Overlord of Overdose ~黒の聖者・白の奴隷~   作:Me No

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交錯する運命

(……釣れなかったか)

 

 朝日を眺めながら、みかかは大きくため息を吐いた。

 まるで彫像のように微動だにせず、一夜を過ごしたのだから仕方ないだろう。

 

 カルネ村の一件でみかかは自身の力の優位性について理解していた。

 だが、楽観視はしていなかった。

 発覚しないように気をつけたが、仮にもつい先日、国同士の喧嘩に巻き込まれた身である。

 いくら強者の自覚があっても、油断していい状態ではない。

 実際、スレイン法国からカルネ村に報復や接触、偵察等の何らかのアプローチがあると警戒していたのだが、どうやら杞憂だったらしい。

 

 今現在のみかかはシコクの支援魔法による強化が施されている。

 この状態のみかかの索敵能力を完全に欺ける者など皆無だろう。

 戦闘能力すら放棄した隠密特化ビルドなら欺けるだろうが、こちらも情報収集に特化したニグレドによる遠隔監視という二重対策を行っている。

 みかかとシコクのツーマンセルだと油断して襲撃すれば、即座にナザリック地下大墳墓選りすぐりの精鋭部隊による歓迎を受ける手筈になっていた。

 だが、結果はただ神経をすり減らしただけの静かな夜だった。

 

 探索役のみかかにとって最も恐ろしいのは情報系の世界級アイテムによる監視だが、現時点のみかかにはその心配もなかった。

 

 世界級アイテム『ヒュギエイアの杯』

 ヒュギエイアとは、ギリシア神話に登場する女神で、健康の維持や衛生を司る。

 一般的に「ヒュギエイアの杯」と言えば薬学のシンボルに用いられることが多い。

 そしてこのアイテムはギルド内で自分ほど用いるのに適した者はいないと断言出来る。

 

 このアイテムの能力は非常にシンプルで薬と毒の精製及び強化だ。

 一日一回、素材を必要とすることなく薬か毒を精製することが出来る上に、その効果は通常の物と比べると著しく強化される。

 相手が世界級アイテムを所持していない場合、毒無効のアイテム・能力を持っていてもそれを突破することが可能だ。

 デメリットは精製した薬や毒が効果を発揮するのは、あくまで杯を持つ者が使用した時だけということだろう。

 

 薬学のシンボルであるヒュギエイアの杯で何故毒を精製できるのかと疑問に持つ者もいるかもしれないが、元々薬と毒とは表裏一体の関係にある。

 分かりやすいもので挙げれば投与する量の差だろう。

 人体に有効な働きをする物を薬、有害な働きをする物を毒と呼んでいるだけだ。

 

 専門的な話をすれば毒薬と毒物は明確に異なるのだが、ユグドラシルではそこまでの区別はつけていなかったようで、このアイテムを用いることで毒物の精製も可能となっている。

 

 最後に世界級アイテム全てに共通する能力の一つに、所有者は他の世界級アイテムの影響を受けないというものがある。

 これにより物によっては反則級の能力を持つ世界級アイテム所有者にも対抗することが可能だ。

 

「……う~~ん」

 みかかがヒュギエイアの杯で作ったのはエナジードリンクだ。

 ユグドラシルでは一番安価で製作される自己強化アイテムで効果は身体系能力全般の一時的な強化である。

 本来、アンデッドは飲食によるパフ・デバフが発生しないが、世界級アイテムで作成したこのアイテムなら話は別だ。

 だが、みかかはどうにも使う気にはなれなかった。

 

 薬も過ぎれば毒となる言葉がある。

 著しく効果が強化された薬を用いるとどうなるか?

 アレルギー、副作用、投薬量などを調べずに使うのは危険すぎる。

 

(試してない特殊技術も多いし、モルモットがいるな。どこかに後顧の憂いなく実験の限りを尽くせるような対象はいないものか)

 

 傍から見れば朝日の訪れを一人静かに見守る少女の絵だ。

 だが、その少女がとんでもなく物騒な想像をしてるとは夢にも思わない事だろう。

 

「……そろそろ準備も出来たみたいね」

 

 みかかの聴覚がログハウス内で慌しく動く音を拾い上る。

 察するに朝の身支度も終えて出発の準備に取りかかっている所なのだろう。

 ゆっくりと立ち上がると、身体を伸ばす。

 

(現時点では城砦都市エ・ランテルにプレイヤーは確認されてない。少し慎重過ぎたかな?)

 

 警戒を怠るつもりはないが、それでも必要以上に気を張る必要はなさそうだ。

 ならば、自分も少しはこの旅を満喫することにしよう。

 

「おはようございます。ミカ様」

「……待たせたのう」

 

「な゛っ?!」

 

 ログハウスから出てきたエンリを見て、みかかは思わず絶句した。

 

 

「……そろそろ頃合か」

「そうっすね~~」

「………………」

 まだ訪れて間もないと言うのに早くも城砦都市エ・ランテルの名物になりつつあるモモンガ率いる冒険者三人組。

 彼らがいるのは城塞都市のメインストリートである大通りを見渡せるカフェだ。

 もうすぐこの大通りをギルドメンバーであるみかかが通ることになっている。

 もし、みかか達を尾行するなどの不審な行動を取る者がいたら監視及び情報収集を行った後、場合によっては始末するという手筈になっている。

 

(みかかさんが気付かない尾行を俺達で気付けるのかは疑問だがな)

 

 モモンガは自らが立てた計画に思わず苦笑してしまう。

 実際、互いの無事を確認する定時連絡の時に話の流れで決まった軽い物だ。

 

 基本的にモモンガは昼間は冒険者として仕事をし、特に用がなければ夜はナザリックに戻って執務を行う日々だ。

 多少は慣れてきたとはいえ、やはり支配者の演技は疲れるものだ。

 更に最近になって発覚した新たな問題にも頭を悩ませていた。

 

 それはアルベドとシャルティアの扱いについてだ。

 

 みかかが不在の為、分散していた熱烈なアプローチがモモンガに集中したのだ。

 たっち・みーとウルベルトと比較するのは違う気がするが、とにかく二人は争うことが多い。

 まだ大した日数も経っていないのに、既に何度か叱りつけるくらいにエスカレートする場面があった。

 

(みかかさんはアルベドを警戒してたな。確かに、設定がよりもよってビッチ……だもんな)

 

 今は自分達に御執心のようだが、二人に袖にされ続けたアルベドが自分達に飽きてしまい、在り得ないと思うがセバス、デミウルゴスの両名と関係を持ったりでもしたら……。

 

(ゾッとするな。控えめにいってもナザリックの危機だぞ)

 

 打ち解けていないチーム内に異性がいるとそれだけでチームが崩壊する危険性がある。

 

 まだ出来上がったばかりのナザリック地下大墳墓という巨大サークル。

 そこに守護者統括という地位を持った淫魔を投入。

 まだ同格の階層守護者であれば力で対抗することも出来るだろうが、領域守護者などの力や地位の劣るNPCだった場合、どうなるか?

 それこそ力尽くで――いや、ナザリックでも頂点を争う彼女の英知があれば、合法的に一大ハーレム、もしくは修羅場を作ることさえ可能ではないか?

 自分で考えておいて何だが、想像すらしたくない案件だった。

 

(タブラさん。ギャップ萌えなのは知ってますけど、こっちは大変ですよ! 責任取って出てきてください!!)

 

 NPCのトップに内部分裂を招きかけないキャラを設定したのもギャップ萌えの一環なのだろうか?

 結成以来敗北の無いギルド、難攻不落のナザリック地下大墳墓が自らの手の者にかかって脆くも崩れ落ちる。

 如何にも彼の好きそうなギャップの利いたシチュエーションに見えた。

 

(NPC達が意思を持ったことでギルドの男女比が大きく変わってしまった。ただでも異常事態なのに、男女関係のゴタゴタとか冗談じゃないぞ)

 

 NPC同士の恋愛なら素直に祝福出来ると高をくくっていたが――これは予想以上に根の深い問題なのではないだろうか?

 

「モモンさん。なんか、通りの様子が妙っす」

「むっ、そ、そうか」

 ルプスレギナの言葉でモモンガは現実に引き戻された。

「確かに辺りが騒がしいな。何かあったのか?」

 この光景には見覚えがある。

 自分達が初めて大通りを通った時と同じだ。

 

(みかかさん、か? いや、みかかさんは探索役だ。彼女がこんなに目立つはずがない)

 

 暗殺技能に優れた者の隠匿は単に気付かれないというレベルでは収まらない。

 たとえ認識されたとしても、その認識を書き換えることすら可能なのだ。

 映画などで在りがちな光景だが、暗殺者が変装して潜入する際、周りの警備員が不審に思わないというシーンがよくある。

 常識的に考えればそんな事は在り得ない。

 たとえ服装が同じでも見も知らない他人が混じれば、普通はすぐに誰かが気付く筈だ。

 だが、上位の暗殺者となればそういう事が可能になる。

 対人戦ではまったく効果を発揮しない微妙系スキルだったが、NPCには効果の高かった技能だ。

 今の彼女を怪しむ――つまり、彼女の隠匿能力を上回る索敵能力を持つような人間は存在しないはず。

 

 通りの騒がしさが徐々に増してくる。

 そして、モモンガも騒がしさの原因を知った。

 

「……そうきたか」

 

 かつて自分達がそうだったように、大通りにいる者達は口々に噂していた。

 モモンガの視線が大通りの話題を掻っ攫った馬車に向けられる。

 遠慮の無い周囲の視線に晒されながら、立派なメイド服を着た少女が馬車の御者を務めていた。

 

「そんな、あの服はまさか……」

 みかかの同行人である人間が着たメイド服に心当たりがあったルプスレギナが馬車を睨む。

 

(ルプスレギナは気付いたか。あれは間違いなくホワイトプリムさんがみかかさん用にデザインした戦闘メイド服だな)

 

 黒を基調としたレース、フリル、リボン、に飾られた華美なメイド服に靴は編み上げのブーツ。

 プレアデスの服装は一人ずつデザインが異なるが、どの服装とも異なるゴシック・アンド・ロリータ風のメイド服だ。

 

(スカート部分にペロロンチーノさんのギルドサインがある。あれはみかかさん用戦闘メイド服初期型だな)

 

 デザインが気に入らないので没にした外装データをペロロンチーノが買い取ってから――色々あって封印されたものだ。

 その後、ぶくぶく茶釜が戦闘メイド服後期型を作成――それも色々あって封印され、最終的にホワイトプリムが作った戦闘メイド服完成形という流れに至っている。

 

(成程、よく考えている。この世界なら使い道のないネタ防具のアレでも十分。それに、あれならプレイヤーへの撒き餌くらいにはなるか)

 

 昨日の《伝言/メッセージ》では知らされていなかったので少し驚いたが、みかかが何故あの装備を人間の村娘に与えたのかを冷静に分析していた。

 

「それにしても――」

 

 なんだ、あの空気は。

 黒いフード付きのコートを羽織ったみかかが通りにある建物を指差して、メイドの顔を覗きこむ。

 メイドは指差された建物を見て、それが何であるかを説明しているようだった。

 二人は終始笑顔で、なぜか周囲が二人を祝福するように輝いているように見えた。

 友人、恋人、家族――その形は様々だが、たった一人では決して創れない精神的な空間障壁のようなものが張られているような感じがした。

 

「――少しばかり、不快だな」

 

 無意識にぽつりと口をついて出た言葉。

 その言葉にルプスレギナとパンドラズアクターの態度が変化する。

 だが、モモンガはそれに気付くことなく、大通りに視線と意識を奪われていた。

 

 何もかもが未知な世界で、初めて訪れた大きな街。

 隣にいるのが自分だったなら彼女は、もっと楽しんでくれた筈だ。

 周りの喧騒など気にならない程、自分達も輝いていた筈なのだ。

 

「………………」

 あれだけ待ち望んだ仲間が目の前にいるのに――その距離が、何故か遠く感じる。

 

 そんなモモンガの言葉に出せない心の葛藤が、即座に冷めたものに変わっていく。

 それがモモンガを苛立たせる。

 不快感からギリッと奥歯を噛み鳴らす音がした。

 

 この肉体に変化してからは強い感情が生じた場合、強制的に沈静化させられる。

 自分が本当の意味で喜怒哀楽を感じるのは一瞬――すぐに、そんな感情は抑制されてしまう。

 

(……俺の感情は、いつか完全に平坦なものに変わってしまうのだろうか?)

 

 鈴木悟が玉座の間で最後の時を向かえた時に言えなかった言葉。

 そこに込められた言葉では語りつくせない狂おしい程の感情。

 それを思い出す度、感情が平坦なものに変えられるのが不快で――何よりも怖かった。

 

 待ち望んだ仲間との冒険の日々――みかかと共に過ごしても、何も感じなくなる日が来るのではないか?

 

 今思えばそんな不安が、この場所に足を運ばせるような計画を打ち立てさせたのではないだろうか?

 様々な探知対策を講じているがギルドメンバーの二人が合流するのは最小限に留めた方がいい。

 それを理解していれば、こんな事に意味がないのは分かるはずだ。

 

 モモンガが己の無様な心に怒りを感じている内に馬車はカフェを過ぎ、そのまま通りを直進して消えて行く。

 

 一時の見世物が終われば、そこにあるのは日常だ。

 ある者は自分達がすべき事を、ある者は先程見たことで話題を膨らませている。

 モモンガは気分を一新するように勢いよく立ち上がる。

 

「……行くぞ。ここですべき事は終わった」

 無言で礼をする二人を連れて、モモンガもまた日常へと戻る。

 後ろを歩く二人が一度、馬車の方向を睨んだことに気付くことなく。

 

 

 モモンガ達と入れ代わる形で銀のプレートを下げた冒険者四人組がカフェに入ってきた。

 四人の衣装には汚れが目立つ――どうやら仕事を終えて街に戻ってきたばかりらしい。

 四人組は手早く注文を済ませると世間話を始めた。

 

「あれが噂の『漆黒の悪夢』か。見た? あの美人ちゃんのおっそろしい顔!」

 金髪で茶色の瞳の若者で大きな声で言った。

 全体的に痩せ気味で手足が長く、蜘蛛を思わせるような姿をしている。

 レンジャーのルクルット・ボルブ。

 

「うむ。あの空恐ろしいほどの殺気は見事としかいう他ない。どうやら、噂は真実だったようである!」

 口周りにボサボサとしたヒゲが生えており、がっしりとした体格で野蛮人のように見える男が重々しく頷いた。

 森祭司のダイン・ウッドワンダー。

 

「良かったじゃないか。下手に声をかけてたらどうなったか分からないぞ?」

 金髪碧眼の若者が茶化すようにルクルットに言った。

 王国では基本的な人種の特徴であり、それ以外に特徴らしい特徴はないが顔立ちは整っている。

 四人組のリーダーである剣士のペテル・モーク。

 

「そうですね。余程、腹に据えかねることがあったんでしょう。誰かを殺しかねない雰囲気でしたよ」

 四人組では最年少だろう。

 濃い茶色の髪と青い瞳が少年が同意した。

 肌は白く、顔立ちもチームでは一番美形で中性的な美しさがあり、声もやや甲高い。

 魔法詠唱者のニニャ。

 

 彼らは『漆黒の剣』と呼ばれる冒険者チームだ。

 もっかの悩みは彼らにとって後輩である『漆黒の悪夢』とチーム名が被ってること。

 噂は噂でしかないとはいえ、冒険者組合の一件を知っているだけに喧嘩を売られないかと心配していた銀級冒険者チームである。

 

「勿体無いけどあれは駄目だな。うーん。なあなあ! 一仕事終えたばかりだし、今日はオフだろ? 俺、この後あのメイドさんにアタックしてくるわ」

 ルクルットの発言に三人はあからさまに顔色を変えた。

 チームメンバーが冗談ではなく本気で言ってることが分かるからだ。

「馬鹿! お前、何言ってるんだ!?」

「何でよ? 大丈夫だって! あの子、城門の衛兵に言ってたじゃん。自分はカルネ村のエンリ・エモットですってさ! 村娘と冒険者なら順当な組み合わせじゃね?」

 ぺテルの言葉にルクルットは反論する。

「確かに言っていた。村長の書状を持っていたようだから村娘であるのは間違いないだろう」

 ダインは頷いた。

 村長の書状とは通行税免除の書状のことだ。

 都市を行き交うには通行税がいるが、領内を通行するのに税金を課すと物流が滞る。

 その為、通行税免除の書状を発行している領土は多い。

「やめておいた方がいいですよ。あの見事なメイド服を見たでしょう? 大方、隣にいた大貴族に見初められたんでしょうね。影が薄くて顔をよく覚えてませんけど……」

「あれ? ニニャにしては珍しく柔らかい物言いだねぇ?」

 ルクルットが不思議そうに尋ねた。

 ニニャはある事情から貴族に関しては厳しい意見を持っている。

「彼女の様子を見れば望んでメイドになったのが分かりますからね。でも、飽きたらゴミのように捨てられるという線はあるでしょう。人の良さそうな振りをして領民を食い物にする貴族も珍しくない」

 ニニャの口調と表情に真っ黒い感情が混じる。

 失敗したという表情を浮かべるルクルットを注意するようにぺテルが軽く睨んだ。

 

(またこいつは藪をつついてゴブリンを出すような真似を……)

 

 ルクルットは悪い人物ではないが、その軽口から問題を引き起こすことがあった。

 チームメイトである三人はニニャから溢れ出た暗い感情の根源を知っていた。

 非常に悪い噂しかない領主に姉を妾として連れ去られたのだ。

 それが原因で彼の貴族を見る瞳は厳しく、容易に信頼したりしない。

 リーダーとして、仲間として、そして友として、ニニャの心の暗部をどうにかしてやりたいとぺテルは常々思っている。

 

「……それはないんじゃないかな」

 リーダーのぺテルはニニャを複雑な思いで見つめながら、彼の意見を否定した。

「あそこまで高価な服を用意するくらいだ。そこいらの村娘に道楽で渡せるようなものじゃない」

「確かにな。まさか、マジックアイテムって線はないだろうから寸法測って作ったんだろうさ」

 ぺテルのフォローにルクルットが絶妙なタイミングで乗っかる。

 この辺りの連携は生死を共にした仲間だけあって完璧だ。

 

「……だと、いいんですけどね」

 ニニャはそれきり何かを考え込むように黙りこくる。

「「………………」」

 ぺテルとルクルットも馬鹿ではない。

 貴族の中には想像を絶する加虐趣味を持つ者だっている。

 村娘が騙されている可能性だってあるだろう。

 しかし、それは自分達には関係のない話だ。

 

 神官が憎ければ癒しの神さえ悪魔に見える、という言葉がある。

 普通の人なら許せるような行為でも貴族というだけで許せない――ニニャにはそんな危険な側面があった。

 下手をすると、ルクルットは違う方向性で先程の大貴族にちょっかいをかけるのではないかと気になりだしていた。

 

「ニニャ。まだ何か気になることがあるのかい?」

「ぺテルはおかしいと思いませんか? 大貴族にしては馬車がみすぼらしかったなって」

「それはニニャの気のせいであるな。あの馬車を引いてた馬はいい馬である!」

 今迄黙っていたダインが重々しい口調で否定する。

 こういった場合、彼が話の軌道修正、もしくは無理矢理終わらせる役目を担っていた。

「………………」

 ニニャはチームの頭脳担当だ。

 チームメイトがわざと話を逸らそうとしているのは理解している。

 それが分かっていながらニニャはさらに食いつく。

「荷車の部分は村によくある粗末なものだったでしょう? 帆もなかったじゃないですか」

 自分の姉のように悲惨な目に遭う者を見たくない。

 そんな事をするような人間以下のクズが許せないのだ。

 

「そうなの? 俺の目はいい女しか映さねえから分からなかったぜ!」

 そんなニニャの気持ちなどおかまいなしに、ルクルットがいい笑顔で親指を立てた。

「………………」

 真面目に考え込んでいたニニャも呆れたようだった。

 ぺテルはこの隙を見逃さない。

「そうか。なら、ここの払いはルクルットの驕りで決まりだな」

 これは流れを変える好機だ。

「まったくである! そんな節穴レンジャーでは我らも心許ないのである!」

「ちょ! それって酷くね? ほら、俺の目はアレかも知れねえけど耳は大したもんだぜ?!」

 三人のくだらない言い争いを見て、ニニャは毒気の抜かれたようにため息を吐いた。

 

「……まったく。とんだレンジャーを抱えたものです」

 

 ニニャもあれこれ考えるのはやめることにした。

 残念ながら、これは王国ではよくある話だ。

 自分がどれだけ心配しようが、彼女をどうこうする事は出来ない。

 そんな力も権力も自分は持っていないからだ。

 

 だが、自分が力を得たならば――伝説に謳われるような十三英雄と肩を並べられるほどの英雄になれたなら。

 

 この世界から、そんな悲劇を無くすために力の限りを尽くそうと心に決めていた。

 

「お待たせしました」

 皆の話が一段楽するのを待っていたかのようにウェイトレスが注文していた軽食を持ってくる。

「おっ、きたな」

「やはり街での食事はいいものである」

「保存食では味気ないですからね。頂きましょうか?」

 三人がテーブルに備え付けのフォークを手に取る。

「おい、ルクルット。どうした?」

 窓から外を眺めているルクルットが凍りついたように動かないことに気付いた。

 

「今、ちょっと危ない系のお姉ちゃんが通った! やっべぇよ! あれ、超やっべぇって!! フード付きのマント羽織ってたから体型は分からないけどいい女だね! 俺ちょっと声かけてくる!」

 

 ………………。

 

「お前は、いい加減にしろっ!!」

 ぺテルの拳骨がルクルットの頭に落ちるのだった。

「痛っ!? 頭が割れるように痛ぇ!! ダインちゃん。回復プリーズ!」

「生憎だが馬鹿を治す薬草は持ち合わせていないのである」

「ルクルットは放っておいて食事をしましょう。冷めちゃいます」

 このパーティではわりと見慣れた日常。

 この時には街の噂になったメイドの事もすっかり記憶の端に追いやられていた。

 

 ニニャがもう関わることはないだろうと思っていたメイドと接点を持つのは、意外にもこれよりわずか数日後のことである。

 

 

 カフェで話題になっているとは露知らず、フードを被った人影は大通りを外れ、人気の無い裏路地へと滑るように進んでいく。

 

「あのメイドちゃん――な~んか、怪しいなぁ」

 その声は底抜けに楽しそうなのだが、聞いていると無性に不安になってくる不思議な圧力があった。

「ふんふんふーん」

 鼻歌を歌いながら裏通りを歩いていく。

 フードから時折覗く女の顔立ちは整っており、年齢は二十歳前後だろう。

 猫科の動物じみた愛らしさがあるのだが、そこには即座に肉食獣としての素顔を見せ付けるような側面を秘めている。

 一言で表すなら危険な女――犯罪の多い裏路地を散歩するかのような気軽さで歩いている所が何よりの証明た。

 

 女の名前はクレマンティーヌ。

 スレイン法国が誇る六色聖典の中でも最強の漆黒聖典――第九席次を預かっていた人物だ。

 現在はスレイン法国を裏切り、国の至宝である叡者の額冠を強奪。

 六色聖典の一つである風花聖典から追われている身である。

 

(あの馬についてる鞍。スレイン法国の偽装用のやつじゃない? あれは陽光聖典のサインだったかな)

 

 一見自然についたようにしか見えない傷だが通しサインとなっており、関係者が見れば分かるようになっている。

 

 しかし、あの二人組には不可解な点が多い。

 まず、あのやたらと目立つメイド服は何だ?

 これは勘だが、あれは単なる高級な服ではなくマジックアイテムではないだろうか?

 スレイン法国が所有する至宝の中には明らかに実用向きではないのに破格の性能をもつマジックアイテムが存在する。

 かのケイ・セケ・コゥクのように見た目からは想像できない強力な性能を持っているのでは?

 

(まさか、ね。私の知らない至宝なんてあるわけないじゃん。それに、あのメイドちゃんは挙動が明らかに素人っぽい。だとしたら喰いつかせる為の囮かな?)

 

 魔法詠唱者や神官という線もあるが、聖典の隊員に選ばれるなら最低限の体術を心得ている筈だ。

 それがあの女から感じない――断言してもいいが、あれは完璧に素人だ。

 

(もう一人が本命だろうけど……ちょっと見た目だけじゃ強さが分からないな)

 

 胸の内から沸いて出る衝動に思わず舌舐めずりしてしまう。

 百戦錬磨の自分が見た目から強さを判断出来ないということは、少なくとも弄りがいのある雑魚だ。

 おまけのメイドも食後のデザートに最適。

 どうやら連れに惚れ込んでいるようだが、そいつの無残な死体を見せたら、あの幸せそうな顔はどういう風に歪むだろうか?

 二人の獲物がどんな悲鳴をあげてくれるのか――それを想像するだけで胸が高鳴ってくる。

 

 しかし、懸念事項もある。

 

(陽光聖典の奴がまぬけにも馬を奪われた線もあるけど、私を捕まえるのに風花だけじゃ手が足りないから協力を要請したって場合が最悪のパターンか)

 

 陽光聖典は亜人の集落の殲滅を主な任務とするため、基本的に大人数で行動する。

 陽光聖典の隊員を一人見かけたら三十人はいると思え、というのは有名な話だ。

 確かに隊員全員が英雄級の実力を持っている元漆黒聖典の自分を捕縛・殺戮する為なら投入されてもおかしくはない。

 もしそうなら、国も自分を狩るのに本気を出してきたという事だろう。

 その場合は楽しみはそこそこに切り上げて、この街から早急に脱出する必要がある。

 

(何にせよ、善は急げ。一刻も早くカジッちゃんに会って、協力を取り付けないとね)

 

 クレマンティーヌの顔に笑みが浮かぶ。

 その顔は邪悪極まりなく、百年の恋すら冷めるほど醜いものだった。

 

 

 城砦都市エ・ランテル外周部の城壁内の四分の一。

 西側地区の大半を使った巨大な一区画――そこに共同墓地が存在する。

 王国広しとは言え、ここほど巨大な墓地はない。

 理由は毎年行われている帝国との戦場が近く、戦争での犠牲者をアンデッド化しないよう埋葬する場所を確保しなければならない為だ。

 

 そんな城砦都市エ・ランテルの共同墓地の地下に彼らは隠れ潜んでいた。

 

 秘密結社『ズーラーノーン』

 強大な力を持つことで名の知れた盟主を頭に抱き、死を隣人とする魔法詠唱者達からなる邪悪な秘密結社だ。

 幾つもの悲劇を生み出してきた彼らは周辺国家が敵と見なしている結社である。

 

 彼らはこの街を死の街に変えるため、数年前からこの場所で邪悪な儀式に勤しんでいた。

 儀式の名は『死の螺旋』

 ズーラーノーンの盟主が行い、一つの都市をアンデッドが跳梁跋扈する場所へと変えた都市壊滅規模の魔法儀式である。

 

「……『漆黒の悪夢』か。面倒なことになったものだ」

 弟子から受けた報告に儀式を取り仕切る男が顔を顰めた。

 男の名はカジット・デイル・バダンテール。

 アンデッドの支配に特化した魔法詠唱者でその実力はズーラーノーン十二高弟の一人に数えられる実力者だ。

 

 この街を儀式の場所に選んだのには様々な理由があるが、その一つに冒険者のランクが低いことが挙げられる。

 ミスリル級冒険者であれば十分に出し抜ける自信があったし、実際数年間気付かれることなく儀式を進めてこられた。

 だが、ここに至って状況が一変した。

 

 情報の真偽は定かではないが、ミスリル級冒険者を圧倒する冒険者が現れたのだ。

 

 噂の程が確かなら、その連中は確実にアダマンタイト級レベルの冒険者の中でもトップレベルの力を持っているだろう。

 如何にズーラーノーン十二高弟の自分であってもアダマンタイト級冒険者を相手するのは分が悪い。

 勝つ負けるの話ではない。

 そもそもカジットの目的を考えれば儀式が発覚した時点で負けなのだ。

 

「カジット様。如何致しますか?」

「知れたこと。慎重に慎重を期して行動するまでよ」

 弟子の質問にカジットは即答する。

 仮にこの街に十三英雄級の冒険者が現れたのだとしても、ここで諦めるという選択肢など在り得ない。

 ならば、例え亀の歩みとなっても儀式を推し進めるだけだ。

 

 怒りに震えるカジットの元に福音がもたらされるのは、これより数時間後となる。

 

 

「……おばあちゃん。近いうちにカルネ村に薬草を取りに行こうと思うんだ。冒険者さんを雇いたいんだけど、いいかな?」

「ああ、構わないよ。行っておいで」

 リイジーは二つ返事で了承する。

 あの村には孫が思いを寄せる村娘がいる。

 大方、目の前にいるドロップアウトした冒険者の色恋沙汰を聞いて気になったのだろう。

 なんせ孫もカルネ村の娘も結婚していてもおかしくない年齢だ。

 恋愛など何処でどう転がるか分からない――まさしく神のみぞ知るという所だ。

 イグヴァルジが冒険者を辞めたのはバレアレ商店としては痛いところはあるが、この話で孫の決心がついたなら怪我の功名と言えるだろう。

 

「邪魔したな。俺はそろそろ帰らせてもらうぜ」

「あっ、それならイグヴァルジさん。一緒に冒険者ギルドに行きませんか? 受付嬢さんに話があるでしょう? 僕も依頼を出さないといけないので」

「あっ? あーそっか。ギルドに行かないと会えないよな。今はあんまり冒険者ギルドには行きたくないんだがな」

「駄目ですよ。こういうのは善は急げです」

 孫の言葉にリイジーは苦笑した。

 むしろリイジーがンフィーレアに言ってやりたい言葉だからだ。

「確かに、それもそうだな」

「はい。行きましょう」

 イグヴァルジとンフィーレアはそれぞれ席を立つ。

 

 ンフィーレアが幼馴染と驚愕の再会を果たすのは、これよりわずか数秒後のことである。

 

 かくして惨劇の地となる城砦都市エ・ランテルに役者達が集結した。

 

 死地から抜け出したばかりの少女を待っているものは、前回よりも更に過酷な修羅場。

 再び己が命を賭けて、その窮地に飛び込む羽目になるなど今の彼女は想像すらしていなかった。

 




モモンガ「――少しばかり不快だな」
クレマンティーヌ「あのメイドちゃん――な~んか、怪しいなぁ」

エンリ(……何だか寒気が)


ニニャ 「ぺテルはおかしいと思いませんか? 大貴族にしては馬車がみすぼらしかったなって」
ルクルット「今、ちょっと危ない系のお姉ちゃんが通った! 俺ちょっと声かけてくる!」

弟子  「カジット様。儀式はどうしますか?」
カジット「無論、続ける!」

 色んな人が地雷原でタップダンスしてます。
 さてさて、誰が踏んで誰が避けるのか。
 はたまた全員踏むのか踏まないのか。

 そんな話です。

 この場を借りて誤字報告や感想下さる方に感謝を。
 執筆の励みになってます。

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