「また大破か」
執務机に広げられた書類を叩く。コーヒーカップの中身が揺れた。軍人と呼ぶには些かカジュアルな格好をした青年は、こめかみに青筋を立てながら言った。
「深追いするなと言っただろう。旗艦のお前が冷静にならなければ、駆逐艦達は沈むのかもしれないんだぞ」
会話の相手は何も答えない。不機嫌そうに視線を逸らしているだけだ。衣服はぼろぼろに破け、所々に傷も負っている。真一文字に結ばれた唇は、彼女が反省していないことを如実に示していた。
青年は大きく息を吐く。
「聞いているか、足柄」
「聞いてるわよ。大破しなければ良いんでしょ」
「そうじゃなくてだなあ」
「もう良いかしら。私も早くドックに入りたいの」
「あ、おい」
青年の静止もきかず、足柄と呼ばれた女性は部屋から出ていってしまった。一人取り残された青年は困ったように頭を掻いて、机上の資料に目を向け直した。
「どうしたものか」
ここ数週間の出撃記録に目を通しながら、青年は赤のマーカーで丸を付けていく。それは第一艦隊の旗艦が大破した時の記録だ。その割合はゆうに八割を越える。無茶な出撃をしたつもりはない。補給もしっかり行なったし、艦娘の疲労もいつも考慮している。以前、定期監査に来た憲兵が「軍服もびっくりのホワイトさ」と驚いた程だ。それでも、大破は無くならない。
「どうして、聞いてくれないんだろうなあ」
そもそも、第一艦隊の旗艦は着任当初からずっと足柄だ。つまり、彼が丸を付けたのは全て足柄の大破記録ということになる。けして彼女が弱いわけではない。彼の艦隊で最も練度の高い艦娘であるし、他の鎮守府を演習した時には無類の強さを誇るエースだ。史実通り飢えた狼のような活躍を見せてくれる。
問題は、彼女が深海棲艦に対して強過ぎる敵意を持っていることだった。艦娘ならば、深海棲艦を倒そうと思うのは自然の感情とはいえ、彼女の苛烈さは他の追随を許さなかった。敵を見つけたら死ぬまで追う。新たに出てくればそれすらも撃滅する。手当り次第に見境なく、随伴感の感想は悪魔のように。
「俺の差配が気に入らないのか」
そうであってくれたのなら、どれ程楽なことだろうか。
コーヒーを口に含む。温くなっていて、吐き気がするほど不味い。砂糖やミルクでも入っていてくれたなら、痛む頭を癒やしてもくれたのだろうが、生憎とブラックのそれでは、苦々しく彼を苛むだけだ。
「どうすれば良い。どうすれば良い」
言霊は意味を成さない。呟くだけでは事態は好転しない。しばらく彼女を出撃から外すか。それは一時的な解決に過ぎない。気付いてもらわないと意味が無い。
ノックの音がする。今日の出撃はもう無い筈だが。青年は首を傾げながらも、入れ、と促す。
入ってきたのはピンクの髪をした少女だった。頬はオイルで汚れ、手にはスパナを持っている。
「なんだ、明石か。どうした」
「どうしたも何も、開発が終わったから報告しに来たんですよ」
「ああ、そうかそういえばそうだったな」
コーヒーを飲み干す。明石はそんな青年の様子を見て眉を顰めた。
「提督、また足柄さんと喧嘩したんですか」
「喧嘩って言うな。説教だ」
「あれだけ二人共感情的になってたら喧嘩ですって」
感情的。そう言われてしまうと反論のしようがない。
明石からの書類を受け取って、目を通す。日課の結果は上々だ。失敗ばかりでも損はしないのだが、大勝と言って良いだろう。それでも提督の顔色は優れない。
「なあ、明石。どうすれば足柄は分かってくれるんだろうな」
「私に聞かれても分かりませんって」
無茶な質問に明石は首を振る。明石には艤装こそ無いものの、この艦隊では一、二を争う古株だ。本来は第一艦隊の旗艦、足柄がするべき秘書艦の仕事も基本的に彼女がこなしている。その彼女ならば、と思ったのだが。
「でも、そうですねえ」
腕組みをして、しばらく思案すると、あ、と声を上げた。
「何か妙案が出たのか」
「妙案というか。私達ってなんだかんだ軍艦じゃないですか」
「今更、何を当たり前のことを」
「いやいや、聞いてくださいよ」
自信有りげな明石の姿に、提督は喉元まで出掛かっていた溜め息を押し戻す。
「軍艦である以上、私達は兵器です。兵器が自分のことを省みると思いますか」
言われて想像する。兵器が、道具が自分の意思を表明するか。付喪神とやらの概念を認めれば有り得ないことも無いだろうが、普通は絵空事だろう。壁に立て掛けた軍刀が好い加減手入れをしてくれと頼むだろうか。腰に提げたピストルが銃弾を装填させてくれと懇願するだろうか。
「だけど、お前達には心がある。感情がある」
「そうですよ。だから私達は兵器じゃない。なんてことを言うと顔を真っ赤にする人も居るかもしれませんけど」
「上に喧嘩売るようなことは言わないでくれよ」
「分かってますよ」
ええと、話を戻しますね。と明石はスパナを執務机に置いた。慌てて提督は書類を片付けてスペースを作る。
「でも、足柄さんにとっては自分は軍艦なんですよ。ただ何も考えずに相手を沈めれば良いと。撤退も進軍も自分が決めることじゃないって。だから自分で判断しろと言われても反発しちゃうわけです」
「そう、なのかなあ。いつも俺の指示に対して不満げな気もするんだけど」
「でも従ってるじゃないですか。信用してないなら言うこと聞きませんよ」
「うーん、うん?」
なんだか引っ掛かるものがあるが、それを上手く言葉に出来ない。コーヒーを飲もうとして飲み干したことを思い出す。
「淹れてきましょうか?」
「いや、良い。それより続きを聞かせてくれ」
だからぁ、と明石はにやにやと笑う。
「足柄さんに自分は兵器じゃないと気付かせてあげれば良いんですよ」
「どうやって?」
「そのくらい自分で考えてくださいよ。簡単でしょ」
「簡単って」
思い付かない訳ではない。むしろ先ず第一にその結論に辿り着いてしまう。提督は眉間を押さえて悩む。言うは易し、行うは難しとはよく言ったもので、到底実行できるものではない。
「言っときますけど、提督。皆、気付いてますよ」
「え、マジで」
「マジです。駆逐艦のちびっ子達も結構気付いてました」
知らぬは本人ばかりなり、です。提督の顔が赤く染まる。出来るだけ表には出さないようにしていたのに。足柄に気付かれていないのは不幸中の幸いというべきか。
「しのぶれど、って奴だなあ」
「むしろあれで隠しているつもりなのか、って感じでしたけどね」
「他人から見た自分って案外分からないものだな」
まだ衝撃が抜けきっていないのか、がっくりと項垂れる提督を見て、これはしばらくおもちゃに出来そうだなと悪い笑みを浮かべる明石。つき合いの長い彼女は、提督がこの手のことを引きずる性格であることも良く知っていた。
とはいえ、だ。明石にとっても足柄は古馴染みであるし、かたや裏方、かたやエースとしてこの鎮守府をずっと支えてきた仲だ。彼女の危なっかしさにはずっと心配していた。ここで提督を意気消沈させても意味が無い。
「足柄さんをずっと旗艦にしていたのも、あの人を沈めないためでしょ」
「もうあれじゃん。全部バレバレじゃん」
「ちょっとー、鈴谷インストールしてますよ」
励まそうと思ったのに何故か失敗した。赤疲労のように負のオーラを漂わせて机に突っ伏す提督にどう言葉を掛けて良いものか。あたふたとする明石が可笑しく思えたのか、顔を伏せたまま、提督の肩がわなわなと震える。
「ふふっ、あはは」
「ちょ、提督騙しましたね!」
「先におもちゃにしようとしたのはお前だろ」
「もー」
小鼻を膨らませる明石と、まだ、笑いが収まらない提督。夜の執務室がそこだけ明るくなったようだ。
「分かったよ。でも、お前らにも一枚噛んでもらうからな?」
「そりゃ応援はしますよ、って私達? 達ってどういうことですか」
「そりゃそのままの意味だ。駆逐も軽巡も戦艦も、足柄には世話になってるだろたぶん」
「あー、なるほど。面白そうですね」
子供が新しい遊びを思い付いた時のように明石の目が光る。どんなビックリドッキリメカを作るのか夢想しているのだろう。
「でもそれって提督のハードル上がりますよね」
「まあなあ」
「自分から公開処刑されるとかドMですか」
「ちげーよ。いやぶっちゃけ俺一人じゃ話聞いてもらえないだろうし」
それとなあ、と提督は気不味そうな顔をする。
「金剛のアタックにのらくらしてるのも疲れた」
「それは……ご愁傷様です」
提督ずっと一筋でしたからね。だまらっしゃい。覇気のない会話が続く。
「日程は俺の方でバレないようなんとかするから、艦娘達への伝達はお前に任した」
「はいはい、任されました」
「それとだな」
提督はかき集めた書類の中から一枚を引っ張り出し、至極真面目な顔で明石に手渡す。なんだろうと覗き込んだ彼女の目が丸くなり、口元は引き攣る。笑いを抑えているのか、呆れているのか。
「こんなこと考えてたんですか。流石に気が早いですちょっと引きます」
「前暇だったから妄想してたんだよ。こういう時にちょうど良いかなと思っただけだ。そんな笑うな」
「そういやデザインとか考えるの好きでしたね、でもせっかくだったらもう一歩踏み込んで逆にシンプルにしちゃいません?」
「え、あー。そういうことか。それこそ気が早くないか?」
「正直これ作るのめんどいです」
「お、おう」
そう言われては仕方が無い。提督は潔く諦めることにした。無理に注文付けて機嫌を損ねては元も子もない。
「じゃあそれで頼むわ」
「分かりましたー」