上を見上げると首が痛くなるほどに、高々と頂へと伸びる石段。それを長い時間を掛けて登り切った者の視界に、忽然と飛び込んでくる日本庭園がある。四方の形で並んでいる数多の桜達を取り込んだ石庭は、まさに荘厳華麗の体現であり、半人半霊の少女―魂魄妖夢が仕える主が住む所であり、冥界の中核でもある白玉楼を象徴する傑作であった。
その石庭達に四囲を彩られた日本屋敷、白玉楼。流水の如く見事な枯山水を望む屋敷の大広間で響いているのは、バリボリという美しいこの庭の景観の全てを台無しにする品の欠片もない咀嚼の音。
白玉楼の主、西行寺幽々子が、煎餅をむさぼり食っていた。
「ふーん、やっはおいひいはへー♪※約うーん、やっぱ美味しいわねー♪」
煎餅一枚を割ることもせずに丸々大きく空いた口に放り込み、その白い頬をいっぱいに膨らませながら、細かく噛み砕いていく。欠片を舌の上で転がすと、口の中に醤油の甘みが広がった。
美味しいと頬が緩む。幽々子は煎餅か饅頭、どちらが好きかと言われると迷いなく饅頭を選ぶだろう。しかし、だからと言って煎餅が嫌いなわけではない、むしろ大好物である。一枚、また一枚と煎餅を掴んで口に放り込む、その動きは速く、見る見る内に手元の桐箱から煎餅が無くなっていく。開けた当初は四十枚ほどあったのだが、今ではすでに半分近くまでに減ってしまった。
とはいえ、幽々子はそんなことを微塵も気に留めた様子はない。『食べたい時に食べたい物を食べたいだけ食べる』を処世訓とする幽々子にとって、どの食べ物が今どれだけ残っているかなど些細な問題である。
「相変わらず、貴女はよく食べるわねぇ………」
バリバリと煎餅を砕く音に混じって、正面からうめき声が飛んできた。幽々子は煎餅を飲み込み、微かに乾いた喉にお茶を流し込み、喉を潤した後に、「あらあら〜」と笑みをたたえて正面を見据える。
そこに居たのは、宝石のような光沢すら見て取れる、美しい金髪の美女。その細やかな輝きも、彩られた相貌も、奥で悄然と細まったひとみも、全てが幽々子がよく見知ったもの。
「今更何を言っているの、紫?私は食べるのが大好きなのよー♪」
その名は、八雲紫という。幽々子の唯一無二の親友であり、また幽々子がこの冥界を管理しているように、彼女は幻想郷という世界を庇護している管理者である。そして…"あること"についての長年のライバルでもあった。
そんな彼女-紫は今、せっかくの端正な顔立ちを明らかな私情で歪めていた。忌々しいと、そんな負の感情を包み隠さずに半眼で幽々子を睨みながら、言葉を投げかける。
「何であなたはそんなに食べてばっかりなのに全然太らないの!?不公平過ぎるわよ………」
彼女がこんな表情をする原因を、幽々子はすでに察している。食べ物を食べる上で、自分には起こらず、紫には起こること。つまり紫は、ここでは何がとは口にはしないが"増えた"のだ。少し前に外の世界に出かけた際、誘惑に負けてケーキを幾つか頬張ったのだと言う。
やはり女性たるもの"増えて"しまうと精神的にダメージを負うものだ。妖夢もそれが嫌で嫌で仕方ないから、自分の食生活にはかなり気を遣っているらしい。
けれど幽々子にはそんな気持ちは全く分からない。そんな彼女達を嘲笑うかのように、どれだけ食べても一向に太らない体質を自分は持っている。だから、敢えて挑発するように大きく笑みを浮かべながら紫にこう返す。
「羨ましいかしら?」
すると案の定、紫はなお一層にその顔をゆがめて舌打ちをした。
「ええ、ええ羨ましい、羨ましいわよ」
「あらそう、………ところで紫も煎餅食べる?」
「ねぇ人の話を聞いてたかしら?食べないわよ」
「美味しいわよー」
「いいえ、結構ですー!」
ツンとそっぽを向いた紫に、幽々子はしてやったりと笑みを深めた。ならばもうちょっといじめてやろうと、紫に向けこれ見よがしに煎餅を口に放り込み、それを噛み砕きながら、どことなく呟くように。
「一瞬の油断が命取り、怖いわねぇ……」
「うぐっ……ふ、普段は大丈夫なのよ?」
「あらあら。紫、大事なのは今よ。普段が大丈夫でも今がそれなら……"あの人"に嫌われてしまうわねー」
「はうっ!?……そんなことはないわ、あともう少しで元に戻るもの。」
幽々子の一言に少し涙目になりながらも、自分の幽々子にも匹敵する大きさ誇る胸を反らしながら少し鼻息を荒くし、自分の努力で減った"何か"を誇る。その"何か"が減ったという事実に自信を取り戻したのか、未だに煎餅をむさぼっている幽々子に向けて言い放つ。
「そういう幽々子こそ、そんなに食べてばっかりでいいのかしら、"あの人"に食いすぎって引かれるんじゃないの?」
「あらそんなことはないわ。だってあの人は私が食べているところを見て『いい食べっぷりだなぁ、見てて気持ちいいよ』って言ってくれたもの」
「くっ、……優しいあの人の事だからあなたに気を使ったんじゃないの?」
「あらあら、なぁに?嫉妬かしら、まぁ仕方ないわよねー。料理を美味しそうに食べる女と自分の体のことばかり考えて料理を全然食べない女、どっちが魅力的って言ったら、断然前者よねー」
紫の苦し紛れの嫌味を幽々子は軽く受け流し、更に華麗なカウンターを決める。………そして段々と二人の嫌味の応酬は過激さを増していく。
「はっ、何を言っているのかしら?私とあの人はあなたより遥かに長い付き合いなのよ?あなたの知らないあの人の事だって知っているの。只の大食い女に嫉妬する理由なんてないわ」
「そっちの方こそ何を言っているのかしら。確かに過ごした時間はあなたの方が長いのかもしれないけれどそんな事は関係ないわ。大事なのは、その時間の中で何をしたのかでしょう?いつまでも自分があの人に一番近いと思っているならそれは大きな間違いよ?自己中なスキマ妖怪さん?」
「「……………」」
段々と二人からどす黒い負のオーラが溢れ出してくる。それを感じ取ったのか白玉楼周りの亡霊達が我先にと離れていく。そうしている間にも溢れ出す負のオーラをぶつけ合っている二人。そしてその溜めに溜めた二人の感情は…………
「「この………「無作法な大食い女(耳年増の隙間妖怪)」がぁぁぁぁぁあ!!」」
弾けた。
「何よ!どんなに食べても太らない!?彼に受け止めて貰った!?だからどうしたって言うのよ。そんな無作法にバクバクバクバクと食べてばっかのあなたより私の方が何十倍もあの人にお似合いよ!!」
「うるさいわね!私だってあなたみたいな、他人のプライバシー何かろくに考えたこともない無作法な年増女よりも私の方がお似合いよー!!」
「と、年増女って、それを言うならあなたもじゃないかしら!?」
「いいや違いますー!私は亡霊になってから年はとってないものー。だから年増の隙間妖怪さんはさっさと消えてください〜」
「いっ、言ったわねー!幽々子ー!!」
「そっちこそ言ってくれたわね!紫〜!!」
―少女?舌戦中 Now Loading……―
「ゼェ……ゼェ……幽々子、一旦休戦しない?」
「そうね…久し振りに…疲れたわ……」
それからどのくらいの時間が経っただろうか、お互いが叫びすぎて肩で息をしている。紫の一時休戦の提案に幽々子が乗り、それから少し経って二人の息が整ってくると、どこからともなく紫がボソリと呟く。
「ねぇ……幽々子」
その声には先程までの負の感情は乗っておらず。ただ幽々子に淡々と伝えるように喋りかける。
その声を聞いて幽々子は身嗜みを整え直して、その声に真摯に耳を傾ける。
「何かしら、紫?」
幽々子の促しに、紫は一つの言葉で応じる。
「―――昨日、あの人の夢を見たの」
その言葉を聞いてから暫くの時間が流れる。最初に口を開いたのは、幽々子
「そう……あの人の夢をね」
「ええ……」
そう語らう二人の声には、思慕の感情がにじんでいた。幽々子は口元にそっと笑みを忍ばせながら思う。
大妖怪である八雲紫と冥界の管理者である自分、西行寺幽々子には想い人がいる――なんて話は、少し唐突過ぎるだろうか。けれどもその事は紫と親しい者ならば誰しもが知っていることであり、むしろその中には自分達のライバルだっているだろう。
真珠のように綺麗に輝く白い髪と、満月のような黄金色の瞳。幽々子が知りうる限りで最も美しい白髪だった彼は、
「あの人が私達と別れてからもう何百年経つのかしら……」
久しく昔に紫達と別れてから、それっきり会っていない。紫は何度か会ってはいたのだが、それでもほんの少しの時間であり、ここ百年位はそもそも何処に居るかすら分からない状況なのだ。また、そっちの世界に気が向いたら行ってみるよと言ったきりこっちの世界には来ていない。
「そう…そういう事ね。つまりあの人の事を思い出して会いたくて会いたくて仕方がないって訳ね?」
幽々子の問いかけに、紫は少し紅く頬を染めて頷いた、その姿は千年以上生きた大妖怪ではなく完全に恋する少女そのもの。その姿を見て幽々子はあの人といる時は、きっと自分もこうなっているんだろうなぁと少し頬が熱くなるのを感じながらも笑みを深めた。
「きっと外の世界での生活が楽しいんでしょうね。数百年も私達の事をすっぽかしているんだもの」
「…………」
一瞬の沈黙。
「ねぇ、幽々子」
紫の表情に陰りが差し込み、幽々子に不安げに問いかける。
「ここって、幻想郷ってそんなに面白く無いのかしら………」
その今にも消えてしまいそうな儚い呟きを幽々子ははっきりと聞き、その問いに答える
「そうねー、少なくとも、私はそう思った事は無いわよ?でもあの人は、もしかしたら違っていたのかもしれないわね。あの人は自由奔放で好奇心旺盛な子供みたいな人だから、外の世界の方に目が向いちゃっているのかもねー」
一息置いて
「幻想郷の時間は、外に比べると止まっているようなものでしょうし、何か物足りないとでも思っているかもね」
「…………」
単純な時間の単位としてではなく、生活水準の発展という意味合いで、幻想郷の時間は成立した当時からほとんど変わっていないのだ。これは過度に文明を発達させてしまうと外の世界と同じように妖怪の住みにくい世界になりかねないため、仕方がない事ではあるのだ。そんな外の世界から隔離し、時間を止めた幻想郷のこのシステムは妖怪と人間を共存させる上で必要な予防線なのだ。
このシステムを作り上げた紫は間違っていない、だからこそ、
「だとしたらきっとあの人が私達と別れて外の世界に居座った事は必然だったんじゃないかしら。ほらあれよ、いわゆる『価値観の違い』ってやつね」
例えば外の世界には未だに幻想入りを拒み、人間と共に生きている妖怪だって少なからず存在する、この世の全ての生き物の価値観は千差万別であり、妖怪の中には、幻想郷よりも、敢えて外の世界を選ぶ変わり者だっている。
そして彼は、その後者だった。ただそれだけのことである。
「…………」
ままならないものね、と幽々子は彼のことを、そして目の前の親友(最大のライバル)のこと思う。自分達はそれぞれ幻想郷と冥界と場所は違えど管理者の立場のため、一緒に居たくても彼の後を追うことができない。
それでも彼が自分達の想いに気づいていてくれていれば彼がこちらへ残ってくれる希望はあったのだろうが、彼は超がつくほど鈍感であり幾ら自分達がアピールしても全く気づいてくれなかったのである。
「彼、戻って来ないかなぁ………」
切々と揺れるような紫の呟きに、幽々子は微笑みながら、
「あの人は自分勝手だけど、決して薄情じゃないわ。……むしろ人外の中では珍しい位の人情家だから」
そして一息
「きっとその内、何の前触れもなく戻って来るんじゃないかしら?」
幽々子がそう言い切るのとほぼ同時に、ただいま戻りましたー、と大広間の襖が開く。親友として、そして恋のライバルとして紫を思う幽々子は、ここに来て己の食欲を優先させた。目をキラキラと輝やかせ、満面の笑みで広間に入ってきた自分の従者を迎える。
「おかえりなさ〜い、妖夢!お腹が空いたから早速ご飯、宜しくねー♪」
幽々子の視線の先にいた魂魄妖夢は、疲れの滲んだため息を一つこぼして、両手いっぱいの荷物をドサリと下ろした。
―もし、運命の神様がいるのなら。その神様はきっと大の悪戯好きに違いないだろう。彼が幻想入りした事によって幻想郷の止まりかけていた物語の歯車は回り始める。紅き吸血鬼の館、永遠の時間にある屋敷、妖怪寺、地獄、冥界………様々な幻想に生きる者達の物語が動き出す―
―はてさて、これからどうなる事やら―
どうも皆様奇想天神です。幻想道楽求聞史記第三話いかがでしたでしょうか?今回この話が前の2つより長くなってしまったのですが、執筆中どこでこの話を切ろうかなと悩んでいるうちに段々と文字数が増えて行きまして……………気づいたら前より2000文字以上増えていてびっくりしました(笑)
さていよいよ本格的に物語は動き出していきます。神無君は幻想郷の彼女達とどう関わっていくのか?そして神無君を幻想郷へ呼んだのは一体誰なのか?次のお話を楽しみにしてくれると嬉しいです。
それではまた。(・ω・)ノシ