「来てもらってすまないね。生憎と、これは命令書には出来ない機密事項なんだ」
白い髭をたくわえ、年齢らしからぬ頑強な体躯を小さな椅子に座らせた壮年の男性が、悪びれることもなく言った。ある意味でそれは最後通牒であった。話を聞けば後戻りはもう出来ないぞ、と自らの地位で退路を塞ぎながら。
「いえ、少将殿のお眼鏡に叶い光栄であります。この命、国家のために捧げた身でありますゆえ、どうか遠慮なさらず」
対面に立っていたのはまだ若い、白い軍服に着られているような少年だ。外見からだとせいぜい十七、八だろうか。壮年の少将とは二周りも年が離れているだろう。本来ならば、同年代の子供達と学業に励み、青年を謳歌している頃のはず。
「そう堅苦しくすることも無いと言うのに。私と君なら同期の桜みたいなものだろう」
同期の桜とはそのまま同期生のことを指す言葉であるが、元々は太平洋戦争時に好んで歌われた歌のことで、華々しく散る様を桜に例えた軍歌である。軍属の彼らからすれば、正しくそう呼ぶべきだろう。少将が
「
「私もそう思っているでありますよ。それ以上に敬意を払うに値する存在だと認識しているだけであります」
「堅苦しいところは今も変わらず、か」
薄く笑ってみせた少年に対し、少将は諦めの入った笑みを浮かべる。まるで祖父と孫のような微笑ましい光景は次の瞬間には鳴りを潜め、そこに居るのは最初と変わらず軍の上と下。
少将が手元から一枚の写真を取り出した。巨大な建物が写されている。秋津はそれを受け取り、目で続きを促す。その目は感情の読めない黒に染まっていた。これからは仕事の時間である、と認識したのだ。
「鹿屋にある鎮守府の一つだ。鹿屋の特徴については知っているね?」
「最も艦娘が人らしい場所、でありますな。噂には聞いたことが」
鹿屋、岩川は内陸部。出撃の無い艦娘が、今日も人のやうに大笑い。
秋津が軍部で面白おかしく歌われる歌を口ずさんでみせる。
海に面していないその二つの基地は深海棲艦への前線にはなりえず、教練のための区域とされてきた。岩川は現場の最高責任者である中将の意向で月月火水木金金の訓練漬けと言われているが、鹿屋においてはそれ程厳しい訓練が行われているわけではない。このようなあだ名が付けられるのはそのためである。
「それがどうかしたので? 一度風紀を取り締まる、というのであれば自分の役割ではないと思いますが」
「それがどうも、風紀の乱れでは無さそうだ。或いは、もっと危惧すべき話かもしれない」
「と言いますと?」
「この鎮守府は毎日建造と解体を行なっている」
「ふむ。不可思議ではありますが、有り得ぬ話でもないでしょう。まさかそれで終わりでありますか」
「そんな訳がないだろう」
少将はゴシップ雑誌程の厚さの束を机から出す。十枚程度ページを捲り、ある一点を秋津に見えるように指差した。
「これは各鎮守府の保有艦娘のデータをまとめたものでね。そして、これが件の鎮守府のデータだ」
「ふむふむ……保有艦娘、零でありますか。有り得ない、でありますな」
真っ当な鎮守府であれば、艦娘を解体するのは、同種類の艦娘が既に着任している時。それか今以上の艦娘を保持できない場合だ。必要無い、という理由で解体することもあるが、その場合も
「そもそも艦娘の居ない鎮守府は鎮守府と呼べるのか……」
「認定を受けてるから、形の上では鎮守府さ。例え提督が軍人でなくとも、な」
「軍人でない?」
秋津は眉をひそめた。艦娘が兵器であることを鑑みれば、それを指揮する提督は軍人でなければならない。機密事項の塊、基本的人権に抵触しかねない行動。艦娘を民間人に任せることなど、天地がひっくり返っても起こり得ない。艦娘技術というのは外交カードとしての価値を持ちうる技術なのだ。
その上で、万が一軍属以外の者が提督になるとしたら、考えられるのは唯一つ。
「何かしらの研究をしている、ということでありましょうか」
「おそらくはな」
艦娘を研究したいと望む研究者は多い。艦娘と多く接触を持つためには提督になるのが一番手っ取り早く、安全だ。余程のことがない限り、
そして、件の人物が研究者であるのならば、無意味な建造と解体にも説明がつく。実験し終わった後に捨てているだけだ。
「一応聞いておきますが、売買の可能性は無いのでありますな?」
秋津が推論をより確かなものにするため少将に問う。
提督の不祥事として多いのは艦娘への性的暴行。その次に大本営から送られる資源の横領。それから性玩具としての艦娘売買である。一つ目、二つ目は今回の事例にはおそらく当てはまらないとして、三つ目の艦娘売買にも、建造と解体を繰り返すという特徴がある。
居るはずの艦娘が居ない、そんな場面を憲兵に見られたら勘付かれる。だから、解体だの轟沈だの書類をでっち上げて体裁を整える。呆れるほど見慣れたやり口であり、秋津も初めはそれを疑った。
そして少将の答えは肯定。
「しばらく外部を見張らせてみたのだがね、誰かが出入りしているような様子は無かった。そもそも鹿屋の特性上、部外者が入れば目立つ」
鹿屋は内陸部であり、実戦部隊でないがゆえに、それぞれの鎮守府が近い位置にある。また、海に面しているのであれば、海岸線を警戒するように広がるため内陸のルートは他所からは気付かれにくいだろうが、鹿屋ではそうは行かない。なにせ、どこまで行っても地上しかないのだから。
「潜り込むのも面倒でありますな。堂々と正面から行っても?」
「構わんよ。だが、あまり手荒なことはしないでくれ。こちらとしても罪状があって調べるわけではないのでな」
「それは、まあ相手の出方によりますが」
身を守るくらい許されるでしょう、と秋津は腰に提げた十四年式拳銃をこつりと叩いた。時代遅れどころか骨董品とさえ呼べるボディは無骨に光り、人を殺すのに十分な代物であることを主張している。
そうなればお縄にするだけだ、と軽口を叩く少将。
「では、明日にでも出立いたしましょう。地図と提督のデータは頂けるのでしょうか」
「鹿屋の提督用に配られるハンドブックがそこにある。持っていきたまえ」
「恩に着るであります」
文庫本程度の大きさの本を脇に抱え、秋津は敬礼をして部屋を出て行く。退出の許しを請わぬ、無礼な振る舞いであったのは、少将のことを本当に親しい人間だと認識していることの証明なのだろう。親しき仲にも礼儀あり、という言葉もあるのだがな、と少将は独りになった部屋で苦笑いしながら呟いた。
*
少将の部屋から退出した秋津は基地の敷地内にある自宅へと向かっていた。すれ違う人の冷めた視線に晒されながら、さして気にすることも無く歩き続ける。何日かかるか知らないが、替えの服は十分に有っただろうか、などとくだらないことを考えているうちに体は家の前についていた。
ポケットから取り出したカードキーを差し込むと、ピーと音を立てて鍵の開く音がした。ドアを開けて中に入り、玄関のスイッチで照明を点ける。堅苦しい軍靴を脱ぎ去り、帽子をポールハンガーにかけた。軍服は着替えずにそのままだ。
飾り気のない、だが高級感の漂わせるソファに腰を下ろして、秋津は机の上にあるライターと煙草を腰に提げた十四年式と交換した。
「やはり一日の終わりはこれに限るでありますな」
ゴールデンバットに火を点けて咥える。秋津の数少ない娯楽の一つであった。明るく照らされた室内に煙がくゆり、換気扇に吸い込まれて消えていく。煙草を旨いと思ったことはあまり無いが、その光景を見ているとどことなく心が落ち着くのだ。
思い出したかのようにハンドブックを開く。先ず読み流すのは演習を行うときのための提督名簿。海軍のエリート、高卒の叩き上げ、上からの天下り。軍人という共通項さえ除けば提督に選ばれる人物に傾向は無い。最後のページ、物のついでに付け足された欄で指を止める。経歴欄には士官学校卒業とだけ書かれている。見るからに不健康そうな写真には似つかわしくない。
念のために名前を携帯端末で調べてみるが、目立った結果は得られなかった。
「せめて、何かしらの分野の権威、とかであれば楽なのでありますが」
無名の研究者。その場合に最も困難なのは、「何を」研究しているのか予測することである。
例えば、深海棲艦及びそれに付随する現象の研究。いわゆる深海学の人間であれば、艦娘と深海棲艦との類似性についての研究だと予測することができる。機械工学を学んだ者であれば、興味の対象は艦娘本人よりもむしろ艤装の方にあるだろう。
だが、相手が何を学んできたのか分からないのでは推理のしようがない。理工学に限定せず、人類学や心理学の可能性もあるのだ。
素直に口を割ってくれれば良いのでありますが、と秋津は希望的観測を口にする。今までの経験からすればそんなことは先ず有り得ないと思わざるを得ない。
崩れそうにしなった灰を慌てて灰皿に落とし、一つ息を吐いて咥え直す。体感よりも長く考え事をしていたようだ。
下手な考え休むに似たり。案ずるよりも生むが易し。兎にも角にも行ってみなければ分からないと思考をそこで切り捨てた。
それよりも問題は、少将が秋津一人で行かせたのは何故か、ということだ。部下を見張りに向かわせるのだから、別に秋津である必要は無かったはずだ。彼が優秀であることは確かだが、内密に頼むことには他の理由があるはず。
おそらくは少将は中で行われていることを知っている。その上で秋津に向かわせたいと思っている。それがどうしてかは分からないし、分かる必要もない。
「結局、気にし過ぎなだけなのでしょうが」
また考えすぎてしまった。煙草の火はとっくに消えていて、終わりの時間を告げている。秋津は灰皿に煙草を押し付けて、ソファから立ち上がり大きく伸びをした。
「風呂に入るのも億劫でありますな。昨日入ったし別に良いでありますか」
そんな事を独りごちて、秋津はベッドへ向かう。今日はもう寝るかと軍服を脱ぎ捨てて、毛布に包まった。その姿はやはりまだ幼い子供のようであった。