あきつの空   作:溶けた氷砂糖

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狼は群れで生きる/3

「敵影無し。索敵機にも引っかからないし、これは外れを引いたわね」

 

 戻ってきた零式水上観測機が艤装に収まるのを眺めていた。その折に白手袋に隠れた指輪も意識してしまう。薬指にちょうどフィットしている指輪。まさか捨てるわけにもいかず、どうするべきか悩んでいる時にむりやり明石にはめさせられたものだ。幾ら戦闘以外に疎い足柄でも、左薬指の意味くらいは知っている。知っているからこそ困惑しているのだ。とうして提督がこんな物を贈ったのか。

 

 お守りのようなものだと彼は言った。12cm砲の砲弾よりもちっぽけな金属がいったい何から守ってくれるというのだろう。成り行きでつけてはいるが、提督は左薬指にはめてもらう(この)ために指輪を渡したのだろうか。

 

「足柄、聞いているか」

「もちろん。撤退ね」

「羅針盤がまともな方向向いちゃくれないんじゃ仕方ない。気を付けて帰投しろ」

「了解」

 

 インカムの電源を切って単縦陣で後ろに着いている随伴艦にも声をかける。

 

「撤退するわ。最後まで気を抜かないこと」

「了解ネー」

 

 今の編成は、海域突破の為の、全戦力だと言っていいだろう。羅針盤の動きは誰にも予想の出来ないこととはいえ、気合を入れて出撃した足柄にとっては若干消化不良気味だ。

 

 帰り道にでも深海棲艦の群れと出くわしたりしないだろうか。知らず知らずのうちに白手袋に覆われた指輪に触れながら、頭では戦闘狂のようなことを考える。

 

 異変に気付いたのは、念のために偵察機を飛ばしていた飛龍だった。

 

「これは……」

「どうしたの?」

「着水した艦載機ですね。この辺りの海域では私達の他に出撃している鎮守府は無いはずですけど……」

「おかしいわね……回収して」

「私達が近付いた方が速いです」

 

 足柄はさっき切ったばかりのインカムを繋ぎ直す。

 

「提督、聞こえる?」

「どうした?」

「ちょっと別の艦隊のトンボ釣りやって来るわ」

「他には艦隊なんて……いや、分かった。通信は繋いだままにしておけ」

「了解。行くわよ」

 

 最後の言葉は随伴艦に対して。

 

 もうもうと立ち込める厄介事の臭いに、足柄は狼の如く歯を見せて笑っていた。

 

 着水していたのは水上偵察機だった。機体はぼろぼろに壊れ、パイロットの妖精も息絶え絶えといったところ。飛龍に回収を命じながら、慣れた手口で何があったのか聞き出す。

 

「民間の船が……」

 

 妖精が語ったのは、民間の客船が深海棲艦の襲撃を受けているという、驚愕するべき事実だった。

 近隣の鎮守府によってクリアされた、安全な海域を進む予定だったが、網の目をすり抜けてきた深海棲艦が客船に向かって砲撃。護衛として乗っていた艦娘が応戦するも多勢に無勢だったという。通信はしたが、応援は遅れると返された。ゆえに近くを通った別の艦隊に助けを求める為、飛ばされてのだという。

 

「提督、出撃の許可を」

「分かった。だが」

 

 だが。一分一秒が惜しいという時に何を言い出すのか。

 

「確認したが、救援要請はどこからも出ていない。今から向かっても応援はすぐには来ないぞ」

「そんなこと、私達が仕留めれば良いだけのことだわ」

「……ああ、進撃しろ。足柄」

「了解」

 

 足柄は今度こそインカムを切った。

 

 

 嫌な予感はしていたのだ。

 

 海の向こうから漂う血の香りは、目的地が既に鉄火場から殺戮現場へと変わったことを意味している。大穴が空いた船体は、まだ沈んでいないことが奇跡に思える程だ。

 そして、死にゆく船に群がる深海棲艦達が、地獄の亡者が蜘蛛の糸に上り詰めるが如く蠢いている。艦娘の姿は見えなかった。良くて船内で生存者の指揮を取っているか、もしくは全滅したか。

 

「飛龍、加賀、金剛、比叡は海上で深海棲艦をブチのめしなさい。私と球磨で船内に突入するわ」

「分かったクマ」

「ご武運を」

 

 てきぱきと指示を出し、足柄は足を動かし始める。爆撃隊による器用な殲滅によって開いた隙間をくぐり抜けて船内へと侵入する。

 

 中は惨憺たる有様だった。一瞬、赤い内装なのだと勘違いしそうになった。一面に血が染み付いている。深海棲艦でも無ければ、艦娘でもない。人の血だ。

 

 物言わぬ腕が衝撃でガクリと揺れた。その薬指に光る銀色がいやに目に入った。手のひらを合わせて、胸に刺さる痛みを誤魔化す。

 

「私はこっち側から探すわ」

「じゃあ球磨はこっちクマね。何かあったら連絡するクマ」

 

 二手に分かれて赤く染まった廊下を走り抜ける。脚のない低俗な深海棲艦を撃ち抜いて、生存者を探す。絶望的だと分かっていたが、それが自分の役目だと分かっていた。

 

 船は見た目よりも大きかった。豪華な船旅を目指していたのだろう。床に落ちて粉々に砕けたシャンデリア。足柄でも一度は目にした事のあるような、有名な絵画のレプリカが二つに折れている。

 

「弾が、足りないかもしれないわね」

 

 駆逐イ級の砲弾が頬を掠めた。返す砲撃で沈黙させる。既に十を越える敵を沈めた。だが、まだ到底倒し切れているとは思えない。どう考えたって、一艦隊の手に余る事態だ。

 

 歯軋りした。一箇所に集まる深海棲艦の量としては異常だ。大規模艦隊を編成して殲滅を目論むに十分な勢力がこの船を襲っている。

 警備網は何をしていたのか。こんな大船団を見逃すとは、とても日本海軍の船だとは思えない。

 

 提督は言っていた。()()()()()()()()()()と。

 

「……っく、そこ! しゃがみなさい!」

 

 曲がり角を曲がる。

 

 逃げ遅れた子供が、深海棲艦に今まさに食われようとしている、足柄は叫びながら、どうか子供には当たりませんようにと祈りながら引き金を引いた。血飛沫を跳ねさせて、深海棲艦が動きを止める。

 

 子供はへなへなと座り込んでいた。青く、油臭い深海棲艦の血を全身に浴びて、歯を鳴らしながら、お母さん、と何度も呟いている。

 

 足柄も近づいて分かった。まだ三十路に達しているかも怪しい、女性の死体。胸から上が無かった。手で破いた紙の切れ端のようなジグザグで切り取られていた。

 

 おそらくはこの少年の母親だったのだろう。目の前で親が食い殺される。到底受け入れられない光景だ。特に、年端も行かない子供には。

 足柄に子供をあやす技術は無い。しかし、このまま放っておくわけにもいかない。未だ放心状態の子を片手で抱え上げる。

 

「ひっ」

「落ち着きなさい。私は助けに来たの。悲しくても言うことを聞いて」

 

 そんな言葉で冷静になれる筈もなく、子供は泣き喚く。辺り構わず手足を振り回し、意味も無く足柄から逃げ出そうとする。艦娘の膂力で取り落とすということは無いが、深海棲艦の群れに出くわせば、二人の命が危うい。

 

「足柄!」

 

 提督の焦った声がする。他の生存者を探して歩き始めながら、インカムを点ける。

 

「何よ」

「さらに大きな深海棲艦の群れがそっちに向かってる。援軍は間に合わない!」

「だから?」

「撤退だ」

「ふざけないで!」

 

 泣いていた子供が驚いて叫び声を止めた。

 

「私達の仕事は人の命を守ることでしょう!?」

「それが不可能だと言っている!」

 

 提督も負けじと叫び返す。

 

「お前も兵器なら考えろ! ここで意地張って全滅するのと、ここは諦めて後の人を助けるのと!」

「目の前の人を見捨てる理由にはならないわ!」

 

 ガチ、ガチ。残弾の無くなった20.3cm連装砲を投げ捨てる。これでもはや敵を穿つ術は無くなった。

 

「クソッ! 球磨、飛龍、足柄を引っ張りだせ!」

「そんな余裕無いクマ! こっちも自分のことで精一杯クマよ!」

「外も深海棲艦が減る気配がしませんよ! このままじゃ撤退すら厳しいかもです!」

 

 タイムリミットは刻々と迫る。後一分、判断が遅くなればもう間に合わないだろう。

 足柄は僅かに目を伏せた、抱えた子供と目があった。怯えが移ったような気がした。それ以上に、この子が自分を思ってくれていることが分かった。聡明な子なのだろう。まだ十つにも届いていなさそうなのに、なぜ見捨てられないのか、そんな疑問が瞳の奥に浮かんでいた。

 

「足柄、頼む……」

 

 提督の悲痛な叫びが聞こえた。本当は分かっていた。足柄が動かないことなど。

 

 足柄も分かっていた。どうして彼がわざとらしく兵器なんて言葉を使ったのかを。民間人と足柄の命を天秤にかけて、提督は後者を選ぼうとした。軍人としては失格かもしれない。司令官としては正しいのかもしれない。

 

「提督」

 

 襲い来る深海棲艦を蹴り飛ばして走る。息をすっかり切らしながら、悲しいまで優しい声音で言う。

 

「大丈夫よ、生きて帰るから」

「……勝手にしろ」

 

 それは提督なりの最後の抵抗だった。

 

「ありがとう」

 

 インカムを全員に繋ぎ直す。

 

「皆、応援が到着するまでこの場を死守するわ。だけど、絶対に沈んじゃ駄目、分かった?」

 

 思い思いの返事が聞こえたのを確かめて、足柄はインカムを投げ捨てた。他人の声がこれ以上聞こえてしまったら、揺らいでしまいそうな気がした。

 

 重巡クラスと相討ちになって死んでいる艦娘が居た。駆逐艦の叢雲だろう。一人で重巡を討ち果たしたのならば、大健闘だと言える。死んでさえいなければ。

 

 ほんの少しの後ろめたさを覚えながら、彼女が最後まで握りしめていた12.7cm連装砲を拝借する。弾はまだ入っている。

 

「これ、借りるわよ」

 

 そして足柄は駆ける。どこへ向かえば良いのかも分からない。だが、生存者がまだ居るとするならば、もっと上の階層に固まっているだろうことは想像に難くなかった。そこへ辿り着けばまだ生きている艦娘と合流できるかもしれない。

 

 その道のりは果てしなく遠く思えた。

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