マシュを「先輩」と呼びたいだけの人生だった 作:あんだるしあ(活動終了)
わたしたちがファヴニールを撃破したことで、竜種の士気は一気に崩れた。
ジークフリートさんは言った。ここまで来ればあとは自分たちがやってみせるから、先に行ったジャンヌさんを追え、と。
――ジャンヌさんはわたしたちに先んじて、竜の魔女たちの本拠地である監獄城チェイテに、単身乗り込んだ。安否が気遣われる。わたしたちも追うべきだという意見には賛成だ。
「清姫とエリザベートを連れて行け」
「承りましたわ。よろしくお願い致しますね、お若いマスターさん」
「それはいいけど。ねえ、どうしてアタシたちなの?」
ジークフリートさん、それにゲオルギウスさんとアマデウスさんまで苦い顔をしたのは何故でしょう? 不思議がるエリザベートさんと清姫さんと揃ってわたしも首を傾げた。
わたしとリカ、それにエリザベートさんと清姫さんは、監獄城へ攻め上がった。
ちょっとした疑問は解明されなかったけれど、そこはまあ、のちのちでも構わない。
――突入した監獄城の内装は、語る言葉を持たないほどに最悪だった。清姫さんの言葉を借りるなら、血腥くて、洗浄もせずだらしない。
こんな城内を駆け抜けるのかと思うと気が滅入ったが、わたし以上に顔色を悪くしているリカを見て、先輩のわたしが崩れるわけにはいかない。
「リカ、走れる?」
「はい先輩っ」
「フォーウ!」
「いい返事よ。さ、ジャンヌさんを追いましょう」
エリザベートさんの案内で(何故彼女が城内を案内できるかは深く追求しない)廊下を走っていると、前方から会話が聞こえてきた。片方はジャンヌさんの声だ。
《注意して! ジャンヌの他にもう一騎、サーヴァント反応がある!》
「は、はいですっ」
「フォフォウ!」
ここで急停止。ジャンヌさんが旗を構えて敵サーヴァントと対峙していた。
「ジル・ド・レェ。彼女は本当に
おどろおどろしい本を片手に持つ黒魔術師が、剥き出しの眼球をさらに剥いた。
「何と……何と何と何と許せぬ暴言! 聖女とて怒りを抱きましょう、聖女とて絶望しましょう! あれはまぎれもないジャンヌ・ダルクだというのに!」
「――、そうですか。ですがいずれにせよ、私は彼女と対決します」
「ジャンヌ。たとえ貴女といえども、我が聖女の邪魔はさせませんぞ!」
ジル・ド・レェ。聖女ジャンヌに付き従ったフランス軍元帥の一人。
その凋落は、現代に“青髭”と語られる通りの怪奇な精神模様を描いていた。
だって彼は、ジャンヌさんを「ジャンヌ・ダルク」だと正しく認識している。その上で竜の魔女を「ジャンヌ・ダルク」だと確信している。こんな救い様のない矛盾をわたしは初めて見た。
ここで清姫さんとエリザベートさんがジャンヌさんより前に出て、おのおの鉄扇と槍を青髭のジルに向けた。
「このサーヴァントは我々が抑えます。貴女たちは先へ!」
「ラスボスとの決着をつけてきなさい!」
ジャンヌさんが戸惑いがちに、わたしとリカをふり返った。わたしは頷いてみせた。
「お二人ともありがとうございます! ――進みます!」
肥大化したヒトデのような怪物がわたしたちの道を遮ったけど、それらは全てジャンヌさんが旗で薙ぎ払った。
わたしたちはジャンヌさんと並んで、青髭の横を大きく迂回して通り抜けた。
「ドクター! 竜の魔女の反応はサーチできますか!?」
《任せろ! その城内で最も魔力値が高い、つまり聖杯とワンセットと思しきサーヴァント反応は一騎のみ。ナビに沿って進んでくれたら、ついに竜の魔女とご対面だ! 心の準備はいいね!?》
「「はい!」」
――ドクター・ロマンのナビゲーションに従って走って、おそらくは城内の最も深い部屋の前で、一度立ち止まった。
ジャンヌさんが部屋のドアに両手をかけた。
「行きます」
ごく、と息を呑みながら、頷いた。
開け放たれた扉。
天井の高い大広間の中央に、黒い聖女が佇んでいた。
「とうとうここまで辿り着いてしまったのですね。ジルは――まだ生きていますが足止めされましたか。まあいいでしょう。こちらも準備は整っています」
「……貴女に伝えるべきことを伝えろ。これはマリーの言葉です」
「今さら対話など」
「簡単な問いです。
「―――――――――、え?」
ジャンヌさんがどういう意味で、そんな問いを竜の魔女に投げかけたのか、わたしにはさっぱり分からなかった。
調停者然としたジャンヌさんの表情が、綻んだ。懐かしい思い出に心を馳せるように。
「ジャネット。それが故郷のドンレミ村で、両親が、兄弟が、友達が呼んでくれた、『聖女ジャンヌ』でなかった頃の『ただの私』の名前。村を出て、戦場を駆け抜けたのはたった2年。17年間の『ジャネット』の思い出を私は決して忘れたことはありません。貴女も。私だというなら、忘れられないからこそ、裏切りや憎悪に絶望し、嘆き、憤怒したはず」
竜の魔女は明らかに狼狽した。黒い旗は床に落ち、彼女は自身の両手を見下ろして、その両手で頭を抱えた。
「記憶が、ないのですね」
ああ、そうか。
竜の魔女は地獄から蘇ったかつての聖女でもなければ、「ジャンヌ・ダルク」の闇の側面でもない。
記憶が「ない」とジャンヌさんは表現した。記憶を「忘れている」ではない。竜の魔女には「ジャネット」の時代の記憶が「最初から存在しない」んだと。ならば彼女は――
「そう――これで心が決まりました。竜の魔女。私は怒りではなく憐れみを以て貴女を倒します」
「黙れッ!! ならば勝負だ。お前の憐れみで、私の絶望と殺意を超えられるか。やってみせろ、聖女ジャンヌの光の側面!」
ついに。竜の魔女が自ら旗を構えた。
―― 一分一秒でも早く、彼女の復讐を終わらせてあげよう。わたしにもジャンヌさんにも、できること、彼女にしてあげられることは、それくらいだ。
踏み出したのは、ジャンヌさんと竜の魔女と、同時だった。
気づけばわたしの目の前で二人は距離を詰め合い旗をぶつけ合い―― 一瞬の間があって、ショックウェーブがここまで波及した。
「リカっ、わたしの後ろに――リカ?」
「は、はいっ。すいません、先輩……」
リカが萎縮するのも無理はない。正直に言って、わたしも圧倒されている。ルーラーの底力を侮っていた。援護するにも、あの二人の戦い、割って入る隙なんてないんじゃ……
「この憎悪と復讐は私のもの!! あんな末路を迎えながら、怒りすら湧かない壊れた貴様がジャンヌ・ダルクのわけがない!
禍色の槍の雨が降って来た。これは、竜の魔女の宝具!? わたし、わたしがすべき行動は――そう。盾を傘状に展開して、リカの姿勢を低くさせなければ。
「先輩ッ! きゃ……!?」
至近距離に落ちて床を抉った槍が1本。その余波でリカが吹き飛ばされて、壁際まで転がった。
「リカッ!! ――こ、のぉ!!」
わたしは盾に全体重を乗せて、竜の魔女にボディアタックをくり出した。真正面からぶつかられた竜の魔女がたたらを踏んだ隙に、わたしは急いでリカのもとへ駆けつけた。
「フォウ、フォーフォウっ」
「リカ、しっかり……!」
「――ちが、う」
「え?」
「せん、ぱい。ジャンヌさん、も。ダメです。ちゃんと、向き合わないと。あの人と――あの人を、――」
それだけを言うために意識を保っていたかのように、リカは気を失った。
大丈夫。リカは大丈夫だ。こうして気絶はしても、血は流していないし、きっと致命傷は負っていない。だから大丈夫、だから――わたしは自分にそう言い聞かせようとしたけれど。
ぷつり、と。
何かが切れる幻聴がして、頭がクリアになった。
「フォウ……」
「――フォウさん。リカをお願いします」
わたしは盾を持ち直して立ち上がり、竜の魔女を顧みて――突貫した。
盾を衝動に任せて竜の魔女にぶつけた、ぶつけた、ぶつけた。
わたしの中で燃え上がる、二つの気持ち。
――わたしの後輩をよくも痛い目に遭わせてくれたな、って。
――あの子のケガがひどくてあの子が二度と目覚めなかったらどうしてくれるんだ、って。
記憶の有無? 「ジャンヌ・ダルク」の真贋? どうでもいい。彼女がどういう事情の何者だって、彼女がリカを傷つけた事実に変わりはないんだから。
「この、っ、盾女……! しつこい!」
竜の魔女が旗で盾を殴りつけた。その威力に、わたしは踏み留まっていられなかったが、上等だ。竜の魔女を苛立たせてやっただけでも、この感情も少しは治まるってもの。
それに、ほら。
わたしに気を取られている竜の魔女に、ジャンヌさんが必殺を期して迫っている。
「しまっ……!」
ジャンヌさんが竜の魔女の腹部を旗の石附で突いた。おそらくはワイバーンを潰す時と同じ威力を込めて。
竜の魔女は大きく吹き飛んで、背中を壁にぶつけて、そこにずり落ちた。胴当ては砕けて、吐血している。
――勝負あった。
「そん、な。嘘だ。だって私は、聖杯を、所有して――」
大広間のドアが激しく開け放たれた。大広間に踏み入ったのは、青髭だった。
わたしは急いで、リカとフォウさんのいる壁際まで下がって、盾を構えて防衛態勢を取った。
「おお、ジャンヌ! ジャンヌよ! 何という痛ましいお姿に!」
「ジル……」
「ですが、このジル・ド・レェが参ったからにはもう安心ですぞ。さあ、安心してお眠りなさい。大丈夫。貴女が死ぬはずがない。ただ、少しだけ……少しだけ、疲れただけ。目覚めた時には、私が全て終わらせています」
竜の魔女は弱々しく微笑んだ。
「そう、そうよね、ジル……貴方が戦ってくれるなら、安心、して……」
黄鉛色の目を瞼が閉ざすより早く、竜の魔女の肉体は分解、消滅した。
ジルが立ち上がった。掲げた片手に現れた、あれは、金に輝くゴブレットだ。あれが――
「聖杯――!」
「察しのよいお嬢さんだ」
ジルはぞっとするほど人好きのする笑顔を刷いた。
戦う前のジャンヌさんとの問答ではっきりした。竜の魔女は、
「ジル。貴方は、『
「私は貴女を蘇らせようと願ったのです。心から願ったのですよ。当然でしょう? しかしそれは聖杯に拒絶されました。万能の願望器でありながら、それだけは叶えられないと! だが、私の願望など貴女以外には無い! ならば新しく創造する! 私が信じる聖女を、私が焦がれた貴女を!」
「――もし私を蘇らせることができたとしても、私は“竜の魔女”になど、決してなりませんでしたよ」
ジャンヌさんの否定はとても透明で、柔らかかった。
「私が祖国を恨むはずが、憎むはずがない。だって、この国には貴方たちがいたのですから」
「……お優しい。あまりにお優しいその言葉。しかし、ジャンヌ。その優しさゆえに、貴女は一つ忘れておりますぞ。例え貴女が祖国を憎まずとも、私は! この国を! 憎んだのだ! 貴女は赦すだろう、しかし私は赦さない! 滅ぼしてみせる、殺してみせる。それが聖杯に託した我が願望! 我が道を阻むな、ジャンヌ・ダルクゥゥゥッ!!」
どうして? ジル・ド・レェの叫びはどれも邪悪なものばかりなのに――胸を、衝いた。
確かなことは一つ。
彼は彼の中の妥協できない何かのために、心底求めているジャンヌさんをも敵に回した。
「……………そう、ですね。貴方が恨むのは道理で、聖杯を得た貴方が国を滅ぼそうとするのも、悲しいくらいに道理だ。そして私は――それを止める。聖杯戦争における
今さらになって気づいたことがある。
――ジャンヌさんの瞳が揺らいだことは、結局、出会ってから一度もなかったな。
ああ――心だけじゃない、全身に染み込むように理解した。
これを人は――――信念、と呼ぶのですね。