帝都オーディーン、統帥本部、本部長室
「ミュッケンベルガー卿、少し落ち着かんか」
目の前に座る威風堂々たる宇宙艦隊司令長官”グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー”元帥が珍しくみせる落ち着かない姿に、この部屋の主であるシュタインホフ統帥本部総長は思わず呆れたような声を上げる。
「ふん。言われるまでもなく落ち着いておるわ」
「嘘を言うな嘘を」
逆にこのいつもは可愛げのないほど落ち着いてる後輩がうろたえ気味な姿を興味深げに見てるのは、軍務尚書のエーレンベルクであった。
そもそも帝国軍三長官と呼ばれる軍どころか国家レベルでも重鎮が一つの部屋にそろい踏みしてるのはアスターテに出兵した一人の若い貴族が原因である。
「そもそも
父のウィルヘルムは第二次ティアマト会戦で戦死した艦隊司令官、大叔父ケルトリングは軍務尚書という貴族とはいえ生粋の軍人家系であるミュッケンベルガーは生臭いことこのうえない政治問題、とりわけ貴族のお家事情を戦場に持ち込まれることを毛嫌いしていた。
そういう意味では「皇帝よりも皇帝らしい」と評される武威に溢れた外観にふさわしい潔癖さを持っていると言っていいだろう。
「まともな軍人なら誰も好まんさ。まあ流石にフレーゲル男爵が今回の遠征の詳細情報をフェザーンに流していたのは呆れたが」
以前、「戦場の空気を吸わせたい」というブラウンシュバイク公爵の意向でイゼルローン要塞の攻防戦にて幕僚(実質的には権限のない観戦)として参加させたフレーゲルのにやけた顔を思い出し、ミュッケンベルガーは顔をしかめるが、
「まさか卿の後釜として企画された”
本来、今回のアスターテへの出兵は威力偵察……どころか半ばパワープレゼンス程度の意味しかなく、その理由も表向きは「ヤンの艦隊司令官としての適性を見る試金石」という物だった。
裏の理由はヤンをその実績によって出世させ元帥府を開闢させることであったが。
「どうやら門閥貴族の若造どもは、ヴェンリー子爵だけでなくローエングラム伯爵まで背負うことになったヤンの存在が妬ましくて仕方ないようだのう。あるいはヤンがブラウンシュバイク公やリッテンハイム侯に続く”第三の門閥”になることを恐れているやもしれんが」
「それだけではあるまい? おそらく卿の後継者と誰もが認めているのが余計に面白くないのであろう」
向けられたエーレンベルクの視線にミュッケンベルガーは今度こそ露骨に苦虫を噛み潰したような顔をした。
ヤンとミュッケンベルガーの付き合いは、ヤンの軍歴から考えれば長い。
それ以上に単なる貴族的なおべっかではなく、あるいは爵位を笠に着て目に余る振る舞いをするでもなく、戦場にて有言実行で上を立てようとするヤンの姿勢はミュッケンベルガーにとり非常に好ましいものだった。
例えば先のイゼルローン防衛線にてミサイル艇群による奇襲を看破し、それをミュッケンベルガーに進言して「ミュッケンベルガーの命令により警戒に出ていた」という体裁を整え分艦隊を率いて迎撃/全滅させたのはヤンだった。
実際、歴史書に”第6次イゼルローン攻防戦”と書かれることになる戦いにおいてヤンが出撃したのはこの1回きりで、後はでしゃばらずにミュッケンベルガーの副官としてイゼルローンの指令所に詰めて黒子に徹し、むしろ自分に縁のある下級貴族や平民出身の士官たちに多くの出撃の機会を与え、戦功を稼がせた。
この時に戦隊や分艦隊指揮官として立身出世を果たした若手の中には、後に双璧と謳われる二人に加え、士官学校の同級生である芸術家や黒鑓の猪に魔弾の射手などが居たようだ。
本人曰く「私は無理に戦功をあげる必要もない身ですから」
一見すると貴族らしい台詞にも聞こえるが、ミュッケンベルガーにはそれがヤンという男の器の大きさや寛容さを感じさせた。
気がつけば『爵位は低いが財力と強かさ、そして変わり者は帝国貴族トップクラス』という評判から距離感をつかみかねていた”
もっともヤンに言わせれば「相対的過去のローエングラム伯のようにいちいち狩場に出向いて自分の腕前を確かめるほど、私は勤勉じゃないのさ。それに今更だろ?」ということであろう。
とまあこんな調子で、後に続く第三次ティアマト会戦においてヤンに対するミュッケンベルガーの評価は更に上昇し、何かと互いに敬意と便宜……ヤンは貴族としての立ち位置から、ミュッケンベルガーは軍人としての立ち位置から払うようになり、いつしかヤンは”ミュッケンベルガー引退後の後継者”と目されるようになっていた。
もっともミュッケンベルガーは素直という評価を受けたことのない人物であり、
「仕方あるまい。現状の貴族、特に爵位持ちの中でヤンの小僧ほどの
ミュッケンベルガーとてイゼルローンの中で自分とヤンを忌々しげに見ていたフレーゲルの視線を忘れたわけではないが……ヤンという逸材に比べるなら、それは本来なら唾棄すべき問題だった。
「否定はできんな。むしろ競争相手がおらん」
「だが実績は今一つ足りぬ……あの男を宇宙艦隊の統率者に据えるには”
本来なら彼は膨大と言っていい戦果を誇るヤンだが、本人は『三十路手前で閣下と呼ばれれば十分な出世さ』と嘯くばかりで、戦功一位をミュッケンベルガーや他のものに譲ってしまっている。
違う世界のローエングラム伯より10歳近く年上なのに同じ階級になってしまってるのはそれも原因の一つだった。
確かにヤンの言うとおり出世は貴族という要素を含んでも一般的には早いが、ミュッケンベルガーとしては気を揉むところだ。
「それにあやつは常に軍にいるというわけではないからな……可能な限り機会を与えんと」
事実、ヤンは先に挙げた第六次イゼルローンや第三次ティアマトなど大きな戦いには呼ばれて参戦しているが、普段の彼はむしろヴェンリー子爵兼ローエングラム伯爵としての領地運営や、ヴェンリー家が所有する財閥の総帥としての側面が強い。
「ヤンを直接知らぬ将兵の間には、実力に対する不安や疑問視があると?」
「いかにも」
鷹揚に頷くミュッケンベルガー。
その不安視を一掃するための今回の出兵だったが……ヤンを快く思わない貴族達の横槍が入ったのだ。
本来の出兵規模は1万5千隻程度の常識的規模で分艦隊指令は副官のメルカッツと最近家に入り浸ってると噂のファーレンハイトだけ、またヤンの実力を測るという名目からもはや半ば家臣となりかけていた実力を示していた双璧は外されたが、艦隊参謀長は第三次ティアマト以来気心の知れたエルネスト・メックリンガーが務める予定だった。
しかし横槍により参謀長は理屈倒れのシュターデンに挿げ替えられ、5千隻の追加と同時に”足手まといにしかならない”エルラッハとフォーゲルが遠征に名を連ねた。
言うまでもなくこの三人は門閥貴族に連なるものである。
「だが妙だな……門閥の若手の専横はいつものこととして、ヤンと公や侯との関係は悪くないはずではないか? 陛下も娘婿を止めるようなことは言ってはおらぬ。それにリヒテンラ-デ侯もなんら掣肘しておらぬようだし」
こうして三人の老人は、ヤンを案じつつ頭を捻るのであった。
帝国の爺様たちが書き易すぎてワロタ。
おかげでいつもの倍くらいの文章量に。