あきつの空   作:溶けた氷砂糖

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あきつの空/6

「やあ、ちょっと見ない間に随分と大人びたものだ」

 

 ベージュ色の壁、無機質さを出切るだけ排除しながら機能性を追求したベッドに横たわっていた老人が嬉しそうに声を上げた。体を起こすと、点滴のついた腕が露わになる。痩せこけていて棒のようだった。皺だらけで、紫斑もあちこちに出来ている。瞼を開く筋肉も弱ってしまっているのか、目を開けているのかどうかすら曖昧だ。いかにも余命幾ばくか、といった様子だが、声だけは死期を悟らせないほど明るい。

 

「ちょっとと言っても、たかが数ヶ月ではありませんか。幾ら何でも成長するには短過ぎるであります」

 

 丸椅子に座り、老人に微笑みかける少年。藍色の浴衣を着て、背中にかかる長い黒髪を後ろで纏めている。陸軍なまりの喋り方がミスマッチしていることに気付き、恥ずかしそうに口元を緩ませた。

 

「やっぱり慣れませんね。気を抜くとつい素が出てしまう。いや、貴方の前だからですかね。少将殿」

「もう軍隊などないのだから、その呼び方はやめてくれたまえよ。私が退役して何年経ったと思っている。それに敬語も。私と君は同期の桜じゃないか」

「それもそう、だ。改まって言うと結構勇気のいるもので」

 

 少将の言葉に 秋津(少年)が頬を掻く。

 

 深海棲艦との戦争が終わって五年が過ぎた。七年前の大海戦を最後に、深海棲艦の抵抗は取るに足らぬものにまで弱体化し、五年前の八月十五日に最後の深海棲艦が討たれた。戦後処理を終えた後、海軍は解体され、艦娘も全てが解体処分を受けた。解体処分とは名ばかりの、()()()()()だ。研究を重ね、確実な方法を編み出したことにより、一人の失敗も無く、艦娘はただの少女となった。教授の研究は、たしか似多くの人々を救った。

 初めての成功からおよそ十五年、最後の処理が行われたのが数ヶ月前であった。最後の被験者は、言うまでもなく秋津であった。

 

「下の名前はもう決めたのだっけ?」

「色々話し合ったけれど、(みこと)が一番気に入ったからそれにしたよ」

「良い名前だ」

「ありがとう。皆にもそう言われたよ」

「そういえば、記念に食べに行ったのだろう?」

「そうそう、良いというのにわざわざ高い店を取って」

「あれか、大松か」

「御名答。眺めたことは何度かあったけど入ったのは初めてだ」

「初めて食べる飯はどうだった?」

「驚いたよ。皆が揃いも揃って食べさせるものだから、途中で気分が悪くなって吐いてしまったくらいで」

「相も変わらず加減の知らない奴らだ」

「全くその通りだ。でも、美味しかった」

「……そうか、それは良かった」

「だけど、その後に遠藤が二次会とか言い出して酒を飲ませてきて」

「人間になる前から酔うことくらいは出来ただろう」

「私は煙草ばかりでアルコールには手を出さなかったから。しかもいきなり度が強いのを」

「それは災難だったな」

「後で聞いたがかなり酷い酔い方をしたみたいで」

「ほう」

「それを誰も教えてくれないんだ。何かあったみたいなんだけれども」

「世の中には知らない方が良いこともあるということさ」

「知らない方が良いこと、か」

 

 とりとめのない会話。戦時中ならば絶対に有り得なかった。或いは、彼がいつまでも艦娘擬きであったのなら。こうして、自分を救った男と対等にならなかったのなら。

 秋津が出した答えは()()()()()()()()()()だった。ずっと、人間に混じって生きてきた。憲兵隊にも艦娘は居た。しかし、人間としての戸籍を持って、人間として振る舞う者はいなかった。そんなものは秋津独りだけだった。劣等感とも憧憬ともつかぬ感情を気付かずのうちに押し殺して生きてきたが、一度目を向けてしまえば止めることは出来ない。

 身勝手な欲望で教授の所業を認めたというのに、彼は実に晴れやかにそれを選んだ。

 

「私を含めて、人間になった艦娘は千二百六十三人だそうで。しかし、教授殿が()()した艦娘も五百にのぼろうかというところ」

 

 秋津が不意にトーンを落とした。それに気付いた少将がわざと朗らかに声をかける。

 

「引け目を感じているのかね」

「多少は」

 

 気分は晴れやかだ。自分を卑下するつもりは毛頭ない。それでも、自分のために数百もの娘達が烏有に帰した。それは事実として彼の心にのしかかっている。生きることができたかもしれない命。当の教授からしても百人や二百人。背負うには余りにも重過ぎる。それを背負うのは彼らだけではないのだとしても。

 手を頭の上にやる。何かを探るように動かしてから、そういえば今は帽子を被っていなかったのだと思い出す。悩み事をしているときの癖だったのか、今更ながら気付き、一人苦笑する。

 

「犠牲無しに生きることは、やっぱり出来ないのだなぁ、と」

「人間なんてそんなものさ。数字で割り切れないものを無理やりに割り切ってしまうのが人間なのだから」

「それを聞くと人間になったのが正解だったのか分からなくなるよ」

「答えはこれから出したまえ」

「もちろん、そのつもり」

 

 秋津の手が少将の腕に触れる。肉がなくなって骨ばった腕。それでもずっと共に歩んできた、自分をひっぱってきた力強い腕。憲兵隊を立ち上げ、あそこまでのし上がった軍人の頼もしい腕だ。共に過ごした五十年にも達しようかという日々の記憶は、まだその腕が瑞々しかった頃を知っている。

 自分もいつかはこうなるのか。恐怖が無いわけではない。嫌だ、と思う気持ちも無いわけではない。かつては寿命を迎えることなど考えたことすら無かったから、想像することも新鮮で、残酷な現実に思える。それでも、彼の後を追うことを誇らしく思った。

 

「これからどうする?」

「旅に出ようかと。仕事で色んな所に行ったけれど、観光には縁がなかったから。お陰様でお金には困ってないし」

「そうか」

 

 横須賀から先ずは北へ。太平洋を沿って大湊へ。そこから北海道をぐるりと回って、日本海沿いに下っていく。日本一周でもしてみようか。戦争が終わってからずっと練っていた計画だった。観光名所を訪れながら、二、三年かけて巡ってみる。それが終われば今度は世界だ。曲がりなりにも憲兵として高い地位にいたのだから、しばらくは遊んで暮らせるだけの貯蓄もある。旅に出て、人に出会って、景色を見て。何より、各地の名産品に舌鼓を打ってみたい。

 そう話す秋津の顔は年相応に無邪気だった。半世紀の間、組織の裏側で暗躍していた男のものとは思えない。それに気付いた時、少将は報われた。ああ、彼はやっと人間になれたのだと。

 

「実は今日からもう出立するつもりなんだ。たぶん、見舞いに来れるのはこれで最後」

「そうか、寂しくなるな」

「本当に」

 

 秋津は丸椅子から立ち上がる。二人の間にこれ以上の会話は必要無かった。種族や階級などに縛られていた頃から変わらない信頼を幾ら言葉で装飾しようと、どうせ蛇足になるだけだ。

 

「それでは、私はそろそろ行くよ」

「ああ」

 

 おそらくは今生の別れ。ちょっとの湿っぽさを拭い去るように秋津は髪を掻いた。背を向ける。

 

 病室の扉に手を掛けたとき、少将が一際大きな声を出した。

 

「尊!」

 

 秋津の足が止まる。体を翻す。

 

「一度だけで良い。私の名前を呼んでくれないか」

 

 そういえば、一度も、ただの一度も呼んだことが無かった。

 

 秋津は少しだけ目を伏せた。それからキッと顔を上げて

 

「さようなら、 神州(しんしゅう)

 

 ありがとう、と呟きが聞こえた。

 

  日本(あきつくに)の空は、今日も晴れ渡っていた。




秋津の話は一先ずお終い
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