「私は君を解剖する。腸を引き裂いて、その油の一滴まで調べ尽くす。艦娘を人間にする為だ。もちろん君が望まないのであれば通常の解体処置をしよう。私にだって人の心くらいはあるのだから、嫌がる者に強制はしないさ。さあ、選んでくれ給え。後の礎のために苦痛を選ぶか、それとも自身の平穏な死を望むか」
*
鳥の鳴き声で阿武隈は目を覚ました。人間の使うようなベッドから体を起こす。セットしていない髪が目に掛かる。汗に似た液体が全身をびっしりと濡らしていた。とてもこの状態では部屋から出られないな、とシャワーを浴びることを決意する。
カーペットに足を下ろすと立ち眩みがした。慌ててベッドの縁を掴む。息が荒くなって、すぐには立ち上がれそうになかった。ふう、ふう、と深呼吸をして油を押し出すポンプの鼓動を落ち着かせる。手汗のせいで滑らせてしまいそうだ。ぐっ、と力を入れて一気に立ち上がると、伸びた体が安定して、なんとか立つことができた。
あんな夢を見たのは初めてではなかった。しかし、どうして今更になって、という気持ちが頭の中でぐるぐると彼女を追い掛け回す。産まれて間もない記憶。第一声から死を運命づけられて、それが嫌で逃げ出した。幸運なことに、巡り会えた二人目の人間は優しい人だった。そうでなければ彼女は今ここに居なかっただろう。
ここに来て四年。提督は優しいし、艦娘の仲間達も自分のことを気に掛けてくれる。鹿屋基地という場所のせいで実戦こそ経験はしていなかったが、阿武隈自身も己を磨き、艦娘として恥じない実力をつけていた。
ナイトウェアを脱いで、部屋に備え付けのシャワールームに入る。そういえば、個室にシャワーがあるのはこの鎮守府くらいのものらしい。それが意味する所がまったく分からない訳では無かったが、彼女は気にしないことにする。藪を突いて蛇を出すことになりたくない。優しかった提督が、あの男のようになるのを想像したくも無い。
そう、どうしてあの男の夢を見たか。答えは分かりきっていた。先日聞いたラジオのせいだ。
「もし人間だったら何がしたいか」
冷たい水が彼女の裸体を濡らす。人と変わらないその姿は、人間に焦がれる人形だ。金色の髪が水を吸って垂れ下がる。
もし人間だったら。そんな仮定自体が意味を成さない。例えるなら、人間がもしタイムスリップ出来たなら、と仮定するようなものだ。有り得ないことだ。あり得たとして、それらしい答えを出せたとして、夢物語の域をでない妄想だ。大半の艦娘は「攻めてるな」とは思いつつも戯言として流しただろう。
阿武隈の頭の中に、あの男の言葉がリフレインする。きっと冗談ではなかった。瞳の奥に狂気を、虚空を感じたから彼女は恐れ、逃げ出したのだ。
艦娘を人間に。馬鹿にしているのかと叫びたくなる。そんなことが可能であったのならば、とっくに研究して完成している筈だ。少子化社会に悩まされるこの国において、無から若い女を一人生み出す技術。考えられない筈がないのだ。
蛇口を閉める。水滴がタイルに落ちた。ふわりとしたタオルで全身を拭く。下着をつけて、制服のセーラー服を着て。髪型のセットを始めようかという時に部屋の扉を叩く音がした。
「阿武隈、居るかー?」
龍驤の声だ。ドライヤーを洗面台に置いて、タオルを頭に乗せたまま扉を開ける。
「どうしました?」
「おうっ、なんや髪型セットしてないんか。一瞬誰かと思ったわ」
軽空母の彼女を見下ろしつつ、阿武隈は不機嫌そうに言う。
「そうなんですよ。早く髪のセットしたいんですけど、どうしたんですか」
「あー、いや。司令官が阿武隈のこと呼んでたからな。はよ行ってほしいんやけど」
「……髪型整えてからじゃ駄目ですか?」
「キミ、めっちゃ時間かけるやん。司令官を苛々させてもエエんなら構わんけど」
「うー。分かりました」
自分の髪型にこだわりがある阿武隈にとって、髪を下ろした姿を見られるのは好きではない。同性の艦娘相手ならまだ耐えられるが、提督を相手にすると、恥ずかしさはその比ではない。
それでも、提督を怒らせたくないと思うのは、彼女が臆病に過ぎるからだろうか。
「ちょっと待ってくださいね」
「いやウチ呼びに来ただけやし。もう行くからちゃんと司令官とこに顔出しーや」
ドアを閉めると龍驤が去っていく足音が聞こえる。ドライヤーのスイッチを入れ直して乾かすだけ乾かすと、邪魔な前髪をヘアゴムで括って執務室へと歩き出す。
すれ違う仲間に茶化されるのを軽くあしらって廊下を進む。北上に前髪をいじられなくなるのは数少ないメリットかもしれない、などと考えながら扉をノックした。
「阿武隈です」
「ん、入ってくれ」
扉を開けると、書類の山に埋もれそうな青年が、その向こうから手をひらひらと振っていた。
「あれ、髪型どうしたの?」
「提督が呼ぶものだからセットする時間が無かったんです」
「それは悪かった。そこまで急ぎの話でも無かったんだけど」
龍驤に脅されたからだ、とは言わなかった。もし本当は急ぎの用事だったとしても、彼はこういうだろうと思ったからだ。
「それで、どうしたんですか?」
「うん、そろそろ阿武隈の練度も十分に高まったかな、って」
「それってつまり」
改造だ。と提督は言った。今の時点で阿武隈の艤装は一段階上の者に置き換わっている。その上で、さらに強化しようという話だ。この鎮守府で改二になっていないのは、阿武隈と、改二が実装されていない雪風の二人だけだ。鹿屋基地でも屈指の戦力(とはいえ、鹿屋基地自体が戦闘には適していないのだが)を持ったこの鎮守府で、阿武隈に改造の話が出るのは至極当たり前のことだった。
「申請そのものは通っているから、問題が無ければ、今週末にでも実行したいと思うのだが」
提督の言葉に異論は無い。無い。無い。
「あの……」
それなのに、阿武隈は口を挟んでいた。提督が目を丸くする。
「どうした?」
言葉に詰まる。唐突に思い浮かんだ考えはあまりにも馬鹿げていて、自分の首を絞めるだけだと分かっていた。なんでもない、と誤魔化してしまえば良い。それが出来なくて、苦しんでいるのだが。
ああ、やはりあのラジオのせいだ。こんな悪魔的なことを考えてしまうのは。
「
あの男は今、何をしているのだろうか。憲兵隊に引きずり出されて今頃の檻の中に居るのかもしれない。そうすれば、あそこはきっともぬけの殻だ。逆に、居たらどうすれば良い。感情がまとまらなくて、ただ確かめたいという欲求だけだ。
「あの鎮守府ってのは、君が逃げ出してきた鎮守府のことかい?」
「……はい」
「おそらくだけど、君を傷付けようとした男はまだ其処に居ると思うよ」
どうして提督がそんなことを知っているのか。そこに疑問が向かう前に、あの男が居るという事実に身が竦む。やはり怖い。今すぐにでも前言を撤回してしまいたい。天秤がぐらぐらと揺れる。しかし、止まる気配は一向に無い。
提督は阿武隈の様子をじっと見つめていた。どうして阿武隈が突然そんなことを言い出したのかは分からない。彼女は彼女なりに過去と決別しようとしているのかもしれない。
「分かった。ただし、他の者……そうだな、摩耶と雪風と一緒に行くこと。通信は常に繋いでおくこと。それが守れるなら許可しよう」
艦娘が悩みを抱えているのならば手を貸すのは提督として自明の理だ。本当ならば自分が付いていきたい所だが、目の前の書類を終わらせるにはそんな暇など無い。それに四年前の血気盛んな頃ならいざ知らず、今は自分が付いていくことがアキレスの踵になりうることを理解している。
「ありがとう、ございます」
提督には、あの男からなんと言われたか話していない。どんな反応されるか分からなかったからだ。ただ、殺されそうになった。それだけを信じて自分を守ってくれた彼を騙しているような気持ちにもなる。終わったら、ちゃんと全て話そう。そう決意して阿武隈は部屋を出る。
「うん、気を付けて」
騙しているのは、提督も同じであった。あの場所で何が行われているのか、彼は全て知っている。狂気の沙汰としか思えない研究が、完全ではないとはいえ、成功していることも。過去から逃げていたのが彼女ならば、過去を遠ざけていたのは彼なのだ。
「納得できれば良いけど」
彼女のことは心配だが、彼女に任せるしかない。提督は、自分の仕事に向き直った。