Giocato La Divina Commedia Doc Ju Mente 奏でよ、神曲を。謳え、汝の心を 作:天神神楽
赤。見渡す限り、景色は全てが赤に染まっている。炎の赤色。血の赤色。地獄というのは此処のことを言うのではないだろうか。
生は存在し得ぬ、死と滅の方が近い空間。
ここはほんの数時間前まではいたって普通の町だった。ラジオで聞くことはあっても、ニュースで見ることはあっても、テロとは無縁の町だった。平穏な時間が流れ、友と遊び、家族と夕食の席で笑いあう。そんな平和な町だった。
だがそれは、たった一日で崩れ去る。
《嘆きの異邦人》
それがこの惨劇を引き起こした集団である。
各地で巻き起こるテロ事件。それが遂にこの町にまで来ただけ。だかそれだけのことが、決して小さくはないこの町を全滅させた。《嘆きの異邦人》たちは、この町においてかつてない戦力を投入。その結果、一つの町を消滅させてしまうような甚大な被害を引き起こしたのである。
何故彼らはこの町をこれほどまでに完膚無きまでに叩きのめしたかったのか。大した重要人物もいない、大した重要な兵器も無いはずのこの町を。
それは、遅れて到着した鎮圧隊にも分からなかった。
そんな中、ある一人の女性が這々の体で森の中をさ迷っていた。
女性の着る服は美しく、その色はまさに紺碧と言うのが相応しい。袖や丈は長く儀式の時に纏うような衣装だが、肩や胸元に大きな切れ込みが入っていて、彼女の美しい白い肌や黒い服に覆われた胸元を晒している。そして、そんな彼女の美しい肢体と同じくらい目を引くのは彼女の髪であった。腰まで伸びた、服と同じ紺碧の髪の毛は静かに波打ち、それは人が足を踏み入れたことがないような美しい紺碧の海のようだ。
その色は決して人には出せないものだろう。その証拠に彼女の背中には光り輝く六枚の羽が備わっていた。
彼女は精霊。しかも上級精霊だ。
しかし彼女の綺麗な紺碧の瞳は疲労で霞み、その精緻な文様を描いている青の羽は点滅し、今にも消えそうになっている。
美しく白い肌は傷だらけで、それでも彼女は足を引きずるようにして歩き続けた。
「くっ……まさか彼女が出てくるとは……」
彼女は美しい顔を歪め悪態をつくと後ろを振り向く。
「……何とか撒いたようですね。それとも彼女が何とかしてくれたか……いずれにせよ、少し傷つきすぎたようですね……」
彼女は歩くスピードを緩めようとしたが、ふらつき膝をついてしまった。
「はぁ…はぁ……やはり、限界でしたか……。彼女に対抗したのだから仕方はありませんが……ふふ、不滅と呼ばれた頃が懐かしいですね」
彼女はそう呟くと傍にあった岩に寄りかかるように座り静かに目を閉じた。
まるで、消えてしまうのを受け入れたかのように。
だが彼女はすぐに目を開いた。そして驚いたような顔で辺りを見渡した。しかし周りには木々しかなく、葉の擦れあう音しか聞こえず、ただ風が吹いているだけ。しかし彼女は精霊の聴力で確かにあるものを聞き取っていた。
「(これは……!? いや、でもこれは……)」
彼女は音の聞こえた方--すなわち風上の方を見ると、再び立ち上がった。
「どうせ消滅するならば……せめてこの神曲の近くで……」
彼女はそう呟くと、ゆっくりと歩き始めた。
「こ、これは……」
静かに暗きを湛える森の中からぽかりと空いた広場に出ると、そこは一変し、まばゆい光で照らされていた。
無数の光が明滅している。それが数多の精霊たちの羽根であるのを彼女が理解出来たのは、少し経ってからだった。
最も多いのはボウライのような下級精霊だが、人型や獣型の中級精霊もいる。さらには彼女と同じ上級精霊もいた。
彼らは皆一点を見つめ、ある音楽に聞き入っている。
すなわち、神曲。
精霊と会話する為の音楽であり、神曲楽士の魂を示すものでもある。
しかし、彼女は我が目を、そして耳を疑った。
今、この空間に響き渡っている神曲が歌だったからである。
普通ならば不可能。単身楽団がなければ神曲は演奏出来ない筈なのだ。しかし目の前に広がる光景はまさしく現実。歌ではなりえない筈の神曲を聞きに、こんなにも多くの精霊たちが集まってきているのだから。
彼女は眼前の奇跡に誘われるかのようにふらふらと前に進もうとしたが、体の方が限界だったのかバタリと音をたてて倒れてしまった。
その音に気付いたのか神曲は止まる。
「(ふふ、こんな素晴らしい神曲が最後に聞けるとは……嬉しいものです)」
女性が神曲を聞けたことを嬉しく思っていると、その神曲楽士が彼女に近付いてきた。
「大丈夫……じゃないか」
その神曲楽士は彼女の様子を見ると、彼女が深刻な状態なのを理解した。
「ヴィーラ!! 出来るだけ早く単身楽団を取ってきてくれ! ヴィオラの方だ!」
彼は誰かにそう頼むと、自身は周りにいた多くの精霊たちに向かって言った。
「悪いが今日はおしまい。またやるからよろしくな」
彼がそう言うと、精霊たちは散り散りにこの場を去っていった。残ったのは彼と彼女の二人だけ。
「ヴィーラが来るまでの辛抱な。それまでは歌うから我慢してくれ」
そう言うと彼は再び歌い始めた。さっきまでの歌と似ていたが、今度のは彼女の為に歌ってくれているのが分かった。
「(あぁ……なんと美しい……)」
彼女は彼の歌に感動しつつ、気を失ってしまったのだった。
これが、神曲楽士--カグヤ・ブライトと、かつて『不滅の女帝(インマータル・エンプレス)』と呼ばれた紺碧の女神--アルトヴァース・ミラ・ストレアマーティとの、最初の出会いだった。