「私は私のやっていることに自信が持てないまま、ここまで来てしまったのだよ」
*
「あん? ラジオをやりたい?」
十年以上昔の話。
琥珀色のサングラスを額に掛けた提督が、半目で衣笠を見た。無精髭と室内でも外さないサングラスが目立つ三十五、六の男だった。手に抱えているのは、ゴシップからアダルトまで幅広く取り揃えたコンビニ雑誌。未処理の書類が山のように連なっているその上へ丸めた雑誌を放り投げた。上から何枚かがずれて重力で折れ曲がる。
ふわあ、と大きなあくびをした。到底本気には考えていないようだった。
「ちょっと、マジメな話をしてるんですけど」
「どっからラジオなんて話が出てきたんだよ。玉音放送でも流すつもりか?」
「そういう多方面から怒られそうなこと言うのやめません?」
「いや、マジでなんでそんな話が出てきた」
一度こっきりの冗談だと思っていた提督は、予想外に衣笠が真剣な様子であるのを見て、サングラスを掛け直す。
「総員起こしの放送でも使うのか?」
「いやー、ほら。この間提督の奥さんいらっしゃったじゃないですか」
「来たな」
ここの提督は既婚者である。重ねて言うならば彼の伴侶は当然艦娘ではない。それどころか軍人ですら無いのである。彼の妻はジャーナリストだった。軍人とジャーナリスト、一見水と油のように思えるが、不思議と馬が合ったのである。
余談ではあるが、たとえ家内といえども非軍人が基地内に入る事は本来できない。これは、鹿屋の総司令官が(主に大本営への嫌がらせとして)黙認しているのであった。
「そのときに聞かせてくれたんですよ、ラジオ」
「あいつはまぁた要らんこと教えてんのか」
「要らんことって」
提督の物言いに衣笠は苦笑する。その表情が拗ねた子供のようで、それでいて別れを悲しむ大人に思えたからだ。
「お前、自分がどういう存在か分かってるのか」
衣笠が本気であることを悟った彼の言葉は、氷柱のように冷たい。彼女の選択が苦しみを伴うことは分かりきっていた。
「お前達は軍艦だ。ここはまあ、確かに戦火ってもんからは遠いけどよ。それでもいつ沈むかなんてのは分かりゃしない」
内地だから、なんて言葉は安心材料にはならない。地獄を知っている提督は、陸に攻め込まれたときの脆さを知っていた。出来の悪いパニック映画のように人が死んでいく様を、建物が崩れていく様を目の当たりにしていた。
「うん。だから」
「だから?」
「呉の足柄さんの話は知ってるでしょ?」
「ああ、俺からすりゃ馬鹿げてる、としか思わねえけどな」
史上初めて艦娘と
「人間と艦娘は違う。一緒に歳を取ることなんざ出来ねえし、いつ死ぬかも分からねえ。いや戦争やってんのに死ぬだの何だのは覚悟の上だろうが」
「じゃあ何が嫌いなの?」
「戦争が終わったらどうする」
艦娘とは、人外の兵器である。何年後になるのかは想像もつかないが、戦争が終われば他の兵器と同様に抑止力になるか、それとも廃棄されるか。実力者であれば、生き残ることも不可能ではないかもしれない。しかし。
「最悪、テメエの手で
「その頃には艦娘を人間にする技術とかあるかもしれないじゃん?」
「だったらそれ作ってからやれってんだ」
余程腹に据えかねているのか、どっしりと椅子に座り直した。体重で軋む音がした。実際のところ、別に例の足柄やその提督について悪感情を抱いているわけではない。提督は一度だけ顔を合わせたことがあるものの、二人には生き死にを共にする覚悟が見て取れたからだ。ただ、苦痛を増やすようなシステムのきっかけを作ってしまったことは気に入らない。
「話が逸れたな」
本筋はケッコンカッコカリなどではなくラジオだ。
「足柄がどうしたって?」
「その、指輪の話を聞いて思ったのよ」
「何を」
「私も、何かを残したいって」
それは思春期の青少年がかかる
「私達は余程のことが無い限り、戦果を残すことも出来ないわ」
その時点で艦娘としての本懐は遂げることができない。
「写真や動画だって、誰かなんて分かるものじゃない」
同じ顔、同じ声。彼女達のアイデンティティは常に危険に晒されている。個人として記憶に残る。それは不可能ではないだろう。だけど、
「私が私であった証拠が欲しいの」
「それの答えがラジオって、馬鹿だろお前」
衣笠の真面目に過ぎた表情に提督は吹き出した。思いはずっと秘めてきたものなのかもしれない。しかし、昨日今日で知ったばかりのラジオにそれを求めるのは軽率過ぎやしないだろうか。
「私はマジですよー!?」
「はいはい分かった分かった」
机をバンバンと叩く衣笠を宥めて、内線の受話器を取る。
「もしもし、ヨド? 放送って俺の権限で好き勝手できる? うん、ああそう、お前も話は聞いてんのね。うん、鎮守府内なら問題無いのね。おっけ」
「て、提督?」
「ま、無茶通すのは上司の仕事だしな」
受話器を置いた提督がニヤリと笑う。
「当たって砕けろでやってみろ」
*
結論から言えば、KNSの初回放送(第一回目にはそんな名前もついていなかったが)は大失敗に終わった。いざとなった時に発声するだけでいっぱいいっぱいになってしまって、台本は噛み噛み、機器を弄るのにも一苦労。挙げ句の果てには終わったにも関わらずマイクを切り忘れて衣笠の愚痴と自己嫌悪が鎮守府中に流れるという放送事故を引き起こした。
顔を真っ赤にして机に突っ伏していた衣笠を提督はわざわざ煽りに行き、最後には間宮アイスを渡して「まだやるか」と聞いた。それが折れかけていた衣笠の反骨心を煽り、彼女がラジオを続ける理由にもなったのだ。
台本を作り、何度も読み込み、鎮守府の色んな艦娘にどんな放送が良いか聞いた。諭したり、笑ったりする相手も居た。それでも衣笠は引き下がれなかった。面倒見の良い古鷹を引き込んでラジオそのものの質を上げようとした。館内放送を利用して週に二回行われる放送は、段々と他の艦娘の理解を得られるようになってきた。
最初は重巡から、愛宕や高雄はかなり早い段階で興味を持ってくれて、未だにリスナーとしてハガキを送ってくれる。それから駆逐艦、軽巡洋艦、軽空母に正規空母。一番最後まで渋っていたのは戦艦だった。海に出れないということを最も気にしていた艦種だ。ただ、眉間にシワを寄せるだけで止めようとはしなかった。誰もが衣笠の本気を疑っていなかったのだろう。
「まさかこんなに粘るとは思わなかった」
ラジオ放送が開始してから一年が経った頃、そう言ったのは他ならぬ提督だった。彼自身素知らぬ顔で戦艦を宥めたりと色々サポートしていたのだが、途中で衣笠が飽きるだろうと思っていた。古鷹が居るとはいえ、たった二人で休むことなく続けるのは困難を極める。
「何がそんなにお前を駆り立てたんだ?」
提督の質問に衣笠はこう答えた。
「だってラジオが楽しいんだもの」
自身を誰かに見せる為に始めたラジオは、彼女自身の楽しみになっていた。元の目的はもはや達成されたと言って良いのだろう。それどころか、彼女のラジオは鎮守府に居る他の艦娘達の生きる活力にすらなっていった。
そしてまた時は流れる。
「まあ、掻い摘んで話せばこんな所ですよ」
衣笠のラジオが始まって、五年程が経った頃。鹿屋基地の総司令部で提督は相手と向かい合っていた。軍服の襟を閉じ、無精髭も剃って、愛用のサングラスも外している。四十の大台に乗った彼の姿は軍人らしく相手に威圧感を与える。
「ああ、艦娘からの発案だったのですね」
対するはおよそ軍服の似つかわしくない優男。見た目からは三十路手前のように見えるが、実際には提督よりも三つ程歳上の、それも中将である。彼が鹿屋基地の総司令官だった。
「それで、今回は罰則か何かですかね」
元々自分の鎮守府だけで流していたラジオだが、演習をそれぞれの鎮守府が互いに請け負う以上、いつかは外に明らかになるのは分かっていた。放送設備の私的利用。罰せられても何ら文句は言えない。
「いやいや、そんな面白いこと止めはしませんよ」
しかし、総司令官は手をひらひらと振って否定する。
「むしろもっとやってほしいくらいです。いっそ、鹿屋全域に流してしまいましょうか? うちの艦娘達も興味を持っているのが結構居ますから喜ぶことでしょう」
「……アンタは相変わらず危ない橋を渡るのが好きだな」
「それはお互い様でしょう?」
互いに顔を見合わせて、ニヤリと笑う。最も艦娘が人らしい場所。岩川基地と違い、軍部に真っ向から喧嘩を売るようなスローガンを抱える総司令官が、この程度に日和る筈も無い。開設当初から着任している提督もその程度のことは分かっていた。だから、衣笠の提案を最初に許可したとも言える。
「んで、鹿屋全域に流すってやれるんです?」
「貴方もやっぱり乗ってくれるじゃないですか」
「面白いことには首を突っ込んでナンボでしょ」
「全くです」
衣笠のラジオにKanoya Navy Stationという名前が付き、鹿屋に存在する全ての鎮守府に通達が送られたのはそれから少し先のこと。ちょうど、秋津が監査を終えて横須賀に戻った頃の話だった。