マシュを「先輩」と呼びたいだけの人生だった 作:あんだるしあ(活動終了)
聖都から距離を取り、安全圏に至ったわたしたち。
“彼”の懐かしのキャメロットより、乾いて焼けている荒野の風景に安心するなんて、どんな皮肉か。
「お疲れ様でした。貴女たちの協力なくして脱出はできなかったでしょう」
オーニソプターを降りたベディヴィエール卿の足取りはしっかりしたもので、表情にも苦痛は窺えない。何も知らなければ、逃走中に体調を持ち直したのだと勘違いしただろう。
今もそう。逃げ延びた難民たちの代表として話をしに来た男性に、ベディヴィエール卿は柔和な笑顔で対応している。
「先輩、先輩。あの人、怪我されてるんじゃ……」
「……うん。多分、あの右の義手の宝具の反動で、体の内側は途方もないダメージだと思う」
リカは悲しげに俯いて、意を決したように顔を上げてベディヴィエール卿に小走りで近寄った。ちょうど難民の代表が交渉を終えて、ベディヴィエール卿から離れた所だ。
「リカさん? あ、いえ、すみません、勝手な真似でしたか!?」
リカは答えず、ベディヴィエール卿に掌を伸ばた。わたしは今さらになって気づいた。あの子、ベディヴィエール卿の体内の火傷を自分に転嫁する気だ!
とっさにわたしは追いかけて手を伸ばして、リカの手を、
「――え?」
「あ――」
取り返しがつかないことをしてしまった。その思いがわたしの思考を撹拌する。謝る? ちがうの、と否定する? どうしよう。どうしていいか分からない。
「っ、ごめんな、さい……!」
リカは一目散に走って逃げて行った。――泣いて、いた。
フォウさんが追いかけたけど、わたしの足は地面に縫い止められたように動かなかった。
もう――――限界だった。
わたしはその場にぺたんと座り込んだ。視界がじわじわと滲んでいって、溜めきれなかった涙がボロリと流れ落ちた。
「レ、レディ!? どうされたんですか? どこか怪我を?」
答える声さえ出せない。せめて首を横に振って、そしたらまた涙、涙。自分の感情なのにコントロールが効かない。しゃくり上げて、しまいには地面に突っ伏して泣き喚いた。
難民の旅団が出発する。
わたしたちカルデア一行はその中にまぎれて、一緒に行進した。布で頭から外見を隠して。いつでも難民の護衛に出られる位置に陣取って。
わたしのそばには、絶えずベディヴィエール卿がいてくれている。何があったかを尋ねず、ただ隣に立ってくれている。
だから、甘えが口を突かせる。
「最初はただ、リカに死んでほしくないだけでした」
水分が足りずカサカサに乾いた声だと、なんだかわたしの声じゃないみたい。
「なのに、気持ちはどんどん濁っていって……リカさえ無事なら他は死んでもいいと思ってるみたいで、自分で自分が信じられなくなっていって――」
ルシュド君を見捨てようとした。助けに割って入ったのはわたし自身のくせに。
荒野でさまよっていた人たちに物資を分け与えたのだって、リカに転嫁魔術を使う隙を与えないためで、善意からじゃなかった。
次はどんな恐ろしいことをするんだろう、考えるんだろう?
想像できないほど自分自身が怖くて、叫んで逃げ出してしまいたかった。
「マシュはリカさんがお好きですか?」
ベディヴィエール卿はお天気の話でもするような軽やかさで問いかけてきた。
「はい。あの子は、わたしが巻き込む形でサーヴァントの契約をしたのに、その責務から逃げ出さなかった。それに、初めて会った時、わたしみたいな未熟者を『先輩』と呼んでくれた。わたしはあの子のことが、ずっと……」
ずっと――なに? どう続ければいいんだろう? ううん。悩む必要なんてないはず。ずっと「大切に想ってきた」でいいはずなのに。リカへの気持ちを「大切」の一言ですませたくない。
わたしが護ってきた。わたしが手を引いてきた。世界で一人きりの、わたしを「先輩」と呼ぶ少女。
「――マシュ・キリエライト」
「は、はいっ?」
「貴女が名乗られた姓名でしたね。不躾を承知で尋ねさせてください。その名は英霊としての真名ですか?」
……正直、ベディヴィエール卿が話題を変えてくれて助かった。これ以上考えたら、何か、恐ろしい一線を踏み越えそうだったから。
「わたしは……正しいサーヴァントではありません。デミ・サーヴァントといって、正確には、人間と英霊が融合した存在です。マシュ・キリエライトはわたしの名。わたしという人間に宿った英霊こそが、ギャラハッド。サー・ベディヴィエールと同じ、円卓の騎士です」
「……そうだったのですか。話して頂き、ありがとうございます。ずっと貴女に感じていていた懐かしさの正体がようやく分かりました。ギャラハッドが共に在ったからだったのですね」
「あの、水を差すようで申し訳ないのですが、わたしはギャラハッドのような立派な方ではありません。みっともなく泣いたり、悩んだり、頭の中ではすごく悪いことを考えたり……」
「もちろんです。貴女は貴女。ギャラハッドではないのですから。似ていると感じることはあっても、混同はしません」
ベディヴィエール卿の言葉は、すとん、と胸に落ちて来た。
――そっか。
わたしは誰かにそう言ってほしかったんだ。
あなたはギャラハッドじゃない、マシュだよ、って。
たった一言で楽になれるならもっと早く――、――いいえ、そうじゃないのよね。わたしは誰にでもそう言ってほしかったんじゃない。ベディヴィエール卿みたいに、ギャラハッドとわたしの両方の個を尊重してくれる人にこそ、告げてほしかったんだ。
何て有様なのか。アメリカでの任務でギャラハッドとの関係は吹っ切ったつもりだったのに。
「ですから、あなたがリカさんを大切に想うなら、それはまぎれもなくマシュという一人の人間から生じた真心です。ギャラハッドに遠慮する必要はありません」
でも、リカを大事にしすぎて何度も暴走したわたしが、リカへの気持ちに開き直ってしまったら、もっと大変なことをしでかしやしないだろうか。
「す、すみませんっ、不安がらせるようなことを言ってしまいましたか?」
「いいえ、そんな! 全てわたしを思いやってくださっての言葉です。不安に見えたのでしたら、単にわたし自身が未熟なサーヴァントだからであってですね。それに、不安というか、わたしよりずっとお辛いのはベディヴィエール卿のほうじゃないですか」
「? ああ、アガートラムのことですか。ご心配なく。短時間の真名解放であれば、聖都の門でのような失態は晒しませんとも」
心強く言い切る時こそ内実は真逆であるのが貴方だろうが、とわたしの中のギャラハッドの断片が抗議したがっているのを感じた。
そこでカルデアのドクター・ロマンから通信が入った。
《ベディヴィエール卿。キミのその右腕、今、アガートラムと言ったかい?》
「はい、ロマン殿。もっともこれはマーリンから授けられた義手であって、ケルトの戦神、ヌァザの銀腕を模した、贋作宝具です」
《ふむ、すごい技術だ。神霊の腕を再現するなんて、どんな素材を使ったんだろう? ダ・ヴィンチちゃんなんか内心、プライド刺激されまくりだろうねえ。『私のガントレットのがすごいんだぞー!』って感じに》
わたしは苦笑し、すぐ、ダ・ヴィンチちゃんのガントレットでも円卓の騎士たちには及ばないことに気づいて、中途半端に口の端を下げた。
――ギフト。真正の聖杯が授けた祝福。破れるのはおそらくベディヴィエール卿のアガートラムのみ。
けれどアガートラムを真名解放すれば、ベディヴィエール卿はまた体内を焼かれる。そんな痛々しいペナルティを承知の上で、彼にほいほい頼ることはしたくない。
せめて人心地ついてから、ダ・ヴィンチちゃんが工房を構えてギフトを解析すれば、突破口を見出せるかもしれないのだけど。
当のダ・ヴィンチちゃんはというと、リカのフォロー……いや、ごまかすまい。リカのカウンセリングのために、わたしたちとは物理的距離を置いている。少なくともこの通信が聞こえない程度には離れている。
思考がまた、ベディヴィエール卿と話し始めた所に逆戻りしそうになった時に、通信越しのドクターの声色が変わった。
《いや、待て――後方から猛スピードで接近する魔力反応! 数は、粛清騎士40体と……サーヴァント反応!? 円卓の騎士がもう!? くそ、あと少しで山岳地帯に入れたのにっ》
そんな、速すぎる。まだわたしたちの準備は何も整っていないのに。
難民の皆さんがそれぞれに荷を捨てて山へと走り出した。おそらくはダ・ヴィンチちゃんの指示だ。なりふり構うな、とあのダ・ヴィンチちゃんが判断した。
数が多いだけの敵なら今までに何度も相手をしてきた。しかし粛清騎士の強さは通常の兵士を遥かに上回るし、加えて円卓の騎士が率いているならば、こちらの活路は無いに等しい。上手く迎撃できたとしても、少なからず難民の方々から落伍者を出す。どうしよう。最適解が、突破口が見出せない……!
「っ……やはり私も……!」
ベディヴィエール卿が銀の右手で細剣を抜こうとする寸で、わたしたちの近くにオーニソプターがドリフトして急停車した。
「あの数はベディヴィエール卿じゃ無理でしょ。あーあ、円卓の騎士が一人だけなら任せたんだけどなあ」
運転席にはダ・ヴィンチちゃん。後部座席には、両手でフォウさんを抱いたリカがいる。
リカがオーニソプターから降りてから、ダ・ヴィンチちゃんはオーニソプターの戦首を、向かってくる敵部隊に向かせた。迎撃に出るならわたしも。そう思って乗り込もうとしたわたしだったが。
「あ、マシュはダメ。というか誰も乗らないで。私一人で突っ込むから。キミたちは難民たちと行きなさい」
「あの、それはどういう――」
「いわゆる、ここは私に任せて先に行け! ってやつね。様式美的に言うと。オーニソプターの心臓部にマナ収束機構を取り付けた。要は私の杖と魔術回路を利用した自爆自走車さ。これで連中を爆散一掃する」
《馬鹿かキミは!! そんな戦法は却下だ!!》
「まあまあ。これはもうしょうがない。連中に捕まったら、これぐらいしか逃げる手段はなかったんだよ。最初から。だからまあ私としては、ついに自分の番が来たか、ぐらいの感慨しかない。ロマニ、あとはキミが上手くやりたまえ。チキンのクセに、ここまで頑張ってきただろ」
《……………ま、ダ・ヴィンチちゃんのすることだし。一人で行ってくれば?》
話はとんとん拍子で、気づけばダ・ヴィンチちゃん自爆で対策が固まっていた。
わたしはとっさにリカを見て、悟った。リカは合流前にダ・ヴィンチちゃんからこの作戦を聞いて、納得して、受け入れていた。でなきゃこんな悲痛な表情をこの後輩がするわけない。
「大丈夫、天才は不滅だ! 生きていたら必ず会おう!」
リカは無言で深く頭を下げた。
オーニソプターが発進する。向かってくる粛清騎士の部隊へ正面から迫り、接触――大規模な爆発が起きた。粛清騎士は消えて、開けた視野がある限りだった。
わたしはそこへ至ってようやく事の重さを実感し、悲鳴を上げかけた。
「しっかりして、マシュ! 彼は信じて後を託したのです! 今の内に我々も山岳地帯へ――!」
ベディヴィエール卿の叱咤がわたしに悲鳴を呑み込ませてくれた。
行かなくちゃ。走らなくちゃ、わたし。
ここで立ち止まっては、それこそダ・ヴィンチちゃんがああした意味が潰えてしまう。
わたしは、先に走り出したベディヴィエール卿やリカとフォウさんに追いついて、一緒に山へ駆け出した。