無に帰すとも親愛なる君へ   作:12

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第三章 蜘蛛の巣-1

シャルル皇帝陛下は、現実を受け入れられないのだ。

遠まわしではあるが、このような噂が帝国内を駆け巡っていることは事実である。

現皇帝は一代でブリタニアを巨大帝国に押し上げ、その版図を瞬く間に広げてしまった辣腕の持ち主だ。その彼が現実を見ていないなどと、はて、妄言にしか聞こえぬ。

けれども詳しく聞いてみれば、確かに頷かざるを得ない内容なのだ。

皇帝陛下が未だにルルーシュ殿下にひどい冷遇をなさるのは、彼の面立ちを見るたびに、亡くなったマリアンヌ皇妃を思い出して辛いからではないか、と。

私室に彼女との思い出の品を置き、未だに毎月墓参りをなさっているらしい。

そんな彼女に似たルルーシュ皇子を、受け入れられない。

幸せだったころを思い出すから。

残酷な時の流れを感じるから。なぜ彼女がいないのだと、悲しみに暮れてしまうから。

だから遠ざけられるのだ、と。

確かに皇子は7年前皇帝に謁見した際、「マリアンヌを守るどころか守られて、なんたる軟弱っぷりか」と怒鳴られている。

十歳の幼子に、降ってくる銃撃から母を守れとというのは無理があり過ぎる話だ。しかし、それを他でもない皇帝陛下が仰るのだから仕方がない。

マリアンヌ皇妃が死んだのは弱いからだと言い切って見せたのも、現実を受け入れられないが故の暴言。騎士であったころから重宝し、即位後に起きた『血の紋章事件』では華々しく皇帝を護った、あの女傑が死ぬはずはないと。

宮にテロリストを引き入れ、さらには皇族に害を成した犯人として捕まったのは一人の皇妃。それを知ってすぐの皇籍剥奪も、尋常ではない怒りを表しているように見える。

もちろん皇帝の私室などおいそれと入れるものであるはずがなく、思い出の品がどうだなんて確かめられるはずもない。墓だって皇族陵にあるわけなので、先祖の墓参りだと片付ける者も多い。決まって命日に訪ねているわけではない。犯人にしても、皇妃を殺害したからの処遇ではなく、ブリタニアという国に弓引く行為であるのは明らかなのだ。

それでも、たわごとと切り捨てるには早計だと思わせる話だった。

事実マリアンヌが死んで以降、あれだけ激しかった女性関係もすっかりなりを顰めている。こちらは当のルルーシュとしては、いい加減枯れたんだろうとしか思えないが。

表に出てくることも徐々になくなり、今では宰相シュナイゼルと二人で皇帝をやっているようにすら見えるほど。

他にも噂を裏付けるようなエピソードはいくつかあり、密かに、まことしやかに噂されるこの話を、聞けば聞くほどバカバカしいと一蹴することはできなかった。

――だから父を許せるかと言われれば、否。

死んだ人間に囚われて生きた人間を蔑ろにしては、意味がないではないか。マリアンヌが母としてルルーシュとナナリーを慈しんでいたことは言うまでもない話なのだ、彼女が今のような状況を望むわけがない。まったくふざけた話である。

けれど、考えたとて詮無いことだ。皇帝がルルーシュたちにここまで冷たく当たるのは、もはや自分たち自身には、愛情がないとしか思えない。今更あの時のように噛み付く気も、縋る気もない。

 

ただ。

 

本当に――今でも。

今でも父が母だけを愛しているのであれば、それが本当の話ならば――。

 

思うところがないわけでは、ない。

 

 

 

中華連邦との会談は、つつがなく終了した。ルルーシュが麗華と話すことが出来たのは、たったの7分41秒だった。

蒋麗華。

中華連邦の最高位「天子」である、12歳の少女。7年前、突然始まり突然に終わった中華連邦の留学の際、少しだけ親交のあった人間だ。

誘拐もどきの事件があってから、朱禁城に軟禁状態になったルルーシュと、同じく城の外に出られない天子。彼女はルルーシュから外の話を聞きたがり、ルルーシュは少女を会えない妹に重ね合わせ、箱庭の時を過ごした。天子はルルーシュをよく慕い、ルルーシュも可愛がった。天子である彼女の名前を呼ぶことができるのは、中華連邦のトップである彼女自身がそれを許したからだ。

いやむしろ、そう呼んでくれ、呼べと。そこまで強く言わなければ、大宦官に阻止されていたに違いない。ブリタニアの皇子と仲良くすること、外から余計な情報を天子に与えること、その両方を疎んでいた彼らに監視されながらの、幼い関係だった。

ルルーシュのことを「友達」と言うのは世界でたったひとり、彼女だけである。

数年ぶりに姿を見た麗華は、あの頃と変わらぬまま。身体は幼い少女期を抜け出ようとしているのに、その思考はまるで子供だった。安全な朱禁城の中で、見事に時を止められてしまっているらしい。ルルーシュにはそれが哀しく憐れで、しかし愛おしくも映った。

ルルーシュもナナリーも失ってしまった素直さ、穢れなさ、そして無知。そのすべてを、麗華は知らずに育んでいた。

 

それにしても。

「シュナイゼル殿下はルルーシュ様と天子様とのご婚約、本気で進められるおつもりのようですね」

「まだ俺に何も言ってこないところが幸いか?知らぬふりができる」

ジェレミアはルルーシュの政務に付き合い、朝から書類仕事を手伝ってくれていた。ルルーシュが総督である以上、主な役職がゼロ部隊隊員だけというわけにもいかない。ゼロ部隊のメンバーにはそれぞれ役職名が付いて、ジェレミアは現在は総督特別補佐だ。反対に、ヴィレッタにはがっつり軍の方に行かせている。彼女なら、ルルーシュたちとエリア11軍とをうまく繋ぐ役目を果たしてくれるだろう。

咲世子は護衛だが、スケジュール管理なんかの身の回りの世話は大概任せているのでこちらもジェレミアと同じ役に就かせている。

総督主席補佐にはクロヴィスの時からいる、裏で面倒なことになっていなさそうな男を採用。家柄、能力、地位……そのすべてを見て文句が出なさそうな、しかしちゃんと使える人間を選ぶのは一苦労だった。

「相手が中華の主となると、継承権の低い俺があちらに取り込まれるのは明らかだからな。出来れば避けたい――いや、そうなればそれはそれで他に手がないわけでもないか……ジェレミア、中華料理は嫌いだったか?」

「あまり嗜んだことがないのでなんとも……」

「まあ、そうだな」

ルルーシュは苦笑いをした。

個人的には、政治的に利用できるなら結婚も吝かではない。

麗華は、それこそ顔も知らない人間と結婚させられるよりは、ルルーシュの方が嬉しいのだろうが――いや、あの星刻とかいう男と結ばれるのが一等嬉しいだろうか。ルルーシュは会ったこともない男。彼女は嬉しそうに、大切な約束を交わした人だと言っていた。

もちろん彼女が望んだとて夢物語。

彼女の思うままの相手と結ばれるなど、土台無理な話だ。地位には雲泥の差がある。何か利益が生じるわけでもない。

中華自体も、ここ数年はブリタニアと仲良くする方向に向かっているらしいが、どうなることやら知れない。ルルーシュが放り出された当時は一触即発で、いつ戦争が始まるとも知れなかったのだ。今でも腹の内では何を考えているやら知れぬ。例えば先週ニイガタゲットーで起きた不審な動き、あれはバックに中華がいるに違いない。

油断などできるはずもなかった。

「各エリアの予算はどうにかなりそうか?」

「フクオカとオオサカ、アイチブロックは厳しそうです。並べてみると、今までどれだけ好き放題していたのかよくわかりますよ」

「あとはNACか」

「うまくやっていますが、この予算であの展開の仕方はやや無理があるかと」

「ふ、ただの寄付で済むといいがな」

「癒着ですか」

「おそらくは、こちらがあちらに取り込まれて、な。早々にボスの首を挿げ替えたほうが良さそうだ。まったく、兄上はこれも放置していたのか?何故だ……」

理解に苦しむと頭を抱えるルルーシュに、ジェレミアはどうしたらよいやらと困った顔。クロヴィスを批判するなど、この皇族崇拝馬鹿には考えられないことなのである。

「ゲットーの自治権が強いのは確かですから、文化財の保護に重きを置かれたクロヴィス殿下ならば、良好な関係を築けなくなるのを懸念してかと……表面上はうまくいっていたわけですし」

「こちらの立場が上なのに、そんなこと気にしてどうする?」

「……はい」

「おい、お前を責めてるわけじゃない。そんな顔をするな」

クロヴィスが本国に戻り、ルルーシュが総督となり一か月。まずは自分の足場を整えなくてはと始めた内部改革も、そろそろいったんは一息つけそうだった。ようやくテロ組織の殲滅に手が付けられる。脅しのようにぶちぶち地方の組織を潰しても、大元を叩かなければ意味がない。今のところどのグループも不思議と、軍事資金にはそれほど困っていないようで。まったくおかしなことである。これは宣戦布告ととるべきか?

「10日――いや、7日にすべきか。ジェレミア、どう思う?」

「どちらでもよろしいかと思われますが……」

次の作戦決行日を、ルルーシュは決めかねていた。

「ナナリーの体調を思うとな、10日なんだが――その次の日にホッカイドウに行くことになっているだろう。どちらが負担だろうか。ホッカイドウに日程を合わせてるせいで、こっちには俺はついていけないし……」

体調というのは、月経周期のこと。

そこをわざわざはっきり言う必要もないだろう。ジェレミアはきちんと察することのできる男だ。初潮が来たのが去年の暮れで、ルルーシュは考えなければならないことがひとつ増えた。

そもそもいち兵士の体調を気にして日程を変えるというのがおかしな話だ。わかってはいる。それでもまだエリア11の軍がルルーシュ軍として固まりきっていない今、トップのナナリーが万全に仕事ができる状態なのは必須項目となる。そんなことを言っていられない時はルルーシュも心を鬼にして出撃命令を出してきたが、余裕があるときは合わせてやりたい。

ジェレミアは唸る。

「ナナリー様は、何と?」

「お兄様の決めた日が最高のコンディションの日です、だと」

ルルーシュはカタカタとキーボードを打ちながら、苦々しくため息を吐いた。本心から言っているのがわかるから突っ込めないのだが、如何せん、どうにも。

「午後までには決めて頂きますからね」

ジェレミアは力のこもった口調で言った。

「わかっている」

「それから、昼食を摂らないでお仕事をなさるのはよくありません。最近食が細いとシェフから聞いておりますよ。一体どうなさっ……はっ、もしや、何かお悩みなのでは……」

「……エリア11の気候の変化が少し応えただけだ。問題ない」

「確かにここ数日、不安定な日が続いておりますからね。しかしそれでは逆効果。ルルーシュ様の御身はまだまだ成長途中でございますから、」

「大丈夫だジェレミア。悪かった。ちゃんと食べるから」

「本当ですね?このジェレミア、そのお言葉に何度も騙され」

「今度ばかりは嘘ではないから安心しろ」

「夜は閣僚方と会食ですが、だからといってほとんど召し上がらないでよいわけではございませんからね。毒見の方は万全を期しますので、安心してお食事をなさってください」

「ああ。ちゃんと食べるから……」

「あと、次の連絡会議まであと10分ですので、そろそろ準備を」

「わかっている……!」

今日は咲世子がいない。ルル―シュが隠密行動に当たらせているからだが、そういう場合、ルルーシュの側仕えは彼になる。責任ある立場だと誉に思うのはいいのだが、その結果、やや暑苦しくなるのが難点だった。

 

 

 

 

戦場の匂いを知っている。

焼け焦げた肉。役目を果たした火薬たち。瓦礫の街や、原型を留めない森の埃っぽさ。鉄くずになった兵器たちの哀れで醜い姿。そこから漏れ出る燃料の激臭。

そして隠しようもない、死の匂い。

命が失われた痕跡。

いつだってナナリーは、殺し、破壊し、搾取する立場だった。

まるで悪夢だと思う。

いつまでこんなことを続けるのだろう。

いつになったら、人を殺すために兵器を握る手を止められるのだろう。

銃弾を放ち、鉄の塊を抉ることをやめられるのだろう。

いつになったら――――。

 

違う。

 

そうではない。間違っている。

いつだってやめられるのだ。

自分が一言、もういやだ、もうやめにしようと言えば、それだけですべてが終わるのだ。

悪夢などと言う資格はない。

少女の皮を被った殺人鬼は、隠しきれない血の香りを纏っている。

自分こそが絶望を振り撒いている。際限ない悲しみと憎しみを生んでいる。

ただ一つを失いたくなくて、万の命を奪っている。

 

間違っている。わたしは間違っている。卑劣で、卑怯で、あさましい。なんてひどい。

 

わかっている。

 

でも、間違っているのはわたしではない。

 

 

…………世界の方なのだ。

 

 

ナナリーの一日は、アーニャの飼い猫に舐められることからスタートする。ナナリーと騎士であるアーニャの部屋は目と鼻の先にあり、お互いは好きに出入りできるせいで、アーニャが猫を抱き抱えて訪問、なんてことはざらだ。同じ離宮で寝起きをしてもう何年にもなり、もはやどっちの猫なのかわからないほど。結局侍従は「お猫様」と呼んでいたほどだ。エリア11に来てもそれは変わらず、何匹もいる猫はどちらの部屋にも住み着いている。

今日はざらついた舌に額を舐められ、肩のあたりをぎゅむっ……と踏まれたことで目が覚めた。

夜中の戦闘で疲れて昼まで寝ていたが、そこまでだ。副総督としてやらねばならないことは山のようにある。書類仕事はもちろんのこと、ルルーシュがナナリーに重点的に任せている式典への出席や視察、慰安訪問については、特に気合を入れて臨まなければならない。

経歴からしてナナリーが慈愛に満ちた優しい皇女だと見てもらえるはずもなく、まだまだ課題は多そうだ。少女然とした見た目だけでそう思ってくれるような人は、もともと簡単に騙されてくれるから置いておくとして。

ナナリーをふみふみした猫を、ベッド脇に立ったアーニャが抱き上げる気配がした。

もう起きないと。

今日は公務が始まる前に、どうしても顔を出しておきたい場所があった。

「ナナリー様」

「起きてますよ、アーニャ……」

「目、瞑ってる」

「……今何時ですか?」

「11時10分前」

…………起きないと。

ナナリーはまだ寝たいと叫ぶ体を黙らせて、えいやと起き上がった。頭がぐわんと揺れる感覚がして、気分が悪い。

「おはよう、アーニャ」

「おはよう」

アーニャは既にいつもの格好で、隙は一分も見当たらない。騎士であるアーニャはナナリーよりも早く起きるのが当たり前で、今日もそうだった。同い年で就寝時間も同じはずなのに、これではいけない。いけない、と思うのだが、昨日は流石に疲れたのだ。神経が昂ってしまって、寝付くのにも時間がかかったし。

「一緒に寝ようかって言ったのに」

ナナリーの心中を見透かしたように、アーニャが言う。

「……あんなに寝付けないとは思わなかったんですもの」

ナナリーはやっとベッドを出て、出かける準備を始めた。アーニャは猫の相手をしていて、手伝う素振りはない。ナナリーは顔を洗い、服を着替え、髪をとかし、ぱたぱたと慌ただしい身支度を終えていく。これが二人の主従関係の形であり、騎士と主というよりは、ほとんど親友みたいなものだ。そうであればいいと、ナナリーは思っている。

窓の外を見れば快晴だ。

夢の中の燃えるような暗い夕焼けとは、まったく似ても似つかなかった。

 




三章スタートです。不穏な章タイトルです。
ゼロレク(放送日)9周年。
ゼロレクった本人が出てこない内容で惜しい感。

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