使い魔のくせになまいきだ。 ~ マガマガしい使い魔 ~   作:tubuyaki

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STAGE 22 気がかりな悪夢から目覚めたとき

ルイズは小舟に揺られながら、ぼーっと空を眺めていた。

 

 遠くへ置いてきた喧騒は、もう耳に入らない。

 ここには、誰も私を責める人はいない。

 ひそひそと私のことを噂する人に煩うこともない。

 私だけの、秘密の場所。

 昔は家族と遊んだのに、今では皆から忘れ去られてしまった、中庭の池。

 石のアーチには鳥たちが集い、東屋の建てられた小島が浮かんで湖面に影を映し出している。

 美しい、けれどもうらぶれてしまった場所……

 

 ずっと空を眺めていた彼女が気まぐれに下を向くと、湖面にはさざ波が立ち、複雑な文様が作り上げられていた。その細やかな波の行き着く先を目で追えば、湖岸にて初夏の花々が咲き乱れ、風に揺られているのが見えた。ルイズは、そっと目を閉じた。耳をすませば、小鳥たちのいきいきとした歌声が聞こえてくる。彼女のお気に入りのこの場所では、ただただ静かに時間が流れていく。

 

 目に入るもの、聞こえるものだけでなく、肌を撫ぜる風や穏やかな日差し、身体を揺らす

 舟の揺らぎまでもが、私を癒してくれる。私の軋んだ心に、染み入ってくる。

 

 ふと気が付くと、ルイズはまた自分の目に涙が溢れていることに気が付いた。

それと同時に、強烈な胸の痛みも彼女を苛んだ。

 

 何時もこうなのだ。ここは、私だけの、私を優しく包んでくれる場所。

 それでも、少し落ち着いたと思った自分の心に目を向けると、また唐突に悲しみが

 大波となって押し寄せてくる。そうなると、今度は周りにあって、私を包み込むように

 癒してくれるもの全て、その優しさが、自身の無残な状況を余計に引き立たせるかのように

 思えて、悲しみが一層込み上げてしまう。

 

声を押し殺しながら震える彼女の瞳から、大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちていった。

 

 

「大丈夫かい?」

 

ふと、ルイズの弱った心をそっと救い上げる様な、優しい声が掛けられた。

 

「子爵さま……」

 

ルイズは顔を上げ、それから慌てて目元を拭った。

 

「こちらにいらしてたのね」

 

ルイズは何でもないことのように返事したが、彼女は泣き顔を見られた恥ずかしさで一杯だった。

 

子爵様。私に優しくしてくれる人。私の心に寄り添ってくれる人。

 

「また怒られたんだね? 大丈夫、僕からお父様に取り成してあげよう」

 

凛々しくて、かっこよくて、私の憧れの人。

お父様が決めた、私の婚約者。

 

そんな彼が、にこやかな顔で私に手を差し伸べてくれた。

私の頬も思わずほころんで、そっと彼の手に自分の手を重ねた。

 

そこに、びゅうと風が吹きつけた。

 

 いつの間にか、照り付けていた日差しは陰り、小鳥たちのさえずりは鳴りを潜めていた。

小舟は風に煽られてゆっくりと向きを狂わし始め、ほの暗い池の奥底からは小さい泡が

昇ってきてはぽこぽこと、やけに不気味な音を立てていた。

 

「子爵様……!」

 

ルイズは急にぞっとするものを見つけて、顔を低く俯かせた。

 

「どうしたんだいルイズ? なぜそう怖がって顔を隠すんだい?」

 

ワルドはゆっくりと舟を漕ぎながら、そう尋ねた。

 

「子爵様には見えないの? 冠のように尖った頭で、マントを着た魔王が?」

 

ワルドは優しく諭すように返事を返した。

 

「ルイズ、あれはただの霧だよ」

 

湖面に風がびゅうと吹き、遠くから飛ばされてきた木の葉が舞った。

 

「カワイイルイズ様! 一緒においでなさい! とっても楽しいアソビをしましょう!

 地下には色とりどりのコケが咲いて、私のムスメは呪いの首飾りを揃えていますよ」

 

「子爵様! 子爵様! 聞こえないの? 魔王が私にささやく声が!」

 

「落ち着きなさい、ミ・レイディ。それは、風に木の葉が音を立てているのさ」

 

ワルドはおどけた様子で、ただ少し素っ気なく言った。

 

「可愛いルイズ様、一緒に行きませんか? 私のしもべたちが待っています。

 ガジフライたちは夜通し飛び回り、トカゲ男は歌ってルイズ様を眠らせてくれますよ」

 

「子爵様! 子爵様! あそこに見えないの? 暗い所に魔王のしもべたちがいるのが!」

 

「ルイズ、そんな風に見えることもあるさ。あれは古い柳の木がそう見えるだけだ」

 

ワルドは気にせず、オールを手繰り寄せている。

 

「ルイズ様の可愛い…… ええい、メンドくさくなってきました! 嫌がるのなら、腕づくです!」

 

「子爵様! 子爵様! 魔王が私をつかんでくるわ! 魔王が私を苦しめる!」

 

ワルドは恐ろしくなって、舟を急がせた。苦しむルイズを抱いて、彼が疲労困憊になりながら岸辺に辿り着いた時には、腕の中でルイズは……

 

いつの間にか、幼い6歳頃の姿から16歳の今の姿になっていた。夢の中のことなので、こんなこともある。一度岸へ辿り着いたはずの小舟は、何かに引っ張られるように再び沖へと流されていた。大きくなったルイズは、尚も変わらず彼へと必死に呼び掛けていたが、背の伸びてきた彼女には、もはやワルドの目深に被ったハットの奥を窺うことは出来なかった。辺りはどんどん暗くなっていく。進路の定まらない舟はぐるぐると回り始め、池の底から噴き出してくる泡はぼこぼこと大きな音を立てた。

 

「子爵様!」

 

 あれだけ優しかったワルドは、もう彼女に目線を合わせようとはしない。

まるでルイズの声が聞こえないかのように、じっとその場に座っていた。

池はゴーッという大きな音を立てて、その水位を急速に減らし始めた。

小舟は渦を巻く波の中心でぐるぐる回り、目眩の余りルイズの頭は何も考えられなくなってしまった。そしてゴボゴボという濁った音と共に、急にルイズは身体が浮いたような感覚を覚え、そのまま舟と一緒に渦巻く波の下に吸い込まれていった。

 

「きゃあああ!」

 

 ザブンと大きなしぶきを立てて、舟は大きく上下した。未だ揺れ動く舟の上で、ルイズは何事かと周りを見回そうとした。しかし辺りは深い靄に包み込まれており、目を凝らしてもそこが水に満ちた暗がりで、どうやら洞窟の中らしいこと以外、何も読み取ることは出来なかった。ルイズは周りの濃い靄の形が、何だかニンマリとした笑い顔に見えてきて薄気味悪くなった。

 

 突如として、霧の中を大きな塊がすいーっと横切っていった。何者かとルイズが湖面に目を近づけると、先ほど見えた大きな影だけでなく、もっと小さな影がいくつも動いていることが分かった。その陰の一つが、舟のすぐ真横をすいと泳ぎ過ぎていった。

 

「アメンボ? ……にしては大きすぎるわよね。足も短いし」

 

密林の奥地にでもいそうな巨大な蜘蛛が、水を足ではじきながら動き回っていた。

 

「水の上のクモだから、ミズグモとでも言うべきかしら?」

 

 得体のしれないそのクモの一群は、動く度に水面へ繊細な波を作り出していた。ルイズがそれへと手をさし伸ばした途端、急にクモの群れは舟から離れていった。そしてそれらを追い立てるかのように、今度はバシャバシャと大きな音を立てて、これまた大きなカメがルイズのすぐ傍を通り過ぎていった。もっとも二本足で歩き、手に斧を携えていたそれを本当にカメと呼んでいいものなのか、ルイズには分かるはずもなかった。ルイズはしばらく口をあんぐりと開けて、カメの姿が霧の中へと消えていくのを見届けた。

 

「これってあれよね。絶対にあの使い魔の仕業だわ!」

 

 ルイズが奇妙な体験に憤慨していると、今度は小鳥のように澄んでいて甲高い声が聞こえてきた。ルイズが声の方へと振り向いてみると、彼女の目の前を小さな人影がすーっと横切って行った。紫色の髪を一つに束ね、簡素な緑色のドレスを身にまとった、元気そうな少女であった。少女はルイズから少し離れたところまで行ってから立ち止まると、その場でくるくると回り始めた。その様は、まるで凍った水面の上を滑ってでもいるかのようだったが、その足元ではちゃぷちゃぷと、裸足に触れた水がしぶきとなって散っていた。少女は手を上に横にと動かし、舞台に上がった女優であるかのように舞っている。そこへ、彼女によく似た姿の少女が二人、元気よく水面の上を走って来て加わり、踊りはより賑やかなものとなった。

 

「人、じゃないわよね。水の精霊の類かしら?」

 

 ルイズはその少女の踊りを見ているうちに、だんだんと自分も楽しくなってくる気がした。いつの間にか、舟の辺りには紅白の蓮華がたくさん流れて来て、水の精霊(ローレライ)たちの踊る舞台を華やいだものに変えていた。一際大きい蓮華の蕾が流れてきて、ルイズの目の前でキラキラと輝きながら花開いた。途端にむっと甘い香りが立ち込め、ルイズは心が安らぎ、頭がすっきりするような感覚がした。周りの靄はいつの間にか塊としてのくっきりとした形を得て、あるものは杖を手にした悪戯っぽい妖精の姿で、またあるものはどんな攻撃もその身で受け止めそうな恰幅の良いトカゲの姿で、水辺の周りをうろつき始めていた。水面に踊る少女たちの数もいつの間にか増えており、奇妙なことに増えた人影は、チカチカと消えては現れる点滅を繰り返していた。ルイズが呆気に取られて見ていると、その少女の姿は急にふっとかき消えてしまった。かと思えば、今度はざぶんざぶんと舟が大きく揺られ始めた。どこから波が来ているのかとルイズが目で追うと、その先ではとんでもなく大きく真っ黒な、魚のような生き物が尾びれをはためかせ、ゆうゆうと泳いでいた。その大魚は軋むような、甲高いような鳴き声と共に、水しぶきを高く噴き上げ、そこら中に雨のごとく水を降らせた。それを見てルイズの胸は逸った。あれはもしかして、伝え聞いた話でしか知らないが、遠き大海に住まうという「くじら」なのではあるまいかと。

 

「ねえねえ、見て見て子爵様! あれって、きっとクジラだわ! お父様にご本で読んで貰って、知ってるもの」

 

 興奮気味に喋るルイズだったが、ワルドの返事はない。不満げにルイズがワルドの方へ顔を向ける。相変わらず彼は帽子を目深に被り、ルイズはその表情を伺うことができない。するとそこに船の外からキャッキャと水面を蹴りながら、水の精霊(ローレライ)が近付いてきた。彼女は手を後ろに大きく振りかぶると、ルイズが止める間も無くワルドの顔を思いっきり引っ叩いた。その小柄な手に見合わぬ威力が込められていたものか、ワルドはローレライの一撃で水面に落ち、ざっぶんと音を立てた。波に揺られて、舟はワルドから遠ざかっていく。

 ワルドはすぐに泳ごうとするそぶりを見せたが、そんな彼を遠巻きに取り囲む影が水面に走った。その正体は、ミズグモであった。ミズグモたちはあごを大きく開くと、ワルドに向け、我こそはと糸を吐きかける。それによってワルドの体中へと細い糸が絡みつき、動きの鈍った彼は余計に苦しそうにもがき始めた。

 

「ワルド様!」

 

 そこへ先ほどのローレライが、仲間を引き連れてやって来た。彼女たちがキャキャッと笑った瞬間、水面に光るものが走った。光はめくるめく速さでワルドに近づいていく。そしてワルドが光に触れると、彼の体はビクッビクッと大きく震えた。

 

「ワルド!!」

 

 先ほどよりも余計にぐったりとした様子のワルドであったが、ローレライたちはあろうことか、彼を取り囲んではこれでもかとビンダの嵐を送った。悲鳴を上げるルイズの脇を、物々しいカメの一団が通り過ぎていった。そしてワルドに対し一定の距離まで近づくと、よく訓練された弓兵のように、一斉に攻撃を開始した。もっとも放たれるのは矢ではなく投げ斧であるという点が、殊更にマガマガしいところであった。また恐ろしいことにこのミズガメたちは、一体どこに隠し持っているものか、投げる斧に事欠かないらしく、何度も何度も斧を振りかぶっては投擲を繰り返した。何十もの斧が宙を舞い、旋回しながらワルドへと吸い込まれるように飛んでいく。水に住まう魔物たちの集中攻撃を浴びたワルドは、瞬く間に水面へと沈んでいった。

 

「キャーーー!!!」

 

ルイズは恐ろしくなり、叫び声をあげた。

 

「かくて、ヒローコンパイの子爵は息絶えてしまいましたとさ!」

 

 甲高くもしゃがれた声と共に、ルイズの肩へそっと手が置かれた。ルイズが恐る恐る後ろを振り返ると、暗がりの中で一対の赤く光る瞳が妖しく輝いていた。

 

 揺れ動くルイズの感情に構わず、水に舞うマモノたちがぞくぞくと辺りへ集まってくる。水の上をすいすいと、あるいはばしゃばしゃとやって来ては、彼らは各々のやり方で舞い踊る。彼らの歌声と鳴き声とが混じり合い、水上の空気を揺らしては洞窟の中にこだまする。ルイズはそれらを見聞きしている内に、まるでバレエやオペラを見に来たかのような、そんな夢見心地になってきた。もっとも彼女の厳しい母親は、彼女が街で遊ぶのを好まなかったため、歌劇を見ているようだという感覚も実のところ、彼女の期待が入り交じった想像の上のものなのであった。未経験の事柄でも、素晴らしい体験として感じられるのが、夢の素晴らしいところである。彼女はもうすっかりと、ワルドのことを忘れ去っていた。嫌なこと恐ろしいことでも、直前に起きたことをすっぱり忘れられる。これもまた、夢の良いところであった。

 

「さあ、一緒に征きましょう!」

 

 岸辺に立つ魔王が、ルイズへと手を差し伸べた。ルイズはゆっくりと手を伸ばしつつ、魔王の周囲に広がる怪しくも幻想的な景色に目を奪われた。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 ある朝、ルイズ・フランソワーズが気がかりな夢から目覚めたとき、彼女は自分がベッドの上で一匹の巨大な毒虫に変わってしまったかのように錯覚した。彼女の体はお腹から背中までがぐるっと布団で(くる)まれており、その上から幾重にもぐるぐると巻かた縄(肩の下から足元まで続いている)が、芋虫のような縞模様を作っている。いわゆる、簀巻きの状態であった。

 

「な、何よこれ!」

 

彼女が必死にもがこうとしても、身体はぴくりとも動かない。

 

「良いざまね、ルイズ・フランソワーズ」

 

 投げかけられた声に驚いたルイズが目を向けると、そこには憎々しげに彼女を見下ろす人影があった。それを見た途端、ルイズは頭にカーッと血が上っていき、顔が熱くなるのを感じた。

 

「キュルケ! それにタバサも! これは一体どういうことよ!

 何で私の部屋にいるわけ? いや、そもそもこの縄はなんなのよ! 早く解きなさい!」

 

ルイズが捲くし立てた言葉に対し、キュルケもまた憤慨した様子で返事を返した。

 

「フン、誰が解くもんですか! 今日一日、そうやって自分の愚かさを悔いるがいいわ!」

 

彼女の言葉に合わせて、タバサがこくこくと頷いた。

 

「な、なんですってええ!!」

 

ルイズの顔はより一層、リンゴのように真っ赤になっていった。

 

どうしてこの私が、こんなみっともない姿を晒さなければいけないというのよ!

しかもキュルケの手で!

 

ルイズは怒りに打ち震えながら声を絞り出した。

 

「ああああんたたちが、こここんなことをする人だったとは思わなかったわ!

 前からあんたのことは嫌な奴だと思ってたけど、寝込みを襲おうだなんて

 きたない、さすがキュルケ汚いわね!」

 

だがキュルケは、ルイズの渾身の罵りをフンと鼻で笑うと、

 

「自分の手を汚さずに人を貶めようなんて人に言われたくないわ」

 

と、軽蔑するように言った。心当たりのないことを言われ、ルイズは憤慨と共に困惑を覚えた。しかしキュルケはもうこれ以上喋るつもりがないのか、ルイズを冷たく見下ろすばかりで、視線で彼女を圧するのであった。ルイズは、手も足も出ないこの状況に焦りを募らせた。それと同時に彼女はもう一つの、我慢のならない忌々しい事柄に対して心を捕らわれた。

 

「(私がこんな目にあってるのに、魔王ったらどこほっつき歩いてるのよ!)」

 

 普段、自分の部屋に特別に泊めてやっているというのに、肝心な時に番犬のごとく吠えて危機を知らせることすら出来ないとは! ルイズの心中には、キュルケらに対してだけでなく、頼りにならない魔王への怒りがふつふつと沸き起こり、彼女の苛立ちは募るばかりであった。ルイズは考えた。魔王め、後で戻ってきたら、強烈な折檻をしてやる。いやそれより先に、この二人にお仕置きするのが先か。

 

「ふん! 今に見てなさい! あんたたちなんか、後でけちょんけちょんのぎったんぎったんに

 してやるわ! 私の使い魔が戻ってきたら、すぐに縄を解かせて、ものすっごく怖い目に

 合わせてやるんだから!」

 

 だがそれを聞いてなお、キュルケは彼女に冷たい眼差しを向けることを止めなかった。

むしろ今の言葉を聞いて、その視線に愚かなものを見る哀れみまで浮かんできたようであった。

 

「な、何よ! 何とか言いなさいよ!」

 

「……」

 

「わ、私をそんな目で見るんじゃないわよ!」

 

喚き続けるルイズに、キュルケはようやく口を開いた。

 

「……床を御覧なさい」

 

 そう言われて、恐る恐るルイズが首を回し、ベッドの高さよりも下の方に目を向けると、そこにはもう一匹の巨大な毒虫がいた。簀巻きにされた魔王は、縛られる前にけちょんけちょんにやられたのか、小刻みにぴくぴくと震えていた。ルイズは、呆れ果ててすぐに言葉が出なかった。

 

「あなたの使い魔さんなら、当然一番に締め上げたわ」

 

「魔王! あんた、声一つ上げることなくやられたというの!

 同じ部屋にいながら、主に危機を伝えることすら出来なかったわけ!

 何という失態! あんた、使い魔失格よ!!!」

 

 それからしばらくの間、ルイズが己の使い魔を散々に罵る姿を、キュルケらは目を細めながら見つめていた。ルイズが思いつく言葉を言い尽くし、息を切らしたところで、キュルケは唐突に語りかけた。

 

「あなた…… もしかして、知らないの?」

 

「知らないって、何のことよ!」

 

タバサが、ぽつりとつぶやいた。

 

「白々しい」

 

「何ですって!」

 

キュルケは、はぁとため息をついた。

 

「あなたったら、さっきから言うのはそればっかりね」

 

彼女はやれやれと、呆れたように首を振ると、ルイズに事情を説明し始めた。

 

「昨日の晩のことよ。お子さまなルイズは舞踏会が終わってすぐ部屋に戻ったみたいだけど、

 当然私はしばらく外にいたわ。月明かりに照らされた静かな場所で、立派な殿方との

 素晴らしい一時を過ごしていたの。ねえ、タバサ」

 

いきなり話を振られたタバサは、こくりとうなずくと

 

「おいしい料理…… たくさん残ってた」

 

と、聞いていたのか聞いていないのか、よく分からない返事を返した。

 

「それでいい雰囲気も最高潮になって、さあ、これから二人だけで甘く優しくして、

 それでいて激しく燃え上がりましょうって気分になって、部屋に戻ってみれば!」

 

ルイズはごくりと唾を飲み込んだ。

 

「フレイムが部屋中、燃やし散らかして大変よ! ベッドが丸々燃えカスになっちゃったじゃないの!」

 

「???」

 

ルイズは急に出てきた使い魔の話に、大いに困惑した。

 

「私のシルフィードは、狂ったように窓のへりへ頭を叩きつけて、部屋の中に入ろうとした」

 

「……」

 

 ルイズは何と言っていいか分からなかったが、とりあえずこの二人に説明を任せたままでは駄目らしいことだけは、はっきりと理解させられた。仕方なく、ルイズは適当に相槌を打った。

 

「それは、その…… 災難だったわね」

 

「なに他人事みたいに言ってるのよ!」

 

 いきなり怒鳴られて、ルイズはビクッとした。

キュルケはいきり立ち、タバサはじっとルイズを睨み付けている。

だがしばらくすると、キュルケは再びはぁ……とため息を吐いた。

 

「そう言えば、あんたは何も知らなかったんだったわね。いい気なもんよね、周りの苦労も

 知らずにぐっすりおねんねしちゃうんだから。そんなだから身体の方も何時までたっても

 お子さまなのよ」

 

 とんでもない誹謗中傷だった。なぜかルイズと体格のそう変わらないタバサまでもが一緒に

なって、「お子さま」と呟くに当たり、ルイズの眉間にはくっきりと青筋が走った。しかし自らの圧倒的に不利な状況を鑑み、我慢に我慢を重ね、彼女は何とか怒りを抑えて先を促した。

 

「そ、それで? 一体何が何だったっていうのよ。今聞いた話だけじゃ訳が分からないわ!」

 

分かったわよとキュルケは返し、話を続けた。

 

「その後はもう大変だったわ。急いでモンモランシーを呼んだんだけど…… あ、ほら彼女って

 水メイジじゃない? けれど、フレイムが暴れまわるものだから、全然火が治まらなくて!

 しかも教師までやってきて、カンカンに怒られたわ! 使い魔の監督不行き届きですって!」

 

「同じく」

 

タバサがキュルケに合わせてつぶやいた。

 

「折角のロマンに満ちた夜が台無しになって。それで消し炭になったベッドを呆然と

 眺めながら、私は思ったわ。どうしてこんなことになっちゃったのかしらってね」

 

タバサもこくんこくんと頷いた。ルイズは聞いていて、猛烈に嫌な予感がし始めた。

 

「その時だったわ。窓の外を、大量のワインボトルを手にしたあんたの使い魔が

 ひょこひょこ歩く姿を目にしたのは……」

 

ルイズは急に冷や汗をかき始めた。

 

「まさか、その…… あんたたちの使い魔の息が、酒臭かったり?」

 

「その通りよ! まったく、何てことしてくれたのよ! てっきり、あんたが普段の報復に、

 使い魔を使って仕返ししてきたのかと思ったわ!」

 

ルイズは、ようやく事態を飲み込んだ。

 

「事情はよく分かったわ。こいつったら、本当にどうしようもない奴ね。

 でもその話って、私は何にも関わってないじゃない! 早く縄を解きなさいよ」

 

するとタバサがぐいと前に出て言った。

 

「使い魔の責任は主の責任」

 

「ま、そう言う訳だから、あんたはそこの使い魔と一緒に反省してなさい」

 

 そう言うと、二人はツカツカとルイズから離れていき、ばたんと扉を閉めて立ち去って行った。ルイズは、暗く静かな声を、床下に向け投げかけた。

 

「あんた……!」

 

「違います! これはフコウな行き違いです!」

 

魔王はすぐさま、苦しげな声で返事を返した。

 

「今さら何言ってんのよ。もうキュルケ達からネタは上がってんのよ」

 

 ルイズの怒りの深さを示すかのような低い声に、魔王は一瞬たじろいだが、

すぐさま『それでも私はやっていません!』と反論した。

 

「言い訳は、地獄で聞くわ」

 

 ルイズは、確か鞭を入れたのはあの引き出しだったかしらと考えつつ起き上がろうとして、そのままぎゅうと身体を締め付けられる感覚を覚えた。

 

「……」

 

縄が食い込み、彼女は体中が痛くなった。

ルイズはため息をつく気力すらなくなって、そのままベッドに身体を横たえた。

簀巻きとは、かくも人の心から気力を奪い去るものなのか。

しかし無気力ながらも耳は聞こえるもので、魔王の抗弁は確かにルイズに届いていた。

 

「そりゃあ確かに私はワインを運びました。でもそれも、元はといえば彼らがそれを

 求めたからに過ぎないのです。」

 

「何ですって?」

 

ルイズは思わず起き上がろうとし、つっかえるように縄に体を取られ、そのままベッドに叩き付けられた。

 

「……」

 

しばらくルイズは不機嫌そうに顔を歪めていたが、それから静かに「続けなさい」とだけ呟いた。

 

「昨晩、舞踏会が終わった後のことです。私は良い機会だと思い、他の使い魔と親睦を深めに

 出かけました。確かに使い魔の仕事は主に付き従うことです。だがしかし、命令に従うのは

 ともかく使い魔の生活が主への下僕働きだけではさみしいと、この魔王は考えます」

 

「あんたは割と自由に過ごしてるじゃない」

 

ルイズは呆れたように言った。しかし魔王は首を振ると、それだけでは足りないのですと語った。

 

「一人はみんなのために、みんなは一人のためにの精神です。考えてもみてください。

 私がルイズ様達とともに優雅なひと時を過ごしている時に、我らが同胞である使い魔たちが

 狭苦しい庁舎に押し込められて、いつもと変わらぬ餌を食んで過ごしている。

 何かしてあげたくなるっていうのが、魔人情ってもんじゃあないですか!」

 

「ふーん。あんまり考えたこともなかったけど、いい心がけなんじゃない?」

 

「そうでしょう、そうでしょう! そこで私は、微力ながら彼らも楽しい一時が過ごせるよう

 動き回っていたのです。だから別に魔王軍の勧誘だとか、接待ネマワシ袖の下だとかは

 カンケーありません!」

 

「……へぇ」

 

ルイズは白い目で魔王を眺めたが、彼は『ムショウの奉仕って、スバらしいですね!』としらを切るのだった。

 

「やっぱ、殺伐としたこの世の中にあって、そういうのってダイジだと思うのです。

 それにこれは資源の有効活用のモンダイでもあるのです。

 パーティーでは、えてして料理が余るもの。せっかくおいしいお肉や野菜が

 用意されているのに、口に入らないなんてモッタイナイですからね」

 

「まあ、確かにそうね。使用人の賄いになるにしても、限度があるだろうし……」

 

「そうです、その通りなのです。世の中、まだ食べられるのに捨てられる食品のなんと

 多いことか! そこはかとなくビミョーに環境派な魔王としてはヤッパリ、こういうところは

 見過ごせません」

 

この使い魔にもそんな殊勝な心掛けがあったとは、と思ったルイズは、少しだけ彼のことを

見直した。

 

「そんなわけでパーティー終了後に、あの青髪の少女とのシレツな皿の争奪戦を繰り広げた挙句、

 使い魔たちの好みそうな料理の数々を確保するに至り、みんなでワイワイ盛り上がった

 というワケです」

 

「それって、料理余ってないわよね!」

 

「使い魔を差し置いて食い意地が張ってるあのちびすけが悪いのです!」

 

魔王はまったく悪びれた風も無く言った。

 

「まあとにかく、我ら使い魔は戦利品を分け合って、楽しくやっていたワケです。

 そんな中で、件のちびすけの使い魔がこんなことを言い出したのです。

 『お肉を一杯持ってきてくれてうれしいのね! でもいい加減、喉が渇いたのね。折角だから、

 いつもお姉さまが飲んでる、肉によく合いそうな赤い飲み物が欲しいのね!』と……」

 

「そう言えば、あんたって他の使い魔の言葉が分かるんだったわね。

 それでワインを持ってったってわけ?」

 

「そうです。もちろん私も、節度ある楽しみ方をして貰おうと目を光らせてはおりました。

 そして初めは和気藹々と、楽しくやっておったのです。彼女も、『甘くて、苦くて、

 でも飲んでるとぽかぽかふわふわしてきて気持ちがいいのね!』と喜んでおりました」

 

ルイズは、あの風竜ってメスだったのかと妙に感心した。

 

「キュルケ嬢の使い魔、フレイムもいける口らしく、ぐいぐい飲んでおりました。

 主が主ですし、当然、彼も酒には慣れているものと思って、私、気にも留めずに

 その様子を眺めておりました。それがまさかあんなことになるだなんて……」

 

そう言うと魔王は項垂れるように頭を床に落とした。

 

「それじゃ、結局あいつの使い魔が自制できずに飲み過ぎたってこと?

 それじゃ悪いのは私たちじゃないじゃない!」

 

ルイズはそう言って、再びキュルケへの怒りを蘇らせた。

 

「きっとサラマンダーの彼は、ご主人様の男癖の悪さに辟易していたに違いありません。

 それで酔った勢いもあり、ベッドを焼き払うという蛮行を……」

 

「そうだったのね」

 

ルイズは納得した様子で唸った。

 

「それで、タバサの使い魔の方はどうだったのよ?」

 

「それが…… 私は他の使い魔たちのためにイロイロ持ってくるため、

 少しの間、席を外していたのですが、その間に尋常でない飲み方をしたらしく……」

 

ルイズは深くため息をついた。それから穏やかに魔王に語り掛けた。

 

「確かに、あんたも他の使い魔たちに酒を飲ませたのは不用意だったわ。

 でもあんたも善意でやっていたんでしょ? なら許してあげるわ」

 

「本当ですか、ルイズ様!」

 

「嘘はつかないわよ。それに今回の件はあんたの言う通り、自己管理が出来てないあいつらの

 使い魔に一番の責任があるわ。全く、キュルケには本当に迷惑しちゃうわね」

 

「本当に、本当にヨロシイのですか?」

 

「いいって言ってるのよ」

 

「おおルイズ様、なんとおやさしい……」

 

魔王は痛く感動した様子で、胸を撫で下ろしていた。

 

「もう、あんたらしくないわね」

 

部屋の中のピリピリした空気は、いつの間にか落ち着いたものへと変わっていた。

 

「いやしかし、昨晩は楽しく終わると思っていたのですがねえ……」

 

魔王はそう言いながら、物思いにふけった。

 

 

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間話 嘘を嘘と見抜けない人は、(使い魔を使うのは)難しい

 

 

「何でも、度数の高い酒を口に含むと、ニンゲンどもですら火を吹けるらしいです。

 つまりキミの火を吐くというとくぎも、絶対のものではないのです!」

 

フレイムは衝撃を受けた。サラマンダーという自らの種族に絶対の信を置く彼は、魔王の語る言葉にアイデンティティーを揺さぶられる思いがした。

 

「ですがシンパイすることはありません。見様見真似で火を吹く彼らと、生まれた時から

 火と共にあったキミとでは年季が違います! 君ほどの威力を出せるものはそうそういない

 でしょうとも!」

 

「きゅる~」

 

魔王の励ましを聞いて、フレイムは少しだけ安心した。

 

「それにですよ。もし酒のチカラを借りて火を吹くものが出てきたとして、そうしたら

 フレイム、あなたも同じことをやればよいのです」

 

「きゅる?」

 

「そう、あなたもアルコールの力を借りて、今よりもっと大きな火を噴き出してしまえば

 よいのです! もしかしたらドラゴンよりも大きな炎が出せるかもしれませんよ?」

 

 魔王の言葉にフレイムは俄然、プライドを刺激された。サラマンダーという種族はその強さだけでなく、美しさからも珍重に扱われる存在である。特に火竜山脈の個体ともなると、その色鮮やかな体色や尻尾の先に灯る見事な炎に非常な価値が付き、好事家たちから王族もかくやという扱いを受けるほどである。はてさて野生のサラマンダーたちは、例えそんな人間たちの事情をよく知らずとも、自らの美しさと力強さに対しては、高いプライドを持っているのだった。だがそんなサラマンダーも、ドラゴンと比べるとどうしても下に見られる傾向がある。それが若さと誇りを併せ持つフレイムには気に食わなかった。彼は思った。――ただでさえ故郷の「火竜」山脈では、火竜に頭上を我が物顔で飛び回られ、その力の横暴を前に割を食ってきた。そのドラゴンを相手に、自らの種族が誇りとする炎で競えるかもしれない―― 彼にはもはや退くという選択肢はなかった。自分が種族の栄誉を背負うんだという気概の元、彼は魔王が持ってきた、とっておきの酒を口にした。

 

「そうそう、それで先ずは酒を口に溜め込んでおいてですね……」

 

 魔王はフレイムに向け、何やらアドバイスじみたものを語り掛けていた。しかし残念ながら、生物的な分類でいえばトカゲの一種に過ぎない彼の口の構造は、液体を飲み込まずにため込んでおけるようには出来ていなかった。フレイムは喉が焼けるような感覚と共に、一気にその液体を飲み干してしまった。

 

「きゅきゅきゅっ!?!! きゅきゅきゅっきゅぎぎゅる~~~~~~~~!!」

 

 彼が慌てて吐き出した息には絶えず揮発するアルコールの液滴が混ざり、いい感じに普段より大きな炎が吐き出されるのだった。

 

「おお! 期待通りの出来栄えです! あてずっぽうでも言ってみるものですね」

 

「!! ぎゅる~ぅうゔゔゔ!!!」

 

「それにイイ飲みっぷりです。まさかあの強さの酒を一気に煽るとは……

 おや? アナタ、ちょっと顔が赤いような…… や、いつものことでしたね」

 

「きゅるーーーー!!」

 

「ふむ、つまりたくさん飲んでも、これ以上顔が赤くならないというわけですか。

 その調子ならいくら飲んでも大丈夫そうですね! さあ、遠慮なくグイッと。

 精一杯飲んで、嫌なことは全て忘れましょう!」

 

「きゅるーっ! きゅーっ!きゅーっ! きゅるーーーーーっ!!!!」

 

フレイムが叫びまわる傍ら、今度は別の使い魔が声を上げ始めた。

 

「なんかこのお酒おかしいのね! 全然甘くないのね!

 喉もお腹も焼けるように熱くて、目がぐるぐる回るのね!」

 

「おかしいですね。料理長から天にも昇る程だというものをゆすり受けた……ゲフンゲフン、

 ゆずり受けたのですがね。口に合わないようなら水を飲むといいでしょう。幸いここには

 命の水がいくらでもありますからね。たくさん飲めば、きっとアルコールも薄まるに

 違いありません!」

 

 彼の言葉を聞いたタバサの使い魔シルフィードは、くわっと目を見開いて、魔王を責めるように言い立てた。

 

「アホなのね! そんな言葉に乗せられて更に飲むなんて、トビっきりのアホウなのね!

 勧める方だって大概アホウなのね!」

 

「でも同じアホなら?」

 

シルフィードは、少し考え込んでから言った。

 

「飲まなきゃ損損なのね!」

 

そう言って彼女は、近くの酒樽を叩き割ると、中身をぐびぐび飲み干し始めた。

 

「まあ、ホドホドに楽しんでおいてください。私はこれからまた料理を取ってきます。

 ついでに薬でも持ってきましょう。アレルギーとか大丈夫ですか? 回復薬でダメージを負う

 体質とかはないですよね?」

 

「大丈夫、問題ないのね。一番効くやつを頼むのね」

 

シルフィードはぐるぐると頭を揺らしながら、ふやけた声で答えた。

 

「分かりました。確か医務室に、何となくクリスタルな感じで有名な勇者が飲んでそうな、

 ポーションがあったはずです。サラマンダーの彼の分も含めて、持ってくるとしましょう」

 

そう言って魔王は、マモノひしめく夜の厩舎を後にした。

 

「いやあ、いい夜です」

 

 彼はしみじみと満足感に浸りながら、マガマガしき月光の照らす夜道をゆったりと歩き、学院の塔へと戻っていった。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

「まさかお酒に酔ったからではなく、あの青いポーションを飲んだせいで暴れだすとは……」

 

「何か言ったかしら?」

 

「いえ、何でもありません!」

 

「そう……」

 

あれってそんなにマズかったのか? ならばもう一杯と勧めたのが致命的だったか?

回想に耽り、己の失敗に頭を悩ませる魔王の姿を、ルイズは不信の目で見つめていた。

問い詰めようかとも彼女は考えたが、自分の使い魔があやしく見えるのはいつものことかと

思い直した。その代わりルイズは、寝ている間に見た奇妙な夢のことを魔王に尋ねてみた。

 

「ねえ魔王、ちょっと聞きたいんだけどいいかしら?」

 

「何でしょう?」

 

「ダンジョンのマモノって、水に住む者たちもいるのかしら?」

 

「!!」

 

魔王は目に見えて驚いた様子で、縛られたままじたばたと蠢いた。

 

「なんとルイズ様、そのようなことをお聞きになるとは! まさかもうすでに

 ラグドリアン湖周辺までを見込んだ侵略計画を考えておいでなのですか!?

 学院一つ支配出来ていない内からそのようなシンリョウエンボを巡らすとは、

 この魔王、感動を隠せません! ……なんかピンとこないですね。シンボエンリョウ……

 エンリョーシンボ? それともエンボーシンリョだったような……?」

 

ルイズは魔王が言葉を言い終えるか言い終えないかの内に言い返した。

 

「そんなんじゃないわ! なんであんたはそうやって何でも世界征服に結び付けるのよ。

 だからあんまり聞きたくなかったのよ! あんたにこんなこと聞くなんて、私どうかしてたわ」

 

そう言ってルイズはそのまま押し黙ってしまった。

 

「分かってます、分かってますって。軽い冗談じゃないですか。そういうてい(・・)でいくんですよね!

 とにかくココロザシが高いのはいいことです。しかし、とあるタヌキの皮算用(カリキュレーター)になっても

 いけないですし、あんまり無理はしないでくださいね。うん?これも何かシックリこない

 ような……?」

 

「本当に分かってるんでしょうね?」

 

 訝しみつつもルイズは、簀巻きにされたまま大声を出して予想以上に疲れた体に逆らえず、そのままふかふかのベッドに沈み込みんで、力を抜いた。

 

「何だかどっと疲れたわ。……まさか本当に一日中縛られたままなのかしら?」

 

ルイズの憔悴感漂う声に、魔王はいえいえと言い返した。

 

「おそらくそういうことにはならないでしょう」

 

「なんでそんなことが言えるのよ?」

 

「フフフ。魔王たるもの、勘が良くなくては生きていけません!」

 

「あんたが強ければ、勘が悪くても生きていけるんじゃないの?」

 

 そんなことを彼らが言い合っていると、果たして魔王の言葉通りと言えるのか、ルイズの部屋の前にとある来訪者が現れた。慎ましやかなノックの音が鳴り響く。

 

「ルイズ様、魔王様、いらっしゃいますでしょうか? 使用人のシエスタでございます」

 

 魔王はホレ見たことかと、ぶん殴りたくなるような得意げな笑みを浮かべた。

ルイズは怒りを抑えつつ、扉の外の相手に返事を返した。

 

「いるわ。一体、何の用かしら?」

 

 ひっ、という小さな悲鳴を使用人は上げたが、その蚊の鳴くような声は部屋の中まで届かず、彼女の目の前にある扉に吸い込まれて消えた。その使用人の少女は、一度深呼吸してから心を落ち着けた後、失礼の無いよう、はっきりした声で来訪の目的を告げた。

 

「朝食の時間、食堂にお見えにならなかったので様子を伺いに参りました。朝食を取り置き、

 温め直したものをお持ちしたのですが……余計なお世話だったでしょうか?」

 

 わざわざ言いつけたわけでもないのに食事を持ってきてくれるとは、とルイズは驚いた。しかし彼女は視界の端に、やけに良い笑顔を返す魔王を見て、ああ、そういうことかと一人合点した。

 

「魔王。あんたが普段、私のいないときに使用人に絡んでるのは知ってたけど、

 こういうことを言いつけるのに使ってたわけ?」

 

「魔王に対しての当然の奉仕を求めていたまでのことです。

 それにルイズ様、こうしてルイズ様のお役にも立つでしょう?」

 

「確かに、彼女に頼めば縄を解いて貰えるでしょうけど……」

 

 ルイズは縄から逃れる自由と、縄に縛られた姿を晒すことへの羞恥との間に揺れ、扉の外の使用人を部屋の中に呼び込んでいいものかと逡巡した。

 

「ダイジョーブです。シンパイいりません。彼女には使用人連中のなかでも特に念入りに、

 ワレワレの偉大さを伝えるキョーイクを施していますから、口は固いハズです。タブン。

 ルイズ様の不利になるようなことはしないし、言わないハズです。きっと」

 

「多分とかきっととか、一体どっちなのよ!」

 

「細かいことはいいではないですか。ジューヨーなのは、ワレワレに逆らったらどうなるか

 ということを相手が認識しているか、それに尽きるのではないでしょーか!」

 

扉の外から、ひっと言う悲鳴が聞こえた。

 

「怖がらせてどうすんのよ! ……まあ、分かったわよ。あんたの言う教育がどんなものか

 知らないけれど、そこまで言うなら信じてみようかしら」

 

 そう言ってルイズは、朝食の他にも頼みたいことがあるからと言って、使用人の少女へ部屋に入るよう促した。おそるおそる扉を開き、足を踏み込んだ黒髪の少女は、ルイズたちの姿を見ると、目を丸くして口元に手をやった。

 

「あなたにも聞きたいことはあるだろうけれど、使用人なら黙って私の指示に従いなさい。

 見れば分かるだろうけど、今、体の自由が利かないのよ。この縄を解いて、私たちの身体を

 自由にしなさい」

 

驚きに暮れていた使用人の少女は居住まいを正すと、畏まりましたとルイズたちに一礼した。

 

「丁度良かったです。硬い結び目を解く自信はありませんが、朝食と共にナイフを

 お持ちしましたので、非力な私でも縄を切って差し上げられます」

 

そう言って近寄る少女の姿に、ルイズはこれで解放されるのかと一息ついた。

 

「ちょっと待ってください」

 

魔王の言葉に、少女はビクンと立ち止まった。

 

「な、何でしょう?」

 

 魔王は普段から厳しい教育を行っているのか、少女は緊張のあまり冷や汗をかいているようだった。よく出来た使用人というものは良家の証にもなるため、使用人を厳しく躾けることは非常に重要な行為である。ルイズは貴族社会にも通用しそうな使い魔の意外な才能に、魔王という称号も伊達ではないのだろうかと感心するのだった。

 

「そのナイフ、ベーコンや何かを切り分けるのに使うにはちょっとばかり、いえかなり

 大きすぎませんか?」

 

「ええと、その…… パンです!」

 

「パン?」

 

「はい! パンを切り分けるには大きい方が便利かと思って、こちらのナイフを持ってきました!」

 

「ほう、パンですか。パンは大きいですものね。だからそんなに長い刃物を持ってきたワケ

 ですか。いやはや、これなら頭ほどもあるパンを切れそうですな。しかしパン切りナイフに

 してはギザギザしてませんし、妙に刃先がトガッて見えるのですが……」

 

「お、お二人は将来、世界を担う特別なお方でいらっしゃいます!

 他の貴族の方ならともかく、お二人には切れ味の良いナイフの方が

 何事につけ、よろしいかと思いましたのでこちらを選びました!」

 

 途中、吃ったりすることもあるが、基本的にはハキハキと受け応えする少女に、ルイズは好感を持った。だが魔王はそんな程度では満足しないらしく、厳しい言葉を投げかけ続けた。

 

「ほう…… そういうことでしたか。しかしこういうものは他の人と一緒でも良いのです。

 何でも他とはチガウ扱いをしておればよいと考えている内は、マダマダと言わざるを得ません。

 まあ、今回は縄を切るのに丁度良かったわけですし、フモンとしましょう」

 

「失礼致しました! 以後、気を付けます!」

 

「ヨロシイ」

 

話が終わったと見て、少女は止めていた足を一歩、ルイズの方に近づけた。

 

「そうそう、縄を切るのは私の方からにしなさい。」

 

「ハイっ!」

 

また少女は飛び上がるように驚いた。

ルイズは思った。いくら何でも驚きすぎではないだろうか?

いや、そんなことよりも……

 

「どうしてご主人様を差し置いて、あんたが先に自由になろうっていうのよ。私を待たせる気?」

 

使用人の少女は、どうなることかと不安そうな面持ちで、ルイズと魔王を交互に見つめた。

 

「確かにルイズ様には少々お待ち頂くことになります。ですが、これは彼女への教育でも

 あるのです」

 

「教育? どうしてよ?」

 

「ウデを確かめると言ってもいいでしょう。彼女だって、普段から食事をジュンビするのに

 ナイフを使ってはいるでしょう。しかしパンを切るのと縄を切るのとではワケが違います。

 パンは下手に切ってもパン粉が増えるだけですが、今回ウッカリ切り過ぎては、ルイズ様の

 お召し物がダイナシになってしまいますからね。私で先に試しておこうというワケです」

 

 ルイズは感激した。この不出来な使い魔にも、ようやく使い魔らしい自覚が出来てきたらしい。自分が今まで彼に冷たくしてきたのは間違いではなかったのだと、彼女は確信した。成長を見せた使い魔を見守るのも、主の重要な務めである。ルイズは寛大な心を持って、魔王の提案に乗ることにした。

 

「へえ…… あんたも気が利くようになってきたじゃない。

 分かったわ、命令よ。私の使い魔から縄を切っておやりなさい」

 

「か、畏まりました」

 

 使用人の少女は、それでは失礼してと、張り付いたような笑顔のままにゆっくりと魔王のほうへ近寄っていった。

 

「と、ところで魔王様、昨日のお酒は…… どうでしたか?」

 

「どう、とは?」

 

「い、いえ、失礼致しました! 偉大にして邪悪のキワミであらせられる魔王様にとっては、

 気にかけるまでもない、どうでも良い事でございました」

 

「構わん。言ってみなさい」

 

魔王は全身を縛られたナサケナイ恰好のまま、大層偉そうに言った。

 

「それでは、その、お言葉に甘えて…… 私どもの料理長のマルトーが気にしていたのです。

 昨日あなた様にお渡ししたものが、東方の大変珍しいお酒だったらしく、お口に合ったか

 どうかと。詳しいことは知りませんが、何でもヤシオリの酒と言うんだとか。変ですよね、

 ヤシを折って作るお酒だなんて……」

 

魔王は、そうだったのですかと頷きながら、満面の笑みで感想を述べた。

 

「大変度数の高い逸品でしたので、有意義に使わせて頂きましたとも!」

 

「へ、へえ、それは、良かったです……使う?

 いえ、噂ではドラゴンもイチコロという強いお酒だったらしいので、

 私たちも、いえ、心配していたのです。」

 

「期待?」

 

魔王は少女の小さな呟きを聞き逃さず、訝しげに眉を潜めた。

 

「え、ええ、そうです! 特別強くて希少なお酒だけに、格別な夢見心地を長々と感じて

 頂けるかと思ったのです。それこそ翌朝、誰かが枕元に立っても気付かないほど……

 しかし同時に、お体へ響き過ぎはしないかと心配になっていたので、使用人一同を代表して、

 こうして私が訪ねたのです。てっきり朝、食堂におられなかったのはそういうことかと……」

 

黒髪の少女は、どこか凍り付いたようにも見える笑顔を振りまきながら、彼女がこの部屋に来た事情を語った。

 

「ふむ、アラ削りではありますが、ちゃんと気配りがデキてきいるようでナニヨリです。

 お酒の酔いはもう残っていません。ですがまあ、今のこの状況は、ある意味お酒の影響が

 残っていると言えるのかもしれません」

 

詳しい事情は聞かない、ウワサしないのが良いメイドの証です! と魔王はうそぶいたが、

少女はそれを聞いてか聞かずか、自らに言い聞かせるように小さく呟いた。

 

「そうですよね。過程や方法なんかどうでもいいですよね。身動きが取れないという結果があれば、それで良かろうなのだって、

 きっとみんな応援してくれるわ」

 

「? 何か言いましたか?」

 

「いいえ、何でもありません。すぐに縄を切って差し上げますね」

 

そう言って少女は花のような笑みを浮かべた。彼女は手にした銀の盆を脇にあったテーブルの上に置くと、そこからかちゃりと小さな音を立てて、ナイフを手に取った。彼女はナイフの持ち手を両の手でがっしりと握り込み、腹の前に構えた。窓から差し込む日の光が、ナイフに当たってきらりと反射した。

 

「魔王様、お覚悟!」

 

そう叫んで、彼女は手にしたナイフを魔王の腹部めがけて思いっきり突き刺した。

腰の入った一撃だった。

 

 

縄がパラリと解け落ちた。

ナイフは幾重にも巻かれた縄を、奥深くまでさっくりと裁断し、その刃先は

魔王のまとう真黒な、それこそ闇のようなころもの前で止まっていた。

呆然としてナイフを取り落とした少女を前に、魔王は怒りの声を上げた。

 

「何という失態ですか! そのように強く突き刺しては縄の下の洋服が台無しです!

 モノを切るときの慎重さというものをまるで感じませんでした。気合入りすぎです!

 私はやみのころもを着ていたから良いものの、他の服を着ていれば大穴が開いていた

 でしょう。そんなことでは、この魔王のしもべにしてやるわけにはいきません!」

 

「も、申し訳ありません! どうか、どうかお許しくださいませ、魔王様!」

 

ルイズは目の前の出来事を呆気に取られて眺めていた。

 

「そんなことではルイズ様の下僕働きをさせるにも、何時までたっても重要な仕事を

 任せられません! ニンゲン失格です!」

 

怒り心頭な様子の魔王の前で、黒髪の少女はただただ縮こまり、膝をつき、頭を地面に付きそうなほど下げて、どうか、どうかご慈悲をと、悲壮な声で許しを乞うていた。

 

「どう処分致しましょう? ルイズ様」

 

ルイズは冷や汗をかきながらも、貴族としての威厳だけは失うまいと動揺を押し殺して答えた。

 

「そ、そうね。誰にでも失敗はあるものよ。彼女も反省してるみたいだし、

 もう休ませてあげたら? ……私の縄を解くのは魔王、あんたに任せるわ」

 

「ルイズ様の寛大なご処置にカンシャすることです。下がりなさい!」

 

「はい……」

 

少女は、まるで自分の失敗により世界が闇に包まれるかのような落ち込みぶりで、ルイズの部屋を後にした。その後魔王は、ルイズの縄をてきぱきと危なげなく断ち切っていった。

 

「まったくケシカランことです。時間がかかっても、私が自力で抜け出すべきでした。

 そうしたら、伝説の魔ジシャン直伝の縄抜けをルイズ様に披露したものを!」

 

魔王が尚も愚痴を吐き続けようとする中、ルイズはそれを遮って言った。

 

「うすうす気付いてたけど…… あのメイド、何か変じゃなかったかしら?

 いや、彼女だけじゃないわ。最近は使用人たちみんなが、私を敬うと言うより、こう、

 何というか、怯えているように見えるわ」

 

「……教育の方向性を間違えたかもしれません。     まさかあんな行動に出ようとは……

 

魔王は神妙な顔でそう言った。

 

「ところで話は変わるけど、あんた、ご主人様を差し置いて貴重なお酒を楽しんでたんですって?」

 

「ルイズ様……」

 

「な、何よ! その呆れたような、哀れなものを見るような目は!」

 

ルイズが余計に憤慨する中、魔王はままならない世の中にため息をついた。

 


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