海斗が正式に九鬼紋白のボディガードになったことは、既に九鬼家全体に広まっていた。
海斗に関する情報の詳細については、九鬼家でも一握りの人間しか知らず、大半の従者や関係者には海斗がどのような人物であるか、憐桜学園での成績でしか測ることが出来なかった。
何故海斗が禁止区域出身ということを公にしないか。それは数年前に起こった事件に関連していた。
当初九鬼家の従者の中に、一人だけ禁止区域出身の男性がいた。
その男は人情味溢れ、頭が切れ、それ相応の戦闘能力を持ち合わせていたため、九鬼家では重宝されていた。
しかし、その男は最悪の形で九鬼家を裏切ることとなった。
男は九鬼家からとある情報を外部に漏らし、さらには仲間であった筈の男と九鬼家の従者を複数名殺害した。
その男は現在、死刑を言い渡されているが、死刑決行自体は見送られ続けられている。
それ以来、九鬼家は禁止区域出身者を正式に雇ったことはなかった。
それにより海斗が禁止区域出身という事実は九鬼家上層部によりもみ消され、特定の人物以外には海斗の素性を知るものは居なくなった。
しかし、仮にも九鬼家の従者である一部の者は、海斗について疑いの目を向けていた。
その中の一人である、李 静初《リー・ジンチュー》とステイシー・コナーは早速ある行動を起こしていた。
「なんつーか、あの海斗って野郎、なーんか私と同じニオイがすんだよなぁ」
金髪のツインテールに青色の瞳、露出の少ない清楚なメイド服に身を包み、身長は170cmと女性にしては大柄で、中身も大雑把で見た目通りの彼女の名はステイシー・コナー。
九鬼家の特務部隊の一員として数多くの中東の戦地を駆けめぐり、血塗れステイシーと呼ばれた彼女が、経歴では日本のとある田舎の中流家庭で育ったはずのボディガード訓練生を同類と感じた。
「同じニオイ、ですか」
李静初。黒髪のショートカットで、切れ長の瞳。ステイシーと同じくメイド服に身を包み、その内には数多くの暗殺道具が仕込まれている。
かつては暗殺者として裏社会で名を馳せていた彼女だったが、九鬼帝の暗殺に失敗したが、その腕を認められ九鬼家に取り入れられた異端児。
現在は執事のクラウディオに悟らされ、九鬼家に忠誠を誓っている。
しかし以前の職業柄、メイドにしては感情に乏しく無愛想である。
そんな静初にとって、ステイシーの発言だけで、海斗が異質だと断定するのに十分な材料であった。
「……彼を試してみますか」
「お、出た出た。静初先生の新入り査定。今回はどんな感じで試すんだよ」
「そうですね。訓練生とはいえ、紋様専属のボディガードですから、自分への暗殺ぐらい、防がなくては話になりません」
「おいおい、元暗殺のプロの暗殺に、ボディガードの訓練生が防げる訳ねえだろ」
ケラケラと豪快に笑うステイシーと、無表情に久しぶりの暗殺を計画する静初の姿があった。
夜も更けた午後11時30分。正式に九鬼紋白のボディガードとなった朝霧海斗は、用意された部屋でベッドに寝ころびながら本を読んでいた。
「あーあ、読みたかったぜ。大久保ブーデの育成方針殺人事件……」
結局のところ、育成方針殺人事件は既に処分されていた。海斗は仕方なく、この家の書斎にある面白そうな本を片っ端から持って来ていた。
ジャンルは特に問わず、恋愛小説、ミステリー小説、ホラー小説、ライトノベル、哲学本となんでもある。
「それにしても、今日は疲れたな。この本が読み終わったら一旦仮眠を取るか」
そして約一時間後、電気の明かりを点けっぱなしの部屋で寝ている海斗の他に、もう一つの陰があった。
李静初だ。
ベッドの上の海斗が熟睡しているのを確認する。間違いなく、海斗は寝ている。寝るときは電気を消さない人間なのだと、静初は判断した。
静初は普段通りのメイド服に、その服装に不釣り合いな鍔のない小刀を取り出した。
完璧なまでに自分の存在を消し、彼女は静かに、冷淡に暗殺業を開始する。
殺気を押し殺し、ただの殺人マシーンとして、海斗の首元に小刀を振り下ろした。
しかし、その小刀は海斗の首に触れることはなかった。
静初は元々、海斗を本気で殺すつもりはなく、寸前で止めるはずだった。だから当たり前のことだったのだが、そうではない。
目標物であるはずの海斗の首が、そこから無くなっていたのだ。
振り下ろされた小刀は勢いを止められず、ベッドの布団に小刀が食い込み、それを握っていた右手を、誰かの左手で捕まれていた。
「なっ、」
静初が、その腕が海斗のものだと気付くまで時間は掛からなかったが、遅すぎた。
海斗は静初の手首を捻り、小刀を落とさせて、そのままベッドに押し倒そうとする。
押し倒されるまでの間、静初はもう片方の手から猛毒が仕込まれた針を数本取り出すが、海斗はその手首を右手を掴み、それを力業で静初の首元に持って行く。
完全にベッドに押し倒され、身動き一つ取れなくなった静初は唖然とした。幾ら手を抜いたとは言え、ここまで完璧に押さえ込まれるとは思いもしなかった。
「最近のメイドはご主人様だけでなく、オレみたいなボディガードにも奉仕してくれるのか?」
少しでも抵抗すれば、自分の毒針が刺さる。解毒剤を持っているとはいえ、その解毒剤を接種するまでに、この男を何をされるかわからなかった。
自分を押し倒す男の目は、まるで深い闇。何年もの間、暗殺者として裏社会で過ごしてきたが、この男ほど深く、淀みない瞳を見るのは初めてだった。
静初は、生まれて初めて、得体の知れない恐怖を覚えた。
これから自分は何をされるか、想像が付かなかった。男は笑っているが、その本心が見透かせない。心の中でどんなことを考え、どう思っているのか、想像するだけでおぞましかった。
「おいおい、そんなに怯えるなよ。そんなにオレが怖く見えるか? ちょっとした冗談だよ、冗談」
海斗はそう言うと、両手の力を抜き、静初から離れた。
海斗は部屋に備え付けてある椅子に腰を下ろし、まだ読んでいない本を手に取る。
「どうしたんだ、用があるんならさっさと済ませてくれ」
海斗の言動に、静初は違和感を覚えた。
用があるなら? この状況から考えれば海斗の暗殺自体が用であるはずなのに、まるで他に用があることを知っているかのようだ。
「用は、もう済みました」
「済んだ? オレへのなんちゃって暗殺が、用だってのか?」
「なんちゃって、暗殺?」
「ああ。まず、アンタの気配を消す技術は相当なものだが、あれじゃあ駄目だ。シューマイの匂いが強くて目標に気付かれる」
静初の顔が、少し赤くなる。静初はシューマイが好物であり、よく繁華街で食している。通常であれば、暗殺前は控えて匂いを落とすのだが、今回は差ほど気にせず、匂いが付いたまま来てしまった。
「それに、アンタはオレを本気で殺しに来なかっただろ?」
「……よく分かりましたね」
「まあな。あまりにも殺気が無いから、直ぐに分かったぜ。オレを暗殺することが目的じゃないってな」
「お見事です、朝霧さん。流石は紋様直属のボディガードです」
何事も無かったかのように本を読む海斗を見て、静初は不思議と彼のことが気になっていた。
さっきまで放っていた彼独特の気配は消え、穏やかなだが張り詰めた気配が彼から放たれる。
本当に、彼は何者だろうか。
「朝霧さんは不思議な方ですね」
「そうか? どこにでもいる人間だ、俺は」
「いえ、こういうのもなんですが、私は貴方に押し倒され時、正直死ぬのではないかと、そう思いました。けど今は、貴方についてもっと知りたいと思う私がいます」
静初は毒針と小刀を瞬時に隠し、ドアまで歩んだ。
「朝霧さん」
「なんだ?」
「今後も、貴方の暗殺を企ててもよろしいですか?」
「……出来れば止めてくれ」
「強制ではないのですね」
「そりゃあ、お前の行動まで止める権限はオレにはないからな」
「では、明日また参ります」
勘弁してくれ、と海斗は呟きながら次のページをめくった。