あきつの空   作:溶けた氷砂糖

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後悔先に立たず/4

「二の、三の四っと。こんなところか」

 

 運営に関する書類のページを数えると、角を揃えてホッチキスで止めた。鈴谷が教官となってからの成果はまだ表面化せず、先月出した憲兵隊への報告書と比べてもたいした違いはない。しかし、元々人手が欲しかっただけで、育成のノウハウなど殆どアテにしていないのだから問題は無いだろうと先生は考えていた。

 

「はい、先生。今日の分の報告書」

「ありがとさん」

 

 鈴屋が手渡してきた艦娘のデータを受け取って確かめる。当然といえば当然だが、艦娘に良くある丸文字とはかけ離れたきれいな楷書だ。利き手でもなかっただろうに、左手でよくもこう書けるものだと感心する。言葉に出したなら、彼女は機嫌を悪くするだろうが。

 

「本当は書類仕事を手伝ってもらうつもりだったのに、こんなデータ取りまでやらせてしまって、悪いね」

「気にしないで、私が好きでやってることだものやるからには手を抜きたくないの」

 

 最前線(ブルネイ)よりも厳しく育て上げてみせる。そう意気込んでいる彼女の姿は不相応に大きく映る。

 

 彼は冷蔵庫を開けながら唐突に思い出した事柄を口に出した。

 

「ああ、そういえば明日の入寮式の話はしたっけな」

 

 入寮式。聞き慣れない言葉に鈴谷が眉をひくつかせた。

 

「新しく三人入るって話しか聞いてないわね」

「いや、それが分かっていれば十分だ」

 

 相変わらずペットボトルのコーヒーを飲みながら先生が言う。

 

 アーセナルはその特性上、頻繁に入れ替わりが起こる。優秀な艦娘には引き取り手がついて、その代わりとばかりに要らない艦娘を置いていくのだ。

 実際に受け入れるかどうかは彼の裁量に任されているのだが、彼は殆ど断ったことが無い。この施設の存在を知っている者が少数派の為、急激に増えたりはしないこと、そしてこの場所を知っている者は博打に手を出すよりもここで競りに参加した方が有益だと考えるために建造を行わないのがその原因だ。

 

 そんな中で、珍しく一度に三人もの艦娘が新しくやってくる。生徒としての艦娘は皆同じ寮に入っているため、いつからか古株の艦娘達が人の真似事で入寮式なんてものをやるようになった。

 

「君も顔を出すかい?」

 

 先生が尋ねる。鈴谷は考え込むように首を傾げた。参加する必要性を感じない、というのが正直な所だった。しかし、この場で職務を全うするのだから、そういった式にも参加するべきじゃないかと一抹の不安を覚えたのだ。

 

「誰がやってくるのだっけ」

 

 記憶に馴染みのある艦ならば行くのもやぶさかでは無い。そう思って尋ね返す。

 先生は書類を探すこともなくそらで三人すらすらと答えてみせた。

 

「那珂と、飛鷹と、それから鈴谷だね」

「絶対に行かないわ」

 

 言い終わるか終わらないか微妙なタイミングだった。誰が彼女の心を逆撫でたのか考えるまでもなかった。

 

「それじゃあ俺一人で行くよ」

 

 何故、と理由を聞くこともなく。報告書を閉じてコーヒーを飲み直した。普段からブラックで十分なのに、今日だけはミルクを入れたくなった。

 

 

 

 

 

 

「だってさあ! 腕も目も一個無いんでしょ? あっちじゃ絶対落ちこぼれだったんじゃん?」

 

 寮の中でも多くの艦娘達が集まる中央広間に一際大きな声が響いた。入寮式を終えて、先生が自分の仕事場に戻った直後のことだった。

 

 声を上げたのは翡翠色の髪にブレザーの少女。眼帯を付けることもなく、袖の片方が弛んでいることもない。五体満足の重巡洋艦が、見た目通りの明るさというか、傍若無人さで話している。話し相手は自分と一緒に入ってきた同期の軽巡洋艦と軽空母ではない。赤い服を着たボーイッシュな型違いの姉である。

 

「そんなことないよきっと、だって戦ったの見たけど凄い強かったんだよ」

「横須賀の二大金剛みたいに?」

「それは……」

 

 艦娘最強との呼び声も高い高速戦艦の名前を挙げられて最上はためらった。生まれてすぐにアーセナル送りにされた彼女は、実際の艦娘の実力を知らない。今まで抜きん出ていた足柄を圧倒したからあの隻腕隻眼の鈴谷を恐れているだけに過ぎなかった。

 

「私はこんな所さっさと出て行って、最前線で戦うの! だから、あんな強さも分からない人の言う事なんて聞いてられないのよ!」

 

 鈴谷はグッと拳を握った。

 

 彼女は他の艦娘とは少々事情が異なっていた。他の艦娘は言ってしまえば余り物、必要無いからと捨てられただけに過ぎない。しかし、彼女は元の提督が()()()()()()と匙を投げたのだ。そこにあるのは、艦娘としても異常な殺戮本能。最前線(屠殺場)で死ぬことを美徳とする心意気。

 

「じゃあどうするのさ」

 

 横から口を挟んだのは艦娘の(メタノール)をかっ食らっている響だ。足が届かない程度の高さの椅子に座って、グラスに入ったドロリとした液体を喉に流している。

 

 彼女も此処ではそれなりに古株であった。粗野で性格面に難のあった足柄と違い、様々な鎮守府からの誘いはあったのだが、こちらの場合はその全てを蹴ってしまっていた。曰く、「自分が納得できないところに行くくらいならば解体を望む」とのことだ。

 その我が儘でチャンスを不意にしながら、なおも此処に残っていることが、彼女の実力の高さを証明している。

 

「先生に演習でも頼むかい? おそらく断られるだろうけど」

「なんでよ」

「人が鮫に素手で挑もうって話だよ。止めない方がおかしい」

 

 実力者であるはずの響すら、足柄が肉塊寸前にまで追いやられた時は一歩も動けなかった。単なる強さとは違う怨みが足を竦ませた。横須賀のトップがどれだけ強いのかは知らない。もしかしたら()()()()など歯牙にも掛けないくらい強いのかもしれない。しかし、目の前のビッグマウスが、あの怪物と同等に立ち回れるようには見えなかった。

 

 鈴谷はフンと鼻を鳴らした。目には侮蔑の色が見えた。

 

「ここに居るのは腰抜けばかりなのね」

「なんだって?」

 

 響の顔が険しくなる。グラスを机に置いた。椅子から飛び降りて、カツンカツンと足音を立てて鈴谷に向かう。最上は慌ててその場から離れた。響が一歩近づくごとに彼女達を覆い囲むように観衆の輪が形成される。

 

 一触即発の雰囲気の中、静寂を破ったのはドアを開く音だった。その場に居た全ての視線が一箇所に集中する。何人かは悲鳴を上げた。響も二の足を踏んで、動じていないのは僅か数人程度しか居ない。

 

「貴方達は何をやっているのかしら」

 

 右腕の無いシルエット。片方しか光を受け取らない目。教官の方の鈴谷が冷ややかな目で彼女達を見下ろし、もとい見下していた。

 

「喧嘩なら外でやりなさい。調度品だって金が掛かっているのよ」

 

 静かに放たれた、圧を掛けていない一言にさえ背筋が冷える。彼女の存在感に圧倒されているというよりも、記憶にまだ新しい悪鬼の姿を勝手に想起してしまうからだ。

 

 だから、彼女が欠片として怯まなかったのも必然だった。

 

「何、その喋り方。カッコつけてんの? 私のくせに真面目気取っちゃって、キモいんですけど」

 

 鈴谷が鈴谷に近付いた。挑発するように顔を歪めて、地に這いずる蚯蚓を見るかのような目で眼前に立つ。

 

「あら、鏡かと思ったら違ったのね。影が薄いから分からなかったわ」

 

 隻腕の吐き捨てるような皮肉を鼻で笑う。

 

「腕の有る無しも分かんないなんて、残ったお目々も節穴じゃん? せっかくだからくり抜いた方が良いんじゃないの?」

「それなら貴方のを頂けるかしら。貴方よりは有効活用できると思うのだけど」

「残念だけどアンタに施してあげるようなもんは持ってないでぇす」 

 

 こんなの鈴谷じゃない、と最上が誰にも聞こえない声で呟いた。二人共、普通という概念からは大きくかけ離れている。同じ艦である筈なのに、到底似ているようには見えなかった。全く同じ翡翠色の髪の毛でさえ別物に見える。

 

「ほら、その目玉くり抜いてあげますよ」

 

 小馬鹿にした態度で腕を掴んだ、彼女の姿が消えた。

 

 それを目で追えたのは、響くらいしか居なかっただろう。腕を捻り、足を刈り、最小限の動きで相手の体勢を崩す。掛けられた側すら何が起こったのか完全には理解できていないまま床に転がされた。

 

 倒れた鈴谷の感情がどう転ぶのかは誰の目から見ても明らかだった。

 

「落ち着け!」

 

 起き上がろうとした彼女の体を響が押さえつける。騒ぎを聞きつけてきた霞もそれに加わった。例の一件からリーダーシップを発揮し始めている彼女が二人の鈴谷の間に立つ。

 

「別に、これ以上どうこうするつもりは無いわ。先に突っかけてきたのはそちらでしょう?」

「分かってるわよ」

 

 言葉とは裏腹に睨みつけられて霞はたじろいた。しかし、それでも引き下がろうとはしない。

 

「まあ、油売ってる暇は無いし、私は帰るわ」

 

 彼女が踵を返した。背中に突き刺さるひっきりなしの罵声に顔をしかめて、ぐつぐつと湧き上がるソレを押し隠した。

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