あきつの空   作:溶けた氷砂糖

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後悔先に立たず/6

「そこ! 三時の方向から砲撃!」

「はいっ!」

「遅い! それじゃ戦艦相手だと一発大破よ。艦の動きは一度忘れて、人間の小回りを活かしなさい!」

 

 夕日もそろそろ落ちる頃、海の上を動く影が二つ。

 

 鈴谷の鋭い指示に従って霞が必死に体を動かしていた。マンツーマンでの指導は、鈴谷が全体に向けて行なった教練よりも遥かに厳しい。口答えすることなど物理的に不可能だ。絶えず折れそうになる心を奮い立たせて、休みたいと希う体に鞭を打つ。

 

 最初の一日は終わった後に意識を失って、鈴谷に寝床まで運んでもらった。その時にもいざこざが起こっていたらしいが、先生が仲介に入ったおかげで事なきを得たという。

 

「五時の方向、雷撃用意!」

 

 それから三ヶ月。鈴谷の求めるレベルには遥かに及ばないが、少しずつその成果は出始めていた。

 条件反射的に発射管を持った左手を撚る。体ごと向き直っていては鈴谷の求めるスピードには到底追いつかない。わざわざ方角を教えてくれているのだからノールックで決めなければならない。

 

「射角がプラス六度もズレてる。そんなんじゃ簡単に避けられるわ!」

 

 厳しい声に発射寸前の左手を更に動かしていた修正する。正しい方角と、照準の合わせ方を目を使わず体で理解する。目を瞑って当てられるようになれば、目を開けたまま直撃させるなど容易いことだろう。

 

 どうして彼女が自分を鍛えてくれるつもりになったのか、霞は完全には理解できていない。ただ、自分に全霊を注いでくれているということは分かっている。

 

「今度は六時の方向に砲撃!」

「はい!」

 

 休む間もなく次の動きに映る。鈴谷の全身全霊に応えるには、自分も死ぬ気になるしかない。

 

「だいぶ見られるようにはなってきたかしら……」

 

 そう言いながら、鈴谷は視線を霞から逸らす。コンテナの置かれている桟橋近く。誰かが居たような気がした。

 

「気のせいかしら」

 

 きっと気のせいでは無いだろう。しかし、深海棲艦ならばもっと殺気を向けてくる。気配はとうに失せているし、たとえ誰か見ていたとしても、こちらに害意は無さそうだ。

 

「ほら、足を止めない!」

 

 何処かデジャヴュを感じながらも鈴谷は霞の教練に戻った。

 

 

 

 

「霞の動き、日に日に良くなってるわよね」

 

 二人の艦娘が鍛錬に汗を流しているのと同じ頃、広間のテーブルを囲んでいるのは足柄と響、それから最上と飛鷹の四人だ。

 

 豪快に飲み込む足柄とは対照的にちびりちびりとグラスに口をつけている最上が、それに答える。

 

「あの鈴谷()()に教わっているんでしょ。やっぱり凄い厳しいのかな」

「私は結局よく分かってないんだけど、あの鈴谷ってそんなに怖いの?」

 

 疑問符を浮かべるのは飛鷹。新入りの彼女は鈴谷同士が衝突した時は部屋に居た為に騒ぎに気付かず、三ヶ月前に起こった夜中の騒動の折には熟睡していた。実は幸運艦なのではと囁かれる程、彼女は騒ぎとは縁がなかった。

 

「駄目よ……あれは艦娘じゃないわ、化け物よ」

 

 飛鷹が尋ねた途端に足柄がガタガタと肩を震わせる。足柄の実力は付き合いの浅い飛鷹でも知るところだ。彼女がここまで怯えることになるとは、さぞや残虐な性格の持ち主なのだろう。新入りの鈴谷にすら関わろうとしない有様に、飛鷹は何度目かの結論を下す。

 

「でも、霞があんなに急に良くなるのなら、私も頼んでみようかしら」

「悪いことは言わないからやめときなさい。それは自殺行為よ」

 

 一層バイブレーションを大きくして飛鷹の肩を掴む。必死な顔で頼み込まれては飛鷹は何も言えない。

 

「諦めたほうが良いよ。今は霞しか見るつもりは無いんだって」

 

 横から口を挟んだのはさっきまで足柄以上のスピードで飲み干していた響だ。まるで聞いてきたような口振りに飛鷹は眉をひそめる。

 

「もしかして、既に行ったの」

「行ったよ。三日目くらいの時かな」

「響って勇気あるよねえ」

 

 僕なら怖くて声も掛けられないよ、と最上が若干引いた顔をした。足柄は顔面蒼白のままであるし、飛鷹はその行動力に感嘆する。

 

「もう嫌、早くここを出て何処でもいいからアレから離れたい」

「行った先に鈴谷が居たらどうするんだい?」

「逃げるわ。三十六計逃げるに如かずよ」

「よほどトラウマなのね」

 

 頭を抱える飢えた狼の背中をさすりながら、飛鷹があやす。

 

「素手で轟沈手前まで叩きのめされたから」

「やめて、思い出したくもない」

「まあまあ、生きてるんだし大丈夫だって……?」

 

 軽くフラッシュバックを起こしている足柄を三人係落ち着かせていると、響は不意に視線を感じて振り返って。広間の窓から見える外は落ちる直前の夕日で赤くなっているだけだ。

 

「どうしたの?」

 

 最上が心配そうな顔で聞いてくる。足柄の方はなんとか落ち着いたのだろう。勘違いだろうか、と思いながら響は一度置いたグラスを持ち直す。

 

「いや、さっき外から誰か見ていたような気がして」

「そう? 僕は全然感じなかったけど」

「私の勘違いかもしれないね」

 

 グラスに残っていた酒を飲み干した。

 

 

 

 

 

 

「いやまさか、本当に来るとは」

 

 珍しくコーヒーではなくラムネを飲みながら、呆れた声で先生が言った。いつもとは違う甘みに何とも言えない顔を浮かべる。土産だから飲んでいるが、普段はあまり好きではない。

 

「冗談だと思っていたのか? それこそ面白い冗談だ」

 

 向かい合っているのは、銀色の髪をたなびかせ、赤いインナーシャツに白いジャケットを肩掛けにしている女性。パイプを加える姿は如何にも姉御肌といった風体だ。

 

 Гангут(ガングート)。ロシア生まれの戦艦が、親しそうに彼に話しかけていた。当然、此のアーセナルの艦娘ではない。

 

「あのなあ、いったい何処の艦娘が所属ほっぽってお忍びでこんな所来るんだよ」

 

 鈴谷や他の艦娘と話す時とは違い、彼もだいぶ砕けた口調になっている。仕事抜きでの信頼関係がある相手だということなのだろう。

 

「ちゃんと提督からは許可を貰ってきたぞ。あいつも鈴谷のことを気にしていたみたいだからな」

「ブルネイに自分以外を気にする余裕があったとはね」

「ちょっと前ならともかく、今は少し落ち着いたからな」

 

 知っているだろう、とガングートが彼に問いかけると、彼も一応と頷いた。

 

「港湾夏姫だったっけ。偉い人のネーミングセンスはよく分からないな」

「ふざけた名前と格好でも実力は折り紙付きだったからな。性質が悪い」

「それでも撃破したんだろ?」

「私じゃなくて、大和だがな」

 

 ブルネイの大魔神と恐れられる戦艦の名前を挙げてブルネイの平定をアピールする。地獄と恐れられた最前線も、首魁を失って少しは勢いが弱まったということだろう。

 

「まあ数日程居座るからもてなせ」

「本当態度でかいなお前は」

「公式ではないが視察も兼ねているからな」

「視察って、ブルネイで生き残れそうな怪物がそう居るものかよ」

「たまには青田買いという奴だ」

「お前らじゃ田んぼに火をつけるようなもんだろ」

「案外そうならないかもしれんぞ?」

 

 軽口を叩き合う。ガングートの言葉に先生が首を傾げた。

 

「鈴谷はどうにもお気に入りを一人見つけたようだな」

「あー、ここに来る前に既に回ってんのかよ」

「私に気付けたのは一人だけだったな。アレには私に近い匂いを感じる」

「うん、誰だか分かったわ」

 

 空になったラムネの瓶をテーブルに置く。鈴谷になんと説明するか考えていると、ドアがノックされた。

 もうそんな時間か、と頭を抱える。

 

「戻ったわ、今日の仕事だけ……ど……」

 

 書類を脇に挟んだ鈴谷がガングートの姿を見て止まる。ばらばらと紙の束が地面に落ちた。ガングートは全く悪びれる様子も無く、ようと気さくに手を上げた。

 

「なんでアンタがここに居るのよ……」

 

 頭を抱えたいのは鈴谷も同じだった。

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