負われて見たのはいつの日か
(ねえ、赤とんぼって、怖いの)
(怖くないよ。どうして)
(だって〝追われた〟んでしょ)
静かに笑っていました。
辺り一面が黄金色に染まる中、幼い私は歌詞のように母の背中に背負われて。
目の前には植樹されたマルベリーの樹々が、地平線の彼方まで続く様に整然と並んでいます。
夕日を浴びて、今日の収穫の仕上げにかかる人々。日々繰り返される営みの喜びに、麦わら帽子の下には満ち足りた笑顔が零れるようでした。
一日目
私たちがここに移り住んで40年の月日が流れ、世代を2つ越えました。
大人はよく「あの日の事」と言いますが、生まれる前のことなどわかるはずもありません。もちろん、歴史は学んでいます。戦争の事、隕石の事、地震の事、そしてゾイドの事。
隕石の落下で荒廃した大地は命の息吹を取り戻し、動かなかったゾイドも次々と元気なって、今はみんなと一緒に日々働いています。
時々こんな単調な毎日に飽きる気もしますが、自分では、今の生活に不満があるわけでもありません。ただ、もう少し町が近ければと思うくらいで。
跨ったローバーが、左脚部の伸びをしました。ぐずぐずしていると、夕餉(ゆうげ)に間に合わなくなります。私は畦道に残った轍(わだち)を踏みながら、家路へと急ぎました。
屋根から白い湯気が立ち上がっています。ローバーを納屋に繋いで、井戸横の洗い場で手足を濯ぎ、汗を吸った洗い物を盥に放り込みます。
家の中ではもう家族が食卓を囲んで、夕餉の仕度にかかっていました。
「おかえり、エミリー」
祖母は釜戸にかかった鍋を混ぜながら、脇で料理の盛り付けをしていました。
盛り付けられた料理を食卓に運ぶと、父はテレビ画面を見ながら独り言を言っています。
「皇帝陛下も、お加減が悪いようだな。皇太子様もまだ幼く御出(おい)でで」
都では、いろいろなことが起きているようです。でも、海を隔てたこんな場所では、遠くの世界の出来事はよくわかりません。何より明日の収穫こそが全てで、気にするのは風向きと気温ぐらい。
食事を終え、納屋に行きました。身を屈めていたローバーたちが一斉に立ち上がり、その日の糧をねだります。
〝バトルローバー〟と呼ばれていた小型ゾイドですが、戦いとは無関係のゾイドに武器はありません。私たちは移動の手段として、このゾイドを飼育しています。納屋には3台のローバーが、細長い首をかしげて頭を向けています。名前は〝クルン〟・〝プラマハ〟・〝ラッタナ〟。何か意味はあるようですが、父もその理由を忘れてしまっていて、だから気にしたことはありません。
ローバーには目がないのですが、光を感じる部分は頭部にあるので、その仕草から大凡(おおよそ)の気持ちは掴めます。家族でローバーの世話をするのが私の役割。だから家族の中で一番私に懐いている、と思います。
母屋の方から食事を告げる祖母の声が聞こえました。私は大きく返答すると、ローバーの補給を急ぎました。
「ごちそうさま」
食事を終えると、相変わらず父が見ているテレビ画面の下の作業机で、私はいつもの様に土産物の民芸品細工を始めました。
果実の種を半分にして、一部を刻んで羽を四枚付けます。仕上げに所々赤い色で染めて出来上がり。一つ一つは手のひらほどの大きさで、平らな場所に置くとゆらゆらと動きます。
「赤とんぼ」。私はそう名付けていました。赤とんぼが、実際どんな生き物なのかは知りません。ですが、母の、その母の、そしてそのまた母親が伝えてくれたという古い歌。その中の赤とんぼという言葉が気になって、そのままこれに名付けています。
以前、『クロスウィング』というゾイドに似た生き物だと聞いたことがありますが、デルポイに棲んでいた「あの日の事」から減ってしまったアタックゾイドなど見たこともありません。
「今度はどれくらい小遣いもらえそうなの」
祖母が夕餉の片づけをしながら、私に問いかけます。
「結構になりそう。お土産は期待してね」
土間の脇では、明日の作業に備えて準備をしている父の足元で、8つ下の弟が無邪気に遊んでいます。
お土産と聞いて、思わず心が躍ったのでしょうか。作業机を懸命に伸びあがって覗き込もうとします。作業机の上には刃物もあって、汚れやすい絵の具も気をつけないと大騒ぎになりかねません。
「レメ、おとなしくして」
私は弟を急いで抱き上げると、片付けが終わった祖母の元へと預けました。
静かに風の音が響いています。格子の隙間から見える夜空に、丁度2つの月がかかっていました。
その日の夜も更け、家族が床に着こうとしていた頃、家の戸を叩く音と、男の人の声が聞こえました。
「クリスピンさん、クリスピンさん、夜分わるいのだが急ぎの用事だ」
この声は、隣のルイスおじさんの声だ。
隣といっても、ローバーを走らせても結構時間がかかるほど離れているけど。
父が戸を開けて、おじさんと話をしています。何か神妙な声で。何かが起きたのだけはわかります。
「それじゃあ、充分気を付けるように。今晩はもう遅いから、明日朝いちでサンテシマさんに宜しく」
「フランツの爺さんはどうします」
「ああ、あの変わり者ね。一応知らせておくか。頼んでもいいかい」
「あまり気乗りはしませんが」
「誰も苦手だって、頼んだよ」
父は軽く会釈をすると、浮かない顔で戻ってきました。
「どうしたの」
「いや、なにね。開拓局からの通達なんだが、どうもこのあたりも物騒な奴が現れたらしいんだ。野良ゾイドがでたそうだ」
私も聞いています。コロニー巡回版に、ニザム高地を越えた村で野良ゾイドが現れて、何人か怪我人を出したとの報せが載っていました。
「なんでもブロント平地の南でも襲われた人間がいて、それがだんだん北に向かっているようだから、私たちセルン村でも農作業を含めてなるべく1人で外に出ないように、という連絡だ」
「大きいのですか」
祖母が不安そうな顔で父を見た。
「ゾイドの種類はまだわからない。
でも心配ないさ。大きさだって、大したことはないらしい。駐屯軍が出動しただけで逃げ去ったというくらいだし。ルイスの伝言だって万一に備えてのことだろう。時々あることさ。もし家に近づいて来れば、ローバーたちも騒ぐだろう。
ところでエミリー。明日町に行くついでに用事を頼む」
父はメモ書きを私の机に置きました。
「明日は早い。今日はもう休んだ方がいいだろう」
「うん、そうする」
私は枕元の豆電球を燈すと、もうぐっすりと寝ている弟の脇に枕を並べました。
さっきより、風が強くなった気がします。
野良ゾイド。父が言うように、時折人里に現れては、作物や家畜ゾイドを荒らしていくことがあります。野生ゾイドに比べて、人間が与えた武装が残っているので被害が大きく、場合によっては捕獲のために駐屯軍が出動することもあるそうです。
でも、駐屯軍といえば旧式ゾイドしかないはず。それに追い払われるようでは、心配ないのでしょう。それよりも、明日は早く起きなければなりません。私は豆電球の灯りを消し、深く息をつきました。
いつしか夜も更けて、知らない間に眠りについていました。