ドライヤーを片手に、鏡の中のヘアスタイルと格闘する。
俺「………………」
昨日、母ちゃんと婆ちゃんから小さい頃の話をほんの少し聞いた後、逃げるようにして部屋に篭った俺。いつの間にか眠っていたようで、お陰で朝からシャワーを浴びるハメになってしまった。
俺「ううん」
あの後で、先輩とは口を聞かずに逃げるとか、どれだけヘタレなんだ、俺。
俺「でも、本当に何も覚えてないんだよなあ」
子供の頃に何度も遊んでいたらしい、俺と先輩。何度もということは、少なくとも一時期俺はここに住んでいたということになるのか。あるいは、夏休み中に遊びにきていたとか。
詳しい話は聞いていないが、それにしても…
俺「向こうは覚えていてくれたのに、俺って…」
伊織が言う通り、薄情者なのかもしれない。
母ちゃん「あんたいつまでやってんの。いい加減諦めてさっさと支度しなさい」
俺「はい」
鏡越しに、母ちゃんの呆れた視線が向けられた。
母ちゃん「それじゃあ今日は引っ越しのトラックが来たら、あんたの荷物はそのまま部屋にぶち込んでおくから、帰ったらちゃんと荷解きしておくんだよ」
俺「了解」
マイベッドやその他の荷物がまだ到着していない為、婆ちゃん家の煎餅布団で一夜を明かしたのだが、そのせいか少し筋肉が強張っている気がする。
それはさて置き、今日は一大イベント、転校してから初の登校日だ。
人間、第一印象が大事だそうなので、今日は落ち着いた爽やかクールなイケメン男子を演じねばならない。
目指せ、友達百人。
俺「………………」
玄関を開き、すうっと深呼吸して気持ちを切り替える。
電車と人混みの喧騒や、入り混じった排気ガスなど一切感じられない、爽やかな朝の空気。都会暮らしをしていては味わうことは出来ないだろう。
俺「はあ、空気が美味い」
百華「でしょう。朝独特の少しひんやりした感じ、私も好きよ」
俺「ああ。っていうか、むしろまだ少し肌寒いかもな」
百華「そうね。私も、朝は一枚多めに着ることにしてるわ」
俺「……………」
百華「……………」
なんで居るんですか。
百華「あの、ここまでリアクションが薄いと、さすがに少しさみしいのだけど」
俺「人間って、あまりに予測不可能な出来事が起こると、かえって冷静になるよな」
百華「いや、だからそんな冷静に対応されると、私としては少し複雑なんだけど」
朝日をバックに、瀬尾先輩が所在無さげに立っていた。
百華「おはよう。昨日は部屋に籠っちゃった挙句、そのまま寝ちゃってるんだもの。私としてはもう少しお話したかったわ」
俺「あ、ああ、ごめん」
百華「まあ、私も疲れていたから、あの後すぐに帰ったんだけど」
若草色のスカートを翻し、行きましょ、と歩みを進める先輩。
百華「それにしても、あなたって本当に何も覚えてなかったのね。最初は新しい嫌がらせかと思ってたわ」
俺「えっと、いつから俺のことに気付いて…?」
百華「確信したのは住所を聞いてからよ。近いうちに遊びに来る、っていう話は石井のお婆ちゃんから聞いていたんだけど。まさか引っ越して来るなんて思っていなかったわ」
俺「そ、そうか」
なんだろう、やけに普通に接してくれているのだけど、こっちとしては多少気まずい。
俺「なんかその…ごめん。俺、本当に何も覚えてなくて」
百華「いいわよ、もう。お陰で諦めもついたわ」
言って、少しだけ寂しそうに笑う先輩。
百華「逆に忘れられてて、助かったかもしれないわ」
俺「なんだそれ」
なんの話をしているのかいまいちピンと来なかったが、その件に関しては本当に気にしていない様子なので、これ以上深追いするのはやめることにする。
俺「改めて、これからもよろしくしてくれると助かる」
百華「こちらこそ、そのつもりよ」
とは言ったものの、やはり先輩とのことは気になるので、今度ウチにあるアルバムでも引っ張り出して睨めっこしておこう。
百華「職員室の場所、わかる?」
俺「具体的には知らないけど、なんとなくわかる」
どこも大体同じだろう。
百華「そう、ならいいけど。もし何か困ったことがあったら、三年の教室に来てちょうだい?」
俺「わかった」
まあ、さすがに困った時は担任を頼るだろうけど、先輩の気持ちは嬉しいのでありがたく受け取っておく。
俺「でも、探すの大変じゃない?俺、さすがに転校初日で上級生のクラスに殴り込みに行けるほどタフな精神もってないんだけど」
百華「平気よ。三年生のクラス、二つしかないから。私はBクラス」
胸のサイズと関係しているのかな、なんて台詞が口まで出かかったけど、すんでのところで堪える。
俺「大きいのか小さいのかわからないな」
百華「……?学園自体はそこまで小さくないと思うけど」
俺「こっちの話だ」
先輩のお迎えから、歩いて十数分。ちらほらと同じ制服を着た生徒の姿が増え始めたところで、ようやく校舎が姿を現す。
百華「友達を作るのは得意なほうだったりする?」
俺「知らない人と話しちゃダメだって母ちゃんが言ってた」
百華「そんなこと気にする歳じゃないでしょ」
俺「うーん……」
友達を増やすのは簡単かもしれないが、大事なのはファーストコンタクトだ。
それとなく、斜め後ろを歩いていた男子生徒に声を掛けてみる。
俺「よう。昨日の映画見た?『ししゃも対カマキリ』。あれ絶対CG使ってるよな」
男子生徒A「は?そんな映画見てないし、そもそもお前誰だよ」
………………。
俺「失敗した」
百華「あんな軽やかに飛び込んでいったあなたの精神どうなってるのよ…」
人間、何事も勢いが必要なんだ。
俺「そもそも俺の記念すべきファーストコンタクトは先輩に奪われていたし、よく考えたら普通に接したらいいのか」
百華「ふ、ふうん」
俺「よし、それじゃあ次にあの校門をくぐった生徒と友達になる」
校門を目の前にしたところで、少しだけ歩みを遅めてみる。
ヤンキー「……………」
俺「………………」
百華「………………」
俺「やっぱり、運命とかタイミングとか、いろいろ大事なことがあると思うんだ」
百華「脚、震えてるわよ」
ああいうタイプとは生きてる次元が違うんだ、放っておいてくれ。
昇降口で先輩と別れてから、フィーリングのままに廊下を練り歩く。ときどき、すれ違う生徒からの視線を感じるが、やっぱり田舎だと見慣れない顔だとか分かったりするものなのかな。
俺「ん……?」
ふと、渡り廊下を渡った先に小さな人混みを発見する。
俺「購買かな」
見たところ全員が財布を手にしているので、弁当の注文やら何やら売ってあるのだろう。前にいたところでも、朝から弁当の注文だったりパンの注文だったり受け付けていた気がする。
???「おや、見ない顔だね〜」
遠目に眺めていたところで、カウンターの内側にいる女子生徒が、目ざとく俺を見つけて言った。
???「ははーん、さては君、新入りだね〜?何用かね?」
俺「この店で一番人気のある子を」
ある程度人が掃けたところで、何やら面白そうなので近付いてみることに。
なるほど、弁当の注文用紙や文房具が並んでいるあたり、購買としてちゃんと成り立っている様子だ。
???「それだったら、今はこの、藤宮 七海(ふじみや ななみ)ちゃんなんてオススメだよ〜!いやあ、お客さん、運がいいね!よっ、色男」
俺「チェンジで」
七海「ひどいっ!?」
藤宮と記された名札を掲げ自慢げに胸を張っていたのも束の間、チェンジを受けるなりガクリと肩を落とす女子生徒。表情がコロコロ変わって面白い。
七海「でも君、新しく来た人だよね?あたし、購買部やってるから、ここの生徒の顔はだいたいわかるんだー」
俺「実は昨日整形してきたばかりなんだ」
七海「ええっ!どこを弄ったの?目かな!お鼻かなーっ」
俺「股間の方を」
七海「まさかの性転換だった!」
この子ちょっと面白い。
俺「まあ嘘だけどな。昨日引っ越して来たばかりだ」
七海「だよねだよねー!」
改めて、お互いに自己紹介をし直す。
七海「二年なら、同級生だね!同じクラスだと嬉しいな」
俺「二年生は何クラスあるんだ?」
七海「うんっとね、一年生が二クラス、二年生は三クラス、三年生は二クラスまでだよ」
二年生は少しだけ多いらしい。それにしても全校生徒は三百人満たない程度か。
七海「でも、合計七クラスもあるから確率は七分の一だね!」
俺「そうだな、三分の一だな」
どうやら少しだけアホの子らしい。あれ?と、本気で分かっていないのか、ショートカットの毛先をくるくると弄りながら笑っている。
七海「もうそろそろホームルーム始まっちゃうけど、職員室まで送ってあげよっか?」
俺「いや、平気。職員室なんてだいたいどこも同じような場所にあるだろ」
七海「それもそうだね〜!!」
あははと笑ってのける藤宮。こいつがクラスメイトだったら、それはそれで明るく楽しい学園生活が送られるかもしれない。
俺「それで、職員室はどっちに行けばいいんだ?」
七海「早速手のひら返したっ!?」
無駄な体力は使いたくないんだ。
結局、藤宮に職員室まで案内してもらったところで、予鈴が鳴った。
七海「それじゃ、またねー!」
ぱたぱたと音を立てて、廊下を走り抜ける藤宮。途中で教師に注意されては、はにかんだ様子でこちらに手を振ってくれる。
俺「なんだか騒がしい奴だったな…」
気を取り直して、職員室の引き戸に手をかける。
俺「失礼します。ええっと…」
しまった、こういう時どういった挨拶をするべきだったか、すっかり忘れてしまった。
何人かの教師の視線が向けられるも、何も言えないままで突っ立っていると、
???「あら?ひょっとして、キミが…」
少し離れた席に座っていた、一見女子大生に見えなくもない女の人が、にこりと笑いながらこちらへ向かってくる。
???「今日から転入してきた子ね?」
俺「えっと、はい」
???「初めまして、キミの担任の、三嶺 ゆかり(みつみね ゆかり)です。今日からよろしくね?」
俺「よろしくおねがいしま……三嶺?」
はて。つい最近、同じ姓を名乗られた気がする。
ゆかり「うん?どうかした?」
俺「あ、いえ」
俺の記憶力には問題がありそうだからな、おおかた気のせいだろう。
ゆかり「中途半端なタイミングだし、いろいろ大変だとは思うけど、頑張ってね」
俺「ありがとうございます」
ひとまず、優しそうな担任で何よりだ。
俺「ひとつ聞いてもいいですか?」
ゆかり「うん?なに?」
俺「先生って歳は───」
ゆかり「ふふっ、キミの寿命と引き換えだったら教えてあげてもいいわよ」
人は見かけで判断してはいけない、という教訓を大事にしていこうと思った。
ゆかり「それじゃあ、少ししたら呼ぶから、それから入ってきてもらえる?」
俺「わかりました」
教室を目の前にして、先生から細かいオーダーが入る。何事も最初が肝心らしい。
もちろん分かっている。口を酸っぱくして言うが、誰だって第一印象が大事だ。それは俺もよく理解している。
ゆかり「えー、先週も言ってたけど、今日から新しい子が転入してきました、はい拍手!ぱちぱち」
テンプレート的な展開で騒つく教室。少しの間を空けてから、ちらり、と引き戸から顔を覗かせ、入れと合図。
さて、何事も慎重に、爽やかクールなイケメン男子を意識して…
俺「どうも、はじめまして。趣味は献血とボランティア、週末は港で海女さんに紛れて密漁をしています。主な収穫はヒザラガイとアメフラシ」
先生、唖然。いい調子だ。
俺「座右の銘は”百害あって一利なし”、B級映画ならなんでも好きで、暇な時は脳内でバイオハザード発生時にどう対応するかのイメトレをしています。将来の夢は───」
ゆかり「ストップ、ストップ!何を言ってるの、キミは」
先生が見兼ねたのか、慌てて静止に入ろうとする。
男子生徒A「すげえ、あいつ、よく出まかせであれだけ喋っていられるな」
男子生徒B「ああ、どんな奴が来るかと思ったが、こいつはきっと大物になるぜ」
女子生徒A「ゆかりん先生が慌ててる…!」
女子生徒B「初日でゆかりん先生を困らせるなんて、あいつ、やるわね!」
女子生徒C「わかってるじゃない、気に入ったわ」
一部の生徒にはウケているらしく、まばらに拍手が送られる。どうやら歓迎してくれているみたいで、ひとまずここは安心だ。
俺「あ、やべ、チャックあいてた」
ゆかり「も、もう!真面目に自己紹介しなさいー!」
指定された席に着席すると、隣に座る女子から声を掛けられた。
伊織「まさか同じクラスになるとはね…」
俺「おう、よろしく頼むぞネギ女」
伊織「その呼び方はやめなさいよ」
教壇に立っていた時点で気付いていたが、このクラスには伊織と、さっきの藤宮ナントカが在籍しているようだ。なんだかんだで知っている顔があると、少しだけ安心する。
それが二人とも女子なのが、ちょっとどうかと思うけど。
ゆかり「それじゃあホームルームを始めます。ええとまず、今日予定されていた地域清掃についてだけど、今日は午後から雨の予報なので───」
三嶺先生ことゆかりん先生がなにやら行事について説明しているみたいだが、転入してきたばかりなのでそれとなく聞き流すことにする。
俺「うーん」
伊織「…?変な顔して何を企んでるのよ」
俺「世界平和と愛の関係性について考えている」
伊織「冗談は顔だけにしなさいよね」
こいつ、俺の顔に対してめちゃくちゃ厳しくないか。
俺「三嶺先生…いや、ゆかりん先生の名字って」
伊織「お姉ちゃんがどうかした?」
俺「いや、どっかで聞いた姓だなーって……え?」
お姉ちゃん?
俺「は?そういえば伊織の名字も」
伊織「三嶺だけど」
俺「マジかよ」
姉妹だったのか。ってことは、ゆかりん先生って結構若いんじゃ…?
伊織「お姉ちゃんは教育実習生よ」
俺「なるほど…」
ということは、あの感じだと二十一、二十二歳くらいか……と、あまり年齢について根掘り葉掘り詮索していたら、ゆかりん先生の逆鱗にも触れかねないので、この辺にしておこう。
ゆかり「──それじゃ、みんな、今日も一日頑張ってね」
ゆかりん先生の合図で、号令がかかる。いつの間にかホームルームが終わっていたらしい。
七海「おおおおーっ!やっと話せるよ〜!」
なにやら騒がしいのが一人、どたどたと駆け寄ってくる。
俺「おお、誰だっけ」
七海「ひどいよっ!藤宮だよ!」
俺「名前なんて所詮記号でしかないんだ」
七海「おおっ?なんか今のカッコいい!けど!ちゃんと名前覚えてよー!」
俺「なんだっけ。花子?」
七海「ななみだよ!な、な、み!」
うーん、弄り甲斐のありそうな子だなあ。
伊織「あんた、いつの間に七海と知り合ってたの」
俺「ナンパされたんだ」
七海「えへへ、ナンパしちゃった。それより、君が伊織ちゃんとお友達だったことにびっくりだよー!さっき、仲よさそうにお話してたでしょ?それ見てたら、早くお話したくてウズウズしちゃって!」
伊織「別に友達とかじゃないわよ」
俺「ナンパされたんだ」
七海「ナンパしちゃったんだ〜!伊織ちゃんも隅に置けないなあ、このっこのっ!」
伊織「…頭痛くなってきた」
七海「え、頭痛いの?どうする?常備薬、あるよ?」
俺「さすが購買部、なんでも持ってるんだな」
七海「ふふふ、まいどおおきに!」
伊織「あんたたち、お似合いね…」
失敬な。俺はここまでお花畑咲かせてない。
俺「ところで、一限目は何なんだ?」
伊織「あんた、話聞いてなかったの?」
七海「今日は午後から天気が崩れるみたいだから、予定が繰り上がって、これから地域清掃だよー」
どうやら俺の記念すべき転校初日は、なにやらすごく地味な幕開けらしい。
伊織「趣味、ボランティア活動!その言葉に偽りがなければ、今日の清掃は期待してよさそうね」
俺「まかせろ、蹴散らしてやるぜ」
七海「散らかしちゃだめだよっ!」
とかなんとか言いながら、ちょっと楽しみにしちゃってる自分が居た。