泊まっていったらどうかしら、とユフィがこの宮の主を差し置いて言い出した。しかし全く異論はなく、感謝すらする。この状態の彼女を、たった一人となってしまったピスケスの宮に戻すのは気が引けた。
一人になりたい顔をしながら、その実誰かに居て欲しいのがマリーベルだ。
突然の死ではない。ずっとわかっていた「その日」が来た彼女に必要なのは人の温もりだ。
頷きかけたルルーシュは、しかし思い出して口を開く。
「ピスケスの離宮には、ジヴォン嬢が待ってるんじゃないのか?」
ルルーシュでも知っている彼女の親友、オルドリン・ジヴォン。もしマリーベルが騎士を持つような身分になったら、間違いなく彼女がなるだろうと確信できる頼もしい女性だ。
こんなとき頼りたいのは、きっと彼女であるはずなのに。
マリーベルは首を振る。
「今日明日はフェンシングのトーナメント。棄権しようとするから命じて行かせたわ」
ユーフェミアは既にそれを知っていたらしい。だから、とルルーシュとマリーベルの手をそれぞれ取る。どのくらい外にいたのか、彼女の手はひんやりと冷たい。
「パジャマパーティしましょ!」
「おかしいだろう!」
ルルーシュはバァン、と机を叩いた。
パジャマパーティ。いいだろう。ユーフェミアとマリーベルは皇族らしいどろどろした諍いからは距離のある仲の良い姉妹。きっと慰めになるはずだ。快諾してひとまずアリエスの中に戻ってから、ホールで迎えに客間を手配させようとした時だ。ユーフェミアはコートを脱ぎながらあっけらかんと言ったのだ。
『ルルーシュの部屋でいいかしら?』
『は?』
そして現在。
女たちはきゃっきゃっとルルーシュの部屋で菓子を食らい、客専用の風呂場の準備を待っている。入れる入浴剤がどうのこうの、お前たち人の家という自覚はあるか?というほどフリーダムさを発揮していた。急なパジャマの要請にそれぞれの離宮まで飛ばされた侍従たちには、戻ってきたらそのまま終業にしてやろう。いやそれより。そうじゃなく。
「お前たち、自分をいくつだと思ってるんだ!はしたないとは思わないのか!」
頭が痛い。
「嫌ねルルーシュ、寝るときは客間に移りますよ」
「じゃあ寝るまではいるんじゃないかッ、皇女が、いやそれ以前だ!女性として異性に夜着を見せるなッ」
「ナナリーとはまだいっしょに寝てるくせに」
マリーベルがいやらしく目を細めた。
「な……ぜ知っている」
「私がオルドリンと寝てる時の話をしてたら、あの子自分で言ってたわ。マリー姉さまは外に漏らしたりしないからって」
ナナリー。ルルーシュは一瞬で頭痛が悪化して呻いた。
「えっそうなの!?ナナリーったら、どうして私に言ってくれないのかしら」
「ユーフェミアにはいいところ見せたいんだと思うわ。恥ずかしいんでしょう」
そうかなぁ、そうよ、14歳で兄と寝てるなんておかしいもの。
っていうかおかしいのはルルーシュよね。確かに。
言いたい放題である。
無理難題を言いつけられて、どうしようもなくなった厳しい戦況を勝ちに導くよりしんどい。
脱力していると、ユーフェミアがあっ、とこちらを向いた。
「大丈夫、ちゃんと下着は付けるし心配しないで!」
「バカそういうことを言うなはしたない!とにかく駄目だ。風呂に入ったら二人で客間に、」
「いいでしょう?血の繋がらない殿方じゃないんですから。まあシュナイゼルお兄様やオスカーお兄様なら気にしますけど、ルルーシュだし……」
「ね。女の子みたいなものよね」
「行儀作法をイチからやり直したほうがいいみたいだな……コーネリア姉上に告げ口してもいいんだからな……」
「コゥお姉さまも、ルルーシュならいいって仰るんじゃないかしら」
「中世じゃあるまいし、バレなきゃいいのよ」
頭が痛い。とても痛い。
いらいらと肘置きを指で叩いていると、ユーフェミアが上目遣いにルルーシュを見る。甘えるだけのそれではない。わかるでしょう、とばかりに雄弁な目だった。
「今日は特別。ね、ルルーシュお兄様」
「………………」
それを言われたら、断れないではないか。
「……今日だけだからな」
長い息を吐く。やったぁ、と見た目だけは可憐に喜んで見せる妹たち。中身はモンスターに近い。
湯浴みの用意ができたとメイドが来たのはその直後だった。
ご要望通りマルディーニの限定ローズバニラをご用意させていただきましたとの報告にきゃーきゃーはしゃいでいる。先ほどナナリーに連絡を取り、彼女の入浴剤コレクションを使っていいかと訊いたのはルルーシュだった。妹に甘いと言われれば頷くことしか出来ない。その通りだ。
じゃっディナーで会いましょ!とすたこら去っていく。アリエスでは普段、食事と風呂の順は逆である。
「お転婆姫だな」
「本当にな」
当然ルルーシュも風呂に入るし食事もする。まだ四時だ。どうせ当分上がって来ないので、ルルーシュもフライトで疲れた分(心労の方が大きい気もする)ゆっくりすることにした。バスルームまで付き添ったのはジュリアス――L.L.で、鍵を閉めてから面を外す。もうなんだかどうでもよくなってきて、どうせ自分だしお前も入るか?と言いかけたのをこらえた。
ルルーシュとL.L.に問題がなくても、一緒にバスタイム過ごしました丸出しで戻るのは外聞が悪い。
皇族のくせに世話を嫌がるルルーシュのことを知っているから、L.L.も必要以外の手助けはしない。風呂用の車椅子に乗り換えるのを軽く手伝った後は、彼らしくもなく疲れた顔を滲ませて突っ立ていた。ぐったり、と言うに近い。鏡の中の自分と寸分違わぬ同じ顔だ。カラーコンタクトのせいで、瞳の色だけが違う。
「どうした」
彼女たちがおかしなテンションになったのはルルーシュが現れてからのはずだ。それまでは多分、マリーベルはあの庭を眺めていただけだったはず。
もうマリアンヌも、ユーリアもフローラも二度と現れない。美しくも空虚な庭。
「変わらなければ、と言っていた」
「どっちが」
「どちらもだ。意味はそれぞれ違うみたいだったが、思うところがあるんだろう」
ルルーシュはふうん、と返す。それだけでこの自称魔王がこんなに参った顔をするはずがない。でも聞いたらもっと疲れる気がしたので、先にシャワーを浴びることにした。浴室に入ればL.L.もついてきて、濡れないように隅っこの椅子に座っている。今日はルルーシュの疲労を見越して、事故を起こさないか監視のつもりなのだろう。必要ないが、所詮自分なので気にもならない。
そんなことより風呂から上がった後が怖かった。パジャマパーティと称して、彼女たちはルルーシュを玩具にする気なのだ。絶対に。これは予想ではなく、経験測からの確定事項だ。
やはりナナリーを連れて来なくて正解だった。
お転婆すぎるプリンセスがひとり増えるだけで、心労はとんでもないのだ。
「……で?」
湯につかる。人心地ついて、座ったまま寝ている男に声をかけた。L.L.はルルーシュ以上に、隙間時間で熟睡するのが上手い。
「ユーフェミアは前から、もっときちんと勉強して皇族として恥ずかしくなくいたいと言っているんだろう?恐らくはお前とナナリーの影響で。つまりはコーネリア姉上の過保護から抜け出したいわけだ」
「ああ」
「マリーベルも完璧なプリンセスでいることに疲れている様子だ。正確には、フローラ様が望んだ姿。あの子はもう少し苛烈な性格に見える」
「間違ってないな」
マリーベルは言わない。いつもいつでも沈黙を守って来た。しかし妹の命と母親の寿命を奪ったテロリストを、深く恨んでいる。もしもフローラまでもがあの日死んでいたら、ルルーシュのように幼くして軍人の道を選んだかもしれない。自らの手で犯人を屠るために。あのスタジアム毒ガステロの犯人グループは、まだ半分ほど捕まっていないのだ。ルルーシュだって、母を殺した犯人が捕まっていなければそう望んだだろう。
「もう母親はいないのに、自分の望む姿とは違う優等生で居続ける。ストレスだろう。さらには同級生、果ては教師にまで腫れ物みたいに扱われるのを不愉快に思うだろう。あの子はヘタな同情は好かないからな」
「まあ……そうかもしれないな」
それがどこへ繋がると言うのだろう。
怪訝な目を向ければ、L.L.は重々しく続ける。
「ユーフェミア。覚えているか?俺が初めて彼女に会った日」
「制服で人の離宮に帰って来た日か」
「そう。あの日の会話だ。『次の長期休暇にでも遊びに来るといい』、『そうしようかな』。」
L.L.はそこで言葉を切った。
こちらが察するだろうと判断したのだ。ルルーシュは濡れ髪をかきあながら言葉を咀嚼し――浮かんだ光景にまさか、と青ざめる。
「お前の考え過ぎだろう?」
「だといい。俺もそう思いたい。しかし、ちょっとテンションがおかしくなった皇女二人がお泊り会感覚で違う離宮のバスルームにはしゃぎ、開放的な空間で本音を少しでも曝け出し、お前という帝国の最前線で戦う、総督就任により17歳の皇族では一番の出世頭となった有能な男について話すうちに――どうなるかな」
「やめろ……」
「エリア11なら、お披露目がまだな二人の顔は割れていないなぁ?冬期休暇はもうすぐそこだ。休暇の間に羽根を伸ばそうとするかもしれない――さああの二人が、休暇だけで済むか」
「やめろ……!」
L.L.はいつの間にかにやついていた。
「よく考えたら俺はお前の侍従でいいだけだから、何も心配することはなかったな。杞憂で済むといいなあ?」
まさに魔王と言うに相応しい、いやらしい笑み。久々の長湯だというのに、まったくリラックスできなかった。
青ざめたままに夕食の為に食堂へ向かったルルーシュに、先に着いていた二人が振り返って発した言葉は「ルルーシュお兄様!」だった。
普段はルルーシュとしか言わないくせに。
後は覚えていない。覚えていないことにしたい。
したかった。
〇
約束通りに3日で帰った。
モンスター襲来の晩はとりあえず忘れたことにして、フローラ妃の式に参列。
18になるまでは表に娘を出さないという彼女の意向に従って、マリーベルが整えた式で、彼女はメディアや皇族と姻戚関係があるわけでもない貴族連中の前には姿を見せなかった。弔辞を任されたクロヴィスが、第三皇女の言葉として合わせて読んだ。母を慕ったマリーベルらしい式。政略で死んだ皇妃ではないから、ぎらついた空気も薄く。皇族の式としては随分に久しい、純粋に故人を思う場所だった。
しかしいつまでも感傷に浸ってはいられない。これから自分がやることも思えばなおさらだ。来た時同様に飛んで帰って、そして、ルルーシュとジュリアスを迎えたのは。
「おかえり、ルルーシュ」
「な……」
夜も遅い。
ナナリー様がお待ちですと言われて向かったのに、そこにいたのはナナリーではなかった。
――いや、誰だ?
ルルーシュが返事をしようと口を開けた瞬間、
「……っC.C.!」
歩きながら面を外しているところだったジュリアス――L.L.の怒鳴り声が響いた。至近距離にいたせいで耳がキンとする。
「うるさいぞルルーシュ。せっかくこの私が直々に足を運んでやったというのに。お前が迎えに来て然るべきだったんだからな。酷い目に遭ったんだ」
「連絡一つ寄越さなかったくせによく言うな。お前、俺がどれだけ――」
「心配してくれたんだな?」
「黙れ。どうせピザでも食ってたんだろうが……!」
「いやぁ、領収書が貯まって仕方ない。キングスレー様で切っといた」
「人の金を使うんじゃないッ!」
「いいじゃないかどうせお前の金じゃないんだし。経費だ経費、国家予算でどうにかするだろ?なあ、謎の覆面男ジュリアス・キングスレイ?もしかして改名か?私もそう呼んだ方がいいのかぁ?」
「この……っ」
……えーと。
ルルーシュは固まる。ここまで激情をあらわにするL.L.を見るのは初めてだった。
ソファーに身体を預けている女――いや、少女。緑の髪に金色の目だ。L.L.をからかうことに全力を注いでいるようにしか見えない彼女を、L.L.はC.C.と呼んだ。つまり彼女が。
「L.L.、お前、その女性が――」
「L.L.?」
少女が遮って、きょとんとする。
ひどく整ったその顔がゆっくり奇妙に歪んだ――と、思った、
その瞬間。
「るっ、ルルーシュ、おま、お前まだその名前諦めてなかったのか!」
火が付いたように爆笑を始めた。
あっはははは、と声を上げ、バンバンソファーを叩き出す。
「えるつー、えるつー!そうかそうか、そんなにイニシャルだけは恰好良かったかぁ!」
「うるさいッッ黙ってろ!!!」
「いやこれは笑うだろう、笑わない方が、ウッ、あの男にも聞かせてやりた、あ、ひ、もう無理あっはははお腹痛い」
ひぃひぃ言っている。過呼吸を心配した方がいいレベルだった。L.L.は顔を真っ赤にして、どことなくいつもより表情が幼い。
「……っ、ルルーシュ!」
L.L.がバンッとソファーを叩いて振り返った。このルルーシュ、というのは今度こそ自分のことだ。
「この魔女が俺の連れだ。C.C.だ」
やはり。
総督就任のあの日以来、あんまり何も言わないからどうする気なのかと思っていたら。
「おいお前も名乗れ。いつまでも笑ってるんじゃない。聞いてるのか」
「うん聞いてる、聞いてるから、ふ、ふっふふふ……くっ……」
「……そうか」
L.L.が一段低い声を出した。
「人の名前をそんなに笑うのか。なら俺もお前を正しい名で呼んでやらないとなぁ?聞いてるかC.C.?ああ悪い違うな――」
「C.C.だ。よろしくな、皇子様」
少女――C.C.はすっと笑いを収めて立ち上がり、ルルーシュに向かって不敵に笑った。
すさまじい変わり身の速さだ。
美しい女だった。
緑の髪は見たことがない稀有な色で輝いていたし、金色の瞳はなるほど、彼女が年相応の中身ではないと感じさせる深みと落ち着きがある。カントリー調のワンピースはナナリーにも似合いそうなかわいらしさで、少女らしさを演出していた。
「悪いが私にとってのルルーシュはこの、え、エルツーと名乗っているおとふっふふ」
「おい」
「L.L.と名乗っている男なのでな、お前のことはまた別の名で呼ばせてもらおう」
「あ……ああ、構わないが」
あまりにも予想外、そして見たことのないタイプの女性で戸惑う。「俺の連れ」と言うからてっきり恋人かと思っていたので、どうにもそうは見えない雰囲気に圧されてしまった。ルルーシュはL.L.が「契約のことだが」と持ち出すまで混乱していた。
「C.C.が見つかった以上、もうここにいる必要はない。だけどここで終了というのは寝覚めも悪いから、しばらくは手を貸す。ただし、ある程度自由には動かせてもらう。それでいいか?」
「――ああ」
つまりは彼の善意、自由意志だ。
「お前の計画、見届けさせてもらおう。お前の行く末を見たいと言ったのは俺だしな」
「わかった」
ルルーシュは頷く。
隣のC.C.はここでは茶化さず、盗み見ればひどく優しい顔でL.L.を見ていた。ころころと印象の変わる女だ。しかしL.L.が彼女の表情に気付く前に、にやりと笑みを形作る。
「ルルーシュ、お土産がある」
「は?」
「私に感謝してほしいな。殺されかけたんだから、そのまま捨ててきてもよかったんだぞ」
「何言ってる、お前それよりコードは」
「ナナリー、もういいぞ」
C.C.はL.L.を完全無視で奥の扉に声を掛けた。ここまでで、自称魔王が魔女にめちゃくちゃに振り回されている図がよくわかった。
ナナリー。そう、彼女が待っていると言ったのに姿が見当たらなかった。はぁーいと可愛い声がしたのは奥の扉からで、すぐに開く。
そこにいたのはナナリーだけではなかった。
貴族的に着飾った少年。タイやカフスなんかの小物には見覚えがあり、ルルーシュの私物だ。
ベビーフェイスと言うのが似合う可愛らしい顔をしていたが、雰囲気が問題だった。
血の香り、とでも言えばいいだろうか。
戸惑った様子の今はなりをひそめているが、危険なオーラだ。ただ者ではない――。
「驚いたろう?」
C.C.が笑った。
L.L.の顔は驚愕に満ち溢れている。彼は少年を知っているようだった。
「ロロ…………」
四章/第一部 完
ここまでが第一部のようです。最終話萌え詰め込み過ぎて大変なことになっている回ですね。しつちゃん、登場するまで約20万字かかったそうでタメが長すぎる。
それでは次章「まほろばの夢」でお会いしましょう。
追記:この下に追記は恥ずかしいですね。
クロヴィスお兄様登場の2-4なんですけど過去の自分と解釈違い衝突を起こしてあまりに許せなかったのでちょっとだけ直しました。一~二文で口調だけなので内容に変化はありません、読まなくて大丈夫です。