あきつの空   作:溶けた氷砂糖

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帰ろう、帰ればまた来られるから/4

「それで、大尉殿はどうしたのでありますかな?」

 

 皆が見世物(演習)を一目見る為に向かう中、少年は一人の若い男と向き合っていた。白い軍服、白い肌。不健康な顔色とは裏腹に自信に満ちた表情。

 相対していた男が紙の束を投げ渡す。宙を舞い、バラバラに落ちようとしていた一枚一枚を、少年は眉一つ動かさずに空中で全て回収した。

 

「せっかくだからどんな人間なのだろうと伊能中将を調べていたらね。こんなものが出てきた」

「これは……そういう者も出るだろうとは思っていましたが、先駆けという奴ですか」

「まあ、兵器以外の使い道を模索していたことは確かだろうね」

「いつもいつも、大尉殿は何処から情報を仕入れてくるのでありますか」

「それは君が相手でも企業秘密という奴だ」

 

 与えられたソレは、()()()()()だ。売り物が何なのかは言うまでもない。しかし、伊能中将がどうして演習さえも嫌がったのかはよく分かった。使い捨ての兵器で無くなると、誤魔化すのに色々と手間が掛かるわけだ。

 

「元帥には?」

「父にかい? とっくに知らせてあるよ。確保についてはそちらに任せるとのことだ」

「確保というよりも、保護と称した方が近い気もしますがね」

 

 少年がくつくつと笑う。

 

「憲兵隊の初仕事が、憐れなエリート様の保護になるとは」

「やっぱり、件の闖入者は山口の艦隊か」

「一人近づき過ぎたから分かっただけで、どうやら他にも紛れ込んでいたようですが」

「恐ろしいな」

 

 統率の取れた特殊部隊のようなものか。と大尉が聞く。

 

 そんな大層なものではないと少年は答えた。

 

「アレはただの、狂信者の集まりであります」

 

 

 

 

 

 

 演習開始を告げる笛が鳴る。二人の金剛、それぞれの艦隊の旗艦が動き始めたのは同時だった。

 

「加賀!」

「飛龍、蒼龍!」

 

 鋭く空を裂く号令と共にお互いの艦載機が空を舞う。数だけで見れば二対一。仮に航空戦で勝ちきれなくても、残りを戦艦で固めている伊能中将の艦隊ならば、軽巡を三人も引き連れた山口の艦隊を押し潰すことができるだろう。

 

 その場で戦いを見ていた人間の殆どがそう思っていた。それ故に、観戦していた内の何人かが示し合わせもせずに呟いた一言を聴き逃していた。

 

「矢を番えてから放つまでが遅い。照準がぶれている。頼みの艦載機も鈍い、危うい」

 

 加賀の戦闘機が次々と飛龍達の艦載機を墜としていく。お互いが正規空母、数で劣る加賀は航空均衡まで漕ぎ着ければ十分過ぎる役目を果たしたことになる。だが、キルレシオの値は大方の予想を文字通り裏返す数値になっていた。

 

「二航戦と一緒にしないでもらえるかしら」

 

 加賀の言葉と共に最後の一機が煙をあげて落ちていった。加賀側の航空制圧。伊能中将の艦隊は完全に制空権を失ってしまった。想像を遥かに超える実力差に彼女達の顔が青褪める。

 この一幕だけで、山口の正しさを証明してしまったかのようだった。

 

「呆けてる暇はありません!」

 

 叫んだのは旗艦である金剛。実戦経験のある彼女は知っている。こうした、一瞬の硬直が生死を分けることを。艦載機を飛ばしたことさえ初めての正規空母だ。制空権を取れないことは覚悟していた。流石にここまでとは思わなかったが、その分立ち直りが早い。彼女の言葉に戦意を失いかけていた大和や武蔵も目に光を宿し直す。

 

 上空から襲い来る爆撃を躱す。金剛は無傷、それ以外は小破から中破。蒼龍が中破してしまった為に空母として戦闘能力は半減した。対空砲を撃った所で加賀の攻撃はこれ以上防げないだろう。

 

「単縦陣! 敵よりも早く構えなさい。有利はこちらが取っています!」

 

 金剛は矢継ぎ早に指示を出す。僚艦に考える時間を与えてはいけない。下手の考え休むに似たりと言う。愚者の一得に掛けるには余りにも時間が足りないし、パニックになられても面倒だ。金剛はむしろ僚艦を足手まといに感じ始めていた。それは以前からだったかもしれないが、そんなことはどうでも良い。

 偶然の位置取りとはいえ、敵艦隊に対してT字有利の形になっている。たとえ慣れていようとも砲撃を耐える力まで早々上がっている筈は無い。戦艦四人による遠距離砲撃でせめて五分の所にまで持っていく。

 

「ファイヤー!」

 

 超重量級の砲弾が単縦陣で正面向いて向かってくる相手の金剛達に突き刺さる。まとまった艦隊は格好の餌食だ。金剛の読みはその部分までは当たっていた。

 

「なッ……!?」

 

 艦隊が二つに分裂した。総錯覚してしまう程の鮮やかな陣形変更。軍艦から人の身に変わったからこそ行える、短い範囲で移動しながらの複縦陣への移行。扶桑、龍田に当たって小破には持っていけた。しかし、それまでだ。彼女達の不利は覆らない。

 

「敵艦砲撃来ます! 回避行動!」

 

 打って変わって今度は金剛と扶桑の正確な長距離砲撃に晒される。彼女も砲弾がすぐ隣を掠めた。小破にも至らないが、単なる幸運でしか無い事は分かっていた。

 

「損害報告!」

「私と伊勢が中破。武蔵が大破。飛龍と蒼龍は……轟沈判定です」

 

 大和の報告に唇を噛み締める。これは幸運で片付けられるレベルではない。何より、自分だけが未だ全力で戦えるという事実が、相手の主張を後押ししているように思えた。

 

「飛龍、蒼龍は武蔵が曳航しなさい。大和と伊勢は私に続いて第二砲撃の準備!」

「了解!」

「火力ではこちらが勝っていることを忘れないように!」

 

 このままでは終われない。もし負けたならば、腹を立てた提督に解体されるのは目に見えていた。戦場で死ぬのは別に構わないが、陸の上で無為に沈むのは御免だった。

 

 一回目よりも互いの距離が近くなる。顔がはっきりと見えた。鏡写しの自分の顔に驚く。どうして、そんなに顔をしかめているのだ。ここまで来れば勝ちはほとんど決まっているというのに。何故、自分と同じ苦しそうな顔をしているのか。

 

 金剛の判断がワンテンポ遅れる。反射的に号令を掛けて、しまったと思ったときにはもう遅い。標的から外れた方向へ砲弾が飛んでいく。

 

 そして、敵の二射目が降り注ぐ。

 

 頼みの綱の大和、伊勢も轟沈に追い込まれた。金剛自身も避け切れず中破している。艦攻から発射される魚雷を意地で回避し、艤装で軽巡洋艦達の砲撃も跳ね返す。残されるは雷撃戦。軽巡洋艦が最も力を発揮できる舞台。

 

 声の届く場所に居る()()が、悲しそうに目を伏せて言った。

 

「提督に恵まれていれば、と思うと残念ネー」

 

 誰かの放った魚雷が、彼女の足元で破裂した。

 

 

 

 

 

 

 中将の艦隊が少佐風情の艦隊相手に全滅した。それも軽巡を三人も交えた編成を相手にして、だ。その事実は遠征が終わってすぐに提督達へと広まり、艦娘は成長するのでは、と争論を巻き起こすことになった。

 運が良かっただけだ、と喚き散らすのは将校以上の老人。適度な撤退を視野に入れ始めたのは若い佐官。それはきっと、若者達の感受性の高さ、艦娘に対する親愛の情と呼ぶには些か外れている気もするが、これ以上、彼女達を沈めたくないと切に願っていたからだろう。

 

「ふざけんなァ! 使えねえなこのゴミが!」

 

 伊能が腹を蹴り飛ばした。金剛の小柄な体が吹き飛ばされる。大本営とはいえ、人々が歩く往来での凶行。道行く人は顔をしかめるか、何も思わないまま通り過ぎていくだけだ。仮にも将校、楯突けば自分の身にも危険が及ぶ。君子危うい気に近寄らず、ということだ。

 

「あんな無様な負け方してんじゃねえよ! てめえも売り飛ばされてえか!? ああン!?」

 

 這い蹲った金剛を何度も踏みつける。人間の身体では艦娘に傷を付けることは出来ない。それを幸いだと伊能は思った。どれだけ殴りつけたって()()()()にしなくて済む。

 

 不甲斐ない糞艦娘共を全員売り飛ばして、あの生意気な少佐を適当に罪をでっち上げて潰す。それだけでは飽き足らない。持てる全てを使ってぶち殺す。一族郎党皆殺しにしてやる。それから────

 

「ああ、うん。少々よろしいですかなぁ」

 

 最初、声が自分に掛けられたものだと気が付かなかった。たとえ分かっていても無視したことだろう。

 

 視界が三百六十度回転する。突然の事態に舌を噛みそうになった。カーペットの敷かれた廊下に背中から叩き付けられて、胃の中身がせり上がってくるように思える。

 

「ナ、ニしやがんだぁ!」

「五月蝿い、喚くな。で、ありますよ」

 

 底冷えする声に伊能の口が塞がれる。肋骨を肉の上から踏みつけると、声の主は人通りもまだ疎らにあるというのに、一枚の紙を取り出した。

 

「伊能明良中将。旗艦を拘束します。罪状は、艦娘の人身売買といったところでありますか」

「てめえ、何者だよ……」

「そういえばまだ認知されておりませんでしたなあ」

 

 少年はわざとらしく咳払いをした。

 

「遠巻きに眺めている皆さんもお見知りおきを。私は秋津。提督共を取り締まる、憲兵隊の一員であります」

 

 階級は特にございませんので、御容赦を。

 

 憲兵隊という、当時たった二人しか居ない部隊が、提督達の恐怖の象徴として産声を上げた瞬間であった。

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