結局あの日、神楽耶とスザクはあれ以上声をかけられることなく夜会を終えた。そんなものだろう。むしろ名誉のもうひとつは声さえかけられなかったことを思うと、破格の待遇だった。
ルルーシュはなにがしたかったのだろう。スザクと神楽耶が疑問に思うより先に、しかし、再びあちらから連絡がきた。
先日はとても楽しかった。あんなに実のある会話ができたのは久しぶりだ。今度は個人的に会わないか?――要約すると、こういうことだった。
いよいよ何か仕掛けられる。もちろん今度も拒否権はない。
そして二人は、エリア11始まって以来初めて、総督の客人として政庁に呼ばれた日本人ととなった。
○
雨が降っていた。
台風が来ると言っていたっけ。
今度のそれは自分の名と同じらしく――ブリタニアでは台風に女性の名前を付ける習慣があるのだ――同僚のジノには面白がられた。
そう珍しい名前でもない。むしろここブリタニアでは、古臭い名前に当たる。
少女――アリスは電気をつけることすらせず、寝台に寝転がっていた。ラウンズであるというだけで与えられた屋敷は広過ぎて居心地が悪い。新築の香りが消え切らない部屋は、ここが自分の居場所ではないことを示しているかのようだった。
だからといって、ほかに行くあてがあるわけでもない。
地下都市で過ごした幼年時代。ずいぶんと遠いところまで来たようで、何も変わってはいない。アリスはあのころのまま、そう、石壁の家に住んでいたころのままだ。
もう何年もあの場所とも、あの場所の人間とも関わりを持っていないのに、未だ自分の心はあの世界にあるらしい。
あんなものでも故郷なのか。
こういうのを郷愁とか、センチメンタルとかって言うの?
個人的な関わりのあった人間たちの顔を思い浮かべた。サンチア、ルクレティア、ダルク、それから――。友達とは言えなかったが、奇妙な仲間意識が自分たちにはあった。辛くとも寂しくとも、それをよすがに耐えることができた。
同じモルモット。わずかな硬貨と同等の命。そして異能の力。
「うじうじするのは嫌いなのにな」
長く息を吐く。
今は仲間はいない。アリスはこのブリタニアにひとりでやってきて、数年経ったいまなおひとりだ。
おもむろに起き上がって、大きな格子窓にもたれる。
カーテンの引かれていない冷たいガラス。
濡れた外の世界がよく見えて、同時に、自分の姿も夜の世界に映し出されていた。
意識を集中させれば、右目は禍々しい赤に憑りつかれている。うすぼんやりと発光しているせいで、ぴかぴかに磨かれたガラスは赤をよく映した。
アリスにあるのはこの篠突く雨と、静まり返ったよそよそしい部屋のみ。初めてできたお友達は遠い国へと行ってしまっているし、つまりここ数か月、ちっとも元気が出ないのだ。
今までもそうだったじゃないか。アリスの役目は昔から人殺し。変わらない。
そういえば同じ年頃の彼も、暗殺任務を主としていた。無機質な瞳を閉じれば人殺しになんて見えやしない、ふわふわした小動物のような少年。
今頃どうしているだろうか?――バカバカしい考えだ。答えはわかりきっている。
きっと自分の知らないどこか遠くで、同じように誰かの命を奪っているのだ。
いまさらだった。当たり前のこと過ぎて、そこには哀しみも怒りもない。心の痛覚はマヒして久しい。
とにかく気分が晴れないのは確かで、アリスはその気持ちごと押し出すように、一気に息を吐きだした。
「浮かない顔だ」
え?……え、何?
アリスは驚き、声も出せずに固まった。
今何か聞こえたんだけど。幻聴?
アリスの頭が真偽を判定する前に、もう一度声がした。
「こっちだよ」
闇が揺れた。
闇の中から――開けっ放しにしていた、寝室と私室を繋ぐ旧式のノブ付きドアの向こうから歩いてきたのは、黒いドレスの人物。ドレスと同じような真っ黒いヴェールに覆われて顔は見えない。その裾からはプラチナブロンドが伸びていた。腰まではある、長い髪だ。
突然のことに頭がついていかない。だけれどひとつだけわかったこと。
侵入者だ。
そうとなれば、やることは。
体に染みついた反射として、赤い目が先ほどまでより強く光る。異能の力が働いている間に、拘束してしまおう。銃はどこだっけ?アリスが想いを巡らせたとき。
「やはり嚮団の人間か」
「え……っ」
ギアスが効かない!?
アリスは驚いて目を見開き、立ち上がろうと浮かせた体を硬直させた。
「そう怯えないで。聞きたいことがあるだけなんだ」
「……な、なに……」
アリスは上ずった声で答えた。ギアスが効かないというのなら、できることはあまりにも少ない。だいたいどうしてギアスが効かない?アリスのギアスは遮蔽物でダメになるものではないのに。目を閉じていても同じこと、そのはずだ。
「マリアンヌ・ヴィ・ブリタニアという女性を探している。私は、彼女の手伝いをしたい」
「ま、マリアンヌ……?あんた、何言ってるのよ。マリアンヌ皇妃は7年前、亡くなってるでしょう?」
黒いドレスの――男なのか女なのかわからない人物は、落ち着いた声色で言った。変声機を通しているせいで、性別はわからない。スレンダーな体はどちらとも取れる。
「その情報が嘘かもしれないから聞いている」
「知らないわよそんなの……ていうかなんであたしに聞くわけ?」
「本当に知らないか。私は嚮主V.V.に追われる身。だからこそ彼女に協力したい。彼女の存在を知っているのなら、どうか教えてくれ」
「知らないってば」
先ほどよりも語気を強めて、もう一度同じ答え。
「そうか……」
相手は感情を感じさせない声で言うと、
「邪魔をして悪かった。もう帰るよ」
そのまま闇に帰ってゆくそぶりを見せた。
「え、は、ちょっと待ってよ!」
アリスは思わず引き留める。
「あんたなんなの、ギアスは効かないし、嚮団のこと知ってるし……だいたいどこから……」
謎の黒衣の人物は立ち止まった。繊細なレースがあしらわれた黒いドレスが、床を引きずる音を止める。
「ギアスが効かない人間。そんなもの、わかりきっているだろう?嚮団の主と同じ存在さ」
「コード、ユーザー……」
「そうだ。コードの名前は知っているんだな。あれはいったいどこまで君たちに話しているのか……」
「なんのこと?」
「こちらの話だ。しかしもうひとつの質問には答えられないな」
「……あなたもギアスを?」
「昔は。君のギアスは他人の時間を操る類のものと推測しているが、どうかな?見たところ手に入れてから5年ほど。それだけ使って暴走しないのは才能の問題だろうが――間違っているか?」
「……合ってるけど」
アリスはぞっとしながら答えた。
そう。アリスのギアスはザ・スピード。他人の体感時間速度を弄ることで、こちらが超加速したように見せかけることができる。時を止めているのではなく、あくまで体感速度を支配しているから、1秒を1週間にだってしてしまえる。相手がどんなギアスを持っていようと、先に発動してしまえばアリスの勝ちだ。能力をオンにする――たったそれだけのことでも、永久にも等しい時の中では万年かかるだろう。
だけど、どうしてこの侵入者が知っているのだ。嚮団の人間?V.V.を裏切った誰か?
どうして、と零れたのは無意識だ。黒衣はふっと笑い、
「きみがギアスを持っていると仮定さえすれば、推測するのはそう難しいことではなかったよ。戦闘でしか使っていないのかと思いきや、普段もよく使っている。ナナリー皇女を虐めていた貴族の娘の下着を抜き取ってやった逸話もあるとか。ナイトオブワンの養女が、ずいぶんお転婆だ」
「な、どうしてそれを……っ」
「目撃者はそれなりにいただろう?あの日は身分の高い娘たちの集まりだった。招待客本人か、その護衛か――その中に私がいても、ちっともおかしくはない」
それもそうだ。今思えば、皇族の離宮でやるのはまずかった。確か――ピスケスの離宮。あのころアリスはヴァルトシュタイン卿の養女というだけでラウンズなんかではなく、マリーベル殿下がナナリーにやさしい方だったから、大事にならずに済んだのだ。
「もう一度確認する。本当に知らないんだな?」
「知らない」
「では、きみは嚮団の人間――私の敵として見させてもらう」
「待ちなさい」
アリスは慌てて言い募った。
「私たち嚮団の人間は、コードユーザーを見つけたら捕らえるよう厳命されているわ。だから追われているっていうのね?」
金髪は一瞬黙った。違ったか?アリスが思ったとき、「そうだ」と返事が返される。
「あれは厄介だ。嚮団の組織力もね。できれば見つかりたくない」
「なら心配いらないわ。私、嚮団に忠誠心なんて持ってない。もちろんブリタニアにも」
「――ふ、天下のナイトオブラウンズが主義者か」
「私は嚮主にそうするように命令されたからこうしているだけよ。逆らう力もないし」
「では、命令されれば私を捕らえる、そういうことだな?」
確かにそれは事実だった。アリスは直接これを捕まえろと言われてしまえば、逆らうすべは持たない。返す言葉もなかった。
「……アリス。きみを責めているのではない」
妙に冷えた室内。しばしの沈黙を破って、甘やかな声が溶ける。
「きみの気持ち、確かに受け取った。いずれきみや、きみと境遇を同じくする子どもたちが自由になれるよう、私も力を尽くそう」
慰めているのか?どうして?
不気味な侵入者はなおも話し続ける。
「時が来たらまた会おう。今宵のことは誰にも言うな。禁を破れば、君の大事なあの子は無事では済まない」
「っ、ナナリーに何をする気!?あの子になにかしたら、ただじゃおかないわ!」
黒衣はそこで黙った。
ややあって、
「……きみの『大事な人』は、やはりナナリー皇女なのだな」
しまった!
なんて愚かな真似をしたのだろう。アリスは歯噛みした。もう遅い。
「きみを敵にするつもりはない。いつか手を組めればいい。そうしたい。だから我々の関係に支障を来すようなことがないよう、保証が欲しいだけだ。もしも約束を破れば、どうなるかは知れたことと思う。心を読むギアスに秘密を暴かれたとでも言うなら考えるが、それ以外ならば看過できかねる。君がどう秘密を漏らしたか、私にはわかる。隠せるなどと思わないことだ」
「……わかったわ。だから約束して。ナナリーには何もしないって」
「ああ」
黒衣は踵を返す。金の髪を不思議になびかせて部屋の隅の闇へと再び身を隠し、部屋から出て行く。追いかけることはアリスにはできなかった。そのベールを無理やり剥いでしまうには、リスクが大きすぎるのだ。
アリスはおそるおそる寝台を下り、確認する。もう部屋には誰もいなかった。一体どこから入って来たのだろう。この部屋は鍵をかけていないし、ギアスで対応できるアリスにとって賊は雑魚だ。警備も薄い。――でも、軽々しく侵入できるはずもない。
「あいつ……」
コードユーザー。V.V.以外に初めて目にした。
つくづく奇妙な力だと思う。知っていることはギアスを与えられることと、不老不死であることくらいだ。謎に満ちている。
ナナリーの名前をどうして出してしまったのか。やってはいけない行為だった。迂闊だった。
悔いたところでもう遅い。できることは口を噤むことだけ。
V.V.が血眼になって探しているのがさっきの奴である可能性は高い。ばれたらただでは済まないだろう。だからそうと疑われたくなくば、せいぜい今まで通り、いつも通りでいるだけだ。
ナイトオブイレブン、アリス・ヴァルトシュタイン。使い勝手の良い殺戮人形として。
雨は降り続いていた。激しい雨音が、この静かな部屋の窓を叩き付けていた。
○
ルルーシュがL.L.の部屋に入って初めに見たものは、黒いドレスを身に纏い、金髪のウィッグを被った自分そのものだった。
「…………な、おま、」
「な……ッ」
フリーズすること、約二秒。
双方、同じような反応をしてしまう。さすがは自分。
「こ、これはその、」
「お、お前、趣味だったのか……だからあの時のメイド服もあんなに……」
「違うっ!こんな趣味は持たない!」
「じゃあなんでそんな恰好してるんだ!」
「カムフラージュのためだ!俺だと認識されたくない相手に会ってきたんだ!」
「はあ?お前、式典の後は部屋に籠るって言ってただろう。政庁を出たデータもない。どこに行っていたって?」
今日は朝からルルーシュの代わりに会議に出席し、その後は一日自室でやることがあるとか言っていたではないか。
「そ、れは……」
L.L.がしどろもどろになった。ルルーシュは、彼がしまったという顔をしたのを見逃さなかった。
「嘘はバレるぞ」
気まずい沈黙。ののち、L.L.はしぶしぶと
「……システムを少々弄らせてもらった」
「手癖の悪いハッカーだな。いっそクラッカーと呼ぶべきか」
「何とでも言え。契約に則って、リターンはきちんと……待て、お前はなぜノックもなしに入ってきた?」
「貴様が扉のロックをかけていなかったからだろう!自動ドアなんだ、立っただけで開くのは当然だろう!」
「俺が?ロックをかけていなかった?」
「そうだと言っている!」
「な……」
L.L.はびっくりしているのがよくわかる狼狽えっぷりで、金髪の長いウィッグにドレス姿のままよろめいた。しかしそれより、ルルーシュの姿でそういうことをするのはやめてほしい。今すぐ脱いでほしい。新しい発見だったが、自分の顔に金髪は似合わないらしかった。母似の顔だ、確かにそうだろう。なんともちぐはぐな印象を受ける。
ヴェールを被っていたらしく、見慣れないそれが机の上に投げ置かれていた。ルルーシュのドン引きした視線をうっとおしそうにウィッグを剥いでいく。すぐさま見慣れた黒髪が姿を現す。ちょっとホッとする。そんな覚えはないのに突然女装した自分を見せつけられているのだ。困惑は当然だろう。
L.L.はドレスもおかまいなしに脱いでいく。コルセットやらなにやらを身に着けていないことにまたホッとした。見るだけでよくわからないダメージを受ける予感がしたのだ。
「で、何の用だ」
L.L.はぱさりとドレスを床に落とし、下着姿になる。ドレスをハンガーにかけるのはいいが、(自分とはいえ)他人の目があるところで服を着るより先にやるのは果たして褒められた行為なのか。
「誰に会いに行っていた?」
「知らないほうがいいぞ。オウジサマには危険だからな」
下着男は軽口を叩いた。ルルーシュが睨み付ければ、肩を竦める。
「話せないんだこればっかりは。疑うなら構わない、好きにしてくれ。俺の不老不死の秘密は、軽々しく詮索するべきものではないんだよ」
これは口を割らない。まさに暖簾に腕押し。ルルーシュは苛立って舌打ちする。
明日からこの部屋に監視カメラをつけるかと思案した。けれどもこれがL.L.自身に関係する、この世界に来た理由とも関係のある何かだということは、ルルーシュにもわかる。いわば最大の秘密。これでも彼なりの譲歩なのだろう。
「随分と信頼されたものだな」
「好きに取ってくれ」
L.L.は言い、黒のタンクトップにゆとりのあるパンツを身にまとう。このまま寝るつもりらしい。ぼうっと眺めていれば、寝室に引っ込んでゆくので慌てて引き留めた。
「早く要件を言わないからだ」
呆れたようにルルーシュのところまで戻ってくると、椅子に腰を下ろして早くしろとばかりに睨めつける。
彼はルルーシュと話をするとき、必ずと言っていいほど椅子に座る。ご丁寧に目線を合わせてくれるのだった。どうも無意識からの行動らしいが。
「来週の式典、お前が出てくれ」
「スピーチはお前が考えるんだろう?」
「ああ」
影武者としての仕事は、定期的に依頼している。
もちろんそのときL.L.だと認識しているのはゼロ部隊の人間だけ。L.L.が表に出ている間、ルルーシュは人目のない場で別件に追われている。
殺される心配のない時など存在しない。それでも確率が低かろう時でさえ任せると、L.L.はふっと笑って仕事頑張れよと言うのだった。何もかも見透かされている。
不愉快であった。
2週間ぶりらしいのですがなんか2か月くらい更新してなかったみたいな気分です
ようやくアリスちゃん登場。
追記 そういえばこれは先に言っておかないといけなかったんですが、「ナナナにおける」アリスとナナリーは公式カプだと解釈しているのでそういう…そういう感じで…この話のアリスちゃんがどうなるかはまだ私もよく知りません