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「それでは、ゼロ部隊の帰還を祝って」
「お兄様のご無事を祝って!」
「乾杯!」
橙色の証明が照らすダイニングに、明るい声が響いた。
ヴィレッタがシャンパンを、ジェレミアはワイン。アーニャはオレンジジュース。ナナリーとルルーシュはジンジャエール、咲世子は烏龍茶。グラスの形も中身も違う6つの杯が掲げられる。賑やかな談笑と共に、食器が控えめにぶつかりあう繊細な音が響き始めた。テーブルの上に所狭しと並ぶのはルルーシュ手製の料理たち。彩豊かなそれらは肉に魚に野菜にと栄養は満点で偏りがないうえ、皆の好物ばかりだ。コース式になってはおらず、かといって格式ばった中身でもなく、盛り方や並べ方だけで言うなれば、とても庶民らしい。素材はもちろんこの国で最高級、味だって一流のシェフにひけをとらない。
この席にマナーをうるさく騒ぎ立てる無粋な人間はいない。ただしマナーのなっていない人間は一人としていないため、端から見るととてもお上品な光景ではある。
それぞれが声を掛け合い歓談しながら、思い思いに好きな料理を取ってゆく。節度を保った主従でありながら、それ以上に命を預け合う仲間。心地よい距離感。これがアリエスでのゼロ部隊だ。
「ルルーシュ様、それ食べたい。よそって」「どれくらいだ?」「いっぱい」「……これでいいか?」「もう少し」「成長期だな、アーニャ。最近背が伸びていると聞いているぞ。いいことだ」「ジェレミアさん、お注ぎしましょうか」「そんな!ナナリー様にそんなこと……」「好きでやってるんですよ。もうっ、このやり取り何年してるんです。いい加減慣れてくださいな」「光栄です……」「ヴィレッタさまは明日はナナリー様と訓練場ですか」「ああ。咲世子はいつも通りか?」「はい。暫くはルルーシュ様、書類仕事が増えそうですから、私もアリエスにいることが増えるかもしれませんね」「書類仕事?なぜだ」「それは……」
「咲世子」
口々に話し合う中、ルルーシュはきちんと聞いていたらしい。蛇のように目を細め、ちろりと視線をやり待ったをかける。当然、事情を知らぬ4人はきょとんとするばかり。
「そういえば、ナナリー様のナイトメアの……」思い出したように口を開いたヴィレッタも、ルル―シュは名を呼んで黙らせる。
お兄様?首を傾げたナナリーには、しかし、とろけるような笑顔でオレンジジュースのおかわりを注いでやった。蛇のように睨まれた二人はやれやれと顔を見合わせる。するとすぐさまルルーシュから、そこの二人顔がうるさいぞと理不尽な文句が飛んだ。
「それにしても、ルルーシュ様の料理は相変わらず美味ですなあ」
「ふ、そうか」
「はい!この鴨のマリネなんかは特に素晴らしく……!」
「殿下、相変わらずレシピは教えてくださらないのですか?」
「企業秘密だ」
「……でも、ちょっと今日は味が違いません?」
「私もそう思った」
「おや、ナナリー、アーニャ。どうしてそう思う?」
ルルーシュが尋ねる。ゼロ部隊仲良し年少組の二人は顔を見合わせて、唸った。
「塩気が少しだけ強い、ような」
「どこがどう違うと言われても、上手くは説明できないのですけれど……私の好物のこのポテトサラダなんかは、いつもと変わりありませんし」
「ほう?」
「……ていうか、ルルーシュ様、今日、変。発表って何?」
全員の視線がルルーシュに集まる。穴が開くほど見つめられ、ルルーシュは口に運ぼうと持ち上げていたフォークを一度皿に置いた。
まじまじ。じろじろ。
あまりに素直な視線で、他の皇族――第一皇女のギネヴィアあたりなら不敬だと怒りを露わにするようなシーンだ。
「デザートまで待て」
「咲世子は知ってるのに」
「護衛特権だ。お前だって俺の知らないナナリーの秘密、いっぱい知ってるだろ」
「殿下、破廉恥」
「な……ッ」
ルルーシュが口を開けたまま固まる。白すぎる美しい肌が、血を巡らせて朱へと変じた。
ナナリーはくすくす笑って、自らの騎士に乗じる。
「そうですよお兄様。女の子の秘密を探ろうだなんて、邪推されても仕方ありませんわ。ね、アーニャ」
「そう」
「そんなつもりは……、ッ、アーニャ・アールストレイム!全くおまえは……!疚しい気持ちはない、本当だ、ナナリー」
「あら、どうかしら」
「…………お前、ユフィに似てきたな」
「そうですか?だったら嬉しいな。ユフィ姉さまは私の憧れですから」
「そんなところまで似なくていい!おい何を笑ってるジェレミア!隠しきれていないぞ!」
「そんな、ルルーシュ様……私はただ、お二人がお可愛らしいなと」
「男がかわいいなどと言われて嬉しいものか!」
ルルーシュは唸り、どっと疲れてため息を吐いた。一呼吸置いて、ようやくサラダを刺したままのフォークを口に運んだ。
「あら、お兄様。デザート、一つ多くありませんか?」
「いいや。7人分であってるよ」
ぱたぱたと用意されたデザートを並べるナナリーが首を傾げた。同時に咲世子が椅子を持ってきて、ルルーシュの隣に置く。もともと6人では余裕のあるテーブルだ。窮屈には感じない。
「お客様がいらっしゃるんですか?」
「そうだ。いや……客ではない。暫く我々と共に動く人間だ。仲間……というべきかな。まだ試用中で、完全に信頼しているわけではないんだが」
「ゼロ部隊に新しいメンバーが入るのですか?」
驚くジェレミア。ルルーシュは懐からインカムを取り出し、「来い」と言った。それから忠義深い臣に顔を向ける。左右それぞれの車椅子のひじ掛けに悠然と両肘を置き、胸の前で手を組む。
「違うな。私の側近となる男だ。咲世子と違って非戦闘員だが」
「側近?」
「文官ということですか?」
芸術的な美しさすらあるデザートに手をつけることもなく、隊員たちは口々に疑問を呈する。
ルルーシュは微笑んでいるだけだ。
やがて、ダイニングにノックの音が響いた。
ルルーシュは入れとも言わない。全員が静まりかえって数秒。主の許可を得ず、扉はあっさり開かれた。
そして、全員が驚愕に目を見開いた。
そこに立っていたのは、ルルーシュそっくりの男――L.L.だったのだから。
「お兄様……!?」
初めに口を開いたのはナナリーだった。愛らしい菫色の瞳をまんまるにして、ルルーシュと謎の男を見比べている。
L.L.は悠々と、ルルーシュたちのところまで歩いて来た。一番近いところにいたナナリーの前で制止すると、ゆっくりと跪く。そしてルルーシュによく似た声で言った。
「初めまして、ナナリー皇女殿下。ジュリアス・キングスレイと申します」
「ジュリアス……さん?」
「ええ」
「ルルーシュ様、この方は――」
ヴィレッタが困惑した声を出す。お顔を上げてくださいとナナリーに言われ、L.L.――ジュリアスは皆が見慣れた顔そのもののそれを、再び全員に晒して見せた。
ロイヤルパープルの瞳。凛々しい眉に、すっと通った鼻筋。どこか危うくも感じる、細くすらりとしたスタイルの良さ。
違いを見つけるほうが難しい。秘匿されていた双子の兄だとか弟だとか言われても、納得できるだろう。絶句した面々を満足そうに眺め、ルルーシュはにっこり笑った。
「彼はジュリアス・キングスレイ。今日づけで私の側近をやってもらう。……というのが
表向きだ」
――では、裏があるんだな。隊員が怪訝そうに、おそるおそるという風にジュリアスの様子を伺った。
「実際は――私の影武者を。務めてもらうことになった」
「影武者……!?」
「失礼ですが殿下、本当にこの方と血縁関係は……」
「ない。他人の空似、そっくりさんだ。化粧もマスクもしていないぞ」
嘘は言っていない。だって、L.L.はこの世界のマリアンヌから産まれたわけではないのだし。ルルーシュと彼に繋がりがあるわけでもない。
生体検査を要求した際、L.L.はあっさりと応じた。しかし外部の人間に結果を見られるのは御免だとは強く主張し――その理由は、実際に検査してみてすぐにわかった。
遺伝子情報が、指紋が、声紋が網膜が、合致する人間がこの世のどこにいようか。
偽造できるものではない。それこそクローンでも作らない限り。ブリタニアに不死身のクローンを作る技術があったなら、ルルーシュはその線も疑っただろう。
紛れもなく、彼はもう一人のルルーシュ・ヴィ・ブリタニアだったのだ。
それだけではない。いくつもの項目で、L.L.は通常の人間ではありえない数値を叩き出してみせたのだ。これにはさすがのルルーシュも、予想していたこととはいえ戦慄した。
科学には嘘は吐けないものだ。人知を超えた存在の証が目の前にいることに寒気立った。
ルルーシュひとりで検査を実施し、他の人間に見せなかったのは正解だった。こんな事実、どこにも出せない。同時に、影武者としては最高の存在。
指紋を残すことを恐れて、彼は手袋をしている。普段はこれで良いとしても、このアリエスを含めブリタニアのセキュリティシステムは生体認証が主であるから、それをどう誤魔化すかがネックだ。
ーーと、ルルーシュが思考の海から意識を戻してもなお、全員が呆然としていた。何度もジュリアスとルルーシュの間を視線が行き交う。
座れとルルーシュに命じられ、彼は空いていた、用意されたばかりの席に腰かけた。
そして再び、初めましてとにこやかに挨拶をする。
「あんまり見事だから採用したんだが、さっきも言った通り暫くは試用期間だ。妙なところがあれば遠慮なく言ってくれ。もちろん自分が危ない場合は遠慮なく撃っていい。これまで通り」
これまで通り。
そう、第十一皇子の特殊部隊・ゼロにおいて、その手の事件がなかったわけではない。ルルーシュが自分で選んだ人材がスパイと化したことや他の皇族の手の者だったことが、今までに二度あった。一人はヴィレッタに裏切りを明かされ、またひとりはナナリーが捕縛した。最愛の妹が凶器を持つ裏切り者に対し大立ち回りをしたと知ったときの、ルルーシュの怒り狂い様は団員の記憶に鮮烈に残っている。考えうる限りの恥辱と痛みを味合わせ、拷問ののち殺すと息巻く兄を宥めるのは、当のナナリーですら難しいことだった。
裏切られること。それはこの部隊の中であっても、予測しておかねばならないことだ。なによりそんな者を引き入れてしまった自分の目が甘かったのだと、年若い少年は常に自省を繰り返してきた。
今度ばかりは事情が特殊に思えるが、それでも味方だと判断するには時期尚早だ。承知済みだとばかりに、隊員は揃ってイエスと返した。
「……本当にお兄様の双子のようですわ。見分けがつきません」
「だろうな。事実、ヴィレッタにジェレミア。お前たちは見分けられなかった」
「はっ?」
年長者二人がそろって素っ頓狂な声を上げる。
「咲世子もか?まあ、あの時は気が動転していただろうからノーカウントだな」
咲世子がふふふと微笑む。ジェレミアとヴィレッタは目を白黒させてジュリアスとルルーシュを交互に見続け、ルルーシュは皇子とは思えないような酷く悪い顔で、実に楽しそうに、爆弾ともいえる種明かしをした。
「騙すようなことをして済まないな。今日一日、朝食の時間以外に俺は自分の部屋の外に出てないんだ」
「今日の料理は、殿下のレシピに則って自分が作りました」
ジュリアスが悪戯が成功した子供のように言った。どうでもいいが、L.L.と一緒にいるうち、自分が普段どのような顔をしているのか客観的に理解できるようになってきた――ルルーシュはそれがいいことなのか悪いことなのか、いまいちわからない。わかったほうがいいのかすらわからない。
「まさか……」
「会話は俺がインカムで指示を出してたんだ。気付かなかったろう?」
「それで今日の殿下は……その、なんだか少し違和感があったのですが……」
「ああ。あれは俺もやりすぎだと思ったよ」
自ら生クリームを食べさせたあれだ。俗に言う"あーん"だ。兄妹でも恋人でもあるまいに。
「本当に入れ替わっていたのですか?」
「本当だ。彼には一週間ほど、アリエスの観察と、俺の癖や仕草を練習させていた」
ヴィレッタは呆然として、一週間、と呟く。もっとも後者に関しては、何もせずとももともとほとんど同じだった。歩ける身体とそうでない身体によるものから生まれる差異を埋める程度だ。
「ジュリアスさんは、役者か何かでいらしたのですか?」
「似たようなものでしょうか。行き場がなく困っていたところを、殿下に拾って頂きました」
尋ねたナナリーに対し、ジュリアスが完璧に微笑した。皇族なんて常に演技しているようなものだ。ルルーシュはシャンパングラスを傾けながら、その皮肉に内心嗤う。
「ジュリアス、って呼んでもいい」
「構いません、アールストレイム卿」
丁寧に返されたアーニャは、淡々とした表情をわずかに曇らせる。
「同僚になるんでしょ。私、年下。敬語はいらない」
「しかし……」
「ルルーシュ様の顔で敬語を使われても、気持ち悪いだけ」
きっぱり。
確かにと、全員が顔を見合わせた。その通りだ。
「……アーニャ。……で、いいか?」
「いい」
「……これが発表ですか?」
おもむろにナナリーがルルーシュの方を向いた。その言葉の裏にあるものを察し、
「さすがだなナナリー。これで終わりじゃない」
ルルーシュは艶やかに笑った。しかし、と続ける。
「先に、デザートを食べてしまおうか」
どうやら驚きの連続で、皆食後の楽しみを忘れかけていたらしい。はっとして、それから甘味に癒された表情をする。アーニャはぱしゃりと写真を撮っていた。後でブログにでも載せるのだろう。L.L.はそんな彼女の様子を凝視していた。一週間の観察の間で見慣れているはずなのに、どうしたのだろう。なんでも写真に撮りたがる少女など、別に珍しいものでもないだろうに。
とにかくまずはこれを食べる。話はそれからでも十分だ。ルルーシュの言葉に皆が頷く。
これからの計画。目指すところ。今話せる段階で……それでも重要なことばかりだ。どうせ知ることになるとしても、途中で隣の男には退室してもらわなければならないだろう。今日付けで仲間になる新入りに明かすことではないものも多い。他のメンバーの目がある以上、仕方のないことだ。
長い話になる。