あきつの空   作:溶けた氷砂糖

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狼は群れで生きる/4

「急げ、時間が無いぞ!」

 

 怒号が鎮守府に響き渡る。出撃していなかった中でも練度の高い艦娘達が右往左往していた。今日は非番の筈だったのだ。幾ら常在戦場といえども、艤装を準備するのに時間が掛かる。まして、報告にあるだけでも、敵本隊を見紛うだけの戦力。十分な準備をさせないまま出撃させれば、犠牲者を増やすだけだ。

 

 最悪なことに、件の船に関する第一報はこの鎮守府のものだった。誰だか分からないが、警備網に穴を開けた鎮守府が、そして警護の艦娘からの救援要請を握り潰した奴が居る。推測だが、おそらくは同一人物だろう。そうでなければ救援要請を無視するメリットが無い。逆に、本分を忘れていたのならば、隠してしまおうとする。

 

 提督は机を叩いた。遅いことに苛ついているのではない。もう殆ど手遅れだと思っているからこそ、どうしてもっと早く撤退の判断が出来なかったのか、それが悔やまれるのだ。

 

「お願いだ……皆を、足柄を守ってくれ」

 

 大本営への連絡はとうの昔に終わらせた、艤装に関してはまったくの素人だ。知り合いで、現場に近い鎮守府の提督にも報を入れたが、自分達より僅かに速いかどうかといったところだろう。

 

 もはや彼には祈ることしか許されていなかった。

 

 

 足柄が現場に辿り着いた頃。

 

「出撃を偽装して資源を横領。ま、笑えない程にありふれた手口でありますな」

 

 白い軍服を着て、呟く少年が一人。その傍らには、猿ぐつわを噛まされて、紐で縛られて転がされた男の姿がある。そして、同情と敵意を持った視線も。

 

 突然、手元の通信機が反応した。睨まれている中、少年は飄々とスピーカーに耳を当てる。

 

「大佐殿、どうしたでありますか」

「本部から緊急で連絡があった。客船が深海棲艦の襲撃を受けているらしい」

「はあ」

 

 気のない返事をしながらも、少年は即座にオープン通話に切り替える。

 

「それは私達とは関係無いように思うのですが」

「それがだね、深海棲艦の一団はそこの担当区域を潜り抜けていったらしい。さらに警護もそこの艦娘だという」

「だから?」

「見捨てるのかね?」

 

 それだけ言って通信が切れる。沈んだら深海棲艦に化けてやるでありますと、毒吐きながら、少年は辺りを見渡した。好戦的な艦娘を見張る部下に声をかける。

 

「指揮権は我ら憲兵隊にあり。長門、全体の指揮を」

「了解した」

 

 そして、必死にもがいている提督を一瞥すると、もう一度、彼が従えていたらしい顔ぶれを眺める。求めるのは、先の言葉を聞いて、目に自己嫌悪か後悔を持っているもの。

 

「貴官らには、これから憲兵隊指揮のもと、救出作戦に参加してもらうであります。仲間を助けたいならば言うことを聞け」

 

 誰もが予想もしていなかった所から、救いの手は差し伸べられたように見えた。

 

 

 頬から流れていくオイルを舌で舐め取った。船など沈んでも構わないと言わんばかりに砲火が飛び交う戦場。

 

 12.7cm砲の最後の砲弾で軽巡を打ち払い、邪魔になったガラクタを投げ捨てる。これで三つ目の主砲が傾いた廊下を跳ねていった。

 

「はぁッ……はぁッ…」

 

 息はとっくに上がっている。体を動かすのに必要な燃料も切れかけていた。身体には無数のかすり傷が染み付いているが、抱え上げた子供には傷一つ無い。いや、彼に傷が無いからこそ、足柄は満身創痍に至ったとも言える。

 

 インカムを放棄したことを後悔した。あの時の感情は、確かに仲間の言葉で揺らぎかねないという恐怖が勝っていた。しかし、終わりが見えない死地の中、孤独さが心を蝕んでいくのが自分でも分かった。

 

 もう皆沈んでしまっているのでは、生存者などもう居ないのでは。弱音を吐きたくなる。

 

 腕の中の子供は目を閉じて震えていた。パニックを起こさなくなっただけ、勇敢になったのだろう。しかし、一度不安そうな様子を見せれば自暴自棄になるかもしれない。

 だから彼女は大胆不敵に笑うしかない。敵の強さに歯噛みしながらも、自分の勝利を疑わない道化になりきらなくてはならない。

 

 ああ、こんな時だというのに、指輪が気になってしようがない。

 

 もう武器は無い。今まで拾い集めてこられたことすら奇跡的だ。頼り、縋るべきものを探すと、どうあがいても最後は左薬指に嵌められた指輪に行き着いてしまう。提督がくれたお守り、人の慣習では結婚(ケッコン)を意味するアクセサリ。

 

 不意に鎮守府が恋しくなった。戦艦も、駆逐艦も、空母も、巡洋艦も。自分は気にしなかったが、皆が自分のことを思ってくれていた。

 

 死に近づけば、本音が顔を出す。

 私は戦いたい。敵を倒して、敵に倒されて。それで十分だ。軍艦である自分はそうあってしかるべきだ。だけど────

 

 

 

────仲間の悲しむ顔は見たくない。

 

「あは……」

 

 なんて自分勝手だったのだろう。武功を上げることに固執していた私でさえそうなのだ。仲間達は自分以上に強く感じていた筈だ。何より、提督自身が。私に生きていてほしいと願っていた筈だ。

 

 ああ、そうだ。提督が撤退を命じたのは、軍人としてではない。指揮官としてでもない。本当に、彼自身が言っていた通り、一人の人間として足柄の命を願ったのだ。

 

「会いたいな」

 

 だったら生きて帰るしかない。

 

 武器が無い程度で諦めるな。足柄は自分を鼓舞する。艦娘は素手でも深海棲艦を倒すことができる。事実として可能なだけで、とても現実的な戦い方ではない。そんな死にたがりをするのは一部の気が狂った奴だけだ。

 だが、倒せないわけではない。

 

 拳を握る。どうあってもこの子供を守る覚悟、どうあっても生き残る覚悟。考えられるありとあらゆる可能性を模索して、考慮して、想像して、乗り越えていく。自分には出来るとうわ言のように呟いて、崩れ落ちそうな膝を伸ばす。

 

 船がさらに傾いた。そろそろ沈没する頃合か。どういうつくりになっているのか知らないが、まだ浸水していないという事実が本来有り得ないと言い切れる。

 

 いっそ、脱出を試みるか。来た道を戻ることも考えるが、すぐさま頭を振る。沈み始めている船で底に向かうのは自殺行為だ。艦娘個人ならまだしも、要救助者が居るのにそんなことはできない。

 

 そうなれば、目指すのは上。ひたすら上を目指し、甲板まで辿り着くしかない。

 

 守るべきものを抱えて走る。四肢が千切れそうな程に痛い。身体はとうの昔に限界だ。それでもただひた走るしかない。喉に艦娘の血が絡もうと、関節がぎしりと嫌な音を立てたとしても、まっすぐに突き進むしかない。

 

 目の前に重巡が見えた。運の良いことにこちらにはまだ気付いていない。足柄は気にすることなく走る。足音に気付いて重巡が振り返った。

 その喉元に鞭のようにしならせた腕を叩き付けた。いわゆるラリアット。反動に顔をしかめ、腕が取れそうな錯覚に苛まれながら、不意討ちで転げ回る重巡の頭に足を踏み下ろした。

 

 ぺき、とまるでプレッツェルでも折ったかのような軽い音がした。死んだかどうかも確かめず、足柄はまた足に力を入れる。

 

 進め、進め、進め。

 

 辿り着いた。甲板だ。当然のことながら誰も居ない。

 

 空をかき回すエンジン音にもはやここまでか、と諦めが過る。それならば、せめて一隻でも多く道連れにしてやろう。獲物を探す獣の目付きで敵を探す。当然のことながら誰も居ない。

 

 そこでようやく足柄は異常に気付いた。

 

 敵が、居ない。

 

「あれ! 足柄さんだよ!」

「足柄、良かったネー!」

 

 下から喝采の声が聞こえる。飛龍と金剛と、皆の声。いや、それ以外の声も聞こえる。誰だろうか。

 

「ふむ、生存の見込み無しと早々に沈めるつもりでありましたが、これで中々捨てたものでもないでありますな」

 

 背後から声がする。まったく気が付くことができなかった。足柄は慌てて子供を守るように身を翻す。

 

 声の主は、戦意がないことを示すように両手をあげ、どうどう、となだめているのか挑発しているのか分からないような声音で言う。

 

「私どもは貴官らを助けに来たのでありますよ。そうら、そこの救急ボートで降りると良いであります。本当に運が良い」

 

 仲間の早く、早くと急き立てる声に押され、足柄は少年の言う通りに救急ボートへと向かう。白い軍服に付けられた階級章は見たことのないものだった。つまりは普通の軍人ではなく、つまりは憲兵隊の人間。

 

 とりあえず、今回は敵ではなさそうだ。生き残れたという安堵とともに、ボートで降り、待っていた仲間達のもとへ戻っていく。

 

 残された少年はぼそりと

 

「羨ましいくらいの諦めの悪さでありますな」

 

 と呟いた。

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