って、なんで王国編ルールやねん 作:ファラオ(猫)
「さ、どうします?」
「……」
“わたしの奴隷になれ”。目の前の書類にはそう記載されている。
“おまえのすべてを放棄しろ”。目の前の書類にそう綴られている。
頼みを承諾する代わりとして提示された契約書だ、いわゆる“悪魔との契約”というやつだろう。
「どちらでもいいんですよべつに。承諾しなければこのまま死んだあなたを冥界に送り届けるだけなんで」
自殺なんてしなければよかった。
死ねば楽になれると思っていたが大間違い、いまだにこの少女に罵られている現状だ。
その名は“デスガイド”、死の水先案内人。童顔に鮮血色の赤毛を垂らす小悪魔。
「この契約書に従ったらつまり……」
「当然今後わたしの言う事すべてに従ってもらいます。その魂、枯れるまで」
それは現世に戻ってもということなのだろうか。
……契約というのだからそうなのだろう、悪魔が都合の良い話を持ってくるわけがない。
「……」
従うしかない。このまま先に死んで、現世に家族を残すわけにはいかない。
「おやおや、心が決まりましたか。では……」
一瞬の内、デスガイドが笑み混じりに手を斜めに払うと、こちらの人差し指の先がぱっくりときれた。
「うっ!」
「さわがない。そんなにふかく切れてないでしょ? さ、白尾様……」
わけもわからない中、デスガイドがこちらの手を取り傷開いた指を掴んできた。
彼女が耳元で艶めいた声をささやく。
「指から噴き出すその鮮血で、この契約書へ……」
指先からおびただしくあふれ出す血が、あれよあれよと誘われるままに紙面に近づいていく。
「サインを……」
とうとう、その真っ白な紙に血が触れてしまった。
紙面にずぶついた血の池に人差し指がどんどんと吸い込まれて、まざまざと少女の奴隷になったことを理解させられていく。
最後には押し付けた血が、紙面をすべって床に垂れていった。血の水滴が木面を撃つ。
これでもう、契約はなされてしまった。震える思いで振り向いた先の少女はにこりと妖しく微笑んで、もう一度耳元でささやいた。
「契約完了。……これでもう、白尾様はわたしの奴隷ですね。フフッ、わたしの言う事、やる事、為す事、すべてに従ってもらいますからね……」
──3──
座席に戻されたあと、俺は隣に腰を下ろしたデスガイドに“三つ”の質問ををすることにした。
まず一つ目。
「なにをすればいいんだ……? どうして俺に……?」
この少女、俺に何を依頼する気なのだろうか。
疑問はさまざまある、故にまずここから掘り出したい。
しかし、
「ぐっ!」
「勝手にしゃべっていい、なんて言いましたっけ? 奴隷なら奴隷らしく、まずはわたしに許可を乞うことです」
「うっ……」
デスガイドの持つ鎖の先に繋がれた、忌々しい首輪が俺の首を締めあげた。
これがまた不思議な首輪で、普段は消えているのにデスガイドがひとつ念じるだけで現れて、しかも奴隷の首を絞めることができる。
完全に主人とペットの構図だ、契約書にサインしてすぐにこの首輪の効果が表れた。どうやら奴隷を逃がさないための措置らしい。
「まあいいでしょう、説明しないと話にならないですし」
「……」
「わたしがあなたに頼むこと、それは賢者の石と呼ばれる“サバティエル”を捜索して探し当てること」
妙な既視感が頭を過る。
「サバティエル……?」
なにやらかつて聞いたことがあるような名前だ。
たしか……なんだったか、なにかの物語で出てきたような名前だった気が。
有名な魔法使いの小説だったか。いやそれはちがうか。
「それはいったい?」
「なんでも願いを叶えてくれるという、“錬金術”にまつわる偉大な宝石ですよ。だから賢者の石なんです、しかも──」
デスガイドはつづける。
「──願いは“3つ”叶えられる」
誘い引きずられるようにこちらも言葉を紡いだ。
「“3つ”……」
普通、おとぎ話によくあるような”願いを叶える道具”でも大体ひとつが関の山なのに、“サバティエル”に関しては“3つ”。
なんとも都合の良い話に思えるが……そもそも論拠が童話でしかないのもまた一理。
こちらの常識にあてはめすぎてもいけない。
……あまりにここまでが混乱の連続だったので、俺は当時そう考えることにした。
とはいえ、ここまで聞いてようやくデスガイドの話が理解できてきた。
「まさか……その3つの内のひとつで俺を……」
「生き返らせることができますよ、もちろん。しかも願いを叶える権利を2つも残して」
「……」
まさか。
「おまえも、その石で──」
デスガイドが鎖を引っ張った。
「うっ!」
「へぇ、ご主人様に向かって“おまえ”呼ばわりですか。これは依頼の前に躾けが必要ですかね?」
もういちど首輪が現れて、無情にもこちらの首を締めあげてきた。
引っ張られた勢いでそのまま頭もデスガイドの膝元にへりくだるような態勢をつくってしまった。
「本来わたしは冥界で魂を裁かれ浄化されるはずのお前を救ってやってるわけで。感謝こそされど生意気言われる筋合いはないと思うのですが」
つくづく自分の立場を思い知らされる。続けてデスガイドが先程の契約の時と同じように耳元でささやいた。
「白尾様はわたしの言う事に従い、ただ奴隷であればいいんです。ご理解いただけましたか?」
「……」
「返事は?」
「わかり……ました」
「結構。……まだ聞きたいことがあるんでしょう? 白尾様」
少しだけ詳細をはぐらかされた気がするが……なんとかお許しをもらえた。
第二の質問を素直にぶつける。
「もし……契約に違反するようなことをしてしまったら……?」
するとすぐにデスガイドがあっさりとした表情で答え、
「簡単ですよ」
その質問を“体現”してみせた。
「“魂ごと”死ぬだけです」
途端に、体が燃えるような熱さに支配された。
「っ!?」
首元から広がるように、激痛と灼熱が広がる。
「うがぁぁぁぁぁ!!」
あまりの痛みに耐えられず、首輪を抑えてその場をのたうちまわり声にならない声でデスガイドに助けを求めた。
だが目の前の少女は享楽を嗜むような責め気のあるほくそ笑みを浮かべるだけで、助ける素振りなど一切見せない。
それどころか悠々と窓辺に頬杖をついてこちらを見下ろしてきた。
「フフッ……燃えるように熱く、痛いでしょう? それは“
「しっ……」
デスガイドが指を弾き鳴らすと、一瞬にして責め苦が退いていった。
「“死刑執行”……? すでに死んでるのに……?」
「言ってみればあなたはまだ“肉体”が死んだだけで、魂では存在してるわけです。“魂粉砕”はかろうじて残った魂さえ消し去ってしまう……」
「魂も死ぬって、どういう……」
「だからそのままの意味ですよ」
デスガイドはあっさりと告げた。
「なんにもなくなってしまうってことですよ、あなたのすべてが」
淡泊に告げられたその言葉が不思議と、自分の胸に深く突き刺さりめり込んでいった。
「すべてが……?」
「なにをそうショックを受けてるんですか……? もともとすべて投げ出す気で身投げをしたんでしょう、あなた?」
「それは……」
「まあ……“わからないでもない”ですけど」
「……?」
──ともかく、“魂粉砕”がとても耐え難い苦しみで、その先が想像を絶するほどの恐怖だとはわかった。
この有り様でどうして自殺ができたのだろう、俺は? とてもじゃないが再度実行はできそうにない。
それどころかむしろこの状況は更に現実を悪化させている気がする。
──“死の水先案内人”がつづける。
「次、あります?」
「……」
「さっさと答える。あるんですか、ないんですか?」
デスガイドが3つ目の質問を促してきた。
実はこの3つ目は……正直聞くほどのことでもないかもしれない。
だが、やはり気になる。叱りを受けるかもしれないがこうなったら聞いてみたい。
「その……」
だから思い切って、聞いてみた。
「名前は……?」
暫くの沈黙がよぎった。
「……は?」
呆然とした対応に心が恐怖にはねたが負けじと問い続ける。
「デスガイドって本名じゃない……ですよね? だから名前を……」
「……」
カンテラがカラカラと揺れて、デスガイドの驚きに呆けて固まった顔を照らし出した。
「……はいパチン」
「いだだだだだっ!」
不機嫌の表れか、デスガイドが指を鳴らすとともにもういちど魂粉砕がはじまった。
珍しく少女が激昂をあらわにして、のたうちまわるこちらに怒りを叫び散らした。
「奴隷如きが生意気な! ご主人の、それも崇高なる悪魔の名前を聞き出そうとするとは何事ですか!」
しばらく痛み責めが続いたのち、デスガイドの気が晴れたのかようやく魂粉砕から解放された。
もうすでにこちらは身も心も放心状態だ。いや身はないのか。
両者、荒くなった呼吸を正して我に返る。
「はあ、はあ……」
珍しく焦りをあらわしたデスガイドをうつろに見上げる。
よっぽど本名を聞かれるのが嫌だったのか? ……そこまで考えて思い出した。
そういえば、悪魔の本名を知ればその悪魔を除霊することができるらしい。
詳しい方法は知らないが、そのおそれを警戒してこの状況に繋がったのだろうか。
(……あぁ、だめだ)
ずっと責め苦が続いたせいか、体に力が入らない。
あ、いや、だからそもそも体はないか。
ともかく意識が遠のいていく。
「……白尾様? ……白尾様……?」
白くなっていく視界の中にデスガイドの声が遠のいていく。
「……」
ああ、だめだ。意識が現実に追いつかない。ダメージを追いすぎたせいなのだろうか。
「──」
なんというか、死んだはずなのに……。
「────」
命にすがる気持ちを久々に、思い出せた気がする──。
──4──
「……」
さざなみの音が聞こえてくる。
「ん……?」
瞼を上げると、ぎらつく太陽の光が目を突いてきた。
眩しい、あつい……冷たい! 思わず身を転がした先が海だと気づいた瞬間、張るような水の冷たさに身が飛び跳ねた。
「うわわっ!」
飛び跳ねた先、砂浜に身を引いて己の意識を覚醒させた。
眠気に支配されていた意識が完全に水平線の向こうに吸い込まれた。
目の前を見渡せば、そこは青い海が波を打つ白い砂浜のビーチだった。
「こ……」
だめだ、もう自分の置かれている状況がさっぱりわからない。
「ここは……?」
たしか……さっきまで珍妙なバスに乗っていたはずだ。
豚の化け物と、憎たらしい小悪魔が取り仕切るバスで……。
「……“デスガイド”は!?」
どこにいったか死の水先案内人、どこにいったかデスガイド。
いや待て、もしかしたら夢だったのかもしれない。そうだあんな状況現実に起こるわけない。
じゃあ俺が死んだのも夢か。
いやさすがにそれは……?
(……まあでも悪魔の契約なんて、まさかほんとにあるわけが……)
しかし──ここはどこだ。
経緯を振り返るように思いを巡らせていると──。
「痛っ……」
ふと人差し指の先にしみるような痛みを受けて、思わずそれを持ち上げた。
どうやら塩水に“傷”がしみたようだ。
「あっ、これ……?」
──なんというか、案の定というか。
「……」
その指先にはぱっくりと切れた傷跡が残っていた。
「……はあ……」
……やっぱり夢じゃなかったかもしれない。若干謎の後悔に襲われながら、この付近の探索を決めて立ち上がった。
立ち上がり、振り返ってすぐ後ろに、背の高い樹木の並び立つ深い森林があることに気付いた。
砂浜を迂回するべきか森林に飛び込むべきか。すぐに迂回を決めた、なんせ見知らぬ森の中はやっぱりこわい。
ざっざっ、と砂を蹴って歩くことしばらく。
やはりここが自分の良く知る土地ではないことがわかった。
俺の住んでいた土地の近くにこんな海や、南国風の植物が生えている場所などない。つまりよっぽど遠くの、土地勘の通じない場所に来たということだ。
「はぁ……」
ふかい溜息をもらす。
「どこなんだよここ……」
もう自分の置かれている状況がほんとにわからない。
そもそもほんとに俺は死んだのか? ほんとに自殺したのか? だとするとここはなんだ。
そしてさらに俺はほんとに、あの……“悪魔”と契約をしたのか?
夢だと信じたい。なにせ、いまだに俺の首にあの“見えない首輪”があるとしたら、生きた心地がしない。
いや死んだのなら生き心地はおかしいのか。死に心地というべきだろうか?
ああ、もう、わからない。なんにもわからない。
ただただ己の行く末がわからない。
「……」
そしてしばらく歩いているうち、
「……ん?」
先程よりも道の舗装された場所へと出た。緑の野原を削って通り道を作ったような場所。
街道か? 目覚めた砂浜よりは人の痕跡を思わせる。
(これは……街への足がかりになるんじゃないか?)
街道とは街と街を繋ぐものだ。となるとその道の先に人がいるのが道理。
今はそういう設備の整った場所を目指して助けを求めるべき、なんだろう。なんせ今の状況は遭難と変わらない。
街道沿いに坂を上って行く。するとすぐ、地平性の向こうから浮き上がってくる大きな建物に気付いた。
「あれは……?」
なんと表現するべきか、それは公共ドームさえ呑み込んでしまいそうなほどに大きな建物であった。
勇猛に構える4つの、エジプト遺跡にあるような“オベリスクの斜柱”を模したような柱のその中でズシリ……と鎮座して構える丸みを帯びた白い屋根の建物は怪物的で、その中腹辺りにさらに小さな青、赤、黄色のモニュメントを従えている。
なんだろう、この少々アミューズメント感を思わせる建物は。
趣向を凝らした博物館かなにか? と最初は思ったものだが、
「声が聞こえてくる……」
博物館にしてはどうも騒々しい、子供たちの声が漏れて聞こえてきた。
男女混じりの、喜々とした声は不思議とどこかなつかしく、記憶の奥底からなにか訴えてくるようなものを感じた。
「……」
なんだろう──このなつかしい感覚。
気づけばぼうっとその建物を見上げて声に、そして雰囲気に呑まれていた。
誰しもが一度は経験したような、あの、愛おしく遠い時間。
「……」
そうだ──この感覚はあの、“絶対に戻ることのできない時間”に浸っていたときの、あの感覚だ。
「“学校”……」
どうしてそれがいとも簡単に“学び舎”だと理解できたのかはわからない。
ただ、こう──忘れかけていた気持ちを思い出させるような趣が、そこにはあった。
「きみ、どこから来た子にゃ?」
背後から声をかけられ、咄嗟に振り向いた。
振り向いて見えたのは、その人の胸元に抱かれた気だるそうな顔つきの茶色の猫で、声をかけてきた人物があまりの長身であると気づいたのは顔を上げてすぐのことだった。
「あっ……」
「にゃにゃー……やっぱり。どうやらきみ、ここの“生徒”じゃないみたいにゃね」
柔和で、朗らかな面差しが日の影に濡れる。
「まだ“子供”みたいだし、この島をたずねにきた関係者でもないみたいですしにゃ」
よかった、このあたりに詳しそうな人に会えた──しかし。
「……」
その人が述べた、不思議なひとことに対し、思わず俺は呆けた思いで答えてしまった。
「“子供”……?」
俺が──? ぼうっとした顔で固まっていると、つづけてその“猫を抱く柔和な面差しの男の人”が挨拶をしはじめた。
「おっと、申し訳ありませんにゃ、自己紹介もまだなのに」
その男は猫を撫でながら、焦ったように続ける。
「わたしはここ、“デュエル・アカデミア”で教師をしている“
──今思えば……ここで俺がこの人と出会ったのは、皮肉で巧妙な運命に紡がれた、“悪魔的な因果”だったのかもしれない。