Overlord of Overdose ~黒の聖者・白の奴隷~   作:Me No

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今回少し長くなりました(二万二千文字くらい)
後、ちょっとピンク色な展開もあります。
R15で収まる範囲だと思ってますが「こういうのはちょっと」という方は感想下さい。



吸血鬼の花嫁

 円卓の間での会議を終えた後、みかかは階層守護者達の留守中の活動報告を聞く運びとなった。

 シャルティアとアルベドのいつもの口喧嘩から始まり、コキュートスの警備関係の報告、アウラとマーレからは追加の薬草の提供を受けた。

 デミウルゴスはトブの大森林の侵攻に関する詳しい報告と今後の行動指針についての説明だ。

 セバスは第九階層のメイド達の業務報告。

 最後はアルベドの総括になる。

 第四階層のガルガンチュア並びに第八階層のルベドの起動実験も問題なく成功したとの事。

 

 組織運営という観点で言えば順調な運びで、喜ばしいことである。

 

 しかし、早朝、エ・ランテルに戻ったみかかの顔に浮かぶ表情は難しいものだった。

 実際、気晴らしにナザリックに戻ったら思わぬ問題が発生し、それを持って帰ったような状態なのだから仕方ない。

 

(本当はモモンガさんに相談したいことがあったのに……)

 

 まさかンフィーレアが自分に対して敵意を持っており、何故か国を騒がす犯罪者集団の一員と思われているとは予想外だった。

 しかも、モモンガはそんな彼を殺そうと思っている始末。

 

 みかかは決して平和主義者などではない。

 カルネ村の一件でも当初は見捨てることを選択した。

 つまり、モモンガとみかかの思考パターンは似ているのだ。

 さすがにモモンガのように過激ではないが自らの保身のためなら躊躇い無く人を殺せる側だ。

 

(だけど、それじゃいけない。モモンガさんはこの世界に仲間のみんなが来てるかもしれないと思ってる。それが真実だって言うなら人を殺すのは慎重に行わないと)

 

 仮にこの世界にはたっち・みーがいて、彼と再会出来たらどうするのだろう。

 目的のためなら躊躇なく人を殺せます、なんて言葉を彼の前で言おうものならどうなるか?

 正直、考えたくもない案件だ。

 

 だから、みかかはカルネ村の件に続いて、今回もモモンガの意見に逆らった。

 これはこれで気が重い。

 彼が気分を害してないといいのだが……。

 

「……ただいま」

「浮かない顔じゃのう」

《ゲート/転移門》で戻ってきたみかかの顔を見ることなく、本を読みながらシコクは言った。

 薬草の取引で得た資金で手当たり次第に買った本の山だが、どうやら読破間近のようだ。

「シコク。問題が発生したわ」

「差し当たってはンフィーレアの扱いかの?」

「あなた……そんな事まで分かるの?」

 みかかが不思議そうに聞くと、シコクは本を閉じて顔を上げる。

「いや、違う。つい数刻ほど前までルプスレギナが遊びにきておった。彼女から円卓会議の内容は聞いちょるよ」

「ああ……だからか。置いてあったお菓子や果物を食べ尽くしたのはルプスレギナね?」

「うむ」

 城砦都市一番の宿である黄金の輝き亭。

 高い宿泊料を取るだけあって提供されるサービスの質はいい。

 テーブルの上には瑞々しい果実が山と盛られており、菓子折や茶も用意されていた。

 それが今は根こそぎなくなっているのだ。

 

「エンリが残念がるわね……って、あの子は起きてるみたいね」

「うむ。みかか様の睡眠薬の効果時間が切れた途端に目を覚ましてのう。今は風呂に入っちょる――みかか様は散歩に出かけた体になっておるので宜しう」

「分かった」

 カルネ村には風呂がないそうだが、入浴の楽しみを知ったのだろうか?

 それはいい心がけと言えよう。

 身嗜みに気を配り、美意識を持つのは女としては当然の行いである。

 

「ねぇ、シコク」

「みかか様。悪いが、ちょいと失礼」

 ンフィーレアのことを相談しようとしたみかかの発言を遮って、シコクが香水を吹付けてくる。

「ちょっ!?」

 たちまち甘い香りがみかかを包み込む。

 この匂いはいつもアルベドが使っているものだ。

「きゅ、急に何をするのよ?」

「分からん? 愛を知らないみかか様には経験のない話じゃろうから仕方ないかの」

 くつくつと笑うシコクにみかかが困惑するばかりだ。

「な、何が?」

「ただ散歩に出かけた男が他の女の匂いを持って帰ってくるものではないよ。この香りから察するにシャルティア様辺りに抱きつかれたじゃろ?」

「あっ」

 みかかはナザリックで活動報告を聞く時に抱きつかれたことを思い出した。

「……ありがとう」

 自分が設定しておいて何だが、よくそんな事分かったなと思う。

 自分だけなら「……他の女の匂いがする」と何処かで見たことのあるシーンが再現されることになったかもしれない。

 シコクのフォローに感謝するみかかの耳に浴室に続く扉の開く音が聞こえてきた。

 

「あっ! 戻られたんですね」

 朝に強いのか、それとも朝風呂に入ったせいか知らないがエンリは元気そうだ。

「ええ。寝付けなかったから、少し街を歩こうと思って……」

 みかかはくるりと声のした方向を向いた。

 備え付けのバスローブに身を包んだエンリがみかかの瞳に写る。

 エンリは早足でこちらに向かってくると、そのままみかかの胸に飛び込んできた。

 

「えっ?」

 予想外の行動にみかかは反応出来ずに固まった。

「おかえりなさい。アリス」

 エンリはそれを気にすることはなく、溢れんばかりの笑顔でみかかを出迎えた。

 

「………………」

 

 みかかは幾つもの驚きからエンリを見つめるだけで「ただいま」の一言が口から出てこなかった。

 

 確かに自分は何度も名前だけでいいと言ったが、今までのエンリは緊張したのか遠慮していたのかは知らないが様付けで呼ばれていた。

 それが赤くなって照れながらも呼び捨てになったこと。

 妹のネムには甘えてはいけないと言っていたのに、ここに来てネムと同様に甘えてきた事。

 

 それに、何よりも――。

 

「どうかしましたか?」

「……えっ? あっ、いや……」

 具体的に挙げることが出来ないが、何と言うか――輝いて見えたのだ。

「それとも、二人きりの時はミカ、の方がいいですか?」

「そ、そうね。別にそれでかまわないわよ」

「……良かった」

 安心したようにみかかの胸に顔を埋めてくる。

 その行為に鼓動する事を止めた心臓が脈打つような錯覚を覚えた。

 

(な、何? 急にどうしたの? 妙に艶っぽくなったというか、何と言うか……)

 

 同性ながら意識せざるを得ないほどの色気を感じる。

 昨日、散々着飾って化粧をしたせいでエンリの中で意識革命が行われたのだろうか?

 この手の行動に慣れたのもあり、みかかの腕は自然とエンリの体を抱いていた。

 一体どうしたのだろうと、みかかはエンリを観察して息を呑んだ。

 

 湯上りの上気した肌に、水滴を弾く首筋、バスローブから覗く胸の谷間。

 

 止まっている筈の心臓が再び脈打つ錯覚。

 みかかの視線はエンリの身体に釘付けにされる。

 特に肌から透けて見えた血管を眺めていると急激な喉の渇きを覚えてくる。

 

 あア――ホントうニ、なンて、美味しソウ。

 

 暗い目で笑うもう一人の自分。

 人であった頃には在り得なかったその思考、その――嗜好。

 

 これ以上、見てはいけない。

 見れば、もう抑えられなくなる。

 知れば、きっと戻れなくなる。

 

 そして内から生じる衝動を抑えるように目を閉じた。

 

(……ああ、もう。まただ)

 ひりつく喉が飲み物を求めている。。

 この渇きこそ、みかかがモモンガに相談したかった悩み。

 昨晩、ナザリックにあるどんな美酒を飲んでも癒せなかったものだ。

 

 アンデッドの基本的な特徴として飲食不要がある。

 飲まず食わずでも死ぬことはないというものだ。

 しかし、みかかには血を吸いたいという欲求があった。

 

(飲食不要なんだから、私にとって吸血行為は嗜好品を嗜む程度のもの。なら、我慢出来るはず)

 

 そうかしら、ともう一人の自分が囁く。

 確かにユグドラシルではアンデッドが餓死する等という事はなかった。

 だが、そもそも血を吸わない吸血鬼は、果たして吸血鬼と呼べるのだろうか。

 吸血行為はその存在を保つために必要な行為ではないのか?

 

「顔色が悪いです。大丈夫ですか?」

「ごめんなさい。ちょっと意識が遠くなったみたい。落ち着くまでこのままでいさせてくれる?」

「はい」

 エンリは静かに自分の背中に手を回して優しく背中を撫でてきた。

「もしかして……あまり、寝てないんですか?」

 苦しげな息を漏らすみかかにエンリは心配そうに尋ねる。

「そうね。最近、寝つきが良くないものだから」

 確かに睡眠でも摂れば気も紛れるのかもしれないが、生憎と眠ることの出来ない身体だ。

 エンリを心配させまいと嘘をついたが、逆にその言葉にエンリは顔を曇らせた。

 

「それって……私のせいですか?」

 その声は囁くような小さなものだ。

 人間より優れた聴覚を持つみかかでなければ聞き返していたことだろう。

「どういう意味?」

「き、昨日は一緒のベッドで眠ったんですよね? その、一つしか……使われてなかったから」

「………………」

 嘘というのも難しい。

 そういう偽装工作をすることを忘れていた。

 

「そうね。いつの間にかエンリは眠ってしまったから、私がベッドに運んであげて、そのまま眠ったみたい」

「私、その……変じゃなかったですか?」

 みかかの胸板に顔を隠しつつエンリが尋ねた。

 余程ひどい寝相だったのか頬や耳が一気に真っ赤に染まっていくのが見えた。

 それを見て、いつもの様にエンリに対する悪戯心が芽生えてくる。

 

「可愛い寝顔だったわよ。ずっと見ていたいほどにね」

 

 みかかが真っ赤になった耳元に囁くと、エンリは静かに顔を上げた。

 言葉はなく、ただ熱を帯びた瞳が何かを訴えかけるようにみかかを静かに見つめていた。

 それは一人の女が愛しい想いを込めて男を見つめる瞳だ。

 

 ぷつりと糸が切れるような音がみかかの耳に響いた。

 消えかけていた吸血衝動という種火が荒れ狂う炎となって理性を焼き払う。

 みかかにはエンリの真っ白な首筋しか映っていなかった。

 

「……エンリ」

 みかかの手がエンリのバスローブをツツッとなぞり、ローブを結ぶ紐を掴んだ。

「あっ……」

 エンリが何かを言う前にみかかはその紐を引っ張る。

 まるで、その時を待ちわびていたかのように結び目はあっけなくスルリと解かれた。

 

「邪魔よ」

 

 そのままみかかはバスローブの前を強引に肌蹴させた。

 エンリの頬が羞恥で赤く染まる。

 みかかの遠慮のない視線がエンリの裸身を舐めるように見つめた。

「綺麗だわ、エンリ」

 みかかの腕がきつくエンリを抱き締めた。

 それは獲物を逃がすまいとする捕食者の動きだ。

 

「……私、初めてなんです」

 だが、哀れな羊は致命的な危険が訪れていることなど夢にも思わず、むしろ自ら食われることを望むように全身をすり寄せてきた。

「そう。私もよ」

「……良かった」

 エンリはみかかの顔を見つめてから安心したように瞳を閉じた。

 そのまま二人の距離は吐息を感じられるほどに近づいていく。

 

 しかし、悲しいかな。

 

 今の二人はどれだけ物理的な距離を近づけようと、その想いは決して交わることのない平行線。

 

 愛しい人からの愛を求める女と獲物の血を求める化け物。

 

 みかかの口が裂けるように開かれ、その歯が細く尖った犬歯に変わる。

 

「それくらいにしといたらどうかの?」

 

 自分を見つめる強い視線を感じて、みかかは顔を跳ね上げた。

 エンリもみかかの俊敏さに驚き、その視線を追う。

 

「………………」

「………………」

 二人の見つめる先には黒猫が座っていた。

 それを見た瞬間、二人は申し合わせたかのように距離を開けた。

 

「ああ。でも、うちの事が気にならんなら続きをどうぞ?」

 

「……いや」

「……別に」

 まるっきり子供にそういう現場を押さえられた夫婦の気まずい姿がそこにはあった。

 

「わ、私……服を着替えてきますね!」

 いたたまれなくなったのかエンリは肌蹴たローブを直して、そそくさと寝室へと逃げ込む。

 沈黙が支配した部屋でシコクはゆっくりとみかかの足元まで近づいてから問いかけた。

 

「ちょっと一時間くらい散歩にいこか?」

 

「……そういう性質の悪い冗談はやめて頂戴」

 みかかはシコクの視線から逃げるように顔を背ける。

 自分で自分の行動にショックを受けていた。

 あんな、衝動に任せた行動を取ったのは生まれて初めての経験だった。

 シコクの警告――みかかの特殊技術が危険を知らせるほどの殺意で律されなければ、今頃どうなっていたことか。

 みかかは苛立たしさを隠そうともせずに乱暴にソファに座る。

「ありがとう――我ながら情けない限りだわ」

 それから大きくため息を吐く。

 

「少しばかりお疲れのようだの。ちょいと、そこで座って待っておれ」

 主人を宥めるためか、シコクは手早くお茶の用意を始める。

 シコクはお茶を用意する傍らで世間話でもするように先程の行為を問い質してくる。

「危うい所だったの。しかし、何故にそこまで過度な断食などしとるんじゃ? 余程、腹回りでも気になるのかえ?」

「ちっがうわよ! 私はそんな自分の管理も出来ない生活はしてないわ」

「どうどう。自分の管理が出来る女なら、そうカリカリするでない」

 シコクは用意した紅茶に砂糖とミルクを放り込み、ゆっくりかき混ぜながら呟く。

「どうどうって、私は馬か!」

「吸血種の最上位種、始祖の吸血鬼じゃよ。ほれ、どうぞ」

 憤慨するみかかにティーカップを差し出した。

 

「……頂くわ」

 別に茶を飲みたい気分ではないのだが、わざわざ用意してくれた飲み物に口をつけないわけにはいかない。

 みかかはカップを受け取ってひとしきり香りを堪能する。

 何処か薬品めいた香りから察するにハーブでも使用しているのだろう。

 その香りが不思議と心が落ち着いてくる。

 そして息を吹きかけて熱々の紅茶を冷ましてから口をつけた。

 舌に感じるわずかな酸味と蕩けるような甘さ、コクリと飲み込むと程よい熱さが喉を駆け巡った。

 みかかは思わず頬を緩ませる。

 

「何よ、これ」

 飲食不要になってからは食べ物を美味しいと感じることがなかった。

 感覚的に言えば、すでに満腹なのに無理をして食べているような感じだ。

 それなのに、この紅茶は美味しいと感じる。

「驚いた。凄く美味しいじゃない」

「それは良かった。わざわざ用意した甲斐もあったというものじゃな」

 みかかの顔が輝くのを見て、シコクも珍しく邪気のない笑顔を浮かべる。

「この紅茶ならいくらでも頂けそうだわ」

 みかかは熱々の紅茶を一息に喉に流し込む。

 その様子はまるで砂漠で、ようやく水にありつけた旅人のようだ。

 渇きが満たされる至福の感覚――それに気付いたとき、みかかの顔色が青褪めた。

 

「……ちょっと待って。この紅茶は、何?」

「みかか様の御想像通りのものをブレンドした特製の紅茶じゃよ」

「血?! なんてものを飲ますのよ、貴方は!?」

 血を飲むという人であった頃には在り得ない行動。

 その生理的嫌悪感からみかかはシコクを睨みつけてカップを放り投げた。

 カップはシコクにぶつかる寸前で動きを止めて、テーブルに置かれたソーサーの中に収まった。

 

「たわけ。飢えのせいで危うく理性を失ってエンリを喰い殺しそうになったくせに何を考えておる。みかか様にとって血への渇望は種の本能に基づくもの。我慢など出来るわけがなかろう」

「………………」

 過度のダイエットに励む娘を窘める母親のような口調のシコクに対して何の反論も出来ない。

「下手に断食などすると揺り返しに苦労するだけじゃ。茶の一杯では足りなかろう? もう一杯飲むとええよ」

 空になったカップにシコクは紅茶を注ぐ。

 

(……この匂い)

 

 今度のは明らかに含まれた血の量が異なる。

 先程の紅茶はまだ紅茶の体裁を取れていたが、今度のは常人でも分かるほどの血臭がする。

 これは最早、紅茶ではない――紅茶風味の血だ。

 

「ただでも血の狂乱などという悪癖を抱える身。下手に飢えた状態で理性をなくせば、手が付けられんほど暴走する可能性もあるよ? うちは別に困らんが、みかか様はいいのかえ?」

 手をつけようとしないみかかを見て、シコクは冷たく言い放った。

「……分かった」

 みかかは観念してカップを手に取る。

 そして口につけると反応が一変し、一気に中身を流し込んでいく。

「うむうむ」

 食わず嫌いで避けていた物がいざ食すると美味しくて止まらなくなった――そんな主人の反応にシコクは満足げに頷いた。

 

「どうじゃ?」

「美味しいわ。でも、さっきのより少し苦い気がする」

 だが、前より濃厚で、何よりも美味しかった。

 大好物になるのは間違いないと確信するほどの極上の一品だ。

「左様か。だとしたら、獲物が血を流した時の感情が味に関わっとるのかもしれん」

「……そう」

 だとしたら、いざ吸血する際も注意しないといけない。

 どうせ血を吸うのであれば美味しく頂くのが食べる者の礼儀というやつだ。

「念のために聞くけど、これは何処から調達したの?」

「安心せい。人を浚ったり殺したりなどしとらんよ」

 シコクは再びカップの中に赤色の液体を注ぎこむ。

「混ざり物のない純正の生娘の血じゃ。ご堪能あれ」

「……そう」

 今度は少しずつ味わうように飲んでから、みかかは一息ついた。

「……ありがとう。少し収まった」

 喉を通る清涼感に不思議と心も落ち着いていく。

 この感じはまさしく空腹を満たした後に得られる満足感だった。

 

「うむ。冷静さも戻ったところで改めて尋ねるが、そろそろ結論は出たのかえ?」

「……結論って?」

 みかかは意味が分からず問い返す。

「十分な時間は与えた。それと、先程の軽い暴走も踏まえた上でお聞きするが、みかか様はエンリ・エモットをどうしたい?」

「………………」

「可愛がりすぎて壊すんが惜しくなったのかえ? ならば早急に別の花嫁を探さねばなるまい。エンリのように愛でる為のものではなく、みかか様が思う存分好き勝手出来る玩具としての花嫁をな」

「は、花嫁って」

 まさか自分が花嫁を娶ることになるなど想像もしておらず、みかかは思わずソファから腰を浮かした。

「みかか様もお年頃なんじゃから、そろそろ吸血鬼の花嫁が数人おってもおかしくなかろうよ」

「それも数人?! 何言ってるのよ!!」

 シコク曰く『愛を知らない哀れな女』なみかかだが、そういう事に興味がないわけではない。

 だが、決してハーレム願望などない。

 そういうのは、何と言うか……一人の決めた相手であるべきだと思ってる。

 

「何を驚く? うちは吸血鬼ではないから良く分からんが、シャルティア様を見るに吸血鬼の花嫁というのは一人では足りんのじゃろ?」

「い、いや、シャルティアはペロロンチーノさんがそう望んだだけで、あの子を基準に考えない!!」

 ちなみにシャルティアの抱える吸血鬼の花嫁は九十九人になる。

 記念すべき百人目の相手を誰にするか日々悩んでいるという設定だ。

「別に百人いても良かろうに妙に庶民的な感性をしとるのう。だが、うちが気にしとるのは、そういう意味ではないよ。人間一人から摂取出来る血液量などたかが知れとるじゃろう? それで飢えを凌げるのかえ?」

「あっ」

 当たり前といえば当たり前の疑問にみかかは今更気付かされた。

 

 人間は一日に何リットルの水を必要とし、人はどれだけの血液を失えば死に至るのか?

 

 本当にいざという時はエンリに頼るつもりだったが、それで満足するのかという単純なことを考慮してなかった。

 そもそも食事として考えるなら、必要な水分量以上に摂取しないといけないわけで……そうなれば到底、一人では足りるはずが無い。

 

「その様子では気付いておらんかったか。本当に世話の焼ける方じゃのう」

 シコクは大きなため息をついた。

 彼女に言わせれば自らの体調の管理も出来ない主人に見えるのだから、その反応も仕方ない。

「みかか様――御主、ちょっと衰弱しとるよ? さっき栄養補給したが、それでも一割ほどステータスが低下しとるんではないかの」

「はっ?」

 みかかは即座に医療系の特殊技術を発動させて自らの体をチェックする。

 確かに、全体的にステータス低下が起こっている。

 恐ろしいのはゲームでは生命力や体力を示すHPが少し減っているということだ。

 これが無くなればアンデッドでも死ぬことになる。

「嘘。まさか、こんな状態だったなんて……」

「医者の不養生とは正にこの事じゃな。みかか様は良くも悪くも隠れ潜むことに長けとるからのう。みかか様のバッドステータスに誰も気付けてないんじゃろうな」

 それでも、みかかの異常に気付けたのはステータスの管理・読み取り能力が高い支援系の魔法詠唱者の強みか、彼女自身の特性か。

「それでも、これなら今日明日で死ぬものではないでしょう?」

 人間で言えば栄養補給を怠った結果、風邪になったくらいのものだろう。

「おそらくは――と言うか、それこそみかか様の領分。しかも、己の身体のことじゃろうに自分で分からんのか?」

「……さてね」

 吸血鬼の生態など分かるわけがない。

 それこそ、シャルティアに実験に付き合ってもらうか、どこかで吸血鬼を生け捕りにして調べるしかない。

 幸い、この世界にも吸血鬼は存在するようなので余裕が出来たら探してみるのもいいだろう。

 

(……不本意だけど、確かに必要なのかもしれないわね)

 

 吸血鬼の花嫁――吸血鬼に選ばれた哀れな犠牲者であり、その血と肉と魂を捧げるための下僕。

 ユグドラシルのプレイヤーに渡されるエンサイクロペディアにはそんなテキストが書かれていた。

 これからは一定量の血液を定期的に摂取する必要がある。

 ユグドラシルとこの世界では色々な差異がある以上、ユグドラシルでは飲食不要だからという理由で絶食するのは危険だ。

 実際、ステータスが低下しHPが減っているような状態である。

 人であった頃の残滓――良心やモラルに捕らわれていると自らの首を絞める事態になりかねない。

 

(こうしてまた一歩、化け物に近づいていくわけね)

 

 自分の現状を自嘲し、皮肉の笑みが浮かんだ。

 肉体が変化しようが魂までは汚せないと思ってたのに、どんどん妥協しつつある。

 

「それよりも今はンフィーレアをどうにかするのが先よ。放置するわけにはいかないでしょ?」

 幸い空腹感は紛れた。

 ならば、差し迫った問題から解決するべきだ。

「ふむ。モモンガ様は殺したい。みかか様は殺したくないじゃったか。どちらにせよ、難儀な話しじゃな」

 シコクは飲み終えたティーカップを片付けながら呟いた。

「モモンガさん曰く私に敵意があるそうだけど、あの場にいた貴方なら分かるでしょ? 一体私が何をしたって言うのよ」

「……さてな。強いて言うなら、あの小僧が何もせんかったからこうなった気がするがの」

「はっ? それって、逆恨みってこと?」

「逆恨み――まあ、そうなるかの。ただ、言わせてもらうならンフィーレアという小僧は重要な問題ではない。この問題の本質は御二方の人間に対する認識の差じゃ、これを放置しておくととんでもない事になるよ?」

「うっ」

「早いうちに話をつける必要があると思うがの。それとも今回みたく人間の扱いで問題が起きるたびに争うつもりかえ?」

「……分かってるわよ」

 拗ねるみかかを見ながら、シコクは窓に視線を向けた。

 

「それなら話は早い。ちょっくら窓から外の様子を窺ってみ? どう対応するのか、うちは楽しみにさせてもらうよ」

「……なんですって?」

 みかかは表通りに面した窓に向かい、慎重に外の光景を眺める。

 

 外は生憎の雨模様だった。

 この異世界に来て初めての雨だ。

 舗装されていない道路は水捌けが悪いのか大きな水溜りが幾つも出来ている。

 

「嘘でしょ? まさかとは思ったけど……まさか、ね」

 みかかは窓の外を睨む。

 最初は雨宿りをしているのかと思ったが……ンフィーレアが物陰からこの建物の様子を窺っているのが見えた。

 

「雨も降ってるのに感心な事」

 

 でも、会いにいく手間が省けた。

 

「外に出る。戻るまでエンリの世話を頼むわ」

「了解した。お気をつけて」

 

 みかかはストレージから傘を取り出すと、外へと向かうのだった。

 

 

「……くそっ、どうしよう。こんな事をしてる場合じゃないのに」

 ンフィーレアは苛立ちを抑えきれずに一人呟いた。

 

 冒険者ギルドで依頼を終えてから直ぐに自分は大変な見落としをしていることに気付いた。

 彼女はあの男と一夜を共にするのだ。

 間違いがあってからでは遅い……自分の家に泊まるように説得するべきだと思い立ち、ンフィーレアは辺りを駆け回った。

 馴染みのある冒険者からそれとなく話を聞きだし、ようやく黄金の輝き亭に泊まっていることが判明した時には遅かった。

 話をしようにもエンリと接触する機会がない。

 泣く泣く向かいにある宿に部屋を取り、ずっと監視を続けていたのだが……胸を掻き毟られるような思いだった。

 彼女の泊まっている部屋だけが一晩中明かりは消えることはなく一体、何をしているのかと思うと気が気でなかった。

 

(まさか、朝までライラの粉末を使ってたんじゃ)

 

 ライラの粉末とは八本指が大量に生産している麻薬で安価で多幸感と陶酔感をもたらす。

 その反面、依存性が高く副作用があり、大抵の服用者は神官の魔法による治癒が必要なほど中毒性が強い。

 ただ禁断症状は弱く、重度の使用者も暴れたりすることがないため、王国では黒粉はほぼ黙認され続けている状態だ。

 

 薬師として名高いンフィーレアは麻薬がどれだけ恐ろしい薬物であるか知っている。

 

 それこそ中毒・依存性の高い薬物を用いれば薬のためなら何でもするようになるだろう。

 神官の魔法を用いれば中毒になっても癒すことは可能だが、それまでに受けた健康被害まで治るわけではない。

 確実に己の寿命を縮めることになる。

 黄金の輝き亭は宿泊客以外にも食事を提供するレストランの側面もある。

 開店と同時にンフィーレアはそこで待つことにした。

 彼女は朝起きるのが早い――朝食を摂るのも早いと見越しての行動だ。

 当然、狙いは偶然を装ってエンリと会話することである。

 

 しかし、待てど暮らせど彼女は現れない。

 

 街の有名人として知られるンフィーレアと言えど、飲み物だけで粘るのは限界がある。

 結局、先程十杯目の珈琲を飲み終えた所で食事を待つ客がいるという理由で店を出ることになってしまった。

 そして現在に至っている。

 

 元々、研究熱心なせいで睡眠は不規則かつ不足しがちの日々を過ごしているので徹夜は苦にならない。

 しかし、自分は大丈夫だと思っていても、睡眠不足は思考や判断力を低下させるものだ。

 

 ゴブリンを退治するときは近くの狩人より遠くの冒険者を雇え、という言葉がある。

 下手に心得がある者に任せるのではなく、その道の専門家に頼むのが一番であるという意味だ。

 ンフィーレアは薬師であると同時に魔法詠唱者としての側面もある。

 その見た目とは裏腹に街のチンピラ風情では第二位階魔法を使えるンフィーレアには敵わない。

 仮に自身が指摘したとおり八本指が裏で糸を引いてるのであれば、相手はその道のプロだ。

 蒼の薔薇が到着するまで動きべきではないし、下手にンフィーレアが動いて警戒されると彼女らの邪魔をすることになる。

 だが、今迄何の行動も起こさなかった自身への反省、恋する少女の身を案じる気持ち、恋敵への嫉妬――それらが混ざり合ってンフィーレアの焦りと妄想は加速し、こうして下手な行動を起こすという事態に陥っていた。

 

(ああ、エンリ。お願いだから無事でいてくれ)

 

 ンフィーレアは必至の思いで神に祈った。

 その時、黄金の輝き亭がわずかに騒がしくなる。

 何事かと宿の入り口を見れば、ンフィーレアの恋敵である男が傘を開き、外に出てくるのが見えた。

 驚いたことに数人の女性が外を出て行く彼を熱い視線で見送っていた。

 

(……ふん。あいつが八本指の関係者だとも知らずにいい気なもんだな)

 

 確かに彼はそんじゃそこらでは見れないほどの美形だ。

 この国が誇る美の結晶――黄金の姫に勝るとも劣らない存在だろう。

 いずれは国中に知れ渡るほどの人物になるのではないかとすら思う。

 そんな人物に優しくされれば、大抵の女は勘違いして浮かれることだろう。

 

(エンリも、そうして毒牙に……でも、僕が絶対に助け出してみせる!)

 

 ンフィーレアが決意を固める中、彼は上着から四つ折の紙を取り出すと、その紙を縦にしたり横にしたりして辺りと見比べ始める。

 

「………………?」

 地図か何かを見ているのだろうか?

 何度か紙と道を交互に見ると、頷いてゆっくりと歩き出した。

 

 これはチャンスだ。

 今ならエンリと話しをすることが出来る。

 

(……あれ? 何の匂いだ、これ)

 

 雨に塗れた土の匂いとはまったく異なる甘い香り。

 甘すぎる――今にも腐りおちそうな果実の匂いが鼻腔をくすぐった。

 

 追いかけなければ。

 何故だか、ンフィーレアはそう思った。

 

(そうだ! 今から八本指の連中と合流するのかもしれない。あいつが八本指だという確証を得られればお祖母ちゃんに頼んで都市長の力だって借りれる筈だ!)

 

 もしアイツが八本指の大幹部なら、これが切っ掛けになって組織が壊滅なんてこともあるかもしれない。

 

(いける、いけるぞ! そしたら僕は八本指を、王国最大の害悪を潰した英雄じゃないか! エンリだって惚れ直してくれる!!)

 

 ンフィーレアが興奮の余り、浮かんでくる笑いを堪えきれない。

 こうしてンフィーレアはみかかの後をついていくことに決めた。

 

 ………………。

 …………。

 ……。

 

 途中、何度か焦れるほど長い時間、立ち止まって紙を確認しながら――ゆっくりと郊外に向かっていく。

 充分な距離を取り、物陰に隠れつつンフィーレアも尾行していく。

 

(良し良し、いいぞ――どんどん郊外に向かってる)

 

 今歩いてるのは城砦都市の中でも最下層の人間が住むような貧相な住宅街だ。

 まともに雨風を凌げるのかすら不明なボロ屋や廃屋も多く、ここを過ぎれば一般住民は関わることのない世界――いわゆるスラム街に入ることになる。

 辺りからは何の匂いか知らないが、生臭い匂いが立ち込めており、どう考えても彼のような人物が歩く場所ではない。

 きっと彼はこれから仲間と合流するのだろうと確信し、自らの行動の正しさを確信した。

 

(合流したら見てろよ。合流したら……)

 

 合流したら――どうするんだ?

 まるで急に糸が切れたようにンフィーレアは我に帰った。

 

(なっ、なんで僕はこんな事をしてるんだ?)

 

 ンフィーレアは前を行く青年を見た。

 相手の視界に入らないよう背中を追っていたので――分かるわけがないのだけど。

 

「………………」

 冷たい雨のせいだろうか?

 

 彼は今頃、薄ら笑いを浮かべてる気がして。

 

「………………ひっ」

 急に――背筋に、寒気が走った。

 

(うっ……やばい? まずいよ、幾ら何でも危なすぎる!!)

 

 ンフィーレアはとっさに廃屋になっただろうボロ家の影に隠れて、早鐘を打つ心臓の鼓動を抑えるように胸に手をあてた。

 

(落ち着け、落ち着くんだ、僕。良く考えるんだ)

 

 冷静さを失って尾行してきたけど、ここは既に人影もない。

 相手は八本指――と、思われる危険な男。

 こんな所で襲われれば悲鳴を上げても誰も助けになど来てくれない。

 そして、すぐ近くにあるのはスラム街――エ・ランテルの無法地帯だ。

 そこなら死体が転がっていてもおかしくはない気がした。

 

「うん。きょ、今日は……こ、この位にしておこう」

 

 こんな場所を訪れるというだけで十分まともな人間ではないことは分かった。

 やはり、自分の仮説は間違ってなどいなかったのだ。

 ンフィーレアは廃屋の影から彼の様子を窺おうとして目を見開いた。

 

「い、いない?! 何処に!!」

 

 ここは貧相な住宅が虫食い歯のように立つ住宅街だ。

 身を隠すような場所は幾らでもある。

 

「どこに入ったんだ。せっかくここまで追いかけたのに見失うなんて!?」

「ふうん。で、誰がいないのかな?」

 

「………………」

 後ろからかけられた声。

 自分の両肩を逃げられないように掴んでいる人物が誰であるかなど、確認するまでもない。

 いつの間に気付かれず接近したのか分からないが完全にばれていた。

 

 この状況は――まずい。

 

 とてもではないが謝って済む状況じゃない。

 相手を追い詰めるつもりが、完全に追い詰められてしまった。

 

「静かに振り向いてもらえるかな?」

「わ、わわ分かった」

 肩を掴んでた両手の圧力が消えると同時に、ンフィーレアは足を震わせながら振り返った。

 

(駄目だ。この間合いじゃ勝てない)

 

 相手は腰に剣を下げている。

 この間合いでは自分が魔法を放つより早く、相手の剣が自分の身体を貫くだろう。

 

「多分、違うとは思うんだけど念のために聞かせて欲しい――貴方、私を殺そうとしてた?」

「っ?!」

 やっぱり八本指の関係者だ!

 いきなりとんでもない質問をしてくる。

 ンフィーレアは拳を握って、精一杯声を張り上げた。

 

「ち、違う!? こ、殺されるような事をしてる奴なのか、お前は?!」

「……へえ?」

 自分を見つめる瞳の温度が下がる。

 同じ人間の物とは思えない。

 まるで蛇のように冷たくて無機質な瞳――感情というものがまるで見えてこない。

「だったら、どうして尾行なんてした?」

「そ、それは、その……」

 いきなり痛い所を突かれてしまった。

「取引の件で、話しておきた――」

「――嘘はよくないな」

 きっぱりと自分の言葉をぶった切る。

「私は君に宿泊先なんて教えていないし、黄金の輝き亭からここに至るまで、君が話しかけるチャンスなんて山ほど与えたぞ?」

 ンフィーレアに対して見せつけるように紙束を広げる。

 そこには何も書かれていない。

 

(地図を見てる振りをしただけ? 最初から、ばれてたんだ!?)

 

「人気のないこんな場所に来ても君は後をつけるだけだった。君は私と話し合いをする為に追いかけてきたわけじゃないだろ?」

「………………」

 その視線の冷たさにンフィーレアはゴクリと唾を飲んだ。

「仮にも取引相手に対して、その行動は如何なる所存か? 納得のいく説明をしてもらおうか」

 嘘はまずい。

 だが、正直に話しても同じ結果になるだけじゃないのか?

 

「そ、それは……その」

 少しずつポケットに手を伸ばしていく。

 中にあるのはいざという時の錬金術アイテム、粘着剤だ。

 これを使えば、少しの間相手の足を封じることが出来る。

 

(えっ?)

 

 ンフィーレアは彼の視線が自分を見ていないことに気付いた。

 彼は自分の先を見つめている。

 

「ちょっと待った。こんなところで何してんのかなぁ?」

 

 この場の空気には似つかわしくない明るい声がンフィーレアの背中から聞こえてきた。

 

 

「ねえ、そこの少年。こっちに来たほうが良くない?」

「は、はい!!」

 

 ンフィーレアはこの場に現れた乱入者の元に即座に走りこむ。

「………………」

 どうやら知り合いではないようだが、自分の評価はこの中では最低のようだ。

 

(……まったく、運のいい事)

 

 もしも、ンフィーレアが何らかのアクションを起こしていれば痛い目にあってもらう所だが、乱入者のお陰で事なきを得たようだ。

 

(問題はそれよりも、こいつだ)

 

 ンフィーレアに対する苛立ちは露と消えて、みかかの意識は前方の女性に集中する。

 

「わおっ。お兄さん――めっちゃ美人さんじゃん」

 

(ガゼフ・ストロノーフ。あなた、周辺国家最強の戦士じゃなかったの?)

 

 みかかの特殊技術で見た感じだと、ガゼフよりこの女の方が強い。

 幸いなことにガゼフと目の前の女性の実力の差は、みかかに言わせれば誤差の範囲で済む程度の相手ではある。

 だが、一般的に最強の戦士の肩書きを持つガゼフより強い女性がいるのは大問題だ。

 

(……敵感知はひっかからない。魔法による遠隔視、盗聴の類もなし。この女は一人だわ)

 

 先程のンフィーレアの怪しい動きに対応するべく既に武器は抜いている。

 一歩踏み込んで二人を射程圏内に収めてから話しかけた。

 

「そういう貴方もとても魅力的な女性に見えるよ。私の名前はアリス――是非とも貴方のお名前を知りたいな」

「私? 私はクレマンティーヌって言うんだ。よろしくね」

 何がおかしいのかニヤニヤと笑いながら名前を明かす。

 この状態では偽名なのか本名なのかは判断出来ない。

「で、こういう職業の人」

 女はローブの中に手を突っ込んで胸の辺りをまさぐり、ミスリルで出来たプレートを取り出して見せた。

「……ミスリル級の冒険者?」

 昨晩、モモンガに見せてもらった首から提げる冒険者用のプレートだ。

 いわゆるドックタッグのようなもので名前やら登録先の冒険者ギルドが書かれているそうだ。

「その通り」

「……ふうん」

 

(はったり――もしくは偽装工作ね。後者なら身分証明書を偽造出来るわけだから、それなりに大きな組織が絡んでるんでしょうね。面倒なことになってきた)

 

 まずいことはもう一つある。

 ンフィーレアは確実に自分より、あの女を信用しているという点だ。

 ミスリル級冒険者の傍にいることで安心したのか、今はあの女の傍にいる。

 だが、こんな状況でいきなり現れた乱入者など怪しいことこの上ない。

 

(あの女の狙いは――私とンフィーレアのどっち?)

 

「良くないな、こんな少年を苛めちゃってさあ。可愛そうじゃん」

「別に苛めたつもりはないよ。むしろ、私は追い掛け回された被害者だ」

 相手の狙いが読めないので、まずは事実を突きつけて反論する。

「つまり、お兄さんが追い掛け回してるってわけじゃないと?」

「………………?」

 何か含みのある言い方だ。

 この返答は慎重に答えないとまずい気がする。

 

(こいつの狙いは私じゃなくてンフィーレアなのかしら?)

 

 もし仮にンフィーレアが狙いなら、助けることで恩を売るということも可能だろう。

 ただ、この現状では助けても無駄骨になる可能性も十分考えられるが。

 

「私? 私は彼に興味なんてないよ。どちらかと言うとお祖母さんと友好的な関係を築きたいと思ってる」

 ここでまったく興味がないと言えば逆に怪しまれる可能性があるため、リイジーが狙いだということにする。

 まったく素性が分からない者と敵対関係になるのは得策ではないからだ。

 

「僕に興味がないだって? 嘘をつくな!!」

 ここに、相手の素性も分からないのに積極的に敵意をむき出しにしてくる者もいるわけだが……。

「………………はい?」

 訳が分からずにみかかは聞き返した。

「だったらなんでエンリを連れてきたんだ? 彼女に僕の説得をさせようと思ったんだろ!」

「………………」

 

(……面倒くさい子ね。何かうざったくなってきたな)

 

 こちらに敵意を持ってるくせに興味がないと言えば怒り出すとか、どんなツンデレだ。

 

「分かった分かった。どの道、今の状態では良好な取引関係なんて望めない。昨日の話は白紙撤回するよ、もう私は君には関わらない――これで満足かな?」

「えっ?」

 

(いや、何でそこでキョトンとするの? 一体、どう言えば満足するのよ)

 

 みかかにはどの選択肢を選べば好感度が上がるか分からない。

 選択肢を選ばせたら百戦錬磨と自画自賛していたペロロンチーノに助言をお願いしたいくらいだ。

 いや、この場合攻略対象のンフィーレアは男性だから乙女ゲーのヒロイン役の経験もあるぶくぶく茶釜に聞くべきか?

 

「い、いいのか? そうなると僕はカルネ村に薬草採取に行くことになるんだぞ!」

「どうぞ、御勝手に。ただし、訪れても無駄骨になるだけだと忠告しておくよ」

 まるで切り札を見せるようなンフィーレアの口調に、みかかはため息を吐きつつ答えた。

「な、なんで……僕が行くと困るはずじゃ? まさか、そんな……本当に?」

 そんなみかかの様子に衝撃を受けたのか、ンフィーレアはふらふらと後ずさる。

 一体何が原因で噛み付いてきているのか分からないが、これで少しは敵意も薄まるだろうか?

 モモンガに啖呵を切った手前、この男と友好的な関係を築くつもりだが手段を選ばなければどうとでもなる。

 

「ただし、警告しておく」

 みかかは軽く右手の武器を振るった。

 

「次に今日みたいなふざけた真似をしてみろ。今みたいに、あしらいが少し乱暴になるぞ?」

「な、なんでお前の言うことなんか……って、えっ?」

 

 皆まで言うより前に、ンフィーレアの視界に変化が訪れる。

 急にンフィーレアの視界がクリアになったのだ。

 自分の金髪が風に吹かれて散り、雨に塗れた地面に落ちていく。

 

「うわぁっ!! い、いつの間に!?」

 ばっさりとンフィーレアの前髪がカットされていた。

 前髪は綺麗に水平に切り取られている――俗に言う坊ちゃんカットという奴だ。

「驚いた。意外に整った顔立ちじゃないか。そっちの方がずっと魅力的だよ」

 怯えて思い切り後ずさるンフィーレアにみかかは感想を述べた。

 

「……糸、だね」

 クレマンティーヌはわずかに腰を落としながら呟いた。

「御名答」

 

 ンフィーレアの前髪を真一文字に切り裂いたのはブルークリスタルメタルで作った糸だ。

 みかかがユグドラシルを初めて間もない頃に愛用していた暗殺武器である。

 ユグドラシルでは微妙すぎる性能しかないが、それでもこの世界では王国の至宝と呼ばれるアダマンタイトで出来た鎧くらいなら両断出来る切れ味はある。

 

「扱いは難しいけど、使う者が使えばミスリルくらいなら紙のように断ち切るよ?」

「……上等じゃん」

 みかかの挑発にクレマンティーヌが一瞬だけ笑みを消す。

 

(ふうん――あっさり挑発に乗るなんて腕に自信があるって所かしら?)

 

 だとしたら、あの女は墓穴を掘った結果になる。

 この程度の腕で自信があるということは女は現地人であり、またユグドラシルプレイヤーを知らないことになる。

 みかかの顔に嘲笑が浮かび、その顔がクレマンティーヌの顔から軽薄さを消す。

 

「少年――ここは私が相手するからさぁ。とっとと逃げなよ」

「えっ?」

「君を庇いながら戦えるほど甘い相手じゃないんだって、死なれると困るからどっか行っててよ」

「ご、ごめんなさい!!」

 ンフィーレアは背を向けて一目散に逃げ出す。

 

「ふん。女の子を盾にして逃げるなんて白状な話だね」

「女の子? それって私の事を言ってるのかな?」

「勿論。とても可愛らしいお嬢さんじゃないか」

 

 雨の中、クレマンティーヌとみかかが睨み合う。

 渾身の力で引き絞り、今正に放たれようとする矢のような緊張感。

 しばらくにらみ合った後、クレマンティーヌの舌打ちが響いた。

 

「うーん。思った以上に強いね……お兄さん」

 不満げに言い捨てて、ペッと唾を吐いて戦闘態勢を解く。

 

(女の子なのにはしたない)

 

 あまり育ちが良くないのだろうか?

 黙って立っていれば猫のような可愛らしさもあるというのに。

 

「どうして私が強いって分かるの?」

「はぁ? もしかして、私ってば舐められてるのかな?」

 クレマンティーヌは今にも飛び掛りそうな犬のような唸り声で問い返してくる。

「そんな事無い。私は貴方を王国戦士長より手強い相手だと思ってる」

 直情型で考えが読みやすいガゼフと目の前の女性なら、確実に女性の方が難敵だ。

 軽薄で考えなしのように見えるが、冷静に状況を観察する目を持っている。

 

「……それは買い被りすぎじゃない? 私は見ての通りミスリル級の冒険者だよ?」

「もしかして、私も舐められてるのかな?」

 みかかは努めて冷たい口調で聞き返す。

「いい目してるじゃん」

 女性はじっとこちらを見つめてから、ニヤリと笑った。

「お兄さんとは長い付き合いになりそうな気がするよ」

 どうやらみかかの選択に誤りはなかったらしく、殺気も消えて友達と話すような気楽さえ感じさせた。

 

「もしかして、私ってば借りが出来た感じ?」

「んっ?」

「あの少年――ここで始末するつもりだったんじゃないの?」

 傍から見れば、確かにそう見えてもおかしくない。

 みかかは肩をすくめて答える。

「まあ、後腐れなくばっさりやった方がいいんだろうけど……」

「うんうん。その思い切りの良さは嫌いじゃないよ? 人を殺すのって楽しいよねぇ」

 どうやら、この女性――あんまりまっとうな人間ではないようだ。

 とんでもないことを口に出してくる。

 

「やっぱりね。お兄さんはこっち側の人間じゃないかと思ってたんだよ」

「……こっち側?」

「その足運びに気配の無さは尋常じゃない。何より、お兄さんからは血の匂いがするよ。つい数時間前に人を殺してきたばかりでしょ?」

「………………」

 失礼なことを言う。

 ちょっと血を飲んでただけだ。

 

「誰の依頼か知らないけどさ。ンフィーレア・バレアレは諦めてるもらえる? あの少年が私には必要なんだよねえ」

 まるで神に祈るように両手を組んでお願いを口に出す。

 何故だか見ていると不安になってくる笑顔を浮かべる女性だ。

 みかかの特殊技術である敵感知が反応し、彼女の周りを湯気のように赤いオーラが立ち上ってるのが見えた。

 この色は攻撃色――相手は臨戦状態にあるという反応だ。

 

「……分かった。私は彼に手を出さない」

「ありがとー。じゃあ、私があの子を貰っちゃうね。ところでお兄さんの目的は何だったのかな?」

「大した問題じゃない。私の目的はお金だよ」

「そうなんだ。借りも出来たし、お婆さんの方も私が殺してあげようか。そしたら店のお金は全部持っていけるでしょ?」

「それは遠慮しておく」

 普通なら殺しの罪をこちらに被せるつもりかと怪しむ所だが、みかかにはこの女の思考が読めなかった。

 本当に借りを返すつもりで言ってるようにも見える。

 

(……しかし、リイジーさんの方も、ね。つまり、ンフィーレアは殺す気なわけね)

 

 上手く利用すればンフィーレアと友好的な関係を築けそうだが――今は、そんな事どうでもいい。

 

「いや、借りって言うなら――もっと別の形で返してほしいな」

 みかかは傘をストレージにしまう。

「………………」

 目の前から消えた傘を見て、クレマンティーヌのオーラの色が濃くなった。

 みかかの不可思議な行動に警戒を強めたのだ。

 

「別の形って何かな?」

 それでも顔色も口調も普段と変わらないことにみかかは感心した。

 もし特殊技術がなければ彼女が臨戦状態であるなど信じられないだろう。

 

「簡単なことさ。君に――興味があるんだよ」

 まるで世間話でもする気楽な様子で全力で警戒している彼女の間合いを侵食した。

 

「ッ?!」

 クレマンティーヌの顔が驚愕に染まる。

 最大限に警戒していた筈が、少し顔を動かせば互いの唇が触れ合うほどの距離まで詰められたのだから仕方ない。

 そんな可愛らしい反応に、みかかは唇を舐めた。

 

(悪いけどちょっと実験に付き合ってもらいましょうか)

 

 みかかの碧眼が蒼く輝いて、瞬時にクレマンティーヌの意識を支配する。

 吸血鬼の種族的特長である魅了の魔眼――更に特殊技術により特効性能を付与してある。

 まるで猫がマタタビを喰らったかのように腰が砕けた彼女の身体を支えると同時に、みかかは次の特殊技術を発動させる。

 

 薬物精製《トランキライザー/精神安定剤》

 ユグドラシルでは精神系のバッドステータスを回復する薬だ。

 これをスキルで遅効性に変性させてから、彼女の頬に手を触れる。

 精製された薬物が肌に吸収されるのとクレマンティーヌが面食らった顔であたふたと後ろに下がるのは同時だった。

 

「急に何すんのよ!!」

 

(もういい年でしょうに、随分と可愛らしい顔をするのね)

 

 まるで純朴なエンリのような反応だ。

 頬は染まり、瞳は潤み、自分に気があるのが丸分かりだ。

 とてもではないが戦士が間合いを詰められた後に浮かべる表情ではない。

 

「何って……この状態ですることなんて決まってる。唇を奪おうと思った」

「は、はぁ?!」 

 みかかの発言にクレマンティーヌは茹で上がったように顔を紅潮させる。

 

(実験成功。これは使えるわ)

 

 スキルコンボ『魅了の魔眼+精神安定剤』

 要するに単純に魅了してからゆっくり症状が治まるだけなのだが、効果だけを考えれば強制的に一目惚れを体験させたようなものになる。

 

 一度、好意を抱いたものを理由もなしに嫌うなど出来ることではない。

 だからと言って魅了の魔眼を効果時間一杯まで使えば、魔法が存在する世界では怪しまれる。

 だったら、即発動させて即解消すれば怪しまれないのではと思ったのだ。

 魅了の魔眼を有し、自らの手で薬物精製して投与して、ゆっくりと治癒する。

 一連の動作を人間では知覚出来ないほどの速度で行えるみかかだからこそ成立するコンボだ。

 

 これはンフィーレアと友好的な関係を作るためにどうすればいいかと考えて、最終手段として思いついたものだ。

 先程、彼の髪を切ったのも前髪が邪魔して魅了の魔眼が失敗しないようにするためだ。

 

「ハッ。あ、あんた……意外に女にだらしないわけね。悪いけど、私はそんな奴は……」

「私は、本気だよ?」

 冷静さを取り戻そうと必至になるクレマンティーヌの手を取って、自らの両手で包みこむ。

 

(簡単に終わるようじゃ興ざめだわ。追加でお薬を出してあげる)

 

 みかかの身体はそれ自体が薬であり毒だ。

 クレマンティーヌの身体に染みこんだ毒は彼女の心拍数を跳ね上げる。

 今頃、彼女は平静を保てず、鼓動する心臓の音が耳に響いてるだろう。

 毒物による軽い状態異常だが、魅了された後に心拍数が高くなれば体調不良を疑う前に、恋愛による興奮状態だと錯覚するだろう。

 

(強制的なつり橋効果よ――どうか、私に溺れて頂戴)

 

 絶対、逃がしたりしない。

 探していた相手がようやく見つかったのだ。

 後顧の憂いなく実験の限りを尽くせるモルモットという存在を。

 

「本気で、貴方を食べてしまいと思ってる」

「ま、待って。わ、私は……」

「私は、何?」

 みかかが一歩踏み込めば、クレマンティーヌは一歩下がる。

 そして、程なくして廃屋の壁にまで追い詰められた。

「ま、待って」

「嫌」

 抵抗する素振りを見せる彼女の手を取って、壁に押さえつける。

 観念したかのように力を抜いた彼女を見て、みかかは笑った。

 まるで蝶の標本――或いは蜘蛛の巣に捕らわれた哀れな獲物か。

 

「どうか、私に美味しく食べられてくれない?」

「………………は、離して」

 その言葉は消え入るようにか細い声だ。

 

「そう? それは残念」

 

 みかかは彼女の両手首を掴んでいた手をすんなりと離した。

 そして、まるで興味をなくしたとばかりに背を向ける。

 

「あっ……」

 クレマンティーヌが名残惜しげな声が背後から聞こえて、みかかは改心の笑みを浮かべる。

 これ以上は駄目だ。

 ただでも血が足りてない身だ。

 これ以上やると、また理性が消し飛んで折角見つけた玩具を壊してしまう。

 

「それじゃ、私は用事もあることだし失礼するよ」

「なっ……ちょ、ちょっ、待ってよ!」

「しばらくエ・ランテルの黄金の輝き亭に滞在してるから気が変わったらいつでも来てね?」

 みかかは再び傘を差して彼女に背を向けた。

 実験の成果を確認するまでもない。

 あれなら、そう遠くない内にやってくる。

 その時の彼女の顔を想像しながら――みかかは鼻歌交じりで帰路に着くのだった。

 

 

 みかかが去って三十分と少し。

 ようやく魅了の効果が消えたクレマンティーヌは押し付けられた壁から背を離した。

 しかし、追加で処方された毒のせいで心拍数は未だ収まっていない。

 早鐘を打つ胸の鼓動がクレマンティーヌから冷静さを取り戻させるのを拒んでいた。

 

(あ、在り得ない。私が、何で、あんな……)

 

 一目惚れ――自分の頭に浮かんだ言葉を頭をぶんぶんと振って否定する。

 

 自分が誰かを愛するなどある筈がない。

 愛なんてものはこの世に存在しないのだ。

 

 愛し合う家族を、恋人を、何度も責め殺してきた。

 血の絆や愛などという幻想を死への恐怖と苦痛で容易に駆逐してきた。

 

 だから、クレマンティーヌは知ってる。

 愛などという言葉は醜い欲望を綺麗に見える何かで覆ってるだけの幻想だ。

 

(あの美人さんが予想外の腕をしてて気も合いそうだから……ちょっと、そんな気になっただけよ)

 

 それは断じて愛ではない。

 ただの肉欲――浅ましい欲望だ。

 クレマンティーヌは今の自分の状態をそう結論付けた。

 

 自分が女であることは否定出来ない事実だ。

 極々たまにそういう気分になることもある。

 しかし、それは大抵気の迷いというやつで、気晴らしに人を酷く責め殺せばすっきり収まる。

 今まではそうだった。

 

 しかし、今回は違う。

 いつまで経っても胸の鼓動が収まらず、息苦しい。

 そしていつまでも彼の姿が脳裏から離れてくれない。

 

 しかし、この感情を言葉で表すとしたらそれは――。

 

「くだらない。私はそんな物は信じない」

 

 こういう時に自分が男であればと思うことがある。

 こんな時、男なら欲望の赴くままに女を食い物して、この気持ちを発散させているのだろう。

 

「ああ。まったく……気分悪い」

 あの男を殺せば気も晴れるだろうか?

 いや、あれは手強い――少なくとも自分の間合いを簡単に詰めてくる相手にその場のノリで戦いを挑むのはまずい。

 

「良かった! 無事だったんですね!?」

「あんっ?」

 一般階級の住宅街が見えた頃、自分に声をかけてくる者がいた。

 

 ンフィーレア・バレアレ。

 クレマンティーヌの目的の相手だ。

 本来であればカジットとの取引で、クレマンティーヌは『漆黒の悪夢』と呼ばれる冒険者を調べに行くところだった。

 それが、途中で自分の目的であるンフィーレアを見つけたので尾行していたのだが――まさか、こんな事になるとは。

 

「大丈夫ですか? お怪我は?」

「あーうん。私は大丈夫」

 心配してくるンフィーレアに適当な返事をする。

 どこか覇気のないクレマンティーヌの声に、ンフィーレアは項垂れるように頭を下げた。

「危ない目に合わせて申し訳ありませんでした」

「いや、いいんだけどさ。結局、どういう話だったの?」

「それは……いや、危ない所を助けてもらった恩もあるので話さないわけにはいきませんね」

 ンフィーレアは道すがら今までの経緯をクレマンティーヌに説明することにした。

 

 ………………。

 

「――と、言うわけなんです」

「なるほど。八本指ね」

 確かにクレマンティーヌの推測とも合致する点は多い。

 あの気配の無さは、まっとうな戦士の技ではない。

 自分も知らない使い手であることからイジャニーヤと呼ばれる暗殺者集団の一員かと思ったが八本指という線も捨てきれない。

 

 王国の一大犯罪結社であり、クレマンティーヌが元々所属していたスレイン法国でも目の敵にされている組織だ。

 スレイン法国は人間種の繁栄を願う大国である。

 そんな彼らに言わせれば自分の国を食い物にする八本指など亜人達に勝る劣らずの外道ということになる。

 そもそもスレイン法国は王国の愚鈍さに嫌気が差しているため、王国には秘密裏に危険な亜人達を始末するなどの助力は行っていない。

 法国がいくら人間種の安定に力を尽くしているとはいえ、くだらないことの為に消費するような人材は余っていない。

 そういうわけで王国を潰すために、八本指には好き勝手にやらせているような状態だ。

 

「はい。僕はそう思ってました――だけど、今日の話を聞いて間違いだったんじゃないかと」

「いや、当たってると思うよ」

「えっ?」

 ンフィーレアはどういう事かとこちらを見つめてくる。

「君の髪を切ったのは髪の毛より細い糸なんだけどさ。あんな特殊な武器を扱うような奴って、どうしたって有名になるんだよね」

「もしかして、相手に心当たりがあるんですか?」

「まあね。私も顔は見たこと無いけど、そいつの噂くらい知ってる。あれは八本指最強の戦闘部隊で知られる六腕のメンバー『空間斬』のペシュリアンじゃないかな」

 全身鎧に包まれた素顔は誰も知らず、その技は目標を空間ごと切り裂くと言われる戦士だ。

 

(風花め。幾ら相手してられないとはいえ、あんな強者を見落とすとか怠慢だわ)

 

 既に出奔した国の組織に対して毒づく。

 実際、六腕のメンバーはそれぞれがアダマンタイト級冒険者に匹敵するといわれるほどの使い手である。

 この国の戦士で自分とまともに戦えるのは五人だと聞いていたが、ここに来て六人目の登場というわけだ。

 

「八本指最強の戦闘部隊?」

 自らが尾行した相手がどれだけ危険な相手か分かったンフィーレアは青ざめた顔をして言った。

「そう。だから近づかないほうがいいよ」

「あ、ありがとうございます!」

「はい?」

 ンフィーレアの顔が喜びに満ちるのを見て、クレマンティーヌは首を傾げた。

 ンフィーレアに言わせれば、九死に一生を得たが、相手の正体が分かった状態だ。

 これを都市長や蒼の薔薇に伝えれば、調査も進むと思ってのことである。

 

「……あのさあ。ちょっと聞きたいんだけど、まだあの美人さんに関わる気?」

 クレマンティーヌの声は自分でも驚くほど冷たかった。

 今回は相手は退いてくれたが、次に彼の邪魔をすればンフィーレアは殺される。

 それでは自分の計画が潰れてしまう。

 だから、気分を害したのだ。

 

「……怒ってますよね?」

「当たり前だね」

 すんなりと本心が口から出た。

「ほ、ほら……折角助けたのに死なれると困るじゃない?」

 その後で慌てて説明を付け足した。

 決して、あの男を煩わせる輩が気に入らないとかそういう事ではない。

「大丈夫です。もう危ない目に合う様な真似はしません。それに僕にも考えがあるので……」

「待った」

 クレマンティーヌはンフィーレアの手を取った。

 

「考えって何? それって、あの美人さんをどうにか出来る手段があるって事?」

「はい」

「………………」

 はったりではなさそうだ。

 こいつにはあの男の首に縄をかける手段が存在するのだろう。

 

「……あのさ、手伝ってあげようか?」

 

 決して、あの男を助けたいとか、会う口実が出来るとか――そういう事ではない。

 あっさりと間合いを詰められたが、自分は自他共に認める一流の戦士。

 借りを返すなら、こういう形で返すのが相応しい。

 女としてではなく、戦士として認めさせてやる。

 

「でも、いいんですか?」

「勿論」

 クレマンティーヌの声は誰が見ても分かるくらいに上機嫌なものだった。

 

 




シコク「ちょっと一時間くらい散歩にいこか?」
エンリ「一時間じゃ足りないので三時間で!!」
みかか「何言ってるの、エンリさん?!」

 2017年最後の更新です。
 本年から連載を開始しましたが、今年一年ありがとうございました。
 読者の方、誤字連絡下さる方、感想を書いてくださる方に感謝です。

 来年も宜しくお願いします。


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