またこの作品を続けるかはどうだろう
「ふんふんふふーん」
鼻歌を歌いながら少女が昼食の準備をしている。グレイッシュピンクの髪をポニーテールにして、ベージュ色のエプロンを着込んでいる。
容姿を説明するならば、艦娘青葉、の一言だけで片付いてしまうだろう。制服のボーイッシュなホットパンツとセーラーではなく、ボーダーにスキニーという無難な服装を着ているし、少女だった姿は大人びて、一人前の女性のように成長してはいるが、誰が見ても青葉と分かる、そんな顔立ちだ。
「今日は何にしましょうかね。ああ、送られてきたそうめんもそろそろ食べてしまわないとですか」
だったら今日はそうめんにしよう。市販のつゆで済ませても良いが、せっかくだから麺つゆにも少し趣向をこらしてみようか。夏の暑さに負けぬよう、にんにくとごま油でつゆをアレンジすることを決めた彼女は冷蔵庫の中から食品を選んで取り出していく。
中くらいの鍋に水を一杯に入れて火にかける。沸騰するまでの間に、にんにくと、薬味として大葉やみょうがを刻んだ。
「あ、そうだ」
鍋にごま油を引く前に、ダイニングに置いてあった軍用の通信機の電源を入れる。目的のチャンネルには既に周波数があっていた。
ザー、ザー、と耳に悪い砂嵐の後、通信機から若い女性の声が流れ始める。
『今日も暑い日が続きますが、皆さん如何お過ごしでしょうか。テレビの天気予報によると、今年の夏は例年よりも暑くなるそうで、海に出る艦娘にとっては厳しい季節になるかもしれませんね。しかぁし、此処は鹿屋、海に面していない土地ですのでKanoya Navy Stationはいつも通り、私、DJ衣笠さんの平常運転でお送りしまぁす!』
沸騰した鍋にそうめんの束を放り込む。聞き慣れない、それなのに聞き飽きたような声を聞きながら、彼女はてきぱきと工程を進めていく。
『それでは先ずはオープニングナンバーから、
じゅわっ、とにんにくが炒められる音に合わせて、通信機から演歌調のメロディが流れ始める。焦がさないよう適度にかき回しながら、そうめんだけではやはり物足りないだろうかと付け合わせに思考を巡らせる。
香ばしい匂いにつられたのか、ダイニングに入ってくる人影があった。
「おはよう、というにはもうすっかり昼か」
「あ、陸人さんおはようございます。今日の一回目だからおはようで良いんですよ」
「それもそうか」
白衣を着た四十手前の男が、ダイニングに備え付けのテーブルに座る。
炒めたにんにくをつゆ用のお椀に入れる、麺つゆとお水は適量で、刻んでおいた薬味も流し込んでこちらは完成だ。
「朝早かったんですね。何してたんですか」
「何、いつもと同じだよ」
「今日は失敗ですか?」
「いや、成功だ。少しばかり恥ずかしがっているだけだよ」
おいで、と男が廊下に向かって呼びかける。間を置いて姿を表したのは、セーラー服に身を包んだ小柄な少女だった。年齢は十を過ぎるか過ぎないか、目には怯えの代わりに緊張が浮かんでいる。
「電さんですね。いや、もうそう呼ばない方が良いのかもですけど」
予定を変更して、つゆを入れるためのお椀をもう一つ取り出す。そうめんは今茹でている分で足りるだろうか。もう一束入れようか頭を悩ませて、子供一人なら問題無いだろうと、茹で上がったそうめんをそのままシンクに用意したザルに流す。お湯が一気に水蒸気へと変わった。夏なのに蒸し暑いことしているなあ、と思いながら、冷水でそうめんを一気に冷やす。
そうめんが十分冷たくなったらまた別の皿に移して終わり。もう一品とも考えたが変に時間をかけない方が良さそうだ。
「さあ召し上がれ」
「そうめんか。うん、夏といえばやはりそうめんというのは欠かせないものだろうね。私は冷やしうどんも嫌いじゃないけれど、どうしても夏という枕詞をつけるならばそうめんに軍配が上がる」
舞台役者のような大仰な口調で喋り散らしながら割り箸を割る男と、目を輝かせつつも箸を取ろうとはしない少女。
「はわわ……美味しそうなのです」
「たぶん美味しいから食べてみてください。大丈夫ですよ」
そうめんで失敗するというのも稀有な例だが。
彼女に促されてもまだ少女はおっかなびっくりといった様子で箸を握るだけだ。
「食べても死にませんって。私だって元青葉ですよ。」
いや、今も青葉ですけど、とそうめんを茹でた少女が笑う。男が一足先に食べ始めたのに続いて彼女も麺を啜る。ずぞぞ、と音を立てて最後まで飲み込んだ。
「ほら、問題無しです。私達はもう
人間、という言葉に、電と呼ばれた少女は泣きそうな顔をした。それでも歯を食いしばって──唇を噛んでいては食べられないと気付いてすぐに止めて──そうめんを口に入れる。
「どう?」
「美味しい、のです」
「ふふ、恐縮です」
一度堰を切ったら止まらない。一言だけ返した電がそれから無言になって食べ続けるのを見て安心する。
「KNSか。前回の放送は難しい所を突いていたが、今日はおとなしめだね」
「流石にヤバい、って思ったんじゃないですか?
君がそんなセンチメンタルを持っていたとは。いやいや私だってデリカシーくらいありますよ。二人の会話がラジオを潤滑剤にして弾む。
艦娘とは人間ではない。姿形は人間と変わらない。あえて低俗な所に踏み込めば、形ばかりの生殖器も存在するし、性欲だって存在する。
だが、その体に流れているものは決定的に人間と異なる。ヘモグロビンを含んだ血液はそこには無い。代わりにあるのは赤褐色のオイル臭いどろりとした液体だけ。人との間に子を成すことは有り得ない。それどころか、人と同じものを食せば、普通は死ぬ。
老いず、成長することもない。人間にも劣らない、或いは人間よりも優秀な高性能AIを搭載したアンドロイドであると表現するのが、最も的確だろう。
サイエンス・フィクションの題材として、人間に憧れるロボットというものは往々にして描かれ、議論されるが、艦娘は現実世界においてその
つまるところ、人間に憧れない艦娘は居ない。それゆえに「もし人間ならば」という問いは、時には自身の想像以上に体を蝕むことになる。男が難しい所と言ったのはそういうことだった。
しかし、何事にも例外は存在する。その例外が青葉であり、一心不乱にそうめんを流し込んでいる電だ。
彼女達は艦娘であった。今は艦娘ではない。体組織は須らく人間のものだ。幾多の艦娘が望み、諦めた
そして、はやばやと自分の分を平らげた酔狂そうな男が、彼女達にガラスの靴とかぼちゃの馬車を与えた魔法使いである。
石井陸人。彼を知る人間からは教授と呼ばれる、艦娘人間化研究の第一人者。といっても、そんな酔狂な研究をしているのは彼をおいて他に居ないのだが。
「そうそう、今日は秋津君がやってくると言っていたな」
彼の研究をサポートしている憲兵隊の顔役がやってくると青葉に告げる。青葉もさらりと食べ終えて、ナプキンで口を吹いた。電は食べるのに夢中でこちらの話は聞いていないようだった。
「あ、じゃあ間宮か伊良湖の用意しておきますか」
「うーん、彼、口付けないからなあ」
トントン、と遠くから扉をノックする音がした。
「噂をすればって奴ですね」
ちょっと見てきますと言って青葉は席を立つ。埃一つ無い灰色の廊下を歩いて入り口へと向かう。
「はいはい、今開けますよっと」
そしてドア開ければ見えたのは物珍しい黒い軍服────ではなく、薄緑と白のセーラー服を着た金髪碧眼の少女だった。
「……どちら様で?」
他の鎮守府と交流があるわけでも無く、秋津という男が派遣した憲兵にも見えない。何より、手入れに手間の掛かりそうな髪型は紛れもなく軽巡洋艦阿武隈のものである。少し遅れて気が付いたが、背後には僚艦であろう、摩耶、雪風が控えていた。
阿武隈も青葉に驚いたようだが、すぐに表情を引き締めて問う。
「教授は、まだここに居るんですか」