あきつの空   作:溶けた氷砂糖

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後悔先に立たず/3

 よいしょ、と鈴谷が勢いをつけて足柄を修復ドックに投げ入れた。傷だらけの身体が特殊な溶液の中に沈んでいく。

 

「高速修復材は?」

「先生の許可なしに使うのは禁止だけど」

 

 霞が不安そうな目で鈴谷を見る。足柄が彼女のようになってしまうことを危惧しているのかもしれない。もしくは、一方的なリンチを行っていたときはまるで違う鈴谷の様子に驚いているのかもしれない。

 

 鈴谷は後者のことなど思い付きもせず、てきぱきと作業を勧めていく。

 

「じゃあ私が代わりに許可出しちゃうわ。修復材掛けてもしばらくは目を覚まさないでしょうけど、沈んじゃいないから大丈夫よ」

 

 鈴谷がバケツをひっくり返した。ぶくぶくと泡が立ち、足柄の体を包んでいく。意識は失っているが、一時間もすれば目を覚ますだろう。

 

 足柄の表情が僅かに和らいだのを見ると、鈴谷は踵を返して外へ向かった。同じように足柄の顔を覗き込んでいた霞が顔を向ける。

 

「何処に行くのよ」

「先生の所よ。これからの貴方達の教練について打ち合わせもしなきゃいけないから」

 

 ひらひらと手を振って、霞の言葉を待たずに鈴谷は外に出た。工廠の薄暗さに比べて夏の陽光は立ちくらみを起こしそうなほど明るい。左手で日光を遮りながら向かう先は、教官の書斎だ。

 

 その前に、壁に寄りかかって目を瞑ってる先生が足音で目を覚ました。

 

「あら、付いてきていたの」

「監督役としての責務って奴かな。それとは別に君に聞きたいこともあったし」

 

 二人で並んで歩き始める。彼も鈴谷も笑みを浮かべていて、その姿は恋人のようにも見えた。互いに薄皮の仮面一枚をかぶっているだけであることは重々承知していた。

 

「あそこまでやる必要あった?」

「何かと思えば説教しに来たの?」

 

 質問に質問で返す。世間慣れしていない艦娘ならともかく、彼はそういうことには慣れていると直感的に感じていたのだが。

 

「いや、君が意味もなくあんなになるまで痛めつけるとは思わなくてね」

「たった一日で私を理解したつもりかしら」

 

 見透かされたような気がして言葉が尖った。本人はそのつもりが無くとも、死地をくぐり抜けていた怪物の圧は、近くに居るだけで景色が歪む。

 

 心拍数が上がって声が震えそうになるのを彼は何でもない風に取り繕った。一朝一夕で出来る技術ではない。風に揺れる柳のように恐怖を受け流して心から追い出す。そしてけらけらと笑ってみせる

 

「少なくともサディストでないことは分かるさ」

 

 鈴谷の表情が不機嫌に染まる。

 

「足柄をボコってた時、苛ついた顔をしてたからね。降参した時はほっとしていたでしょ」

「先生は人の顔色をうかがうのが得意なのね」

「職業病さ。艦娘なら分かり易いが、狸を相手にするとこんな簡単には済まなくて困る」

 

 皮肉を言うと皮肉で返される。似たもの同士だとは欠片も思わない。どちらかがどちらかに合わせて言葉を選んでいる。近づこうとしているのか、突き放そうとしているのかはよく分からない。

 

 石ころが足に当たった。転がって壁にぶつかる。部屋までがやけに長く感じられた。海に出ていれば、こんな距離はひとっ飛びなのに。

 

 やがて観念したように鈴谷が首を振った。

 

「腕と目を馬鹿にされたから」

 

 彼女にとってそれは勲章なのだろう。この身朽ち果てるまで深海棲艦と戦い抜いた証なのだろう。片目が見えない不利など、片腕の使えない不便など些細なことだ。魂だけで代わりになる。

 

 しかし、前線から遠ざけられ、安穏と暮らしている彼女達にひ痛々しい姿にしか映らない。或いは、多少の怪我は即座に回復してしまう彼女達のことだ。引き際を間違えた無能と捉えるかもしれない。

 

「ふむ」

 

 先生は無精髭を撫でた。「嘘だね」と言った。

 

「嘘?」

「嘘ではないのかもしれないが、それだけでは無いだろう」

「それを聞いてどうするのよ」

「どうにもならないだろうなあ。俺の個人的興味だ」

 

 この男は徹頭徹尾掴み所が無い。正直な所、鈴谷のことをどう思っているのかも曖昧だ。

 

「君はあちらで解体を望んでいたらしいね」

 

 彼が唐突に話を変えた。鈴谷にとっては変わっていないも同然だったが、ため息を一つ吐くと呆れ直した。それは事実だった。

 

「そんな情報何処から仕入れてくるのかしら」

「ブルネイには知り合いが居るからね。これでも人脈には自信がある」

 

 知り合いとは誰のことだろうか。ブルネイで活躍する提督は殆どが彼よりも若い。国外での活動と、休む暇を与えない深海棲艦の猛攻。若い人間でなければ耐えられない程の仕事量だ。以前、功を焦ったご老公が着任して数日で病に倒れ本国送還になったという話を聞いたことがある。

 それ故に、彼と同年代の人間も居なければ、恩師と呼べるような年配の者も居ない。誰も彼もこの男と接点があるようには思えなかった。

 

「ま、君が話したくないならそれでも良いさ。足柄を捻り潰したのだってこっちには都合が良いし」

「執着の無い性格ね」

 

 白軍服の肩にかかった埃を払い除けて彼が言った。

 

「私はムチになれば良いんでしょ?」

「そんな直接的に言った覚えは無いんだけど」

「遠回しには言ったでしょう」

「それもそうか」

 

 先生はポケットから飴玉を取り出すと袋を破いて口に放り投げた。ぶどうの酸味が口の中に広がって、漬物石のように自分を押し込める思考を溶かしていく。彼女との会話に気を遣いすぎている。もっとざっくばらんな付き合いだって構わないのに。

 

「俺だけじゃどうにも舐められるからねえ」

「人間なら仕方無いわね」

「面目無い」

 

 安心しなさい、と鈴谷は自分の人差し指を舐めた。紅を指したように赤い舌が獲物を探す蛇に見えた。

 

「私は甘くないわ」

 

 

 

 

 

 

「という訳で、あんな状態なんですよ」

「道理で、以前見たときと比べて厳しくなっている訳だ」

「当社比三倍ってとこで」

 

 片腕の鬼が艦娘を追いかけ回している、なんて言うのは勿論比喩で、実際にはロングランのペースを上げる為に鈴谷が後ろから尻をひっぱたいているのであるが、追い掛けられる側の艦娘は捕まれば拷問されるとでも思っているのか必死の形相だ。

 

 それをのほほんと眺めているのは先生と、黒髪の特徴的な戦艦。

 

「それにしても、長門さんが来るとは。てっきり隊長さんが来るものだと」

 

 憲兵隊所属の長門はフンと鼻を鳴らした。艤装と一括の、誰かの趣味で作られたような露出の高い服装とは違い、旧日本軍の陸軍のような黒い軍服に身を包んでいる。

 露出は減ったものの、体にきっちりフィットするように作られたような制服は長門のスタイルの良さを際立たせていて、むしろ色気が増したとは長門の後輩の弁である。

 

「隊長は、本格的に表の仕事をしなければならなくなったからな。端々しか聞いていないが最前線にも負けない仕事量だとボヤいていたよ」

「あー、今村少将ぶっ倒れたんでしたっけ」

「今は快復しているが、憲兵隊の顔は私達()()()にすり替わったな」

 

 憲兵隊を立ち上げ、長らくトップとして君臨していたのは今村神州という男だ。かつては最前線で鎮守府の取り締まりに尽力したと言われる彼も寄る年波には勝てず、先月脳梗塞を起こした。一命は取り留め、後遺症も殆ど無かったようだが、流石に病み上がりの身をそのまま首魁に据え置く訳にはいかず、憲兵隊の内部でも大規模な再編が起こったという。

 

 様々な思惑が絡み合ったようだが、結局は今村の副官として仕え続けていた秋津という男が顔役に落ち着いたらしい。秋津はアーセナルへのパイプ役にもなっていたが、その役目は更に直属の部下である長門に移されたようだ。

 

「俺としては此処を残してくれればどうだって良いんですけどね」

「うちの隊長ならわざわざ取り潰すこともしないさ」

「今のって言質取ったってことで良いんですかね」

「好きに取れば良い」

「じゃあそうします」

 

 長門が来た目的は憲兵隊へのスカウトだ。それだけで本当は安心材料なのだが、彼はなかなかどうして用心深い。近く秋津本人にコンタクトを取ろうと心に決めながら、ロングランを終わらせた生徒達が地べたに倒れ込むのをぼうっと眺める。

 

「ところで」

 

 長門が指をさした。その先に視線を向けると、ぶるぶると震えている艦娘が居る。

 

「あれってあの足柄だよな」

「……トラウマになったみたいです」

 

 鈴谷に叩き潰された足柄だった。

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