足柄は困惑していた。彼女は普段惑うということはない。いつだって明快で、危ういくらいに真っ直ぐだ。たとえ敵が思わぬところから攻めてきても、冷静さを欠くことは無い。その彼女が困惑していた。
「これはどういうことなのかしら」
「えっとですね。足柄さんにはいつもお世話になっているから皆でお礼をしようって話になって」
「あたしは別にいらないでしょ、って言ったんだけどね」
おどおどしている磯波とそっぽを向いた敷波から手渡されたのは花束とメッセージカード。子供向けの可愛らしい便箋に包まれている。赤いカーネーションは意味が分かって贈っているのだろうか。
こんなものを貰っても、足柄には少しも嬉しくない。彼女にとっては戦場が全てで、無駄なことをするくらいなら少しでも練度を上げて敵を倒すことに心血を注ぐべきだと考える。彼女達は兵器なのだから。
「いったい誰が」
「あ、居たクマー」
馬鹿げた企画を誰が考えたのか問い質そうとした時、また別の艦娘が足柄を見つけて声を掛ける。振り返ると同時に押し付けられたのは、木彫りの熊と猫のキーホルダー。
「何よこれ」
「球磨だから熊だクマ。多摩は寝てて準備してなかったのでこっちも球磨が用意したクマ」
「そういうことじゃなくて」
「じゃあ球磨は演習の準備をしに行ってくるクマよー」
「あっこら待ちなさい」
足柄が捕まえようとするも、相手も軽巡で練度トップの球磨。妹の多摩を彷彿とさせる野性的な身のこなしでするりと逃げていってしまった。舌打ちしながら振り返ると磯波敷波コンビも雲隠れしている。
「もう、なんなのよ本当に」
足柄は呆然とその場に立ち尽くす。今日は演習の予定は無いはずだ。戦場を誰より求めている彼女は出撃や演習の日程くらい覚えている。かと言って球磨が勘違いしているのも考え難い。そもそも、演習の準備は明石や大淀など裏方の仕事で、実際に戦う艦娘がすることはない。つまり、彼女の言葉は嘘。
邪魔だが捨てるに捨てられない贈り物を両手に抱えて、一度、部屋に戻ろうかと思う。花やらキーホルダーやらを持ったままうろうろと歩き回れる程足柄は面の皮が厚くはない。幸いというべきか、彼女の部屋には家具も最小限のものしかなく、スペースは十二分に空いていた。
心なしか乱暴な足取りで彼女は自室に向かう。廊下で他の艦娘とすれ違う度に何かしらを手渡され、どんどんと積み重なっていく。メッセージカードのような嵩張らないものなら大した苦労にもならないが、何に使うのか分からないガラクタに、中身の分からない箱に、手作りなのかあまりに大き過ぎるぬいぐるみ。抱えて歩いているというよりは埋もれながら進んでいるかのようだ。飢えた狼から客船に早変わり、と見かけた潜水艦組が囃し立て、殴りつけたくなるのを必死に我慢して部屋に向かう。ちなみに潜水艦達は色味の鮮やかな貝殻を置いていった。
「し、沈む」
「あっちゃあ、嫌な予感がして急いで来れば予感的中って奴ね」
「その声は明石? ちょうど良かったわ。逃げたら怒るわよ」
「逃げないって」
陸に居ながら、過積載で沈没するかと思ったところに降りかかる救いの声。足柄が少しドスの効いた声で手伝いを頼むと明石は快諾する。
「というかそのために来たんだし。ほらほら乗っけちゃって」
ガラガラと車輪の回る音がする。ショッピングセンターなどで見かけるカートだ。足柄はそんなもの初めて見たが、見れば用途も分かるというもの。少々乱雑に抱えていた荷物を全部投げ入れてしまう。多少壊れようが仕方が無い。どうせ大多数はガラクタだ。明石もあちゃー、という顔はするものの咎めるようなことはしない。
「や、やっと楽になったわ」
「うーん、流石にここまでなるとはねー」
「そう、そうよ。誰よこんなこと考えたのは」
文字通り肩の荷が降りて生気を取り戻した足柄が明石に掴み掛かる。眉間にしわを寄せて、本気で怒っている。深海棲艦どころか仲間である艦娘達でさえも縮み上がりそうな剣幕に対しても明石は飄々とした態度を崩さない。流石は最古参である。
「さあ? そんなことより、覚悟した方が良いんじゃない?」
「何がよ」
「探すのが面倒くさいって娘達がたぶん部屋の前で待ち受けてるでしょ」
「……どんだけ大事になってるのよ」
この世の終わりみたいな顔で肩を落とす。
「それだけ足柄さんが皆に慕われてるってことね」
「それなら出撃で頑張りなさいよ」
「それはそれ、これはこれ」
戻ってきたー、と声を上げる駆逐艦達。我先にとカードを贈ろうと群がる様は餌を投げ入れられた池の鯉のようだ。
「ちょっと、コラ! どきなさいー!」
「第一艦隊旗艦は大人気ね」
「部屋にはーいーれーなーいー!」
きゃあきゃあと騒ぐ駆逐艦と重巡洋艦。その後ろで微笑みながら様子を眺める工作艦。足柄本人は嫌がっているようだが、駆逐艦の少女達からすれば体の良い遊び相手のようだ。
「はいはい、プレゼント渡し終わったら解散。演習の準備に入って」
「はーい!」
明石が手を叩いた。大きな声で促すとわいわいと嵐のように去っていく。残されたのは疲れ切った妙高型一人のみ。
「さっさと荷物置いちゃいましょー」
「出撃してないのにどっと疲れたわ……」
「まだ今日の仕事終わってないですよ」
「仕事って何よー」
「聞いてません? ほら、急に演習が入ったって話」
「ほんと!?」
赤疲労から一気にキラキラへ、物の見事なテンションの変わりように苦笑いする明石。首筋に冷や汗が滴り落ちる。彼女に食いつかせるための餌とはいえ、良い人参をぶら下げ過ぎたか。
「私も詳しくは聞かされてないんですけど、大淀がそんなこと言ってましたよ」
「……なーんか怪しくない?」
「それを私に言われても」
大淀に聞いてくださいよ、と説明を放棄する筆頭秘書艦。釈然としないまま、足柄は貰い物を全て部屋の中に押し込む。
「さ、私達も早く行きましょ」
「分かったわよ」
*
「砲雷撃戦、よーい!」
鎮守府正面の海域、彼女達が最初に取り返し、今では数少ない安全地帯となっている場所に放火の音が響く。立て続けに上がる水飛沫、楽しそうな嬌声と悲鳴。
「第一水雷戦隊、戦術的勝利!」
インカムを通した声がスピーカーから流れる。大淀の判定に一喜一憂しながら、艦娘達は次の演習の準備に取り掛かる。全員がこの鎮守府の所属だ。身内同士による演習試合が、急に入った演習の正体であった。
「それは分かったけど、なんで私は参加しちゃいけないのよ!」
「お前はいつも演習に参加してるだろ。たまには他に譲っても良いと思うぞ」
縁に肘をかけて、うー、と唸る足柄を宥める提督。大淀は進行役と実況を兼ね、明石は艤装や演習弾頭の準備に奔走している。他の艦娘達は演習中だ。提督用の小型ボートに乗っているのは彼ら二人だけだった。
「というのは、半分冗談でな。本当はあいつらが駄目って言ったからなんだ」
戦艦による一際大きな水飛沫が、太陽の光に照らされて虹を描いた。
「最初はさ、いつも世話になってる足柄に何かプレゼントを贈ろうって話だったんだよ。そしたらさ、こういうことをしたいんだって皆して俺のところにやってきて」
レシプロ機のエンジン音がする。空母機動部隊による航空戦の真っ最中だ。笑顔の駆逐艦と違って空母達は真剣な顔付きだ。まるで、実際に敵と戦っているかのような緊張感がある。
「足柄に自分達の力を見てもらいたいんだと。自分達だってやれるって見せてやりたいらしい」
「こんなことされなくても、皆の実力くらいいつも見定めてるわよ」
「そうじゃなくてな。なあ足柄、お前は何のために戦ってんだ?」
制空権は互角、一航戦対二航戦が再び矢をつがえ、護衛としての駆逐艦が12.7cm砲を撃ち合う。
「もちろん深海棲艦を倒すためよ」
「そうだろうな。でも、あいつらはちょっとだけ違う」
加賀が小破、飛龍が中破の判定を出される。提督はじっと遠くの戦闘を見つめ、足柄はその横顔を困惑した顔で見つめる。
「あいつらは
「私達は兵器よ。他のことなんて考える必要は無いわ」
「お前らが兵器だってこと否定するつもりは無いけどな。お前には考える頭も、戦えないことを不満に思う感情もあるんだ。人間の部分だってある」
「どうして意識なんて生まれてしまったのかしらね。必要ないのに」
「そういうこと言うなよ。それにさ、俺だってそうなんだよ」
サイレンが鳴り、一航戦側の勝利が告げられる。ガッツポーズする赤城が遠目に見えた。
「俺も、足柄には死んでほしくないんだよ。提督とかそういうことは抜きの一個人として」
「これは……?」
「俺からの贈り物。まあ、お守りみたいなものだ」
提督が足柄に渡したのは赤いリングケース。彼女が開けてみると銀色に輝く指輪が入っていた。
「本当はもっと月とかきらびやかな奴にしようと思ったんだけどな」
「……馬鹿じゃないの?」
「なんとでも言え。足柄がはめたら綺麗だろうなって、それだけの話だよ」
それだけ言うと、インカムの電源を点ける。
「演習もそろそろ切り上げろー! 間宮アイス用意したから味わって食え!」
提督の言葉がどういう意味なのか、聞き返す声は喧騒の中に消えていった。