「秋津君、何ぼんやりとしてるのかね」
「ああ、教授殿。そろそろ雨が降りそうだと思いまして」
屋上でぼうっとしていると、背後から声をかけられる。建物の主に適当な返事をしてから秋津は再び自分の世界に戻る。
秋津は男のことを教授と呼ぶことにしていた。直接名前で呼ぶのはあまり好きではない。付き合いの長い少将ですら、官職名で呼ぶのだからその徹底ぶりは凄まじいものがある。とはいえ、彼の男を
咥えた煙草の煙が曇り空に消えていく。だんだん消費量が増えていっている気がして、次の箱を開ける手が一瞬止まったが、構うものかともう一本取り出して、短くなった方を足で潰した。
秋津がこの鎮守府に来てから五日が経った。少将に連絡したとき、彼は開口一番に「思う存分に悩むといい」と言った。その言葉の意味が理解できないほど秋津は幼いわけではない。だが、悩むことと、その結果答えが出る事は全くの別物である。
こんな時、艦娘であったなら、と秋津は思う。艦娘であったなら論理も自分へのメリットも全てかなぐり捨てて非難出来たのに。或いは砲塔の一つでも差し向けて脅して、もしくは殺して非人道的な実験を止める事ができたのに。こうやって生きてきてしまったから、教授の主張に一理あると思ってしまうのか。そうではない。
教授の論理は筋の通ったものだ。彼が救いたい対象はあくまで人類の為に身を粉にして働いてきた艦娘に限られているのだから。今から生まれ、無為に消えていく存在の為ではない。そしてそんな命は珍しくもない。
教授はもう屋上から立ち去っている。そのことには気付かないまま、秋津はぽつりぽつりと独り言を零し始める。
「戦争は科学を発展させると言いますが、これも発展になるのでありますか。いや、戦時中ならば人体実験など大した案件にもならない。まして人でなく艦娘など。ただ、目的は艦娘の救済。ああもう、面倒くさいでありますなぁ。答えなど少将殿が出してくれればいいのに。何故私などに振るのか」
何故かなんて分かっている。少将も答えを出せなかったからだ。正確には答えに自信を持っていないからだ。そして、秋津の答えの方が少将よりも真理に近いものであるからだ。
白い頬に雫が落ちた。涙などを流す人情を秋津は持ち合わせていない。続けてコンクリートの床が黒く染まっては消えていく。ざあざあと雨脚は強くなる。煙草の火が消えてようやく気付くが、建物の中に戻ろうとする頃には彼はずぶ濡れになってしまっていた。軍服は水を弾く作りになっているとはいえ、冷えてしまった体は早急に暖めなくては。そう思うのが普通である。しかし、秋津は嫌そうに髪をかきむしり、服についた水滴を撫で落とすと何事も無かったかのように階段を降りていく。
教授の私室へ入ると、彼はニヤケ顔でクッキーを頬張っていた。秋津の姿を認めると、まだ手の付けてないクッキーを差し出してくる。秋津は丁重に断った。残念そうな顔をされるが、それよりも自分の取り分が増えたことの方が嬉しいのかニヤケ顔は止まらない。
「教授殿は本当にクッキーが好きなのでありますなあ」
「それは否定しないよ。ただ強いて反論するならば私は自分の好みに合わせて作り上げたこのクッキーが好きなんだ」
教授の戯言を聞き流してソファに体を預ける。
毎日毎日食べていれば体を壊しそうなものだが、この男以外と食には一家言ある人間であり、健康の維持にも気を使っている。むしろ秋津の方が不摂生な生活をしているのではないだろうか。
「そうそう、その話で少し気になっていたのだがね」
「何でありますか」
「君、実は女の子だったりしないかい?」
「は?」
思わず口をポカリと開ける。確かに秋津の体は華奢な方だが、ガリガリに痩せているわけではない。無駄を削ぎ落とした筋肉は軍服の上からでも存在を主張している。やや中性的な顔立ちではあるものの、その立ち振る舞いに女性らしさは見られない。事実、そんなことを聞かれたのは初めて────でも無かったと遠い記憶を思い出し、秋津は咳払いをする。
「突然何を聞くのかと思えば。前髪が目に入って節穴にでもなったでありますか」
「そう怒らないでくれたまえよ。どうも食事を取っている様子が見られなかったから、これはもしや巷で噂になっている断食ダイエットとかいう悪魔の所業の体現者かと思ってね。元々痩せているように見えるのだから、そんなことを気にするのは君が実はうら若き乙女であるにも関わらず、そう見られないことを密かに気にしているのではないかと疑っただけだよ」
「実に想像豊かでありますなあ。小説家にでもなれば良かったのでは」
「悪かったからそんなに怒らないでくれ」
実際は面白がって揶揄っているだけなのだが。
とはいえ、面倒なことに気付かれてしまったと秋津は嘆息する。食事を取っていないことは出来れば隠し通しておきたかったのだが。冗談の一つでも言って適当に誤魔化すのは容易であるが、それでは何も変わらない。どうせなら、いっそ打ち明けてみようか。それもまた面倒なことになる気もする。最悪の場合、死体が出来てしまうかもしれない。
まあ、そうなればその時だ。秋津はひっそりと腰の十四年式拳銃に手を掛けた。
「せっかくなら、その逞しい想像力で一つ考えてみませんか」
「ん? 何をだね」
「何故、艦娘は女しか居ないのか」
パンッ。あまりにも軽い音がした。こめかみに当てられた銃口から硝煙が立ち昇る。秋津の小さな体は跳ねてソファから飛び出し、重たい頭が地面と鈍い音を立てた。
教授が慌てふためいて立ち上がる。ティーカップが倒れて紅茶がテーブルクロスを赤く染めた。近付くのも恐ろしく、その場で棒立ちになってことの成り行きを眺めることしかできない。
真っ白な床は、血に塗れない。明らかに死んだ筈なのに、秋津から血が流れることはなかった。絶句する教授を前にして、彼は立ち上がる。今の凶行がさも演技であったかのように自然に。銃をホルスターに戻し、首を鳴らす。拳銃自殺など最初から無かった。幻を見ていたのだと錯覚しそうになる。
教授の反応がお気に召したのか、秋津は珍しくにやりと楽しそうに笑った。
「答えは、男だと艤装を扱えないからでありますよ」
「あ、秋津君……
「お察しの通り、艦娘でありますよ」
ただし、失敗作でありますがね。秋津は自嘲気味に呟く。
「少し、昔話をしましょう。そうでありますね、教授殿がまだ黒いランドセルを背負ってもいない頃の話でしょうか」
「それはつまり、艦娘が建造された当時の話、ということで良いのかな?」
「そのものズバリでありますな」
かつて、まだ手探りで深海棲艦に立ち向かおうとしていた時代。初めは人間の持つ銃火器で。それが駄目なら戦車で、爆弾で、ミサイルで。その全てが無駄に終わった事実と、情け容赦無くシーレーンを破壊する残虐な深海棲艦の脅威。世界全体が絶望を感じ始めていた中で、とある研究者の提唱した
「だからまあ、私は生まれついた時から例外だったわけであります」
量産体制に入ったとき、初めて男が生まれた。銃弾が効かず、人以上の膂力を持つ、明らかに人ならざる存在。しかし、それは海を走る事ができなかった。敵を沈める砲を、その手に握る事ができなかった。さらに、彼と同様の存在は生まれなかった。たった一人の失敗作。そのまま不適格の烙印を押されて処分されるべき存在。
ところが、既のところで待ったがかかった。当時、士官学校を出たばかりのある士官が彼を引き取ると言い出したのだ。身分だけは一人前の男であり、幾ら技術本部と言えど強く反対することは叶わなかった。結果、それは男のもとへ引き取られ、共にある組織を立ち上げることとなる。
「それが憲兵隊。内部の悪を裁く死刑執行人か」
「そんな大層なものでもありませんがね。砲弾も扱えずドラム缶引いて輸送任務もできやしない。そのくせ燃料ばかりは食ってしまう、そんな自分でもできる仕事でありますよ」
「ああ、謙遜するのは君らしい。それとも卑下していると言うべきかな。人間の扱う兵器が効かない、それだけで武器になるというのに」
ようやく落ち着きを見せ始めた教授が大仰に手を広げ、わざとらしい驚きを表現する。笑顔は未だ引きつっているが、それも直に消えるだろう。
「男の艦娘、いや男だから娘ではないのか。なんて呼ぶべきかな」
「面倒だからそのままで良いでありますよ。無理に字を当てたいのなら息子の字でも当てれば良いでしょう」
「ふむ、
「初めはそう演じていましたが、概ねその通りでありますな」
「しかし、艦息であるということは、燃料を補給しなければ生きていられないということでもある。その辺りはどうなのかね?」
「そこはやはり気になるところでありますか」
「無論だよ」
驚きが薄れてくれば、次に芽を出すのは好奇心。失敗作を自称する秋津は本来の艦娘とどれほど離れているのか。気にならないはずが無い。
艦娘は燃料さえあれば生きていける。しかし、活動する以上、燃料の消費は免れないし、大型の艦船程ではないにしろ燃費がけして良いわけではない。売りにもなっているコストパフォーマンスの良さは、あくまで今までの兵器と比べてである。具体的に例を挙げるならば、最前線で戦う大和型戦艦などは、一日に何千トンもの燃料を消費するという。もちろんこれは極端に高い数値を選んだわけであるが、普通の艦娘でさえトン単位で消費しているのだ。秋津が大量の荷物を運び込んだ様子も無いし、鎮守府内の資材が減った様子もない。
「そもそも艦娘が何故多くの燃料を必要とするのか。そこを間違えているでありますな。あれは、あくまで艤装を動かすために体内に蓄えているだけに過ぎません。艤装を使用しない自分にとっては無用なのでありますよ」
「つまり君は補給を必要としない?」
「そこまではいかないでありますなあ。別に艦娘は永久機関ではありませんので。極端に省エネなだけであります」
秋津は一度満タンになるまで補給してしまえば三ヶ月は飲まず食わずで過ごす事ができる。身体に強い負担をかければその限りではないが、それでも一ヶ月保たないということは無いだろう。ここに来る直前には補給を済ませていた彼は、後二、三十日は気にしなくても良いわけである。
「全く、艦娘を研究していながら私はそんなことも知らなかったのか。勉強不足だと自分を恥じることしかできないよ」
「そう悲嘆にくれることでも無いでありますよ。実際の艦娘ですらこの事実を知っている者は少ないのでありますから。提督に至っては誰か知っているのか探すことすら骨が折れそうであります」
艤装を装備していない艦娘など存在しないのだから。艤装を起動しているだけで蓄えたエネルギーはどんどん消費されていく。「食事」と称した定期補給で賄えてしまうような微々たるものだが、秋津に比べれば遥かに多く、それゆえに
「自分に都合の悪いものは見ようとしないものです」
「そういうものかね」
「はは、人間である教授殿からそんな言葉が出るなど、どちらが人外か分からないでありますな」
「君に言われるのは心外だ」
冗句と呼ぶにはあまりにも尖った言葉のナイフをお互いに突き刺しながら、平然と談笑する二人。教授は汚れてしまったテーブルクロスを机から取り去ると、ゴミ箱に放り投げた、上に乗っていた空の皿とティーカップは離れた場所にあるシンクへと移動させる。戻ってきて、教授は自分の椅子に深く座り直した。秋津もそれに倣う。
「私はね、資料だけを眺めて艦娘とは何なのかを知った気でいたようだ。君のような生き字引、これは言葉の綾だが、実際に生きた知識を得たのは初めてだよ。今まで上手くいかなかったのはそもそも情報が足りなかったからかもしれないね」
「艦娘の知識など資料に書いてあるものだけで本当は十分なのでありますよ。少なくとも提督にとっては。いや、違うでありますな。あれが限界なのであります」
「限界、か。研究者はそれ以上の知識を引き出すことができなかった。そういうことかね」
「詳しく知りたければ妖精に聞け、であります。なんだかんだ言って根が軍人でありますからな、中身がブラックボックスでも、あの忌々しい
「研究者の風上に置けないねえ」
まあ、それはそれで良いとして。教授が壁に掛かった時計を眺める。時刻はちょうど六時を指していた。今日もこの時間がやってきた。秋津は眉間にシワを寄せる。
「君は今日も見学するのかね?」
「ええ、是非」
「顔を歪めるほど嫌なのなら見なければ良いのに。今まで来たものも吐き気がすると言って何度も見学はしなかったよ。嬉々として参加する者も居たがね」
「それは空気に酔っているだけです」
「個人の嗜好をそう悪く言うものではないよ。私も気に食わないと言えば気に食わないがね」
「教授も人のこと言えないでありますな」
教授の後ろを三歩離れて歩く。そこには、この男と同じ存在にはなりたくないという意志が見て取れた。この男が嫌いな訳ではない。彼の研究を理解できない訳ではない。、それでも、それでも。
二人が辿り着いたのは工廠だった。無機質なストレッチャーの上には、青と白のセーラー服と、それに合わせた青いショートパンツを纏った少女が寝かされている。街中を歩けば五人に一人が振り向くような整った顔立ち。至って健康的な肌。やや灰色めいたピンク髪。
「青葉、でありますか」
「重巡が来るのは珍しいのだがね。もしかしたら君が幸運を運んできたのかもしれない」
「やめてください気持ち悪い」
「自分でも流石に今のは無いなと思ったよ」
青葉と呼ばれた少女が目を覚ますことはない。専用の睡眠薬がよく聞いているようだ。本来は改造するときの為の設備だが、こうやって、或いは更に悪辣に悪用されることも多い。とはいえ、艦娘はその状態でも刺激によって簡単に起きる。平気であるがゆえの体制ということなのだろうか。教授はいつもと同じ白衣で、使い捨ての手袋をはめる。その目は暗く濁っていた。秋津の目も鋭く、親の敵を睨むかのように細くなる。起こしてしまわないよう慎重に、少女の手足に拘束具を付けた。艤装を改造した対艦娘用のメスを握る。衣服を乱暴に切り捨てると、魅惑的な肢体が露わになった。教授はそれに欲情することも、動揺することもなく淡々とした声で告げた。
「さあ、
教授は躊躇うことなくメスをいたいけな少女に突き立てた。一切予想していなかった痛みに少女の意識は最大限にまで覚醒させられる。何が起こったのかは理解できていない。ただ、純粋な痛みだけが彼女に襲いかかる。
「いやぁっ!? 痛いっ、痛いっ、なに!? 嫌だっ、助けて、誰か!?」
悲鳴は、教授がメスで切れ目を入れる度に途切れる。血の代わりにオイルや、恐らくは彼女の体を構成するのに必要な液体が白いストレッチャーを汚した。がたがたと台が揺れる。人よりも強い膂力をもった艦娘が抵抗しようとも、鋼鉄の拘束具がそれを許さない。腕を持ち上げることすら不可。痛みから暴れることを抑えられず、そのせいでさらに痛みが増していく。
腹が裂かれ、人間ともそう変わらない内臓がむき出しになる。
「────────ッ!?」
胃を、肝臓を、腸を掻き回され、想像を絶する痛みが少女を襲う。もはや声にもならない声が
消化器官の感触を手袋越しに確かめ、握ったり、引っ張ったり、さらに裂いてみたり。ぬちゃ、ぬちゃ、と生々しく気持ちの悪い音がその度に響く。
人間で言う脂肪に値する部分を切り取ると小さな溜め息が漏れた。叫ぶ気力も失われ始めたらしい。荒く、それでいてか細くなった息の根と、小刻みに経験する身体。ある種幸運であったのは、艦娘には血が流れていないということだろうか。スプラッター映画のような光景は、赤い血ではなくドロっとしたオイルに塗れていることによって現実味を薄くさせている。
しかし、秋津からすれば、その事の方が恐ろしかった。艦娘は人間ではない、と改めて見せつけられているようだ。自分が人擬きだと認めざるを得なくなる。納得していた筈の事実が秋津を苦しめる。
「────たす、けて」
「……ッ!」
目が、合ってしまった。焦点の合わない目が、それでも確かに彼を見つめていた。
消え消えの言葉を聞くまでもない。彼女は秋津に助けを求めている。王子様などという甘ったれた憧憬ではない。この狂った男を消し去ってくれる、神か仏のような存在として秋津を求めている。そうだ、今行われているのは許されることではない。まともな感性であるならば、何をしてでも止めに入るべき事柄である。人間だとしても、艦娘だとしてもそれは変わらない。
「……どうか、憎むなら私を憎むでありますよ」
秋津は、帽子を深く被り直した。息を呑む。少女の顔が絶望に歪むのが分かる。彼は、罪の無い、いたいけな少女を見捨てたのだ。
もう何も聞こえない。心の中で蹲るように秋津は時が過ぎるのを待つ。これで四度目だ。秋津から来る前をカウントすれば三百を越える。顔色一つ変えないこの男は間違い無く気が触れている。それでも、男の語った未来のために、秋津は身体を動かすことができなかった。
教授が、ふぅ、と息を吐くのが聞こえた。解体と研究はどうやら終わったらしい。顔を上げるとそこには何も無かった。さっきまで泣き叫んでいた少女などどこにも居ない。艦娘が解体されたのだから当たり前だ。教授は、あくまで正規の解体から少し外れた解体の仕方をしていただけ。痛みを最大限抑えた解体から掛け離れた、まるで最初期のような乱雑な解体。それでも艦娘という存在を抹消するには事足りる。
「人でないのは、どちらもでありますな」
嗚咽を噛み殺すように彼は呟いた。