと笑みを浮かべる。

「な、なに?」

 エンリは紙箱からビスケットを一枚摘むとみかかの口元に持っていって、一言。

「はい、ミカ様。あーん、してください」

 それこそ母が幼子にするように、甘く優しい声で口を開けるように促した。

 

「………………」

 みかかはあらん限りの苦虫を潰したような嫌な顔を浮かべる。

 

「あら? ミカ様、ここで頂かないのは失礼にあたりますわ」

 ソリュシャンも微苦笑を漏らしながら主人がこの行為を受け入れるように促す。

 

「いらない。私はいいのよ」

「あーん」

「お腹も空いてないし」

「あーーん」

「大体、そんな恥ずかしいことするわけないじゃない」

「あ゛ーーーん゛!」

 

「ちょっと! 無理矢理、口に突っ込ませようとしないで!」

 

「だったら観念して食べればいいじゃないですか! 甘やかしてもらえるのは凄く素敵なことだって言ってましたよね!?」

 

「そんなの知らない。気のせいじゃない?」

「………………」

 明後日の方向を向いて拗ねるみかかの顔を見て、エンリの頬の筋肉がピクピクと引きつった。

「ソリュシャさん! 無理矢理にでも口に突っ込みますから手伝って下さい!!」

「さ、さすがにそれは……」

「むーりーでーす。ソリュシャはエンリの言う事なんか聞きませんー」

 みかかは小さな舌を覗かせて挑発してくる。

「だったら私一人でどうにかします!!」

「やれるものならやってみなさいな!!」

 家の中で暴れるエンリとみかかにネムは呆れた顔を浮かべた。

「二人とも、家の中で暴れちゃ駄目なんだよ?」

 

「暴れてるんじゃないの! これはエモット家の躾だから!!」

「こんな秘境の奥深くに存在する寒村の掟なんか知らないし!!」

「あーー!! 馬鹿にした! 今、このカルネ村を馬鹿にしましたね!!」

「シテナイ」

 取っ組み合った二人のせいで家の中に埃が舞う。

 

「もーー。お菓子やお茶の中に埃が入るでしょ!!」

 ネムの小さな声では二人の喧騒は収まらない。

「ネム様。少し宜しいですか?」

 そんなネムにソリュシャンは助け舟を出す。

「なに? ソリュシャさん」

「少しお願いがあるんです」

 ソリュシャンはネムに耳打ちする。

「そんなのでいいの?」

「はい」

「……ふうん」

 ネムは紙箱からビスケットを一枚取って、みかかの元に行く。

「ミカ様?」

「ネム。どうかした? もう少しでエンリを組み伏せられるから後にしてくれない?」

 その声を無視してみかかの背中をポンポンと叩く。

「いいから、こっち見て。ミカ様」

「もう、何?」

 

「あーん、して?」

 

「………………」

 ぴしりっ、と音を立ててみかかは彫像のように固まった。

「ネム。私は……」

「あーん」 

 みかかの色素の薄い唇がほんの僅かだけ開く。

 ネムはそこにビスケットを持っていく。

「美味しい?」

「……まぁね」

 皆の視線を避けるように背中を向けて、みかかは返事を返した。

 

「はっはっは。これが俗に言うツンデレというものですな……」

 

「黙りなさい。フラ爺」

「もしくは、これこそがかの有名な、キマシタワー」

「ぶっ飛ばすわよ?」

 一体、何処からその知識を手に入れてきたのだ。

 シコクといい、フラジールといい、他のナザリックの面々と比較すると微妙に性格に難があって困る。

 

「これは手厳しい。さて、ミカ様も往生際が悪くも負けを認められたところで話を変えると致しましょう」

 フラジールの瞳と言葉に鋭さが増した。

 エンリは未だ納得いってない所があるが、如何にも気難しそうな老人の真剣味溢れる顔を前に食い下がることは出来ない。

「ミカ様がお帰りになられたということは薬草採取は無事に終わったということですかな?」

「ええ。ここにあるわ」

 みかかは無限の背負い袋を一つ取り出した。

「重畳。では、ミカ様とエンリ様は城砦都市エ・ランテルに、その間は私とソリュシャにて村の警護を行うという方針に変わりはなく?」

「当然ね。エンリ、外に出る準備をしてくれるかしら?」

「私のほうは準備は出来てます」

 いつでも行ける様に荷台に出来上がった薬草の瓶は順次積み込んでいるし、着替えなどの必要な荷物も準備済みだ。

「へえ、手際が良いのね。じゃあ、早速向かいましょうか?」

 

「それはあかん」

 

 声と共に窓から一匹の黒猫が入り込んでくる。

 若干声が聞き取りづらいのは人間以外の生き物が人間の言葉を喋ってるせいか。

 

「ただいま戻った」

「えっ?!」

「小さな猫さんが喋ってる! ロックスのお友達?」

「そ、それはにゃんといいますか……」

 ロックスは説明していいものか悩み、言葉を濁す。

 

(……憑代を見つけてきたか)

 

 霊体であるシコクは生物に憑依し、それを操ることが出来る。

 みかかは黒猫の姿に見覚えがあった。

 忘却領域に存在する火車と呼ばれる炎を操る猫型の魔獣を憑代にしたのだろう。

 

「友達ではなか。うちの名前は……シャーデンフロイデとでも名乗っとこか。それの主人みたいなものじゃけん」

「小さな猫さんはロックスのご主人様なんだ」

「さもありなん」

「さも? あり?」

 首を傾げるネム。

「たしかにそうだろう、とかいう意味じゃよ」

「そうなんだ。小さな猫さんは偉いね。触っていい?」

「あかん。でっかい猫で我慢するが吉」

 妹と猫のやり取りを見ながら、エンリはみかかに尋ねた。

「ミカ様。その、猫が喋ってますけど……」

「何を今更。そこにいるロックスだって喋ってるでしょ?」

「そ、それはそうなんですけど……」

 エンリに言わせればロックスは確かに見た目は猫だが、二足歩行で歩き、貴族のような格好をしている為、人間と変わらないように見えるのだ。

 だが、普通の猫となると少し勝手は違ってくる。

「そんなに怖がることはなかよ。うちはミカ様の従者じゃけん」

「そ、そうなんですね」

 その言葉で大分冷静さを取り戻す。

 何故か分からないが、エンリはこの黒猫が少し苦手だ。

 

(うーーん。ネムと違って、私はあまり人見知りする方じゃないんだけど)

 

 どうも相容れない何かを感じてしまう。

 エンリには珍しい感覚だった。

 

「ちなみに、どうして止めるの?」

「ミカ様はこれからでっかい街に向かうんじゃろ?」

「そうよ?」

「そないな格好で行ったらあかんよ? きっと後悔するじゃろうから」

 全員の視線がみかかに集中する。

「駄目かしら?」

「全然あかんね。零点じゃね」

「……そこまで?」

 しかし、みかかには何処が駄目なのか分からない。

 シコクは猫の姿で駆け寄ると、ぴょんと飛び跳ねてみかかの肩に着地する。

 

「ちと、お耳を拝借……」

 

「……?」

 みかかはシコクの耳打ちに疑問符を浮かべた。

「ミカ様なら出来るじゃろ? 探索役には必須の技能じゃけん」

「勿論出来るけど……」

「なら、やるべき」

「……分かったわ」

 釈然としないものを感じるが、シコクの言う事を聞いておけば問題ないだろうという安心感がある。

「ソリュシャ。ミカ様の着替えを手伝うのと周囲の警戒よろしう」

「了解致しました。エンリ様、奥の部屋をお借りしても?」

「は、はい! どうぞ」

 二人は連れ立って奥へと消える。

 

(まさか喋る猫だったなんて……)

 

 改めて、不思議な人だとエンリは思う。

 朝方、畑の手入れをしていたエンリの元にみかか達一行はやってきた。

 数日振りに訪れた村の救世主は胸に抱いた黒猫をエンリに預けて一言。

 

「村で起こったこと一部始終をこの子に教えてあげて」

 

 エンリがどういう事かを聞き返す前に「森に薬草を採りに行ってくる」と去っていった。

 そして現在に至っている。

 

「えい!」

「甘いですにゃ」

 ネムは新たに出来た猫型の友人と戯れている。

 ふわふわの尻尾を掴もうと手を伸ばしてるのだが、ロックスが尻尾を右に左に振って器用に避けているのだ。

 そのやり取りを微笑ましげに見守り、自分も参加させてもらおうと思った所で黒猫に声をかけられた。

 

「エリリン。ちょっとお時間貰ってもいいじゃろか?」

「ど、どうぞ」

 エンリは何故か緊張し、姿勢を正す。

「城砦都市エ・ランテルにいるお友達のことを知りたいんじゃが宜しい?」

「ンフィーレアのことですか?」

 黒猫が頷く。

「かまいませんよ? ええっと、名前はンフィーレア・バレアレと言いまして……」

「ああ、話す必要はなか。その子のことを考えとったらええ」

 黒猫はエンリの肩に乗ると《記憶操作/コントロール・ アムネジア》と呟く。

 

「……なんじゃと?」

 

「どうかしましたか?」

「ンフィーレアって、男じゃったんか?」

「えっ? そうですけど……凄いですね。どうして分かったんですか?」

 エンリは肩に乗った黒猫を見る。

 エンリの声が聞こえてないのか黒猫は視線を右に逸らして沈黙している。

 

(ミカ様が黙って考える時と同じ仕草……猫も飼い主に似るんだ)

 

 エンリはその事に感心した。

 唯一違うのはみかかは視線を左に逸らす所か。

 

「下手を打った。軌道修正せんとあかんね。だとしたら……」

 エンリの肩から降りながら、小声で何かを呟いている。

 どうかしたのかと聞こうとしたエンリは猫がため息を吐くという珍しい光景を目の当たりにした。

 

「仕方なし、優勝劣敗は勝負の常じゃ――それに運命はもう変わらんけん」

 

「うんめい?」

 エンリは首を傾げた。

「さて、エリリン。これから街に向かうにあたって、御主に幾つか御忠告したいことがあるんよ」

「忠告、ですか?」

「そうじゃよ? 外は危険が一杯じゃからね」

 一声鳴くとエンリの前に宝の山が現れる。

「あ、あの……これは?」

「おんしに必要になるアイテム群じゃよ。遠慮なく貰っておくが吉」

 その言葉にエンリは絶句する。

 目の前にある宝の山を貰うなど、とんでもない話だったからだ。

「あ、あの――」

「――うちの忠告は素直に聞いておいたほうがええよ?」

 エンリの動揺を黒猫は鼻で笑った。

 

「おんしが関わってしもうたのはそういう類のものじゃ。良くも悪くも運命を捻じ曲げ、道理を黙らせる」

「………………」

「ただの村娘にしては状況判断は的確、肝も据わっとるようじゃね」

 成程、主人が気に入るわけだとシコクは納得した。

 

 ならば、手塩にかけて育てる必要はあるだろう。

 

「それじゃ、ミカ様の支度が済むまでに、うちらも支度を済ませよか」

「そ、そうですね」

 緊張するエンリを前にシコクは己が所有する宝物の説明を始める。

 

 それは忘却領域に捨てられた廃棄物。

 アインズ・ウール・ゴウンのギルドメンバーが使い道がなく、売るにも適さないので放棄したガラクタだ。

 ユグドラシルであれば大したことのないアイテムだが、ここでは強大な力となる。

 

 エンリは己に渡された宝物が、どれほど凄まじい宝であるのかを今はまだ知らない。

 




シコク「それは《シューティングスター/流れ星の指輪》と言って願いを一つ叶えることが出来る指輪じゃよ」
エンリ「指輪よ。I WISH (私は願う)! 大人しく口を開けてクッキーを食べなさい!!」
みかか「何に使ってるの!?」
 
 少しばかり忙しくなってきた為、更新間隔が開きます。

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