「枢木准尉は、紅蓮が初めてのKMF騎乗で?」
「はい。実戦では」
「そうですか。初めてであの動き――素晴らしいセンスですわ。お兄様の意見も頷けます」
「殿下が?」
「あなたにランスロットを任せるというのは、お兄様の案ですもの」
「そう、ですか」
「うふふ。お兄様のこと、お嫌い?」
「……答えづらいことを仰るのはやめてくださいませんか」
スザクは顔を歪めた。
あの兄にしてこの妹ありだ。あらごめんなさいと肩を竦める姿に、まったく謝罪の気持ちは見られない。ポニーテールにした髪がゆさゆさ揺れた。
副総督にして皇女殿下は、今日は動きやすそうなスーツのパンツルックだった。華美すぎるきらいのあるブリタニアの、しかも皇族の服装にしてはかなりシンプル。それでも一着いくらほどするかは、さすがにキョウトで育ったスザクにはすぐにわかる。
「それにしてもランスロットですか。裏切りの騎士の名を冠するあれにあなたが乗るだなんて、私のモルガンと同じくらい皮肉。まあモルガンは、私が自分で付けた名前ですけど……」
「モルガン?」
「アーサー王伝説、ご存知ありません?ランスロットなんて名前が付いてるから、つい私もそれにちなんだものにしてしまいました」
「少しかじった程度なものでして、あまり詳しくはありません」
「では教えてあげます」
ナナリーがぴたりと足を止める。自動扉が軽い音を立てて開いた。
特別嚮導派遣技術部――特派に与えられた一角の、中枢ともいえるラボだ。
すぐに目に入ったのは、真黒の見覚えのある機体。ナナリーはそれに駆け寄ると、ひどく優しい手つきで触れる。
「綺麗だと思いませんか?」
「……ええ」
この場合イエスの意味となるノーの返答。この言語を学び始めてから随分立ったが、それでも未だに間違えそうになってしまう文法だ。言葉だけは従順に、しかしスザクは真逆の気持ちを込めて答える。綺麗だと?ありえない。ナナリーは構わず続けた。
「モルガン・ル・フェ。アーサー王の楽園を守護する癒しの精にして、邪悪な魔女に仕立て上げられたかわいそうな女」
「……あなたは、自らを魔女ではないと?」
入口のすぐそばで敬礼をしている研究員が、あまりにも不敬な発言にぎょっとしたようにスザクを見た。
ナナリーはゆっくりと振り返り、唇を吊り上げて目を細めた。一連の動作は、いっそ艶めかしさすら持ってスザクの眼に映る。
「まさか」
少女は怪しく微笑んだ。
「私は自ら魔女になると決めたのです。ただ、王をお守りすることを誓った魔女に」
王――。
それがこの国の長を示しているのではないと、スザクにはよくわかる。
兄を妄信する彼女の瞳には、至高の黒しかないのだ。
ナナリーとスザクは、しばらくじっと見つめ合っていた。まるで威嚇し合う二匹の獣だった。
細かいキズをチェックする素振りで機体の裏側に回り、研究員から見えないところへ潜り込む。スザクがそれについていけば、ふと、ナナリーが小さく零した。
「あなたはあの人のためなら、なんだってできるんですよね」
「……ええ」
「世界で一番、大事な、生きる理由」
「あなたもよく知っているでしょう」
それを鍵にしてスザクをはめたのに、今更なにを言う?
「……あなたと私は、似ていますね。とても」
「え?」
ナナリーは答えなかった。
にぱっと少女らしい笑みに変わる。そのままモルガンの陰から飛び出した。
「ランスロット。まったくどうしてこんな名前を付けたんですか?ロイド・アスプルンド」
音もなく忍び寄って来ていた科学者。ナナリーは振り返らずに問いかけた。
白衣の男はスザクとナナリーの中間点で、にへらぁ、と不気味に笑った。
「どぉしてでしょうねえ。――殿下、彼が?」
「そうですわ。ギネヴィア姫と不貞を働く裏切りの騎士」
「殿下!」
さすがにスザクは顔色を変えた。何を言い出すのだ――ギネヴィアと、本当にその名を頂く皇族がいるのに!うじゃうしゃいる皇族の中でも、女性トップの皇位継承権を持つ姫。誰だって知っている。
「冗談ですよ、准尉。わたくしは神話の話をしているのですから、不埒な妄想はおやめになって。だいいち、あなたがギネヴィアお姉さまに御目通りすることはまずありませんから安心なさってください」
「そうだよぉ、えーと、」
「スザク・クルルギです、ロイド」
「そうスザクくぅん!」
ロイド――この組織のトップだと聞かされていた男――は、ひょろりと背が高く奇矯な仕草で体をくねらせた。マッドサイエンティスト、という言葉が脳裏を駆けていく。
「やぁぁっとボクのランスロットにデヴァイサーが!待ってたよぉ!」
「シュナイゼルお兄様が、イレブンが騎士になることを許可してくださったおかげですよ。もう、なかなか大変だったんですからね。ご許可を頂いてからが長かったんです。それはもうねちねちと……」
「ね、ね、今すぐシミュレータ乗せて構いませんかぁ?」
ロイドはもう聞いてもなかった。相当奇天烈な人物らしい。
「ロイドさん!」
後ろに立っていた女性が叱るように口を挟んだ。
「申し訳ありません、皇女殿下」
「構いません。准尉、こちらセシル・クルーミー女史ですわ」
副所長だ。彼女はまともそうだった。そして驚いたことに、スザクを見ても嫌な顔をしない。たいていのブリタニア人は――このマッドサイエンティストような人は例外としても――イレブンなど毛嫌いしている。民間人ならまだ希望はあるが、軍人などは特に。少なくとも今までスザクが見聞きした情報、つまり名誉兵として送り込まれた同胞たちからの情報ではそうだ。能力があるとはいえ、もっと嫌がられることを予想していた。
しかし彼女はにっこり笑って、
「よろしくね、スザクくん」
手を差し出したのだった。
「総督業はうまくやっているようだね。順調だ」
「本心では?」
コツリ。白のルークが2マス前へ。
「君がどこまでやれるのか、じっくり見させてもらおうかな」
「でしょうね」
ルルーシュは嘆息した。コトリ。黒のキングを一度下がらせる。
この発言を引き出せるようになるまでに何年かかったか。わかってるね、わかってますよの暗黙の了解では駄目だ。すべて吐かせる。どれだけ滑稽な図であったとしても美徳なんぞ、この人相手には捨て置けというもの。言葉にすることに意味がある。
「ナナリーは欠かさず私にメールを送ってくる。先週のは、彼女の騎士の猫の写真だった」
「ああ、そのメールの時は側にいたから知っています。可愛いでしょう。ブチと言うんですよ」
「ブチ。聞きなれないね」
「名誉の側近が付けたイレブンの名です。ああいう模様をブチと言うそうですよ。――で、少しは絆されましたか?」
「さあ、どうだろう。ルルーシュこそ、少しは諦める気になったかい?」
コツリ。白のビショップが黒のクイーンを奪い取る。
思わず苦い顔になったのを、意地の悪い兄は笑みで返す。
「いいえ、まったく」
コトリ。黒のキングを横へ動かす。
コツリ。白のビショップがさらに進む。
勝敗の行方は、既にどちらもわかっていた。
「………………投了です」
コトリ。黒のキングをさらに横へ動かす。ステイルメイトの完成だ。
憮然としたルルーシュに、シュナイゼルはまた笑う。不愉快だ。
「引き分けと見なせばいいものを」
「プライドの問題です」
ゲームスタートから一時間と少し。時間はあと少しだけ残っているが、先に決着はついてしまった。粘りに粘ってこのざまである。チェックメイトされないだけマシだ。
「少し見ないうちに面白い手を使うようになったね。良い対戦相手を見つけたのかな」
「ご想像にお任せしますよ」
「例えば噂の側近の彼」
「気になりますか?」
ルルーシュはちろりと視線を上げた。相変わらず何がそんなに面白いのか、微笑を浮かべたままの顔つき。
「相当厳重に守っているね。私にも明かせないのかな?彼の正体は」
「あなただからこそ、ですよ。兄上」
シュナイゼル・エル・ブリタニア。ルルーシュの数多くいる兄弟姉妹のうち最も厄介な兄であり、そして。
「彼は、あなたとの賭けのキーになる」
人生をかけての大博打の最中の、賭けの相手だった。
正面からじっと見つめ合う。無言の応酬。これが嫌いなのだ。
「そういえば」
長い沈黙を破ったのはシュナイゼルだった。チェスの為に机上に置いた時計のおかげで、3分も見つめ合っていたのだと知ってがっくりくる。無駄な時間過ぎる。3分。地球も救える時間だろう。
「ナナリーもそう言っていたよ。随分と楽しそうだったね」
「通信したんですか!?いつ!?」
顔を見て!?メールじゃなく!?
「先月、だったかな。彼女の誕生日の少し後」
「それは……」
もしや、あの夜のことだろうか。神楽耶に申し込んだと知らせた、あの。
(ナナリー!?)
アーニャと寝ると言っていたのになぜシュナイゼルと!この忙しい男にアポなしは無理に決まっているのだから、前から決めていたに違いない。ルルーシュに怒り狂った後のシュナイゼルなら、さぞかし癒されたことだろう。彼女はシュナイゼルに懐いている。
舌打ちでもしたい気分だ。打ち明けるのは次の日の朝にすればよかった。ああでもあれからまたしばらく忙しかったんだった。駄目だ。
「おや、何かまずいことでも?」
「いいえ……」
ルルーシュは呻く。
あのナナリーの怒りは予想以上だった。しかし理由は、わかる。
自分たちは共犯者。お互いがお互いを守る者で、守られる者でもある。大きな秘密を作ることも、守れない場所に行ってしまうのも、どちらもルール違反だった。今回ばかりは策略の仕様上仕方のないこととはいえ、それでもルルーシュが手の届かない場所に行くことを、彼女はひどく恐れたのだ。そんな大事なことを先に言ってくれなかったのを怒ったのだ。
何故言わなかったか?ルルーシュはあの時直前まで迷っていた。愛する妹の心を知っていればこそ、無駄になるかもしれない案で彼女を不安にさせたくなかったのだ。
ナナリーもすぐに気付いただろう。だけどそれをも含めて打ち明けて欲しかった。
だからあんなにも。
(……俺のせいだ)
あの強いナナリーをそこまで追い詰める理由。
考えるまでもなかった。あの中華への留学だ。たった一人の宮殿で、彼女がどれほど恐ろしかったか。今度こそ離すまいと、彼女は必死なのだ。
お願いだからどこにも行かないで、と。病的なまでの寂しがり屋は年々マシになっている。だけどそれは彼女が大人になったからで、傷が癒えたわけではないのだ。
ちゃんとわかっている。ただナナリーの乙女心(らしい。アーニャに翌朝「ルルーシュ様は乙女心をわかってない」と言われたから多分そうなのだ)に少々の誤算があっただけだ。
「私を篭絡しようと頑張るあの子は可愛いね。年々説得力を増しているから、危うく私も騙されそうになるよ」
「人聞きの悪い言い方するの止めてもらえませんか。そんな詐欺師みたいな。俺とナナリーはひとつの考えを示しているだけです」
「皇帝陛下の前で言えるかな」
「………………兄上、趣旨を忘れてませんか?」
「忘れていないよ。君たちの行動で、私の理想を変えて見せるんだろう?」
「あなたはその間、俺たちが何を言っても記録に残さず、誰にも漏らさない」
「もし君たちが負けた場合は、私は君たちを好きにできる。皇帝陛下に売ることさえ、ね」
そう。
ルルーシュとナナリーは、シュナイゼルに勝負を挑んでいる。
ブリタニアは、この男を倒さずして変えられる国ではない。しかし戦うには、あまりに危険な相手だった。だから二人は、この男を篭絡することにしたのだ。『賭け』と、そう称して。
言ってしまえば、クーデターのお誘いだった。
はっきりと口にしたことはない。いつも二人は端から見ればとんでもない遠まわしの言葉選びで、正直クーデターを考えているようには見えないだろう。それでもこの男は気づいている。当たり前だ。そんなこともわからないような相手なら、そもそも敵にも、力強い味方にもならない。一を聞いて、十どころか百で返す男だ。
ルルーシュは迂遠すぎる物言いで誘惑する。シュナイゼルにはわかりやすい言葉を開示させる。じりじりじりじりり。もはや根比べのようなものだ。他人の目があるところでは、この話は一切持ち出さない。ルルーシュは力なき弟として彼に媚び、彼はそれに少しだけ甘い顔をする。バカバカしいまでのわざとらしさで。
「陛下が君たちをどうするかは、さすがの私にも予想がつかない。今のところは、私の下で良いように動いてもらうだけだろうけれど」
「いいんですよ。命ごともらうってはっきり仰ってくださって。そのつもりでしょう?」
「私が勝てばね」
「ええ、俺たちが負ければ」
シュナイゼルは、皇帝シャルルを全面的には支持していない。
この七年で、そこまでは言葉にさせることに成功した。初めから二人は気づいていたし、だからこそ賭けなんぞと言い出せたのだ。
兄の本心を、ルルーシュは分からない。ルルーシュたちの考えそのもののようなことを言ってのけたかと思えば、とんでもない危険思想を持ち出すこともある。
この溝の埋め合いを、異母兄弟でやり続けている。
平和を目指していることに変わりはないのだ。
問題はその形について。「平和」の意味について。それだけだ。
たったそれだけに、幾億の命がかかっている。
第二皇子シュナイゼルと日陰者ルルーシュ。彼は今すぐにでも自分たちを処分できるに違いない。
だからこそのゲーム。シュナイゼルにその気がなければ成立しない、危険なゲームだ。何故そんなものにこの男が乗るのか。
簡単だ。
「――そして、あなたに負けは存在しない」
ルルーシュたちが勝利しても、この男が負けたことにはならないのだ。
シュナイゼルは机に手を伸ばし、いやらしくもルルーシュから取り上げた黒のクイーンを弄んだ。そして笑う。
笑うのだ。この男は。
「私の人生を変えてくれるんだろう?」
何一つ面白くもない癖に。
「やってみせますよ。あなたを楽しませてみせます」
ルルーシュたちのベットは命。シュナイゼルのベットは、心だった。
「……えーと」
夕方。宰相棟から戻って目にしたのは、アリエスの庭園で華を咲かせる妹たちの姿だった。
11月も後半だ。寒いだろうに、なぜかコートを着てまで庭に出ていた。
完全に参った様子のジュリアスが側についている。ユーフェミアから連絡があったので先に帰らせたのだ。ルルーシュ自身はシュナイゼルの側近、カノン・マルディーニに送られて帰って来た。
「……ユフィ?」
ちょっと状況がわからない。ユーフェミア、は、いい。理由はわからないが、連絡があった以上いることに驚くはずもない。
だが。
「久しぶりね、ルルーシュ。半年ぶりかしら」
目の下の隈を化粧で誤魔化す、もう一人の妹。いつも結っている髪は下ろしたままで、なかなか見慣れぬ新鮮な姿だった。
「……マリーベル」
誕生日は一月と変わらない。妹なのか姉なのか、時々測り兼ねる妹だった。
なぜ彼女がここにいるのか。
「……えっと」
「アリエスの庭を見に来たの。ユフィに頼んで連絡してもらったわ」
「……なぜ?」
「お母さまが」
ああ。それだけでルルーシュは全てを察した。
マリーベルは綺麗に整えられた庭園を見渡すように、遠い目をして白い息を吐く。
「亡くなる前に、もう一度アリエスを見たいと。この離宮が好きだったから」
「……マリー」
ルルーシュは名前を呼んで振り返らせる。平気な振りをしているが、危うい状態の彼女。かつての自分とナナリーと、重ならなかったといえば嘘になる。しかしそうではなく、もっと単純に、純粋に。
黙って腕を広げると、マリーベルはゆっくり歩いて来てしゃがみ、ルルーシュの腕の中に収まった。黙っている。泣きも喚きもしない。だけど無言で、彼女は泣いている。それがわからぬ兄のつもりではなかった。
だから。
そっと抱き返して、ぽんぽんと背中を叩く。
「ユフィ」
二人の様子を見守っている、寒がりの妹に目を向けた。
「ありがとう」
おかしいとは思っていたのだ。彼女は突拍子もないが聡明な女性で、こんな時にただ遊びに来るなんてありえないから。何かあるんだろうなとは思っていたが、こういうわけか。
ユーフェミアが悲しみごと包み込むように微笑む。彼女のそういうところが好きだ。
ルルーシュは天を仰いで息を吐く。
白い息が空気に溶けて、ゆっくりと消えて行った。
お久しぶりです 尻叩き更新
今回のプチ……が特に思いつかない……のでお休みで なんかあったような気がするけど~~なんだっけ
追記:
今!双貌のオズ!全10巻が毎日更新で無料で読めます!!ので読んでください!!ぜひ!!さすがにリンクは貼れないので