「神楽耶殿、久しいな」
「まあ、たったの3週間ですわ」
政庁に招かれたスザクと神楽耶。これで三度目の訪問だった。秋は深くなり、すっかり山は色づいている。なのにこれといった進展はなく、総督はひたすらに二人と親交を深めようとするばかりだ。一瞬たりとも気を抜けないこのお茶会。いつまで続くのだろうと、二人とも疲れ果てていた。
まるで平和なのはこの部屋だけ。外へ出れば、順調に日本はこの男に食われている。副総督のナナリーもお優しい皇女として好かれていたし、ルルーシュの評価は言うまでもなかった。就任からまだたったの2か月だというのに、エリア11の生活は向上し始めている。
ゲットーでもこのままブリタニアに従順であることを選ぶ人間が増加傾向だ。これは頭が痛かった。
――なんのために戦うっていうんだ。また戦争が起きて、人が死ぬだけだろ。
――ブリタニアがこの国にいる限り、俺たちはナンバーズだ!理不尽に虐げられるのは変わりない!あの総督のご機嫌ひとつじゃないか!
――だからそれがおかしいって。ルルーシュ様は無闇に私たちを殺さないと思うけど。
――ルルーシュ様だって!?てめえ、それでも日本人か!
昨日も、このような会話を聞いてきたばかりだ。このままでは士気が落ちて、みんなの気持ちが揺らいでしまう。まやかしの平和を甘受してしまう。そんなのはいけない。間違っている。でもスザクだって、いたずらに戦いを起こして人を死に追いやりたいわけではないのだ。
「今日はどのようなお話を?」
神楽耶がゆったりと告げる。ルルーシュは微笑み、胸の前で手を組んだ。
「そうだな。少し、今までとは違う話がしたい」
来た!
ふたりの間に緊張が走った。
スザクはいつでも神楽耶を守れるよう、さらに気を引き締める。
「スザク、そんなに緊張するなよ」
ルルーシュは茶化すように言い、
「神楽耶殿は、今の日本をどうお思いかな」
「……にほん、ですか」
「そう。エリア11ではない。私は、日本――日本の文化が好きでね。護衛が日本人で、なじみ深かったせいもあるのかもしれない。だけど今のエリア11の体制は、とてもその文化を守ろうという姿勢はないだろう?どうにかできないものかと思ってね」
「と、仰いますと?」
「エリア制度のあり方について考えたい。ブリタニアと同じ環境を作るのでは、ただの劣化コピーしか出来ない。土地も人も、何もかも違うのだから。それは我が国の国是に反する。ブリタニアは進化を求める国だ。ならばどうすればいいか。今はもう過去の栄光と闇に葬られたことだが、日本にはもともと、世界に誇れる立派な技術力があった。文化だって他のどことも違う独自の進化を遂げた、類を見ない価値がある」
だろう?ルルーシュは言って二人をかわるがわる見、一息つこうとばかりにティーカップを傾けた。美しい蓮華模様の描かれたそれは、副総督・ナナリーのお気に入りなのだそうだ。スザクと神楽耶は、未だ彼女への目通りはかなっていない。
「この国にもともとあった文化を復活させたい。愚鈍なイレブンとは言うが、私はそうは思っていないのだよ。今のこの情勢じゃ大きな声では言えないが、ね」
「誇りに思いますわ。この国に生まれた者として」
神楽耶が穏やかに返す。本当に一見、ただのお茶会である。そこにある奇妙な緊張感さえ無視すれば。
「けれどどうにも難しい。イレブン向けに政策をとれば、貴族からも軍人からも不満が出る。お恥ずかしい話、私には地位などあってないようなものだ。ご存知かもしれないが、父上にお認めになってもらえなくてな。後ろ盾もない。庶民のたたき上げと思ってもらって、間違いではないのだ」
それはスザクも知っていた。
ルルーシュのことを調べて、真っ先に出てくるのはその話だった。
母であるマリアンヌ皇妃の殺害テロ。それにより受けた重度の障害。皇帝からの異常なまでの冷遇。意図的に端に追いやられ、皇族として行った仕事はほとんどが福祉事業。それも、とてもささやかな。そこまでしか立ち入ることを許可されなかった。おかげで彼は軍人にならざるを得ず、エリア平定にその力を存分に使うこととなり。エリア17の制圧がたったの5日で終わったのは、彼の手腕によるものだ。なのに皇帝は、その功績を認めることはなかった。
「総督でありながら、あちこちにいい顔をしていなければ立っていられない。これがコーネリア姉上などであれば、話はずっと早かっただろう。だが私は当面、ブリタニア人向けに考えたことしかできない。日本人にしてやれることは何もない」
ルルーシュは『日本人』とはっきり言った。
「エリア制度そのものに、これでも思うところがないわけではなくてね。くれぐれも外に漏らさないでくれよ?こんなことを言っているのが父上の耳に入れば、私は廃嫡だ」
長い息を吐く。そのまま憂い顔で頬杖を突く。意識してはいないだろうが、さすがの皇族だ。全てが無駄に優雅だった。
「将来的にだ。衛星エリアになれば自治権はある程度復活するからいいとして――エリア・日本と。名をつけられればいいと思う。数字だけでは個性も情緒もない。そう思わないか?」
なんて傲慢な。怒鳴りつけてやりたい気分になったが、そんなことをするわけにもいかない。
密かに奥歯を噛みしめるだけだ。
「日本の名が再び公に帰るのであれば、これほどうれしいことはありません」
「そうか。よかった。私の独りよがりの考えだったらどうしようかと思っていたんだ。安心したよ」
「いいえ、素晴らしい考えです。わたくしはあなた様を理解できていませんでした。それほど我々のことをお考えになってくださっているとは」
「……神楽耶殿は、やはり素敵なお方だ」
ルルーシュは言葉を切り、そこで突然、そう突然、押し黙る。
「ルルーシュ様?」
神楽耶が不思議そうに、心配した声を出す。ルルーシュは我に返り、ばつがわるそうに視線をそらした。
「ああ、いや――」
わざとらしいような、それが素であるかのような、どちらにも見える振る舞い。
スザクは彼の、こういう底知れないところが大の苦手だ。気持ち悪いのだ。
嘘で包まれた、何か別の生き物に見えて仕方がない。
「俺は――違う、私は。まったく、このようなことを言うのは初めてで、なかなかうまく出来ない。恥ずかしいな」
神楽耶はきょとんとしてみせた。だがその実、ふたりとも冷や汗をかいている。今度は何を言い出すつもりだろう、この男。
「気を長くしないとできないことだ。日本人もブリタニア人も、お互いの印象をよくしていく必要がある。そう簡単な話ではない。だからこそ」
ルルーシュは言った。
「神楽耶殿。私、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアと、婚約を結んではくれまいか?」
はっきり言って政略結婚だ。だけど私は、君のことが気に入った。聡明で美しい魅力的な女性だ。どうだろう。急がなくていい――いや、返事は早めに欲しいかな。私個人としては、いつまでも待ちたいくらいだが。私の立場からのこのような願いは、きみにとっては命令に聞こえるかもしれない。だけど貴女という人間を気に入ったからこそ、意思を尊重したいと思う。ああ、混乱させてすまない。たとえ断ったとしても、ひどいことには絶対にならないから。約束しよう。
そうして皇子は最後に神楽耶のそばまで来て、手を取り、その甲に口づけた。
――色よい返事を期待しているよ、神楽耶殿。
にっこりと、見たことのない穏やかな笑みで。
「婚約ですって!」
悲鳴のような驚愕の声が響いた。
久しぶりに兄妹そろっての食事だった。直々に任せた咲世子以外の給仕は席を外し、各々の時を過ごしている。本来なら咲世子にメイドまがいのことをさせるべきではないのだが、ほんのわずかでも外部に漏れる危険のある会話をするときには、ルルーシュは世話を拒む。そして自分でやろうとするのを、いつも咲世子が止めるのだった。
ナナリーは両手からカトラリーを落とし、がたりと立ち上がった。おののいたように数歩下がり、わなわなと震えだす。皿の料理に撃墜したナイフとフォークが、それぞれシェフ自慢の特製ソースを派手に散らせた。
「行儀が悪いぞ、我が妹よ」
「あ、あ、あなたって人は……」
「咲世子。すまない取り替えてくれないか?悪いな。ほらナナリー、咲世子も忙しいんだぞ。余計な仕事を増やすな」
「聞いてませんそんなの!スメラギカグヤ!?日本の姫じゃないですか!ええ、知っていますわよ。つい昨日、名誉ブリタニア人の経営する企業への税負担に関しての書類、そうですお兄様が回してくださったお仕事、彼女の名前の入った意見書に判を押したところです!なかなかの策士ですわ。お兄様もお褒めになっていたとか!それがいつの間に求婚するような仲になっていたのです!?お兄様は枢木スザクを我が陣営の人質とし、皇の力を封じると仰っていたではありませんか!」
ぜーはー。叫んだ肩で息をする。
その横でまったく動じていない咲世子が新しいナイフとフォークを用意し、ソースの飛び散ったテーブルクロスをさっと拭く。いつ見ても無駄のない洗練された動きだ。
「ナナリー。座れ」
聞こえていないのか、妹は茫然としていた。なにごとかをぶつぶつ呟いている。頭を抱えだしたので、ルルーシュは諦めて、ナナリー副総督、と低く言い直した。
「座れ」
「……はい、総督」
すごすごと席に戻ったナナリーに、ルルーシュは甘く微笑みかける。確かに話していなかったことを勝手に実行したルルーシュが悪く、彼女の動揺ももっともだ。でもそんな、そこまでの反応を示されるとは思っていなかったのだ。
まるで手負いの獣をなだめすかすかのような状況。
「誕生日おめでとうを先に言ったほうがよかったかな」
「……いえ、後でよかったです。ありがとうございます」
「数日遅れになってしまった。顔を合わせたのも4日ぶりだ。すまないな」
「そんなことはございません。うれしいですお兄様……いいえ総督。どういう、ことか、説明、して、頂けるのですよね?」
ナナリーからは負のオーラが溢れ出していた。静かに激昂しているのがわかる。もう一度言おう。ここまでとは思わなかったのだ。ルルーシュは苦笑する。するとすぐさま「何を笑っているのです」と鋭い睨みが飛んできたので真顔に戻った。
ナナリーは怒りのまま食事を再開する。これ以上冷めてはコックに失礼だと、憤りながらもぎゅもぎゅと、しかし優雅に皿をきれいにしてゆく。
「……たいしたことじゃない。彼女は確かに可憐で賢い女だけど、俺が私情で本気で惹かれたと思うか?」
「お兄様の好みはユフィ姉さまですものね。ぜんぜん違うタイプですわね」
「……そんなに怒るな、そもそもいつの話をしているんだ。俺にはおまえだけだよ。麗華と婚約させられるかもって言ったときは、そんなに怒らなかっただろう」
「“かも”でしょう。天子とは実行されていないからいいのです。お兄様が決めたことじゃありませんし。でも皇神楽耶には、嘘でもご自分から求婚されたってことでしょう?なんて言ったのです?」
「婚約を結んではくれまいか」
「まあ安直。捻りの欠片もない」
「捻らないほうがいい場合もあるだろ」
「んもう、そういうことを言ってるんじゃありません!」
何を間違えたのかわからない。最近ナナリーが何を考えているのか、本気でわからないことが増えてきた。由々しき事態だ。この場合、誰に相談すべきだろうか。ジェレミア……はダメだ。求めている答えではないものが返ってくる。ルルーシュへの賛辞のシャワーとか。咲世子は天然だから不安が残る。やはりアーニャか?いやナナリーに話が行くに違いない。
秘密にしてくれと頼むのも、こんなことに権力を使うのは癪だ。ならばヴィレッタ?ナナリーとは真逆のタイプに思えるが、それでも同じ女性であることに変わりはない。よしヴィレッタか。あ、いや待て、ナナリーの侍従に同じ年頃の女がいたな。キューエルの妹とかいう……訓練兵だったはずだ……ってそうじゃなくて。ルルーシュは脱線し始めた思考を慌てえ戻した。この状況で違うことなんか考えても見ろ。ナナリーがどうなることやら知れない。
「神楽耶には広告塔になってもらう。婚約破棄でもなんでもやりようがあるし、まんいち結婚することになったとしても妾止まりだよ。彼女を正妻にするメリットはない」
「……お受けになるのかしら」
「ああ、どう出るかな。断られたらそれを貸しとして枢木を頂く。受け入れるというなら、結納品代わりに枢木を頂く。向こうもまさか『ひどいことにはならない』なんて信じるほどバカじゃないだろうし」
「どっちにしろ連れてくる気なのですね」
「当たり前だろう?日本のテロリストの旗頭はあいつだ。戦力もそうとうなものと聞く。咲世子に持ってきてもらった資料にあった、盗品のグラスゴーでの演習結果も素晴らしい。さらに10歳まで日本のデータでは、剣道、柔道、ジュニアの部全国優勝。試合映像を見てみるか?10歳のお前と、動きがぜんぜん違うぞ。天才というやつだろうな。これが本気で戦争仕掛けるつもりで鍛えてきたなら、実に面白いことになっているだろうさ」
情報源はL.L.だ。どこから拾ってきたのか知らないが、暇なうえ日本語に堪能な奴だからこそできたことだろう。あの頃のナナリーも、同い年どころか二つ三つ上なら体術でも負けなしだった(今は咲世子に篠崎流を仕込まれたこともあり、大人の男にだって負けはしない)。十歳の枢木スザクは当時のそのナナリーと喧嘩して、余裕で勝ってしまえそうだった。期待できる。ランスロットに乗せるには魅力的なパーツだ。
ナナリーはむすりと不貞腐れた。スザクを褒めるような言い方がお気に召さなかったのだろう。
「とにかく皇は利用するだけの存在だ。必要なくなれば捨てるさ。もちろん娶ったとして、妻としての行為を要求する気もない。お前が心配するようなことはないよ。さ、機嫌は直してくれたか?」
「ええ、子供っぽい真似をしました。わたくしももう14歳ですから、分別はつきます」
ナナリーはにっこりと笑った。だが言葉とはうらはらに、不穏なオーラは、ぞわぞわと放出されたままだった。
おいしくいただきましたと言って、今度こそ静かにカトラリーを手放しナプキンで口を拭う。
「わたくし、部屋に戻りますわね」
「デザートは」
「減量中です、私のは初めからありません。おひとりでどうぞ」
「な、ナナリー」
「なんでしょう」
「い、一緒に寝ないか?少し遅くはなるが――そう、この前ふいにしてしまっていただろう?ちゃんと」
「今日はアーニャと一緒に寝るの。私が先にベッドに入っていては、お忙しいお兄様の仕事の邪魔になりますわ」
「そんなことは」
「おやすみ、おにいさま」
お、や、す、み、とでも表せそうな、一音一音区切った挨拶。
ナナリーはつんと言い捨てると、すたすたと出て行ってしまったのであった。
「…………何を間違えたんだ」
14歳、思春期盛り。ナナリーの繊細で拗らせた乙女心と独占欲を理解するのは、ルルーシュには少しばかり難しいことであった。