一ヶ月が経った。毎日の解体に、秋津は欠かさず付き添った。吐き気がするのを抑え、現実を直視し続けた。教授は何度も見る必要は無いと彼のことを気遣ったが、彼は頑として譲らなかった。
これだけの犠牲を出して、もしも艦娘を人間にする技術が実現しなかったら。教授は残虐で狂気に満ちた科学者として葬られることになるだろう。それは果たして正しいのか。間違っているとは言えない。それは教授という人間を一側面からこの上なく正確に捉えた呼び名である。しかし、しかし。
「また、悩み事をしているのかね」
「生憎と、貴官のように割り切って生きることはできないでありますから。人体実験を許容するか否か。そもそもこれは人体実験と呼べるのかどうか。悩み事なら枚挙に暇がない」
「最近は、解体をする必要もだいぶ無くなってきたんだがね」
教授の言う事は事実だった。そもそも艦娘とは均一化された存在なのだから、同じ艦であれば身体の中身すらも殆ど同じなのである。何度も解体する必要性はそこには無い。そして、切っ掛けを掴んだと彼は言い張り、ここ数日は通常の解体処分だけで終わっていた。
代わりに多くなったのが、艦娘との会話だ。解体する前の数十分間、教授は艦娘と会話をし続ける。それは取り留めのない話から、デリカシーに欠ける踏み込んだ話まで。艦娘自身から艦娘を学ぶ、秋津から得た発想だと彼は言った。
それならば、秋津は居合わせない方が良いだろうと同席を辞退した。一対一の方が話せることもあるやもしれぬ。曲がりなりにも教授は
「それで、私の方にも悩み事が出来てしまってね」
「悩み事? 艦娘とクッキー以外には興味すら示さない教授殿に悩み事があったとは驚きでありますな」
「その艦娘の話なんだよ」
「ほう、まさか情が移ったとでも?」
「逃げられた」
「……は?」
秋津が言葉に詰まる。この男は今なんと言ったのだ。逃げられた?
「ちなみに艦種は」
「阿武隈だったかな」
阿武隈。長良型の軽巡洋艦だ。少なくとも一ヶ月の間に見かけた事はない。
「初めて出来たから、貴重だったのだが」
「ちょっと待ってください。阿武隈が建造されたのは初めてでありますか」
「私の記憶の中ではそうだな」
「ということは
「もちろん」
「そのことは本人には」
「ちゃんと伝えたとも」
絶句した。本気で言っているのかこの男は。秋津の肩がわなわなと震える。
「本人の目の前で解剖するなどと言えば、逃げられるに決まっているでありましょう!」
教授に向かって怒鳴り散らす。人間味の欠けた男だとは思っていたが、まさかここまでとは思わなかった。秋津は頭が痛くなるのを感じながら、それで、と続きを促す。
「どうしたいのでありますか。憲兵の権限で引きずって来いと?」
「いやいやいや、そんなことを頼むつもりは無いよ。私から逃げる。そんなことをするのは千篇一律の艦娘がやることじゃない。彼女はれっきとした人間として生まれたのだ。それは祝福する事柄ではあっても、私達が遮るべき事ではない。むしろそんなことはしてはならない」
「教授殿は本当に面倒臭い性格をしているでありますな。それなら何を困っているのでありますか」
「うーん、流石に他の提督に私のやっていることがバレるのはなかなかに危険なのではないかと。憲兵が絡んでいると分かれば君達も他人事ではいられないだろう?」
「はあ。それならこっちでどうにでもするでありますよ。伊達に憲兵隊はやってません」
見つけるのと揉み消すのは憲兵隊の十八番である。表に出せない事柄を探し出し、時には公に晒し、時には本人に脅しを掛ける。そうやって憲兵隊は今の地位を得た。秋津はその黎明期を生き抜いてきた懐刀だ。いまさら、いち提督の不祥事など大した問題ではない。
ああしかし、と秋津は考える。他の提督や艦娘がここに乗り込んでくるのは少々面倒だ。彼らは正義感に溢れている。特に若い提督などは、裏に足を突っ込みすぎて消えるのがお約束だ。懐柔するのは骨が折れるかもしれない。少なくとも目の前にいる世間知らずの研究者には不可能だろう。良くて撃ち殺されるか、悪ければ弱みを握られてダシにされる。後者は憲兵隊にも影響がある。教授はそのことを少々過剰に気にしているのだろう。
「逃げられたのはどのくらい前でありますか」
「具体的には分からないが、既に一時間は経っている。私が席を外したのが午後の二時だから、その間だろう」
「ふむ、一時間から四時間でありますか。何故そんなに長く席を」
「クッキーを作っていた」
「クッキーを」
このクッキー狂いが、と言葉に出さないで罵る。
四時間。一時間どころか二十分も歩けば他の鎮守府には辿り着ける。落ち着かせて、話を聞いて、血気盛んな艦娘が押し寄せてくるならそろそろでもおかしくない。十四年式拳銃を叩く。秋津はとっておきを準備しておくことにした。備えあれば憂い無しという奴だ。
「来客には自分が応対しますので、教授殿はけして出ないように。蜂の巣にされたいのであれば止めませんが」
「君の忠告通り大人しくしておくよ」
教授は首をふるふると横に振った。人の言うことを無視する程狭量な人間では無いと信じて、秋津は鎮守府の入り口に向かう。
誰に見せるわけでもなく戯れに覚えたガンスピンをしながら、秋津は弾倉を取り出し、入れ替えた。
その直後にざわざわと人の押し寄せる音がする。普通の人には聞こえない微かな音でも、訓練を受けた秋津は容易く聞き取ってみせた。ちょうどいい、彼は口角を釣り上げる。
「おらぁ、出て来い!」
威勢の良い声がコンクリートの壁に反響する。女性の声だ。提督か、艦娘か。おそらくは後者だろう。ずかずかと土足で踏み入っているのが一人。その後ろをついていくのが二人程度。提督と、逃げたという阿武隈だと思われる。
「ここは憲兵が改めている最中なのでありますが、どちら様でありましょうか?」
秋津は声の主の前まで、まるで何も知らないかのように平然と出ていった。逆光が少し眩しくて顔をしかめるが、毅然とした態度は崩さない。亜麻色の髪に涼しそうな格好。重巡洋艦の摩耶、それも改二艤装ということはそれなりに経験を積んでいるらしい。
「憲兵? どういうことだよ、陸軍みたいな喋り方しやがってよ」
「どういうことと言われましても。この鎮守府が何か良からぬことを考えているのではと監査に参った次第でありまして。他の鎮守府とは関わりが無いと聞いていたのでありますが、その様子を見るとここの提督とは面識があるので?」
「あん? ねえに決まってんだろ」
「果たしてそれでは何故ここに」
「ここの提督が艦娘を道具みてえに扱ってるからって聞いたからだよ。憲兵だかなんだか知らねえけどさっさと退けよ」
奥の方へ進もうとする摩耶の前に立ちはだかる。構えられた十四年式拳銃の照準は彼女の眉間に合わせられている。
「部外者に立ち入られるのは御免被ります。然るべき処置はこちらで取っておきますので」
「艦娘でも提督でもない奴なんか信じられっかよ。そんな銃でアタシが止められるとでも、っととなんだよ提督」
秋津に食って掛かる摩耶の肩を叩いて提督と思われる青年が前に出る。感情的になっていた摩耶をたったそれだけの動作で収めてしまうとは、提督は提督で艦娘に信頼される手腕の持ち主なのだろうか。単細胞の能無しであればもっと楽だったのだが、と秋津は人知れず溜め息を飲みこむ。
「先刻、うちの鎮守府に所属不明の艦娘が飛び込んできた。ひどく怯えていて、話を聞くにはこの鎮守府で実験材料にされそうになったという話らしい」
「なるほど、こちらでも似たような情報は得ております。ということは、そちらの艦娘はここの鎮守府で建造されたと?」
秋津が視線を向けると、提督の背中に潜んでいた小柄な体がさらに縮こまった。金色のツインテールが隠れきれず揺れている。提督は摩耶に一言二言告げる。どうやら一足先に帰すつもりらしい。秋津は銃口を下ろしそれに答えた。
残されたのは一筋縄で行かない男二人。
「事の次第を確かめてから憲兵に突き出すつもりだったが、こうも
「こちらとしても、生きた証拠が見つかったのは重畳でありますな」
含みを持たせた言い方にも動じず、あくまで偶然を装う。秋津はその程度のことを見抜かれたくらいでは焦らない。
確かにこの男はある程度は察しているだろう。だが、分が悪い。悪事を裁くのは基本的に憲兵の仕事だ。そのノウハウは他には秘匿されている。つまり、憲兵以外に汚職や不祥事を暴き出すのはほぼ不可能だ。その憲兵が今回は黒に染まっている。あまりに食い下がって機嫌を損ねれば、身に覚えのない罪が降りかかるかもしれない。
「彼女は精神的に不安定だ。憲兵殿には艦娘を落ち着かせるノウハウなど無いだろう。落ち着くまではうちの鎮守府で預かっておくから聴取がしたいなら来れば良い」
「引き渡しには応じない、と?」
「艦娘は鎮守府に居るのが当たり前だろう。こんな研究所紛いじゃない、本当の鎮守府に居るのが。それに、こちらで預かることに何か不都合でも?」
提督は小馬鹿にするように鼻を鳴らした。力押しでは動かない、始末するのも後が面倒だ。彼が帰ってこなければ、彼の所有する艦娘は弔い合戦と言わんばかりに押し寄せてくるだろう。一人、二人ならともかく、それら全員を相手する力は秋津には無い。
何より、ポーズとして渋ってみせたが、この男の要求を呑んだ所で秋津にデメリットは無い。阿武隈を保護させる代わりに、こちらには口を出さない。相互不干渉とでも呼ぶべき提言をしているのだ。元より阿武隈を連れ戻すつもりの無い秋津にとっては渡りに船である。
「なるほど、確かにこちらに不都合はありませんが」
「アンタもそれじゃ殺せて八人、それともそんなに無いか? 連合艦隊丸々一つ相手にしたくは無いだろう」
「お気付きでありましたか。脅しに屈することはない、と言いたいところでありますが、そこは素直に乗っておきましょう」
「話の分かる相手で助かるよ」
提督はそれだけ言うと背を向ける。隙だらけなのは半分はわざとだろう。秋津はそれが居なくなるまで眺めて、見えなくなるのと同時に限界まで溜め込んでいた息を吐いた。予想外に洞察力のある相手だ。いや、洞察力よりも単純な知識か。何処から仕入れたにせよ、誰かの
「使うことにならなくて本当に良かったでありますなあ」
安全装置を付け直した十四年式拳銃をホルスターに通し、軽く叩く。装填されているのはたった三発しかなかった。使用したわけではなく、初めからそれだけしか準備できなかったのだ。
人間の兵器で艦娘に傷を付けることは出来ない。しかし、それでは余りにも不便だ。何せ反乱が起こったときに為す術が無いのだから。
そうして、いざという時に人間の手で艦娘を排除出来るように作られたのが、彼が抜いた弾倉に入っていた特殊弾薬。外部を深海棲艦と同様の金属で加工して、艦娘という存在にダメージを与えられるようにした試作品だ。本来人間には扱えない武装を活用出来るようにしたが為に、コストは高く、威力は低い。艤装に当たれば軽々と弾かれてしまうし、三発かそこらで首都に家が建つ。それでも、眉間や心臓を撃ち抜けば艦娘を殺害出来る。生身で艦娘と渡り合うことも想定された秋津の
「さて、アレは他に話を流すなどという馬鹿はしないでしょう。一先ずはこれで安心と」
あの男はわざわざ憲兵と事を構えようとは思っていないだろう。ただ艦娘を守りたかっただけ。その目的が果たされた今、何事も無かったかのように日常へと戻るのが正しい選択だと、あの男自身が分かっているはずである。
どこか重苦しく感じる身体を引きずって、秋津は帽子をかぶり直した。