「憲兵、だと?」
長門は眉を顰めた。憲兵隊という組織の名は聞いたことがある。海軍の内部浄化を試みる、十人にも満たない組織。隊長である男がそれなりの社会的地位を持っているから存続しているものの、実権などほとんど無く、今まで軍法会議にかけて処理してきた問題を肩代わりするだけの小さな者共だ。
何故、今、この場所に。
提督の口ぶりからすればこの鎮守府で起こっていることは誰にも知られていない筈だ。それこそ、あの薬を作り出した本人であろうと、このような惨状は知らない筈。
私達を油断させるための罠か。当然長門はそれを疑った。だからプリンツと酒匂にはまだ出て来ないよう秘密のサインで命じている。だが、この男が仮に偽物だったとしても本物だったとして。あの提督が赤の他人の手など借りるだろうか。
「警戒するのは分かりますがね。こちらは余りに悠長にしている暇はないもので」
少年は腰に掲げた警棒を抜く。長門はとっさに主砲を動かして少年の頭へと向けた。ほう、と少年が感嘆する。
「反応が速い」
「次、私が敵とみなすようなことを言えば、撃つ」
「なるほど。では簡潔に尋ねましょうか」
少年は砲口を気にした様子は無い。気味が悪かった。まったく恐ろしくないわけではないのだろうが、この程度ならばどうにでもなると言わんばかりの自信が見えた。
「貴官の提督を拘束するが、貴官はどうするのか」
「拘束……?」
「ええ、とある駆逐艦からタレコミがありましてね」
雪風のことだ。長門にはすぐに分かった。あの男は沈めたののたまっていたが、艦隊随一の幸運艦がそう簡単には沈む訳がないのだ。目の前の少年を信用していいのかは別として、この男と長門達の利害は一致していた。それこそ天佑であるがの如く。
「私は、提督と皆を止めたい」
「ならば、目的は同じでありますな。ご協力願えれば楽なのでありますが」
「貴方に従ったとして、そう上手く事は運ぶのか」
「貴官がヘマをやらかさなければ」
その台詞も、自信に満ち溢れていた。
長門に悩む必要は無かった。どうせそのまま地獄に落ちる道だ。いつ切れるかも分からない蜘蛛の糸に縋った所でたいした違いは無い。プリンツと酒匂の二人に相談もせず決めるのは良心が咎めたが、他にどうしようもなかった。
彼女達にとって幸運だったのは、蜘蛛の糸は案外に強いものであった、ただそれだけである。
「分かった。貴方に従おう」
「ふむ、有り難いものでありますな」
少年は廊下をクリアリングした後、中に入り、ドアを閉める。その結果プリンツと酒匂の姿も彼の視界に入ったが、特に気にすることも無かった。もしかしたら最初からバレていたのかもしれない、長門は目の前の少年に底知れない恐怖を感じたが言葉にはしなかった。今更縋った相手が天使か悪魔か、など腹の足しにもならない。
少年は秋津と名乗った。
期待通り、この惨状を外に報せたのは雪風だと言う。
「見た目以上に気丈な娘でありましたな。両足が吹き飛んで沈むかどうかというときに、ずっとここの事を訴え続けていたのでありますから」
「雪風は、どうなった」
「とりあえずは修復ドッグに。まあ足が戻るかどうかは五分五分でありましょう」
秋津は基本的に聞かれたことには全て答えた。自分が彼女達を信頼していないことと同じく自身が信頼されていないことは察していたからこそであろう。真面目に答えることで誠実な人間であると思わせ、思わせぶりな言葉で揺さぶりを掛ける。秋津はともかく、長門は腹の探り合いに長けた艦娘ではない。敵の腹を読むことは出来ても、自分の感情を隠す事はできない。
互いが互いを信用しても良いと判断するにはそう時間はかからなかった。少なくとも、全てが終わった瞬間、背後の心配をしなくても良い程度には。
秋津が通信機のスイッチを入れる。
「中佐殿、聞こえますか」
「秋津君か。なんだね、私は今忙しいのだが」
「生き残りの協力者を三名確保しました。これから本丸に向かっても?」
「私としてはこちらにも手を貸してほしいのだがね。流石に大和型を同時に相手取るのは手間が掛かるよ」
「情報によるとそれが主力らしいのでせいぜい引きつけてください」
「酷い部下を持ったものだ。だが、せっかくの協力者にかつての仲間の相手をさせるのも忍びない。鎮圧は任せ給え」
「そうさせて頂くであります」
それだけで通話が切れる。大和型二人を男一人で相手に出来る筈がない。しかし、雑音混じりに聞こえる男の声には苦戦の色すら見えなかった。信じられないと青褪めるプリンツを見て、秋津は鼻で笑う。
「陸では艦娘もそこまでの脅威ではない、ということでありますよ」
「大和型が陸では木偶の坊だと」
「鬼退治の要領でありますな。一寸法師ですら鬼を倒せたのです。人間にできぬ道理がありましょうか」
そんな莫迦な。叫びそうになる前に、ドアが勢い良く開く。全員の視線がそちらへ向いた。
発見、と呟く駆逐艦、吹雪。その鳩尾を秋津の警棒が捉えた。立ち上がる勢いで廊下の壁まで押し込む。他三人が反応する前に、秋津が次なる一撃で艤装を貫いた。爆発すら起こさず機能停止に陥る。項垂れた頭を蹴り飛ばし、踵と床でサンドイッチにする。
「何を……!」
「艦娘は丈夫でありますから、この程度は気を失うだけであります」
それよりも、早くしなければ面倒でありますよ。秋津はまったく焦った様子がない。インカムを踏み潰してなお、三人に動くことを要求する。
「そろそろ逃げ出す頃合でありますから、緊急脱出の出来る裏口かボートのある場所でも教えてほしいであります」
確かに、この場で捕まえなければ真相は闇の中だ。長門は即座に記憶の中にある鎮守府の見取り図を確かめ始める。言われたとおりに動いてしまうとは、秋津にすっかり乗せられねているのか。だが、どうであろうと構わない。長門は仲間であり後輩である二人を助けられれば良いのだから。
提督ですらしばらく見つけられないような隠れ処を知っていた長門だ。提督がいざというときの逃げ場に使いそうな場所にもすぐに思い当たった。
「執務室の二つの右の部屋に外を眺めるためのバルコニーがある。脱出用の救命ボートも繋げられていた筈だ」
「なるほど、艦娘は?」
「ボートが一人用だ。大和でないなら居ないと思って良い」
秋津は通信機の電源を再びつける。今度の相手は中佐と呼ばれた人間ではなく、複数人。彼らの部下だろう。
「各人海に回れ。ホシがボートで脱出する可能性がある。ただし艦娘が入れば深追いはするなよ」
「了解」
さて、参りましょうと秋津が言う。何処へ、と問うと獣のような残忍な笑顔で、提督の所へ、と答えた。
追い込み漁であります。
秋津をナビゲートしながら並んで走る。プリンツと酒匂が背後を警戒しながら続く。執務室まで最短経路を走る。当然、出会った艦娘全てがこちらを敵とみなして攻撃してくるのだが、秋津の動きは芸術的なまでに磨かれていた。
一度も引き金を引かせることなく、深海棲艦の死骸を元に作ったと話す警棒で艤装を破壊し、打撃で昏倒させる。相手が幼子にしか見えない駆逐艦だろうと、尋常ならざる膂力を持つ戦艦だろうと変わらない。一切止まることなく鎮圧し続ける。
「長門、後ろ!」
酒匂が叫び、全員が振り返る。陸奥が砲門構えていた。虚ろな目はそのまま、安全装置を外し、引き金を引く一秒前。
風切り音。一直線に飛んだ警棒が艤装の片側を貫いた。砲撃が止まる訳では無い。ただ一瞬遅れる、その隙間に長門がねじ込んだ。
「すまんな、歯ァ食いしばれ!」
全力で振り抜いた拳が陸奥の体を打ち据え、廊下の奥まで吹き飛ばす。欠かさず追撃のために秋津がその横を通り抜けて警棒を掴んだ。艤装を完全に破壊し、冷や汗をかいている。
「馬鹿力でありますな……」
一寸遅ければ死んでいた事実にではなく、一撃で戦艦を戦闘に不能に追い込んだ長門の馬力に対する恐怖であった。
何はともあれ、向かうべきは執務室それだけである。
四人が辿り着く。既にもぬけの殻なのか、何か奥の手を隠し持って待ち受けているのか。ゴクリと長門が唾を呑んだ。
「やあ、遅かったじゃあないか」
「中佐殿……一人で大暴れし過ぎであります」
三十路を過ぎたくらいの渋い雰囲気を醸し出す男が、護衛代わりだったのと思われる赤城、加賀と提督に見えるナニカを荒縄で縛って机の上に座っていた。
長門達の生涯を変える大事件は、こうして余りにも呆気ない終幕を迎えたのだった。