使い魔のくせになまいきだ。 ~ マガマガしい使い魔 ~   作:tubuyaki

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おまけ

Albion(アルビオン):(名)浮遊大陸に存立する、アルビオン王家の統治する国家。また浮遊大陸そのものを称しても言う。
Albiean(アルビアン):(名)1.アルビオン周辺空域の呼称。アルビオン海。浮遊大陸へは船での航行が成されるため、慣行上、空域に対しても海の呼称が付く。同様の理由で、アルビオン沿岸の地形に対しては、半島や湾等の海と関連する呼称が伝統的に用いられる。2.アルビオン人 (形)1.アルビオン海の 2.アルビオン人の

空船(そらふね、クウセン):(名)海を航行する一般的な船に対して、空の航行に用いられる船を指す。風石を積み込み、飛翔可能な浮力を得ることが最大の特徴。空の航行は海の航行以上に不安定であり、危険を伴う。それゆえ、空船の船員にはより一層の団結が求められており、空船乗りの間では、人の不幸を喜ぶ者に(オール)を任せてはいけないという不文律があるという。

~『ハルケギニア博物誌』より抜粋~



STAGE 31 パイレーツ・オブ・アルビアン

 出港から一夜が明けた。船は夜の間にも高度を上げていき、ハルケギニア大陸の如何なる山の頂すらも超えて、アルビオン浮遊大陸へと近付きつつある。陽は大分上がり、船をさんさんと照らし付けるまでになっていたが、甲板を吹き抜けていく風は依然として冷たいままだった。ルイズは、外の風が船室の窓を叩き付けていく音を聞きながら、魔王の包帯を甲斐甲斐しく交換していた。

 

「痛みはどう?」

 

「エエ、ジクジク、ヒリヒリとイヤな感じがいたします。誰かさんのおかげで、傷も深くなったことですし……」

 

「そんなこと言わないの。ワルドだって、謝ってたじゃない。あれは事故よ事故」

 

ルイズはそう言いつつ、血に黒ずんだ包帯を見てはぁとため息をついた。

 

「やっぱり、魔法薬と違って生薬なんてすぐ効かないのね。所詮、平民のための薬だからしょうがないけど、困ったわ」

 

「コマンド漢方さえあれば、もうちょっと早くに治ったと思うのですが……」

 

「何よコマンドって。そもそもカンポウヤクって、本当に効くのか分からないような

 怪しい材料が入ってるんでしょ? コウモリやミミズだとか、得体のしれない

 動物の骨や肝が使われているだなんて、ぞっとするわ」

 

ルイズはそう言って、身震いした。

 

「何を言うんです! そこが良いんじゃあないですか」

 

「ええ? 本当に? そんなもの効くのかしら」

 

疑わし気なルイズへ、魔王は自信を持って答えた。

 

「トーゼンです! そんなマガマガしい材料が入っているからこそ、

 私のマガマガ成分が補給されて元気になれるんじゃあないですか!」

 

ルイズは、魔王を呆れた目で見つめた。

 

「それ、この薬をくれた船医の人には絶対に聞かれちゃダメよ……

あら、いやだわ。どうしちゃったのよ、これ!」

 

ルイズは包帯を解いた魔王の左腕から、なおも血が噴き出てきているのを見て悲鳴を上げた。

 

「まだ傷が塞がりきってなかったの? それとも包帯を解いたせいで傷口が開いたかしら?」

 

慌てるルイズを落ち着かせるように、魔王はのんびりとした様子で彼女に声をかけた。

 

「いえいえ、心配する必要はありません。すぐにでも血は止まるでしょう」

 

「強がるんじゃないわよ。その傷、昨夜から全然治ってないじゃない!」

 

急いで新しい包帯を巻こうとするルイズに対し、魔王はのんびりと返事した。

 

「フシギですよね」

 

「何がよ!」

 

「どうしてカサブタって、剥がしたくなるんでしょう?」

 

「……」

 

ルイズは黙って下を向くと、暗い声で言った。

 

「……どうして」

 

「ハイ?」

 

「どうして、そんなことしたのよ! このバカ!」

 

魔王はうーんと思い悩んだ末、答えを得たのかニカッと笑った。

 

「あえて言うなら、こうなった情熱を忘れたくは無いとか、そんな感じの理由でって、イタタタタ!

 

ルイズは、包帯で魔王の腕をぎゅうぎゅうと縛り上げると、すっくと立ち上がった。

 

「ルイズ様、イタイです! これはイタイ!」

 

「その痛みは罰よ。少しは反省しなさい!」

 

ルイズはつかつかと扉まで歩み寄り、ドアノブに手を掛けると、つと立ち止まった。

 

「……私だって心配してるんだから、バカやってないで早く治しなさいよね」

 

「オロローーン! イタイ! 私はビョーニンなのですぞ!

……あ、ルイズ様。今何か言いましたか?」

 

「知らないっ!」

 

 ルイズはそう言い捨てると、バタンと扉を開け放って、甲板へと立ち去っていった。ビュービューと冷たい風が船室の中に吹き込んで来て、風に煽られた扉が大きな音を立てながら閉まった。魔王はため息を付きながらもよろよろと立ち上がり、彼女を追って甲板に向かった。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 魔王が扉を開けて、辺りをきょろきょろと眺めても、そこにルイズの姿は見当たらなかった。どうやら、広い甲板のどこかへ歩いて行ってしまったらしい。それならばと、魔王も船の上を見物がてらにあちこちを歩き回り、ルイズを探すことにした。だが魔王がそうして一番初めに遭遇したのは、風の似合う男、ワルドであった。ワルドは爽やかな雰囲気を醸し出しつつ、魔王に問いかけた。

 

「やあ使い魔君。傷の調子はどうだい?」

 

 ワルドは昨晩とは打って変わって、その表情から嫌味さを完璧に消し去ってみせていた。他所から見れば、その様相は好紳士にしか見えないだろう。これだからルイズ様は彼に夢中になるのだろうかと、魔王は複雑な思いを抱きながら、彼に返事した。

 

「おかげさまで、左手がビッシリとカサブタだらけです。イロイロと剥がれ落ちそうですな」

 

「おいおい、まさかまだ怒っているのかい? いやあ、悪かったよ。まさか君が魔法薬の効かない特異体質だとは思わなくてね!」

 

 ワルドは明るくそう言うと、調子を変え、魔王の耳元に口を寄せて囁いた。

 

「それでどうだい? 昨晩のことで、君にもこの任務の危険さが分かっただろう? 彼女に付き従い守り抜く役目は、君のような半端者には務まらない。その傷付いた腕こそが、その証拠だ」

 

 ワルドはおもむろに魔王の腕を軽くつついた。すぐさま、魔王は苦悶のうめき声を漏らした。

 

「いくらお前にガンダールヴのルーンが刻まれていようと、関係ない。お前に使い魔は務まらない。君も本当の痛みと苦しみを知って、使い魔を辞めたくなって来たんじゃあないかね?」

 

魔王は脂汗をかきながらも、それに憮然とした表情で言い返した。

 

「そんなもの、私は何時でも辞めたって構わないのです。なんせ、私が使い魔でなくたって、私は私、ルイズ様はルイズ様なんですからね。私は一生、破壊神様に着いていくだけです。 あっ、マチガえた。ルイズ様に着いていくだけです!」

 

「……本当に懲りないやつだな。何なら、言葉通りに使い魔を辞めさせてやろうか?」

 

「はて? 使い魔は一生をメイジと共にすると聞きましたが?」

 

「そうだ。つまり一生を終えれば、使い魔を辞められるということだ。私の手にかかれば、その包帯の下に隠れたご立派なルーンを、お前からきれいさっぱり消し去ってやることも出来るという訳だな」

 

「……」

 

魔王が黙り込んだのを見て、ワルドはぷっと噴き出した。

 

「はっはっは! 冗談、冗談だ。本気にしないでおくれよ! 君はルイズとケンカしたようだったからね。ちょっとしたジョークで気を紛らわした方がいいかと思ったのさ!」

 

 魔王は返事を返さず、黙って笑い続けるワルドを見つめていた。怪しい赤を灯した瞳が、ワルドの仮面を見透かすように、じっと彼の顔を捉え続けていた。

 

「とはいえ」

 

再びワルドは、声の調子を変えて魔王に語り掛けた。

 

「君も自分の限界がよく分かっただろう? もう船に乗り込んでしまった以上、ここから先

置いていくなどとは言わないが、せめて君には身の程を弁えた行動を取って貰いたいものだ。

これ以上、ルイズに必要以上に近づくのはやめたまえ。彼女に余計なことを吹き込んで、

わけの分からぬ君の野望に付合わせるんじゃあない」

 

 ワルドの表情は、一切の甘えを許さないような真顔になっていた。

魔王は表情を変えず、ワルドの言葉に切り返した。

 

「フム、どうやらそれは、お互い様のようです」

 

「なんだと?」

 

ワルドの眉が、大きく吊り上がった。

 

「私、ホントーに不思議に思っております。昨日の襲撃は、ナゼ起きたのでしょうか?」

 

「どこからか情報が漏れたのだろう。貴族派の手は我々の思っている以上に広がっているということだ」

 

「ええ、ホントーに広いようですな。いや、ホントーに!」

 

魔王はそう言って、ワルドをジロジロと眺め回した。ワルドは険しい表情を浮かべながら言った。

 

「……何が言いたい」

 

「いえ、この旅は想定外な出来事がよく続くものだと思いましてね。旅立ちの初日から賊に襲われ、その次の日もまた襲われると来たものです。アア、そういえば一番最初の想定外は、あなたの加入でしたな」

 

ワルドは不機嫌そうな表情で言い返した。

 

「旅人を待ち伏せする賊なんてものは、この世にはありふれている。昨日の晩のことは、

 あまり考えたくはないが、確かに我々の誰かから情報が漏れたのかもしれないな」

 

「ほぅ?」

 

「昨日は君たちも一日中、外を出歩いていたのだろう? 疑いたくはないが、子供のやることだ。

ラ・ロシェールに残ったメンバーの誰かが、うっかり秘密をこぼしてしまったのかもしれない。

もちろん、君がそれを漏らした可能性だってある。こういうことは、無意識に起こるものだからな」

 

「つまり、あなたかから漏れた可能性もあると?」

 

ワルドは魔王の言葉を鼻で笑った。

 

「馬鹿を言うな、僕は魔法衛士隊の隊長だぞ。王宮の任務は口の堅い者でなければ務まらない。

当然、秘密を漏らさぬための訓練だってあるし、一般人と同じに考えて貰っては困る」

 

「それでは無意識的に情報が漏れるのはアリエナイということですな」

 

「そういうことだ」

 

「つまり漏れるとしたら、意識的なものだと」

 

「いい加減にしたまえ!」

 

ワルドは声を荒らげた。

 

「これは大事な任務なのだ。例え君が私をどう思っていようと、任務に同行する以上は

君にも責任というものがある。根拠なく人を貶めるような言動は慎んで貰いたい。

任務の成功率に大きく関わる故な。これ以上何か言おうものなら、ルイズに相談して

君を本当に置き去りにするよう取り計らわねばならぬ」

 

「……」

 

ワルドは魔王が黙ったのを確認すると、重ねて言った。

 

「お前もここまで来て、帰りたくはないだろう。ならば、せいぜい大人しくしていたまえ」

 

そう言うとワルドはそこから立ち去ろうとした。

 

「どこへ行かれるのですか?」

 

「機関室だ。無理に船を出したからな。風石に私の力をありったけ注いでやらねば、港に着くまでにこの船が沈んでしまうのだよ。精神力を費やす以外にも、風メイジの感覚を活かして手伝う仕事がある。おそらく着港まで掛かり切りになるだろう」

 

「ナルホド、ではあなたは働き詰める直前のせっかくの一時を、この私と話し込んで費やしてしまったというワケですな。愛しのルイズ様との距離を縮めるでもなく! まったくゴクロウサマですな」

 

ワルドは露骨に不機嫌な顔をした。

 

「勘違いするな。私は偶然空いた僅かな時を潰したに過ぎん。もともと甲板にいたのだって、操船を手伝うためだ。風メイジの仕事は機関室に籠もるばかりではないのだよ。君のように、働きもせずグースカと寝て食って、外に出れば周りの景色にはしゃいでおればよい愚か者とは違うのだ」

 

ワルドはそう言い捨てると、今度こそせかせかと歩いて、船室に去っていった。

 

「ウーム、彼もなかなか忙しいようですな。やっぱり、働かないで食うメシより、嫌な奴を働かせて食うメシの方がウマいんでしょうか? 今から昼食が楽しみです!」

 

 魔王は船の外に目をやった。普段は見上げる高さにあるはずの雲が、船から見下ろす高さに延々と広がり、日の光を受けて眩く輝いている。

 

「ちょっと、あんた。まさかまたワルドを怒らせたんじゃあないでしょうね」

 

 景色に見とれていた魔王のそばに、いつの間にか頬を膨らましたルイズが立っていた。

 

「これはこれはルイズ様、モチロン我らは仲良くしておりましたとも」

 

「本当に? そうは見えなかったけれど」

 

「いえいえ、とんでもない! それは誤解というものです。彼は、ケガに苦しむ私へと、それはそれは真剣に語り掛けてくれましたからね。私も、もし彼がケガをしたならきっとオミマイしに行きますよ。やられたらやり返す、倍返しです!」

 

「それ、お見舞いの意味が違ってるじゃない! やっぱりケンカしてたのね!」

 

 怒り出したルイズをなだめる様に、魔王は言った。

 

「しかしルイズ様、人にもマモノにも相性というものがあるのです。デーもんとサたーんしかり、アッシュレディとファントムレディしかり…… ルイズ様だって、いくら仲良くしようと思っても、キュルケ殿とはそりが合わないでしょう?」

 

「まあ、それはそうだけど……」

 

 ルイズは少しむーっとした表情をしながら、魔王の横に並んだ。二人してボーっと景色を眺めている間にも、外を漂う雲はもこもこと形を変えていく。二人はしばらくの間、会話もせず、その場でじっと過ごしていた。気温は低いが、日の光が体に当たると妙に温まる。だがそこへ、一際強い風がびゅうと吹いた。顔を叩き付けるような風に、思わずルイズは目を細めた。体が冷えてぶるりと震える。そろそろ船室に戻ろうかとルイズは考えたが、そこで彼女はふと、あることを思い出した。

 

「そういえば、預かってたローブを返してなかったわね。寒いしこれ着ておきなさいよ」

 

ルイズはそう言って、懐から闇を湛えたように黒いローブを取り出した。

 

「おお、これは私のダイジな闇の衣ではないですか! これはこれは有難うございました。」

 

魔王が手を伸ばしたところで、ルイズはさっと、ローブを上に持ち上げた。

 

「いいこと、今回は仕方なく預かってあげたけど、本来こういうのは使い魔であるあんたの仕事よ! 二度と同じマネするんじゃないわよ」

 

「ええ、モチロンです。今後は二度と手放しませんとも。今回は、ルイズ様もケガが無くて何よりでした」

 

「あら? あんた、妙に素直ね?」

 

 いつもとちょっと違う魔王の態度に、ルイズが首をかしげていると、にわかに船内が騒がしくなり始めた。ルイズたちが何事かと思っていると、マストの上から、船員のよく通る声が響いてきた。

 

「アルビオンが見えたぞ!」

 

その一言で、船内はより一層活気付いたようだった。

 

「なんと、ついにそこまで来ましたか。それではアルビオンとやらをぜひ拝ませて貰いましょう。どちらの方角でしょうかね? 私、これでも視力には自信があるのです。 ……んん? アレ、本当にどっちでしょう? エエ? 何も見つかりません!」

 

 ルイズは、キョロキョロとし出した魔王を見て、ニヤリと笑った。アルビオンに初めて訪れる人は皆、必ず一度はこういう失敗をする。ルイズも、かつてはそうだった。まだ幼かった彼女が家族に連れられ、一回だけアルビオンへ渡った時のこと……ルイズは背伸びして船から身を乗り出し、一面に広がる空の中から必死に大陸を見つけ出そうとした。ルイズは、そんな自分へと投げ掛けられた長姉の言葉を今でも覚えている。

 

『まったくバカね、このおチビは! アルビオンがどこにあるのか、よ~く思い出してみなさい』

 

 いつも通りきつい言葉だったが、その時の長姉はどこか楽しげでもあり、得意げでもあった。ルイズは外へと必死に目を凝らす魔王を見つめながら、今度はかつての姉の役を自分がやるのかと思って、くすっと笑った。

 

「馬鹿ね、どこ見てんのよ」

 

きょとんとする魔王に、ルイズは得意げになって言った。

 

「アルビオンがあるのは、上よ!」

 

 魔王が空の上を大きく仰ぎ見ると、一面の白い雲の隙間から、延々と広がる大地が姿を覗かせていた。大陸の端の岩肌を細々と水が流れ落ち、それらが幾重にも横に連なって、大きな滝を形作っていた。そして滝の水は、しばらく下へ落ちると空中で散らばり、きらきらと輝く純白の霧となって、大陸の下を深く包み込んでいるのだった。

 

「!!! おお……! おおぅ……!!」

 

魔王の口から、思わずといった感嘆の声が漏れた。

 

「どうよ? すごいでしょ。アルビオンの川の水はね、ああやって大陸の端から流れ落ちて霧になるの。常にあの真っ白な霧で包まれている国。だから『白の国(アルビオン)』というのよ」

 

「いやはや、これほどとは…… 思わず息をのむ美しさですな」

 

ルイズはそれを聞いて嬉しそうにしながら、魔王に語った。

 

「あの大陸はトリステインほどの広さがあるのよ。その全体を包み込むほどのたくさんの霧が、

やがて雲となって、ハルケギニア大陸に恵みの雨をもたらすの」

 

「ウウム、何から何までスケールの大きな話ですな。これはヂブリのラプュタ以上かも分かりません」

 

「何よそれ?」

 

首をかしげたルイズに、魔王は『いやなに、コッチの話です』と言って誤魔化すのだった。

 

「トモカク、これはスバらしい! こんな雄大で美しい大地をこれからマガマガしく染め上げていくのだと思うと、カンドーもひとしおです!」

 

「感動が台無しよ!」

 

 怒るルイズの言葉を聞き流しながら大陸に見惚れていた魔王は、ふと空に浮かぶ黒い影に気が付いた。

 

「まったく、アンタって奴は!」

 

「ほらほらルイズ様、そんなことよりもアレ、何か飛んでますよ?」

 

「あんたってば、人の話を……って、あら本当ね。いやだわ、あれって貴族派の船じゃないかしら?」

 

 ルイズは魔王の見つけた船を見て、眉を潜めた。遠目に見ても、船の脇に大砲がずらりと並ぶその様は、軍艦のそれに違いない。

 

「王党派は劣勢らしいから、ああして堂々と飛んでいるのはきっと貴族派の船よ」

 

「フム…… となると、あまりお近付きにはなりたくない相手ですな」

 

 だがその船は、ルイズ達の願いとは裏腹に、目一杯広げた帆で風を拾い、ぐんぐんと彼女たちの乗る船へと近付いて来ていた。青々とした空の中に、軍艦らしく黒く塗られた船体が浮かぶ様は、まるでそこだけ明るい空を切り抜いたかのようである。その黒い影がだんだんと大きくなっていくと共に、ルイズの心も段々と重苦しくなっていくのだった。もっとも、船員たちにとっては軍艦なぞ見慣れたものらしく、船の方々で彼らが文句を言う姿が目に付いた。

 

「まったく、奴さんらの硫黄を運んでやっとるというのに、臨検で航行を邪魔されてはかなわん!」

 

 船長が濁声で怒鳴ると、意を汲んだ見張り員が手旗をパタパタと振った。この船が怪しいものではないということを、そうして相手に伝えるのだ。

 

「返答はまだか?」

 

船長は忙しなく甲板の上を行ったり来たりしながら呟いた。

 

「船長、大変です! あの船は旗を掲げておりません!」

 

「なにぃ!?」

 

 見張りの一言で、船員たちの様子ががらりと変わった。先ほどまでは管を巻いていた彼らが、今では顔に緊張を張り付かせている。魔王は、状況を確かめるように呟いた。

 

「旗がないですと? それって、つまり……」

 

「空賊よ」

 

ルイズは絶望の表情で、真実を告げた。

 

 

「取り舵いっぱい! 全速前進!」

 

 船長は厳しい声で指示を下した。一斉に船員たちが動き出す。ところがそこへ、ズガンと大きな音が響き渡った。一拍置いて、船首に設けられていたマリー・ガラントの女神像が粉々に吹き飛んだ。船長も船員たちも、それを見て顔を強張らせた。どうやら相手の空賊には、恐ろしく腕の立つ砲手がいるらしい。これでは逃げ出そうにも、相手の心一つで、どこへでも狙い通りに弾を打ち込まれてしまう。船内が重苦しい沈黙に包まれる中、空賊船からようやくこちらへのメッセージが送られた。白地に青の旗と、青地と白地のチェック柄の旗が、空賊の乗る黒い船のマストに高々とはためく。見張りの船員はそれを見て、声高に叫んだ。

 

「掲揚旗はSierra, November! 『停船せよ、さもなくば撃つ』です!」

 

「言われんでも分かるわ!」

 

船長は乱暴に帽子を脱ぎ捨て、床に叩き付けた。

 

「停船急げ! このままじゃ、一発で沈められるぞ。回答旗を早く掲げろ!」

 

船員たちが蒼白な表情をしながら慌てて動き回る中、船長はドカッと甲板に座り込んだ。

 

「チクショウ! 折角の俺の船が、これでお終いだ!」

 

そこへ副長が恐る恐る進言した。

 

「船長、あの男を呼んでみては?」

 

「そうだ、あいつがいた! もっと早く言え! 急いで連れて来い!」

 

「はっ!」

 

副長は、船内に向けて駆け出した。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 船の乗組員たちは必死で駆け回り、誰もルイズたちのことを気にしていない。ただただ茫然と立ち尽くすルイズの袖を、魔王は強く引っ張った。

 

「ルイズ様! ルイズ様!」

 

ルイズは魔王に振り替えると、悲嘆に暮れた様子で弱音を吐いた。

 

「これで、何もかもお終いだわ」

 

「諦めるんじゃありません!」

 

魔王は大声で叫んだ。

 

「まだ手はあります! 急いで裏手に回りましょう!」

 

「どこへ行くというのよ! 船なんてものは、大空に浮かぶ孤島に過ぎないのよ。もう、どこにも逃げ場なんてないわ」

 

「いいから、早く着いて来てください! 手遅れになる前に!」

 

 魔王はルイズの腕を引っ張って、空賊船の目から逃れるように船体の反対側へと回り込んだ。船員たちは皆、空賊が近付いてくる右舷に集中しており、魔王の訪れた左舷はそこだけ、妙な静けさがあった。

 

「ありました! アレです!」

 

魔王が指差した先には、ロープに括り付けられ、固定された短艇(カッター)があった。

 

「さあ、この縄を解いて大空に漕ぎ出すのです!」

 

「無茶だわ! こんなの、苦し紛れの避難用じゃない! こんな小舟じゃ、逃げてもすぐ追いつかれるわ!」

 

「イイエ、そうとは限りません。ここらは雲も多いですし、すぐ身を隠せるハズ。

 何より、アルビオンがあんな近くに見えているではないですか。

 一旦、雲に入ったら、後はアルビオンへ向け一直線です!」

 

それを聞いたルイズは、より一層のヒステリックな声で叫んだ。

 

「無理よ! 無理だわ! あんただって、さっき見たでしょ!?

こんなものに乗っていたら、大砲で舟もろとも木っ端みじんよ!」

 

 そう言うと、ルイズは目に涙を浮かべてうずくまってしまった。そうやって、『姫様、ごめんなさい』と呟やくルイズを、魔王は黙って見守りはしなかった。

 

「あなたがそんなことでどうするのですか! 破壊神たるもの、諦めの悪さだけが取り柄で

勇者に打ち勝つものですぞ! ルイズ様はやればできるヒト、いや破壊神です!

しかし閉じられた心では、活路など見出せませんぞ。さあ、顔を上げて!」

 

魔王は、ルイズに合わせてしゃがみ込むと、ひそひそ声でルイズに告げた。

 

「確かに相手の大砲は脅威です。しかし、フフフフフ…… それこそがあやつらの盲点にもなるのです。逃げれます、私たち二人だけなら……!」

 

 ルイズはびっくりして顔を上げた。今の言葉を誰かに聞かれていないか、彼女は不安になって辺りを見回したが、左舷には人影も少なく、また彼らもすぐに右舷の方へ戻ってしまい、彼女らの様子を気にしている者はいなかった。ルイズは、声を潜めて魔王に問い返した。

 

「どういうことよ?」

 

「いいですか、ルイズ様。 確かに今すぐ舟を漕ぎ出したら、すぐさまあの大砲の餌食です。しかしチャンスはあります。空賊はこの船を拿捕せんと乗り込む。ワレワレはこの船から逃れんと漕ぎ出す。つまり、ハサミ討ちの形に「ならないわよ」

 

一言の元に切り捨てられた魔王は、少ししょげながら先を続けた。

 

「要するに、空賊船がこの船を拿捕しようと近付いた、ちょうどその時にワレワレが逃げ出すのです。そうすれば、第一にこの舟が逃げ出すことを気付かれ難く出来ます。なんせ、空賊船からはこの船体が邪魔になって、反対から逃げる我々の姿が見えませんからね」

 

「そうは言うけど、それも時間の問題じゃない。それに大砲はどうするのよ?」

 

「同じことです。先ほどルイズ様は否定しましたが、確かにこの船、マリー・ガラント号はハサミ討ちとなるのです。あの空賊船がワレワレを撃ち落とそうと思えばこそ!」

 

「……なるほど、そういうことね。マリー・ガラント号の船体が邪魔して、あの大砲を撃てなくなるのね!」

 

魔王は大きく頷いた。

 

「彼らにとって一番の目的は積荷のはずですからね。いくらワレワレに人質の価値があったとしても、金に換えるには手間も掛かりますし、奴らにとってはオマケのようなものでしょう。それに、もしあの船ごと大砲を撃ったならば、空賊船ごとドカンです」

 

「うまくいきそうじゃない!」

 

「オマケにもう一つイイコトがあります。空賊どもは、ひとたびこの船を拿捕しに掛かったら、容易には船を動かせなくなるのです。空賊船は、この船への接舷のために一度停止します。その後、我々の逃亡に気付いたところで、マリー・ガラント号を置いたまま小舟を追い掛けるワケにはいきません。その隙にガラント号に逃げられてしまいますからな。また一方で、あの2隻の船を同時に動かしてワレワレを追おうにも、先ずはマリー・ガラント号を完全に掌握しなければなりません。ワレワレはそれまでの時間を活かして、上手く逃げ切ればよいのです!」

 

魔王の話を聞き終えたルイズは、いつもの強気を取り戻して、その瞳を爛々と輝かせた。

 

「分かったわ。急いで舟を降ろしましょ」

 

「先ずはこの縄をどうにかせねばなりません」

 

「悠長にほどいてる暇はないわよね。誰かからナイフを借りないと……」

 

 しかし船員たちは忙しそうに動き回っており、とてもルイズたちにかまけてくれるものとは思えない。すると魔王は、身にまとったローブをひらりと脱ぎ捨て、背中をルイズに向けた。

 

「どうぞ、コレをお使いください」

 

「そういえば、こんなものもあったわね」

 

ルイズが魔王の背中に括りつけられた剣を両手で引き抜くと、途端に喧しい声が響き渡った。

 

「やい!今日も俺を放っておきやがったな!もうちょっと鞘から出してくれてもいいじゃねえか。剣の俺にだって、心はあるんだぜ?持ち主がいるってのに、おはようやお休みも言えねえだなんて、味気ねえじゃねえか。寂しいじゃねえか」

 

「アー、エーっと、マア、そうですね」

 

魔王はどこかゾンザイげに、背中からの声へ返事を返した。

 

「ほんのちょっと、朝起きたら鞘から抜く。たったそれだけじゃねえか。

あんまり仕舞いっぱなしだと、俺の存在、一日中忘れられたままなのかと思っちまうぜ」

 

「私は完全に忘れてたわ」

 

「黙ってろ、娘っ子! わざわざそんな事実聞きたくねえよ!」

 

 声の正体は、ルイズがかつて100エキューというお手頃価格で買い取った、珍しそうで珍しくない、でもちょっとは珍しいインテリジェンスソードのデルフリンガーだった。デルフリンガーの鍔元がかちゃかちゃと、ひとりでに揺れる。

 

「それで? 俺を引き抜いたってことは出番か?」

 

デルフリンガーは、どこか期待のこもった声で今の状況を聞いた。

 

「我々は今、空賊に襲われておるのです」

 

「なるほど! 空の上じゃ、逃げ回るってワケにはいかねえよなあ。それで剣もロクに触れねえ相棒に替わって、これまた剣もロクに握れねえ娘っ子が俺を振るうってワケだな?」

 

「あんたねえ!」

 

喧嘩を売っているかのような剣の言葉に、ルイズは声をわななかせた。

 

「いや、気を悪くしたら済まねえ。勘違いして欲しくねえんだが、俺はこれでも女子供が剣を振るうってのはアリだと思ってるんだぜ? 俺がキライなのはあくまで、使えもしねえ剣を手にして強くなった気になるやつらだ。今のお前さんみたいに、例え自分が素人と分かっていても、覚悟を決めて敵と切り結ぼうって奴あ、大歓迎よ。俺はそういう心を震わせて戦うやつが大好きなんだ!」

 

理想の持ち主について熱く語るデルフリンガーだったが、ルイズはそこへ非情の宣告をした。

 

「何を勘違いしてるのよ。私はただ、あのロープを切りたいだけよ」

 

デルフリンガーのカチャカチャと金具を掻き鳴らす音が消えた。

 

「ろーぷ? ロープだぁ!?」

 

デルフリンガーは不満を爆発させるように、声を張り上げた。

 

「俺は由緒正しき剣であって、ただの日用品なんかじゃねえ! そんな仕事はナイフにでも任せるんだな」

 

だがルイズも黙ってはいなかった。

 

「言われなくてもそうするわよ。改めて見ても、あんたってばサビサビじゃない。

 そんな刃じゃ、いくら時間を掛けてもロープなんて切れやしないわ」

 

「!!! 何おう! 馬鹿にするない! そんなロープごとき、10本でも20本でも切ってやらあ!」

 

この剣って、チョロい。ルイズと魔王の心が一つになった。

 

「さあ、早く俺を振り下ろしな! すぱっと切って見せようじゃねえか!」

 

「そんなに言うなら、あんたの実力見せて貰おうかしら?」

 

ルイズは両腕に精一杯力を込めて、重たいデルフリンガーを振り下ろした。

 

「やあっ!」

 

ドゴッと、重たい物がぶつかる鈍い音が響いた。

 

「っっっ! 痛ったい、手が痺れたわ!」

 

剣がぶつかった衝撃が腕に来て涙目になるルイズに、魔王は恐る恐る告げた。

 

「あのう、ルイズ様」

 

「何よ」

 

「ロープ、切れてません」

 

「うそ!?」

 

 ルイズが懸命に持ち上げた剣は、確かにロープの上に振り下ろされたはずだった。しかし、ロープは少し凹んだようになっているだけで、依然として頑丈そうに繋がっている。

 

「やい、へたっぴ」

 

デルフリンガーの一言に、今度こそルイズは怒りを爆発させた。

 

「誰が下手よ誰が! 私、思いっきりあんたを振るったわよね? それでも切れないだなんて、どんだけナマクラなのよ!」

 

「失敬な! 俺のこの姿はあくまで仮初めのものに過ぎねえ。

 本当の自分なら、それはそれは良い切れ味を……って、俺は何を言ってんだ?」

 

 自分で言った言葉に戸惑うデルフリンガーだったが、そんな彼の話をまともに聞く心の余裕は、ルイズに残されてはいなかった。

 

「その酷いなりでよくも大口叩いてくれるじゃない!

そんなに言うんなら、あんたがへし折れるまで思いっきり振るってやるわ!」

 

魔王が止めようとするのも構わず、ルイズは憤怒の表情で剣をもう一度振り上げた。

 

「おおう! 今度は、すげえ心が震えてるじゃねえか! それなら俺も本気出さねえとな!」

 

 そして魔王は見た。さび付いて鈍く光るだけだったデルフリンガーの剣身が、突如として研ぎ澄まされたような銀色に輝き始めた。もっとも、頭上高くまで剣を振り上げたルイズは、その変化に気が付いてはいない。彼女は、先ほどよりもだいぶ力のこもった様子で、怒りのままにデルフリンガーを力任せに振り下ろした。姿を変えたデルフリンガーは、先ほどの無様な様子が嘘のようにサックリとロープを断ち切り、そのまま下にある船体にまでのめり込んだ。

 

「そうだ! これだこれだ。今思い出したぜ。いやぁ、すっかり忘れてた」

 

デルフリンガーが、感慨深げに語る。

 

「これが! これこそが、俺の本当の……!」

 

「魔王、背中を向けなさい」

 

「あっ、ハイ」

 

 興奮した様子のデルフリンガーの声は最後まで紡がれることなく、剣が鞘に納まると同時に途絶えた。

 

「まったく、本当に失礼な剣で嫌になっちゃうわ」

 

「あのー、ルイズ様? もうちょっとあの話を聞いてた方が良かったのでは? 最後、なんかイミシンな感じに光り輝いていた様な……」

 

 しかし残念ながら、重たいやら痛いやらで剣を持ち上げるのに必死だったルイズは、最後までデルフリンガーの変化に気付いてはいなかった。また何よりも、彼女の抱いた憤りと、100エキューの値で買った安物という先入観が、彼女自身の目を曇らせていた。

 

「あんた、何あの剣みたいな寝言を言ってるのよ。まったく、2回目は当たり所が良くて助かったわ。あんなボロ剣でも、まだ切れるところは残っていたのね。ああ、もう! あんなに思いっきり振るうんじゃ無かったわ! 手がつりそうになっちゃったじゃない!」

 

「……まあ、時間も押していることですし、ルイズ様が良いならそれでイイでしょう」

 

 ルイズは強張った手を揉みほぐしながらも、ロープから切り離したカッターの中を丹念に確認していった。

 

「非常用の風石もちゃんと積んであるみたいだし、これならすぐにでも舟を出せるはずよ」

 

「ではサッソク乗り込みましょう」

 

「あんたはそうしてなさい。私はワルドを呼んでくるわ」

 

 そう言うとルイズは身を翻し、船内に向かって駆け出そうとした。だが魔王は、彼女の手をがっしりと掴んで、その場に引き留めた。

 

「お待ち下さい、ルイズ様。我々にそんな悠長なことをしているヒマはありません」

 

ルイズは目を見開いた。

 

「あんた……! 自分で何を言っているか、分かってるの?」

 

「ルイズ様こそ、事態がヒッパクしているのを忘れて貰っては困ります。空賊はもう目と鼻の先にまで近付いて来ていて、逃げ出すチャンスは一回しかないのですよ?」

 

 そう言うと魔王は、大げさな身振りでマリー・ガラント号の船体を指し示した。

 

「見てください、この船を! 貨物船だけあってナカナカ大きいですよね。彼を見つけ出すには、こんな大きな船の入り組んだ通路や部屋を探し回らねばならないのです。場合によっては、すぐに見つからないこともあるでしょう。彼を連れ戻った時に手遅れでしたでは済まされないのです!」

 

 ルイズはその言葉に狼狽えはしたが、それでも考えを簡単に変えようとはしなかった。

 

「馬鹿言わないで! いくら空賊がいつ乗り込んでくるか分からないからって、ワルドの欠けた任務なんて!」

 

それを聞いて魔王は、ルイズへと真剣な眼差しを向けながら語った。

 

「いいですか、ルイズ様。この種の任務は、半数が目的地にたどり着ければ、成功とされるのです!」

 

「   」

 

 つい最近聞いた言い回しが魔王の口から飛び出したのを聞いて、ルイズは思わず絶句してしまった。

 

「それって、ワルドの……!」

 

「そもそも、ルイズ様は!」

 

魔王はルイズの言葉を遮るように言った。

 

「あの学院での密会で、例え一人であろうとも、この困難な任務をやり遂げる!

 そういう決意を抱いていたハズです。違いますか!?」

 

ルイズははっとした様子で、胸に手を当てながら魔王に答えた。

 

「そうだったわ…… 私、いつの間にかワルドに甘えていたのね」

 

その返事を聞いて、魔王は満足げに頷いた。

 

「では!」

 

「待って、それでも彼一人をこの船に残していくなんて、不安だわ」

 

「それならシンパイはいらないでしょう。なんせ彼は王宮直属、魔法衛士隊の隊長まで登りつめるほどのデキル男です。きっと空賊相手にも上手く立ち回れるに違いアリマセン。むしろ下手に我々がここに残るより、自由に立ち回れるはずです。我々の護衛を気にしなくてよくなりますからな」

 

ルイズは悩むように俯いたが、ついには納得して顔を上げた。

 

「分かったわ。私も覚悟を決めようじゃない」

 

「ご英断です、ルイズ様」

 

 ルイズと魔王は、風石の力で軽くなったカッターを、軽々と持ち上げながら船のへりまで運んだ。

 

「さ、どうぞルイズ様、お乗り込み下さい」

 

 魔王に手を引かれたルイズは、カッターの中に座り込みながら、ため息を付いた。

 

「せめてワルドの居場所さえ分かっていれば、すぐにでも呼んで来れたんでしょうけど……

 まさかあんた、ワルドがどこにいるか知ってないわよね」

 

「ナニモシリマセン」

 

「そうよね。あんたたち、ケンカしてたんだものね。

 私たちだけで逃げ出す算段を、船員に手伝って貰うわけにもいかないし……」

 

その時、マリー・ガラント号の船体がぐわんと大きく揺れた。

 

「今です!」

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

「お貴族様の力で、ここはどうか一つ……!」

 

「無理だ。どうにかするにしても、伝えるのが遅すぎる。ちょうど風石に魔力を

補充し終えたところで、僕の精神力はからっきしだ。大人しく諦めるんだな」

 

「そんな!」

 

 船内の機関室へとワルドを呼びに向かった副長は、甲板へと足早に向かう道すがら、彼へ必死に助力を頼み込んだ。だがそれが結局は幻の希望でしかなかったことを知り、大いに落ち込むこととなった。

 

「そんなことより、僕の連れはどうした? こんな状況だ。早く合流しておきたい」

 

「はあ、それでしたら甲板でお二人の姿を見かけましたが……」

 

「そうか、まだ船内には戻っていなかったのか。ならすぐにでも会えるな」

 

ワルドはそう言うと、甲板へとつながる扉を開けた。

 

「動くなてめえら! これから先、許可なく動いた奴は、船の外に突き落としてやるぜ!」

 

「……チッ! 遅かったか」

 

 空賊たちはまだマリー・ガラント号に乗り込んではいなかったものの、もうすでに空賊船からは何本もの鉤付きのロープが投げ込まれ、船体を引き寄せている最中だった。この分では、もう1分とせずに空賊は乗り込んでくるだろう。彼が甲板に置いてきた使い魔のグリフォンを目で探すと、彼は不自然な姿勢で寝込んでいた。

 

「スリープ・クラウドにやられたか」

 

 相手の空賊にはメイジまで紛れ込んでいる。この分では精神力が残っていても、彼らと戦うのは難儀しただろうと、ワルドは考えた。マリー・ガラント号が空賊船の間近まで引き寄せられると、船体がぐわんと揺れた。

 

「よし、てめえら乗り込め!」

 

 派手な格好をした、空賊の船長と思しき男の指令と共に、屈強な体付きをした空賊たちが次々と乗り込んで来る。

 

「おうおう! この船はお貴族様まで載せてるのか!」

 

 空賊の一人がワルドまで近寄り、その首元に剣を突き付けて彼を脅した。ワルドは刃に触れるのを避けようと、顎を大きく上にそらしながらも、落ち着き払った様子で空賊に語り掛けた。

 

「如何にも私は貴族だ。だからその剣を下して貰おうか」

 

「てめえ! 自分の立場が分かってんのか!」

 

 怒鳴る空賊へ、ワルドは不敵な笑みを浮かべた。

 

「十分分かっているとも。この船の荷を奪って、それを誰に売りつけるつもりなんだ?」

 

「なに? 船荷はなんだ!」

 

「硫黄だ」

 

「おい、この船の船長! そいつは本当か?」

 

「へえ、積み荷は全部、硫黄でございます」

 

 空賊たちから、おおと歓声が上がった。

 

「喜べてめえら! 硫黄だ! ……それでてめえ何だって?

 俺たちゃてめえらの命でそいつを買うんだ。文句があるか?」

 

「そういうことではない。ただ、今の情勢でそいつを売りつける相手は貴族派だろう?

 丁度良いことに、僕には貴族派の伝手がある。だから商売を上手く運びたければ、

 僕とその連れのことは丁重に扱うんだな」

 

それを聞いて、副長が嘆きの声を上げた。

 

「そんな貴族様! 俺たちのことも少しは守って下せえ!」

 

「うるせえぞ手前ら! 心配しなくても大人しくしてりゃ命だけは残しといてやる!

 それで? そのお仲間とやらを紹介して貰おうじゃねえか、え? 貴族派の旦那さんよ」

 

ワルドはその言葉に頷いた。

 

「良いだろう。連れは一人、桃色の髪をした少女だ。おそらく甲板にいるはずなのだが……」

 

「杖を出せ!」

 

「だから、僕は貴族派だ。お前たちの商売相手だぞ」

 

「良いから出せ!」

 

「……ちゃんと、後で返して貰うぞ」

 

ワルドはしぶしぶ、腰に差した杖剣を彼へ預けた

 

「着いてこい! 」

 

彼に従い、ワルドは甲板の上を歩いて回る。

 

「見つけたら言いな!」

 

 船員たちが甲板のあちこちで縛られ、床に転がされている中を、ワルドは歩いて回った。船員たちは皆、空賊に捕まるというこの上ない不幸を思ってか、力なく項垂れている。

 

「おい、そっちにピンク頭はいるか?」

 

「そんな奴はいねえよ! 他所を探しな!」

 

「だとよ! 次はこっちだ」

 

 ワルドたちは甲板の上をぐるりと探し回ったが、ルイズの姿は見つからない。そして彼らはついに、元いたところまで戻ってきてしまった。

 

「どういうつもりだ、てめえ! 俺たちを馬鹿にしてるのか?」

 

再び剣を首元に突き付けられたワルドは、相手を興奮させまいと、慎重に言葉を返した。

 

「すまない。いつの間にか彼女は船内に戻っていたようだ。

離れ離れになっていたから、気付けなかったのだよ」

 

「チッ! それじゃあてめえはここで縛られてな!」

 

「待て、だから僕は貴族派だ。その積み荷をお前たちから買い取ってやる客だと言っているだろう。実は僕は反乱軍のトップ、クロムウェル司教に顔が利いてな。もし僕を粗雑に扱えば、お前たちなど……」

 

「大変でさぁ!!」

 

 ワルドの言葉を遮るように、空賊の一人が大声を上げて駆け寄ってきた。その手には双眼鏡が握られている。

 

「脱走者だ! 非常艇で逃げてる奴がいらぁ!」

 

 空賊たちはどよめきながら、脱走者が逃げたという方向へ駆け寄った。そこには肉眼では見ることも難しいほど小さな点となって、確かに浮かんでいるものがあった。

 

「どんな奴らだ?」

 

「ピンク頭をしてまさあ!」

 

「! てめえ!!」

 

 ワルドを見張っていた空賊が眉を吊り上げた。だがワルドは、彼の剣呑な様子に気が付かないほど、狼狽えていた。ワルドはいきなり走り出して、外を見張っていた空賊から双眼鏡を取り上げた。

 

「貸せっ!」

 

「てめえ何しやがる!」

 

 空賊たちが一斉に彼へと掴み掛る中、ワルドは奪い取った双眼鏡を空へ向け、脱走者の姿を探した。そして彼は見つけた。とても小さな舟の上で、桃色の髪の乙女が必死にオールを漕いでいる。間違いなくルイズの姿だ。だがもう一人いた。彼女に向かい合うようにして座り、深紫色のローブに身を包んだ怪しい男。なんと、双眼鏡越しに彼と目が合った。まさか奴は、ここまで目が利くのか? ワルドが更に動揺していると、レンズに映る男の口元がニカッと笑った。

 

「ガンダールヴゥウウウ!!!」

 

 ワルドは双眼鏡を奪い取られ、そのまま幾人もの空賊たちの手によって、床に押さえ付けられた。

 

「舐めやがってこの野郎、俺たちを謀りやがったな! そいつは厳重に縛っておけ。

 貴族派の秘密を洗いざらい吐かせてやる!」

 

 ワルドを取り囲んだ空賊たちが彼をドカドカと蹴りつける中、少し離れた場所では空賊の船長へと話しかける部下の姿があった。

 

「どう致しましょう?」

 

 船長は双眼鏡を逃亡者に向けながら、うーむと唸った。小舟の姿は、見る見るうちに白い霧の中へと沈み込んでいく。

 

「少し遠いな。それに、この大きな船で近付けば気流を乱してしまう。あの小舟を沈めずに近づくのは難しいぞ」

 

「それでは?」

 

「捨て置くしかあるまい。我々の責任を感じないでもないが、こことて貴族派の軍艦がいつ通るとも知れぬ。なあにこの距離だ。ここの風のことを多少なりとも知っていれば、あんな舟でも大陸には辿り着けるだろう。もっとも、その後のことまでは保証できんがね」

 

 船長の言葉に、部下は苦笑を漏らした。

 

「まったくその通りで。貴族派の連中と来たら、野盗が出ようがモンスターが出ようが、

 ろくに対処もしておらんようで…… あの逃げ出した二人も、襲われるかもしれませんな」

 

「だが、それは今のアルビオンに来る以上、当然のことだ。覚悟無くして来たわけでもあるまい」

 

 そう言うと船長は再び、双眼鏡を空へと向けた。彼の持つ、蒼空のごとく青き眼が、霧に包まれた広大な大陸を捉えていた。

 


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